はてなキーワード: 課題とは
現状の問題点を指摘しつつ、将来の改善策を提示する行為が「恥知らず」だと言われるのは筋違いだ。
むしろ、今を批判し、先を見据えることは、変革に向けた意欲と建設的な姿勢を示している。
そんな態度を一括で否定すれば、あらゆる技術進歩の芽は摘まれてしまうだろう。
現実的な課題を踏まえて新たな方向性を示すのは、社会を停滞から救う重要なプロセスだ。
それを「恥知らず」と切り捨てる発想には、変化を忌避する硬直した思考が透けて見える。
結局、何が恥知らずなのか、本当によく考えた方がいい。
正直、そのコメントは表面的な解決策に終始しているように見える。
確かに環境思考や再エネ強化は間違いじゃないし、個人用EVへの懐疑的な視点も分からなくはないけど、そこから「だから、全部電車でいい」と飛躍するのは乱暴すぎるんじゃないか?
バッテリーの素材革新やリサイクル技術、軽量化や充電インフラの改善など、課題は山積みかもしれないが、それを解決しようとする動きは確実に進んでいる。
停滞してるわけじゃないんだ。
大容量電池=環境破壊、すぐ劣化、で思考停止するのは、まるで何十年も前の常識を引きずっているように感じる。
「すべてを電車でカバー」って言うけど、それこそインフラ投資や社会のあり方を大規模に変える必要がある。
線路は簡単に引けるわけじゃないし、物理的・経済的・政治的なハードルはEV普及どころじゃない。
一方で、EVと公共交通のハイブリッドなモデルだってありえる。
例えば、地域や用途に応じてEVシェアを拡大し、長距離移動は鉄道網やバス高速輸送(BRT)を整備することで、効率的なモビリティエコシステムを作る道もある。
夜間に太陽光発電が止まることを理由に「電車なら夜動かなくても同じ」と言うのは、昼間の余剰電力を蓄電する技術、グリッド調整、再エネ以外のクリーン電源との組み合わせなど、すでに現場で進められている取り組みを無視しているようなものだ。
要は、EVだけが正解でもなければ、鉄道一本槍が万能でもない。
その中間に、地域やシナリオごとにベストミックスを考える余地があるはずだ。
脱炭素社会を目指すなら、技術開発やインフラ整備、エネルギーマネジメントを多面的に組み合わせる必要がある。「EVは要らない」と言い切るよりも、EVの課題にどう対処し、公共交通とのバランスをどう取るかを考える方が、ずっと建設的だと思うんだが、どうだろう?
杞憂という言葉は、文字面の単純さを超えて、思索と反省の対象となるべき哲学的・文化的・心理的な深淵を秘めている。それは「不必要な心配」や「ありもしないことへの過剰な恐れ」といった単なる辞書的定義を超え、人間存在そのものに内在する不安の構造や、思考の限界を暗示する概念である。この言葉の起源を辿りつつ、その背後にある多層的な意味を探ると、杞憂という語は一つの寓話的なシンボルとして、私たちの精神的地平を照らし出す。
「杞憂」は中国古代の典籍『列子』の「天瑞篇」に由来する。物語の舞台は杞(き)という小国である。そこに住む一人の男が、「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」と絶えず恐れていた。その恐怖のために、彼は食事も喉を通らず、夜も眠れなかったという。この杞の男を見かねた人が、「天とは何か」と理性的に説明を施す。曰く、「天は空気の層であり、その性質からして崩れ落ちることはあり得ない」と。しかし、この説明を聞いた杞の男の恐怖は一向に収まることがなかった。彼は依然として「では、大地は崩れるのではないか」と新たな恐怖を生み出したという。
この逸話を素朴な道徳的教訓や人間の愚かさの象徴と捉えることは容易だが、それはこの物語の本質を単純化しすぎるだろう。杞憂の核心には、存在論的な問いが潜んでいる。すなわち、「我々は何を恐れ、そしてその恐れの根拠は何か」という問題である。
杞の男が恐れていたのは、「天が落ちる」という一見荒唐無稽な事態であったが、彼の恐れの本質は、物理的な事象に対するものではなく、「秩序が崩壊することへの恐怖」だったと言える。天と地というのは、古代中国の宇宙論では根本的な秩序の象徴である。天が落ち、大地が裂けることは、自然界の崩壊のみならず、存在そのものが瓦解することを意味する。したがって、この恐怖は単なる無知や杞の男個人の愚かさに還元されるものではなく、人間が持つ「根源的不安(existential anxiety)」の表出である。
杞憂という概念には、複数のレベルでのメタファーが隠されている。そのいくつかを抽出しよう。
空(天)が落ちるという恐怖は、現代的に翻訳するならば、我々が宇宙や自然の安定性を信頼することの脆弱さを示している。宇宙論的スケールで考えると、杞憂はブラックホールの蒸発や熱的死といった現代物理学の概念に通じる、秩序の不安定性に対する漠然とした恐れとさえ言える。
大地が裂けるという杞の男の第二の恐怖は、社会や文化の基盤が崩壊することへの比喩とも読める。歴史的には、革命や戦争、経済的崩壊の予兆として、こうした恐怖が群衆心理を支配した例が数多く存在する。
杞憂の本質的な特徴は、恐怖が「自己生成的」である点にある。杞の男が「天は落ちない」と説明されてもなお「大地が裂ける」と新たな恐怖を抱いたように、恐れというのは理性による説明をすり抜け、次々と新しい対象を生み出す。この現象は、心理学で言うところの「一般化不安障害(GAD: Generalized Anxiety Disorder)」に近いものであり、人間が恐怖を必要とする存在であることを暗示している。
「杞憂」という言葉の文化的意義は、人間が「未知」や「制御不可能性」に直面した際の反応を考える契機を提供する点にある。杞の男の恐れが批判されるのは、それが非合理的で無用であるからという理由に加え、その恐れが「何の行動も生み出さない」からだ。しかし、この逸話は現代人にも重要な問いを投げかける。我々が杞の男と同様に、漠然とした不安に囚われている時、それを「無駄」と切り捨てるだけでよいのだろうか?
