死刑反対派にとって宅間守というのは非常に厄介な存在。永山基準を余裕で超える殺害数と残虐性、本人が死を望む、冤罪は100%ない。宅間守を擁護するなんて異常。だが、反対派は「宅間守は例外」なんて言えない
死刑反対派にとって宅間守というのは非常に厄介な存在。永山基準を余裕で超える殺害数と残虐性、本人が死を望む、冤罪は100%ない。宅間守を擁護するなんて異常。だが、反対派は「宅間守は例外」なんて言えない
死刑廃止論に対する反論としてよくあるのは、例えばこういう意見です。 廃止論者は一パーセントでも、冤罪・誤判の可能性があるならば、死刑に処してはならないと主張するが、逆に九十九パーセント冤罪ではなく真犯人であると確信でき、残虐な方法で多くの人を殺したということがいえる場合であっても、なおその人にたいして死刑にしてはならないというのは、国民感情論からいっても納得できまい。 これは言いかえれば「国民感情論からいって納得がいくためには、冤罪の可能性が極めて低いと思われるであれば、間違って殺してもかまわない」ということであるはずです。私はそういう意見には同意できません。 また、上の文章の続きですが、こういう意見も多いでしょう。 また、冤罪・誤判の場合、廃止論者の主張する終身刑であれば取り返しがつくということでもなく、刑務所で過ごした日々は戻ってはこない。したがって、以上のことから私は死刑制度の存置を
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