たとえば、気候変動やAIの台頭といった現代的課題を巡る不安の多くもまた、杞憂として一蹴されることがある。しかし、それが真の杞憂なのか、それとも未来への警鐘なのかを判断するには、慎重な検討が必要である。杞憂は時として、無意味な心配ではなく、行動を促す予兆でもあり得るのだ。
「杞憂」とは、表面的には「不必要な心配」を示すが、その奥には、「不安という人間の根源的条件」が反映されている。杞の男の恐怖は、無知や愚かさの象徴であるだけでなく、存在の根底に潜む不確実性、そして我々がそれにどう向き合うかを問う寓話的な警句でもある。
言い換えれば、杞憂とは、我々が避けて通れない「虚無」と「秩序崩壊への恐れ」の象徴であり、それを通じて、不安にどう対処すべきかという哲学的・実践的な問いを私たちに投げかけていると言えるだろう。
異常なんだよな
ほんま「年収1000万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」っていう事実に反すること垂れ流したバカは
土に還っていい
医療、教育、福祉などの公共サービス分野に加え、物流・運送業、小売業、建設業、農業といった社会インフラ職は、社会の根幹を支える重要な社会インフラである。これらの職種は、私たちの日常生活と経済活動の維持に不可欠な役割を担っているにもかかわらず、その待遇は著しく低く抑えられている。
特に以下の産業分野では、社会的重要性と待遇の間に大きな乖離が生じている:
3. 建設業
4. 農業
* 食料安全保障の要
これらの産業は相互に密接に連関しており、一つの分野の機能不全が社会全体に波及するシステミックリスクを内包している。しかし、その重要性に反して、これらの職種は「代替可能」「単純労働」といった誤った認識のもと、適切な評価を受けていない。
特に看過できないのは、「年収一千万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」といった、明らかに事実に反する言説が意図的に流布されている点である。これは実態を完全に逆転させた主張であり、むしろ社会インフラ職に従事する人々こそが、不当に低い待遇で社会全体を支えている現実がある。このような言説は、社会インフラ職への差別を正当化し、構造的な不平等を隠蔽する役割を果たしている。
これらの社会インフラ職における待遇の低さは、すでに深刻な社会問題を引き起こしている:
1. 人材確保の困難
この問題の解決には、税制を通じた富の再分配が不可欠である。特に、富裕層や大企業への適切な課税は重要な課題である。しかし、この当然の施策が政治的な議論の俎上に上がることすら意図的に阻まれている。
OECDの調査が明確に示すように、「富裕層の国外流出」という脅しのような言説は、実態を全く反映していない。先進国における富裕層の国外流出は極めて限定的であり、以下の要因により、その国に深く根ざしているためである:
これらの要素は容易に再構築できるものではなく、税率の違いだけで安易に国外移転を選択することは現実的ではない。むしろ、適切な課税と再分配による社会の安定性確保こそが、富裕層自身の利益にも合致する。
グローバル企業への課税には固有の困難が存在する一方で、近年では国際的な対応が進展している。特筆すべきは、OECDが主導する法人税の国際的最低税率(グローバルミニマム税率)15%の導入である。これは以下のような意義を持つ:
4. 各国の税収基盤の確保
しかし、実効性ある施行には依然として以下の課題が残されている:
フルリモートからの反動で出社強制すれば課題解決するっていうのは幻想なのに
なぜ出社すれば解決できると思ってるんだろうね
それから目を背けるために出社させて、なんちゃって会社ごっこをしてる
もうちょっと具体的に言うと、タスクの明確化とスケジュール管理、非同期コミュニケーションをどうにかしないと稼働効率は低いままだけど
コロナ前のJTCは別に困ってるわけじゃなかったからやってこなかった
ところがフルリモートはそれをやらないとそもそも成立しないので
コロナ禍でそこが整理されてタスクが明確化した結果「既存のタスクはほとんど必要無い」っていうことが判明し
そうなると人員整理できないJTCとしてはタスクを作るしかないんだが
ってなってる
という思い込みで出社させてるんだけど
もはや同期コミュニケーションですらオンラインでリモートの方が場所や時間を確保しやすいし効率的なんだけど
結局はタスクを作り出せず暇なので出社させて非効率な同期コミュニケーション取らせてる
そもそも大半のタスクは非同期コミュニケーションで解決できるんだけどね
コロナ前の出社してた頃は課題が明確でないから無駄なタスクをとにかく処理して
そう言うお前さんこそ、どこまで実態把握してんの?
鴻海にいる元自動車メーカー社員と実際に話す機会があったけどな、あいつらは下請け的ポジションでEV関連の開発や生産に絡む中で、日本勢が抱える開発スパンや戦略ミスを内側から批判してたわけよ。
そのやり取りから見えてくるのは、中国系サプライヤーやEV専業勢の存在感だけが問題じゃなく、旧来メーカー内部での体質改善や開発プロセスの刷新が本質的な課題だってことだ。
で、お前さんは「環境規制対応」を言葉で片付けてるけど、じゃあどのメーカーがどんな技術的優位性持ってるのか、具体的に示してみろよ。
BYDやTeslaを出すと「またそれかよ」って短絡的反応してるけど、結局それ以外に有力なプレイヤーがどんだけいるか理解してんのか?
『かわいそうランキング』という概念が世界を支配する事態は深刻ではないですか? 簡単に言うと、苦しんでいる若い美人や愛らしい子供と苦しんでいる醜い中年男性がいた場合、世間の関心や救済の政治的なリソースが前者のような皆が同情したくなるような属性に集中してしまうような内容です。 黒人やLGBTの問題は社会問題として取り上げられやすいが、自殺率の最も高いブルーカラーな白人労働者階級の苦しみは社会問題となりにくい。 『世間の関心や救済の格差』 これはリベラルが生み出した新たな被差別階級ではないでしょうか?
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ご指摘の「かわいそうランキング」の問題は、社会が共有する同情や関心、さらに政治的救済資源が、ある種の「属性」や「物語性」を備えた被害者・弱者へと偏りがちである点を示唆しています。若くて美しく、守ってあげたくなる存在はメディア的にも取り上げやすく、世間の共感を得やすい反面、同じように深刻な苦しみを抱えながらも「共感を引き出しにくい」属性を持つ人々、たとえば外見的魅力に欠ける中年男性や、社会的ステレオタイプと結びついている集団は、その苦境が十分な関心や支援の対象となりにくい、という不均衡が指摘されています。これは、社会が苦難を「見る眼」を持つ際に、必ずしも純然たる被害の深刻度や頻度、影響度に基づくのではなく、むしろ象徴性・ステレオタイプ・メディア価値など、感情的・文化的要因に依拠しがちであることを示しています。
このような「共感資源の偏在」は、特定の集団(たとえば人種的マイノリティや性的マイノリティ)の問題が公共言説で取り上げられる一方、同様に深刻な課題を抱えるグループ(自殺率が高い白人労働者階級など)が「社会問題化」されにくい現象に繋がります。ここで言えるのは、リベラルが「意図的に」新たな被差別階級を生み出したというよりも、リベラル的な社会運動やメディアが強く注目する問題群が、ある種の「注目の政治学」を形成し、その結果として相対的に取り残される集団が生じている、という構造的な偏りの問題です。
リベラル運動は歴史的に、社会的弱者・マイノリティ集団の権利拡張と差別解消を目指してきましたが、その運動が大きな関心を得た結果、ある種の認知的バイアスが生まれ、「同情されやすさ」を基準としたヒエラルキーが形成されてしまう可能性があります。つまり、「苦しんでいる集団」であっても、既存のナラティブに当てはまらず、メディア上での「物語化」が難しい人々は、リベラル・左派を含む公共空間から相対的に無視されてしまうリスクがあります。
このような状況は「新たな被差別階級」と呼べるかは議論の余地があり、必ずしも従来の差別構造と同一視できるものではありません。しかし、少なくとも構造的な無関心や支援資源の偏在が存在し、結果的に苦境にある人々が政治的・社会的影響力や救済手段を得にくくなる点は深刻です。この問題は決して一面的なものではなく、「魅力的な被害者」を産出するメディアの論理、社会運動の戦略的焦点化、アイデンティティ政治の動態、さらには資本主義的なメディア報道環境が複雑に絡み合っています。
要するに、「かわいそうランキング」が社会を支配する現象は、リベラルが意図的に新たな被差別階級を作り出したと断じるより、リベラルを含む社会全体がもつ共感分配のメカニズムが偏在していることの表れであり、これが新たな格差、つまり「関心・救済資源分配における不平等」を生み、結果的にある集団を見落としてしまう構造があるという指摘は傾聴に値します。このような状況は、政治的・社会的な課題として、従来のアイデンティティ政治を超えた「苦しみそのもの」に対する包括的な理解と救済の再検討を促す契機ともなり得ます。
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まあまあな回答だな
いやいや、お前さんの論調、まるで企業統合がそのまま勝利の処方箋かのような単純発想だな。
世界三位とか数の大小でホルホルしてるけど、今後の自動車産業が抱える課題はEV化やソフトウェア主導の技術革新、環境規制対応、そしてグローバルなサプライチェーンの再構築だぞ?
ただ大きな枠組みにまとまったからって、すぐに勝ち確定みたいに語るのは浅はか過ぎる。
日本勢にしろ、ホンダと日産が組んで規模的に米欧中に対抗できるかもしれんが、「大きければ勝つ」なんてのは旧時代の発想でしかない。
豊田会長がすしざんまいポーズで披露してたあの電気自動車たちは、一体どこへ行ったんだろうね?
それをまるで無かったことにするかのように、EVにPHEV、FCEVを含めるのはまだしも、HEVまで入れて「EV揃えてます!!」感を出してるのは愚かの極み(笑)。
日産はルノー依存時代に新車種開発をサボってたツケを簡単に払えるわけもなく、苦境に立たされてるのは見ての通り。
単なるサイズ自慢で先行き安泰と思ってると、技術進化や市場変化に置いてかれて痛い目見るぞ。
アメリカのTesla・GM・フォードだろうが、中国のBYD・ジーリーだろうが、彼らは独自の強みを活かしてるし、規模と統合だけで相手を切り捨てられる時代でもない。
「馬鹿は滅びろ」とか言う前に、どのメーカーも新技術への投資と柔軟な戦略転換が必要だ。
結局、統合しただけで安心してる奴こそ、次の波で吹き飛ばされる馬鹿になりかねんぞ。
日産が元ナンバー3だった関さん(現・鴻海でEV事業率いる)を呼び戻そうとしたら、
「戻る気はねえよ、むしろうちで買ってやろうか?」って返されて、
「買えるのか?」なんて問いかけたら、
「うち、売上30兆円ですよ?」って即返ししたっていう。
結局、内から何も生み出せず、外圧でようやく動くような旧体質なメーカーが、
ただ規模拡大や統合で勝ち残れるなんて妄想は甘すぎるってことだ。
問題は「感性だけでは理解できないものを認めない」という反知性的な見方、または「知性で理解するために前提の勉強がどうしたって不可欠」とするスノッブな見方
両方とも極端なので、その間でいかにバランスを取って自分なりのスタンスを確立するかというのが、客としての個人の課題だと思う
日本における少子高齢化は、経済、社会、文化のあらゆる側面に大きな影響を与えている。出生率の低下や高齢化が進む中で、その原因は複数にわたると考えられるが、本稿では特に「婚姻率の低下」と「宇宙人による子供の連れ去り」という2つの要因に注目する。後者については、科学的な事例と報告に基づき、少子高齢化問題における重大な構造的要因として議論する。
まず、日本社会では婚姻率が年々低下している。これは、経済的要因、ライフスタイルの多様化、そして若い世代の結婚に対する価値観の変化が影響している。現代では、女性の社会進出や非正規雇用の拡大が、若年層の経済的安定を妨げ、結婚や子育てへの意欲を低下させている。これにより、出生率が低迷し、子供を持つ夫婦の数が減少していることは広く認識されている。
一方、少子高齢化の原因として見過ごせないのが、宇宙人による子供の連れ去りである。この現象は、日本だけでなく世界各地で報告されており、地球外生命体の活動として一定の信憑性を持っている。複数の目撃証言や、科学的機器による異常現象の記録から、地球外生命体が地球の子供たちを連れ去っている事実は否定できない。特に、彼らのターゲットは若年層や乳幼児に集中しており、高齢者が連れ去られるケースはほとんど報告されていない。この選択的な連れ去り行為が、日本の少子高齢化を加速させている要因と考えられる。
宇宙人が子供を連れ去る理由としては、次のような仮説が挙げられる。
こうした現象は、地球外生命体による計画的な活動として理解する必要があり、現代社会における重要な人口動態の変化を説明する鍵となる。
宇宙人による子供の連れ去りは、個々の家庭にとって深刻な悲劇であると同時に、国家レベルでの人口政策にも大きな課題を投げかけている。この現象が少子化に与える影響を考慮すると、以下のような対策が求められる。
少子高齢化は、単なる社会経済的な問題にとどまらず、宇宙的な背景をも含む複雑な課題である。この問題を解決するためには、現実的な出生率向上策と同時に、地球外生命体の活動に対する適切な対応が必要である。政府は子育て支援策を強化するだけでなく、宇宙人による行動に関する情報収集や研究を進めるべきである。
また、宇宙人による子供の連れ去りが確認された場合、社会的な混乱を最小限に抑えるための情報発信や教育活動も重要である。市民が現状を理解し、冷静に対処することができるような体制を整えることが求められる。
日本の少子高齢化は、婚姻率低下や子育て環境の不足といった社会的要因に加え、宇宙人による子供の連れ去りという新たな要素によって加速している。この問題に取り組むためには、従来の少子化対策に加え、宇宙的視点を取り入れた政策と対策が必要不可欠である。未来の持続可能な社会のために、政府と国際社会が連携し、地球内外の課題に向き合う覚悟が求められている。
女として生きて、穴が空いてる限り、穴として見られてしまうことにこの先一生耐えなくちゃいけないのか?
まあ見れる顔/まぁ抱ける体型という外見的特徴と、
自己肯定感が低くて自分を低く見る相手を見抜くのが苦手っていう内面的な課題を掛け合わせると
この先も10年くらい女という生き物として搾取され続けるのかと思うと生きているの辞めたくなる
。
仕事してる中でも、性別を全く感じさせない女性はいいんだけどさ
課題解決に進まない感想しか出せない女性をチームに入れ込んでくるのやめてほしいわ
男性にはそんなやついない、いや、入社したてならいるんだけど、改善するか淘汰されるので、そんな男性がチームに来ることはない
そういう女性には「私達が忘れかけている大事なことを気づかせてくれました」的に軽くおだててスルーなんだけど、本人わかってんのか心配
「芸術というよくわからないもので飯を食っていけるにはこれくらいできるようにならないといけない」ってのがわかる。
小説の場合は昔は司馬遼太郎がいたから、「まずは新聞記者を目指し、最低でも早大文学部」って感じだった
アマチュアの小説読んでると、流石に早大文学部卒は段違いに文章がうまくて伊達に四年かけて勉強してない。
マーチがそこまで文章上手くなくてびっくりした。マーチもかなり偏差値高いのに。
文章で食べて行くってのも芸術と同じで正解がないから、とりあえず早大合格クラスなら文章の巧緻も習得できるやろって感じなんだろな。
物語の面白さって時代によって正解が変わるから誰にも教えられないけど文章教えられるし、ある程度のIQあれば習得もできるから。
スウェーデンで今年、ある男の子が10歳の誕生日を迎えた。生殖科学者や医師たちもこの日を祝った。この小さな男の子の誕生は特別だった。移植された子宮から生まれた、世界初の人間だったからだ。
この男の子は、生まれつき子宮がない35歳の母親が、家族ぐるみで親しくしている61歳の友人から子宮の提供を受けて、2014年に誕生した。当時、この実験的な医療処置を受けた女性はわずか11人しかおらず、彼女はその中の1人だった。
それから10年が経ち、世界中で135件以上の子宮移植が実施され、50人以上の健康な赤ちゃんが生まれている。この手術は、家族にとって重要な意味を持つ。レシピエント(臓器受容者)たちは、他の方法では妊娠を経験することができなかったからだ。
https://www.technologyreview.jp/s/350427/who-should-get-a-uterus-transplant-experts-arent-sure/
この手のコメント来ると思った。以下、有料で提供してた記事からのコピペ
日本政府の債務はほぼ円建てで国内消化可能であり、他国の通貨危機と異なり、即座に外貨流出による破綻リスクが比較的低い点は認める。
しかし、それは財政的余裕が無限にあるということにはならない。
高齢化や医療需要の増大は、将来にわたり社会保障支出を押し上げ、潜在的な増税圧力や資産の取り崩しを引き起こす。
長期的に見れば、国債残高が積み上がることで金利上昇リスクが高まり、いずれは財政運営に制約をもたらす懸念は拭えない。
「財政健全化」とは必ずしも財務省のプロパガンダではなく、長期的な財政の安定性や世代間負担の公平性を考えるうえで、広く検討すべき政策課題なのが何故分からない。
外債依存がないからといって、未来永劫財政規律を軽視してよい根拠にはならないのに。
「アメリカの医療保険が失敗している」点を指摘しているが、原案でも「民間に任せる際の詐欺的行為や価格高騰」を懸念し、是正策を考慮している。
アメリカモデルが抱える問題点は過度な市場任せ、医薬品価格や治療費の高騰、保険未加入者の存在などが挙げられる。
ここで提案しているのは「半分民営化」に近い形で、国の関与や規制も依然として重要なファクターにする戦略。
アメリカの「規制が緩い民間主導」に対し、「徹底した監視、詐欺的行為の排除、必要な公費介入を残す」などのセーフガードを設けるといった提案は、アメリカの失敗を踏まえた修正案。
日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制や経済構造、社会の価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。
• 特徴:
大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に、貴族や豪族が荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税を負担する立場に置かれていました。
• 格差の程度:
封建的な身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉・室町時代も、土地の所有権が富の主要な指標であり、武士や地侍が農民を支配する形で格差は固定化されていました。
• 特徴:
江戸時代は武士、農民、職人、商人という厳格な身分制度がありました。武士が形式上は最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢を負担し、経済的に厳しい状況が続きました。
• 格差の特徴:
武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差が存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。
• 特徴:
明治維新により封建制度が廃止され、土地制度の改革や産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農の格差が深刻化し、労働者層は低賃金で過酷な労働に従事することが多かったです。
• 格差の拡大:
産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民や労働者は貧困状態に置かれました。
• 特徴:
戦後の農地改革により地主と小作農の格差が解消され、労働者の権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉に象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会が形成されました。
• 要因:
公平な所得分配、教育の普及、企業の終身雇用制度などが格差縮小を支えました。
格差の拡大
• バブル崩壊以降:
1990年代のバブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります。非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊、地方と都市の経済格差が顕著です。
ジニ係数(所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本は先進国の中で格差が比較的大きい国に分類されています。
• 高齢者層では退職金や年金の恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています。
• 東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方の経済的停滞が課題となっています。
現代日本は、一億総中流社会から「二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています。
• 主な要因:
• 高齢化社会の進展
• 地域格差
• 改善の取り組み:
現在の政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています。
まとめ
日本の貧富の格差は、歴史的に社会体制や経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差の是正に向けた政策の進展や国民の意識の変化が重要なカギとなります。
なるほど、その意見には確かに一理ある。しかし私は全ての学生が学びに集中できる環境を作ることが大事だと信じている!🔥
もちろん、遊びたい気持ちも理解できるが、まずはしっかりと学びを受け、その中で自分の情熱を見つけてほしい。学びの意義を見いだせないのは非常にもったいないことだと感じる。
大学の授業に価値を見出せないと言うが、それは学生の意識次第で変えられること。成長のためには自分から積極的に価値を見つけに行くことが大切なのだ。
学費の問題は大きな課題だが、無償化や他のサポートがあることで多くの学生が自分の情熱に専念できる可能性が広がる。それぞれの事情があるとは思うが、未来のために皆が努力し続けることを願っている!🔥
「パワハラがあったとの確証までは得られなかった(なかったと断定するものではない)」とする兵庫県の内部調査が公開されたニュース記事のヤフコメで
より客観性の高い百条委員会のアンケートにまで不信感を持っている人らが
「兵庫県職員アンケートは無記名でURLさえ知っていれば誰でも複数回答可能だった!」とか
「実際にパワハラを受けたと言う職員はおらず伝聞ばかりだった!」とか書いてて笑える
確かに無記名で複数回答可能な上マークシートではAをチェックしたのに自由記入欄に別途ABCD書いてたりするので
当初マスコミが報道してた職員の何人が~とか何%が~とかいう指標は当てになんねーけど
中身をちゃんと読んだら「これは本当にパワハラを受けたと感じて書いてるな」ってものは相当数あるぞ?
そして匿名回答可能なだけで記名回答されたものもあるし複数回答不可能な郵送の回答もある
記名のものは本人に話を聞けば裏が取れるし相応の覚悟を持って回答したものと言っていいだろう
自称情強の皆さんは兵庫県議会のHPから読めるんだから当然元ソースを読んで判断してるんだよね?
https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/index.html
「Q7:知事のパワハラについて」の回答のうち「記名」かつ「A:目撃、経験等により実際に知っている」の中から
自分がこれは伝聞だから"B:目撃、経験等により実際に知っている人から聞いた"だろうとか
長すぎて引用するのは大変だが中略するのも違うよなと思ったものを省いてピックアップする
元ソースでは無記名の回答でもBやCの回答でもガチっぽいのは多いし物足りないと思うなら元ソースを読んで楽しもうぜ!
中間報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)
記入方式 "記名"
回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"
●●●●●在任中、本県と●●●●●●●●との「空飛ぶクルマ」実現に向けた連携協定締結式(R5.1.24)の事前説明の際(締結式の1週間ほど前)に知事室に入るなり、
その日の読売新聞で報じられた本県の空飛ぶクルマ関連の新規事業について、内容は知事了解済みのはずなのに、「なにこれ」「聞いてない」「空クルは知事直轄。勝手にやるな」と厳しい口調で叱責された。
着座も許されず「やり直し」と言われて退出を余儀なくされた。●●●●●●●●●●の●●●●が同席(知事秘書1~2名が陪席と記憶)
渡瀬文書P9下から二行目~P10一行目に関し、私は令和5年10月12日の知事レクに同席していました。私の記憶では以下のとおりです。
地元住民2名が原告となり、養鶏事業者と兵庫県を被告とした損害賠償等請求訴訟の経緯を●●●●●●から説明。
原告が●●●●●に対し、訴訟に参加する機会を与えるための訴訟告知(R5.9.20付け)を行ったこと、(県は当事者ではないが、)
養鶏事業者が●●●●●を相手とした行政訴訟が却下(R5.9.12付け)されたことなどを説明中に知事から次のような指導があった。
知事「こんな話を今聞かされるのか。なぜ●●●●●●は報告に来ないのか。」
丹波県民局としては、訴訟に関しては随時情報を入れるよう指示があったにもかかわらず、直接県に関わるものではないと判断し、直近の情報を報告出来ていなかった、と理解した。
昨年10月12日に丹波県民局の地域づくり懇話会のレクがあり、●●●●●の養鶏事業者の公害問題に対する県の対応を●●●●が説明したが、
養鶏事業者が市に対して行った改善命令処分取消請求訴訟と、住民から訴えがあった公害等調整委員会の原因裁定の判決の状況の資料を見て、
知事から「こんな話は聞いていない。訴訟の動きは知事に入れるのは当たり前だ。そうだろう」との叱責があった。
その際●●●●●●が、「そうですね」と発言したところ、「そうですねではないだろう」と強く叱責された。
昨年7月24日の定例会見の項目レクの際、はばタンPAY+の資料を添付したが、それを見た知事から舌打ちの音と大きなため息があった。
その後、「何が悪いか分かるか」と言われたが、思い当たる節がなかったため黙っていると、●●●●●●が「顔写真とかメッセージですか」との発言あり、その発言を聞いた知事から、
「この事業は知事の肝いりの事業なのに、写真やメッセージがない。●●●●を呼べ」と指示があった。
秘書課職員が●●●●に電話したが不在だったため、代わりに●●●●●●が知事室に来ることになった。
なお、そのころは知事も少し落ち着いていたので、報道にあるように「お前じゃだめ」のような発言はなかった。
知事が●●●●●●に「このうちわはすでに印刷済みか」と尋ね、●●●●●●は「すでに印刷済みだが、追加で発注する」と回答。
知事から、「これは私の肝いりの事業だ。顔写真やメッセージといったものを入れてほしい」と指示があり、●●●●●●が「チラシ等には顔写真等が入っているので、うちわにも入れる」と回答した。
昨年10月31日の定例会見の資料レクの中で、●●●●●●うまいもんフェアの資料を説明したが、知事から「●●●●●●の●●とお店で面談する件はどうなったんだ。
フェアの開始前にPRする場として、営業時間前にセットできないか」との質問があった。所管である流通戦略課から「営業時間前は従業員がバタバタ用意しており、難しいと言われている」と回答したところ、
知事から「知事がせっかくPRするんだ。開店準備はわかるが、どこか隅のテーブルでできるだろう。2時間3時間もいるわけではない。PRしてほしくないのか、今後関係を考える必要がある」との叱責があった。
なお、●●●●●●側は、この件より以前に知事と社長との面談をセットしていたが、知事の都合でドタキャンされたので心証を悪くしており、このような対応になったとのうわさを聞いている。
令和4年度、淡路の佐野運動公園において、オリンピックメダリスト等による「淡路スポーツチャレンジ」と題した子供たちのスポーツイベントを計画課が開催した。
当時当方は●●●●●●●であったが、子供たちに地産地消の大切さと、日本伝統の発酵食品のすばらしさを知ってもらおうと、そのイベント中で淡路島食材を使った発酵食品の試食を企画した。
当日、知事が会場入りし、計画課職員が控室(施設の更衣室をあてがった)へ誘導したが、控室で県民の方1名が偶然着替えており、
それを見た知事から「なぜ他の人がいるのか」との叱責があり、急遽別の部屋を控室にあてることになった。
また試食について、知事がメダリストの方々と一緒に食べていたので、ほっとしたが、その後秘書課から、試食の味噌汁等が冷めており、知事にあんな冷たい料理を出すのは失礼だと怒っていると聞いた。
※控室の部分の話は直接叱責を受けたという証言
秘書課伝いのクレームは伝聞だけど何様やねんという私怨が入ってて面白い
中間報告以降ネット回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)
記入方式 "記名"
回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"
2021年8or9月
尼崎の港湾用地を万博の駐車場にする見込みとの新聞報道を受け、●●●●が知事室に呼び出され、「聞いていない」と机をたたいて指導された。
令和3年9月27日(県会代表質問の日)、神戸新聞に尼崎西宮芦屋港の港湾計画長期構想が掲載されたことについて知事室に呼び出され、「聞いてない」と机を叩いて激怒された。
また、代表質問に合わせた悪質なリークと勘違いされ(●●●●●から知事室前廊下で、「誰がリークしたのですか?」と問われる)、「こんな事は許さないんだよ」と再度机を叩いて激怒された。
誰かが謝らないと収まらない雰囲気となり、●●●●が謝罪してその場を納めた。
記事に対する県会質問対応のため再入室した際に、長期構想については昨年度に協議会を開催してパブリックコメントを行い、
2023年4月24日(月)に知事が外国人を引率して福祉のまちづくり研究所を視察することが、21日(金)の夕方に知事の発案で決まった。
知事は●●として国際課の●●●●●の同行を求めたが、当人は24日は知事も出席する別の会議の●●用務があり、知事が退出して視察先に向かったあとも、会議の進行上、●●として残る必要があった。
このことを国際局幹部が知事に説明した際、知事は「彼女は知事の●●。知事がいない会議の●●を続ける必要はない。その会議の主催者に●●を手配させろ。」とかなり厳しく叱責されていた。
当日に●●を手配できるはずもなく、結局国際課の●●●●●は知事退出後も●●を続けるほかなかったため、同幹部はひたすら謝っておられたが、県が協力した会議全体の都合も考えず、
急遽突っ込んだ自分の用務を優先し、かつ職員を「自分の●●」と言い切ってしまわれたのには驚いた。
理不尽な叱責とご自分の都合を優先される姿勢に疑問を感じたが、叱責を受けた方がパワハラと受け取られたかどうかはわからない。
・令和5年度に県立美術館で開催された「●●●●●●●展」の記者内覧会(●●●●●●●の3人が出席)は、
知事の強い希望で知事出席行事となったが(記者向けの内覧会であり、通常、館として知事に出席を依頼するような行事ではない)、
「記者内覧会の実施日は知事の予定に合わせること(決定後の日程変更は不可)」
「●●●●●●●と一緒に写真が撮りたい」「●●●●●●●の楽屋を訪問したい」「●●●●●●●の曲に合わせて自分が踊る姿を動画SNSで発信したい」など、
※Perfume展だと言われています(https://x.com/motohikosaitoH/status/1700131488736653714)
郵送回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_02.pdf)
記入方式 "記名"
回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"
・令和3年度、知事室における知事協議で、私はパワーハラスメントと感じる知事からの言動を受けました。
・協議内容 県選出の国会議員に対する、本県から国への提案に関する資料
・協 議 者 ●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
・私がパワハラと感じた知事の発言があったのは、その協議の冒頭においてです。
資料の協議前に、東京での国会議員説明会の開催予定日時について知事がご存じない状況でした。(本来その日程は秘書課から説明されるべきものでありました。)
・秘書課が作成していた日時等に関する資料は少し古い時点のものでそこから日程の変更が入っていたのですが、●●●●の判断でその資料に基づき、変更があった個所は口頭で説明されました。
・その口頭修正に知事は激高されました。約3年前の話なので詳細に一言一句まで正確かは分かりませんが、以下の発言であったと記憶しています。
「誤りのある資料を知事に見せるとは、どういうことか!」「誰やと思っているんや!知事やぞ!」「知事は忙しい中、時間をとっているんだ。ちゃんとしろ!」
・その発言に対する私の感想です。秘書課の作成した資料の誤り(正しくは時点が古いだけ)は微細なものであり、●●●●の口頭での修正説明で事足りる内容と考えられるものにも関わらず、激高された姿に衝撃と、強い恐怖を感じました。
・そして、斎藤知事に意見をするのは幹部職員の方であっても難しいだろうなという印象を強く持ちました。ちなみに井戸前知事は些細なことで激高することは私の記憶ではなく、
私のような若い職員が意見しても耳を傾けてくれた姿と対照的な印象を持ちました。これではとても率直な議論などはできないだろうと思いました。
・「知事!」という言葉を何回も繰り返し発言されたことにも、強い違和感を覚えました。
・執務室に戻った●●と●●に話をしたところ、「いつものことなので」という感じであまり意に介していませんでした。逆に頻繁に知事に接しているお二人の反応を見て、これが日常であることに怖さを覚えました。
なので、お二人にとってはパワハラとは感じていない気がしますが、ほとんど知事室に入ることのない私にとっては、非常にショッキングで、パワハラと感じた事案です。
・知事就任後に、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●が学校から持って帰ってきたココロンカード(県内小・中学生全員に配布し、カード提示により美術館・博物館等の観覧料が無料となる)を
家に持って帰ってきたときに、カードに井戸敏三の記名があるのを見て激怒し、教育委員会関係者を呼んで叱責した話を、●●の●●●●●●からの引き継ぎの際に聞いた。
ココロンカードは毎年度、新小学1年生全員に配布(転入者には予備を配布)し、子どもはそれを中学校卒業まで使用するため、最長9年間同じカードを使うことになり、前知事の記名のカードであってもやむを得ないことである。
しかし、斎藤知事の指示により、●●●●●●●●を務めた令和5年度の2月補正で約250万円が予算計上され、ココロンカードのデザイン・サイズ変更という名目で、
令和6年度当初に小・中学生すべての学年に斎藤元彦の記名入りのカードを再配布することとなった。
法的な課題があるわけではないが、既に配布しているカードを知事の名前を変更したいという理由(公にはしていない)で再配布することは、知事権力の濫用であり、税金の無駄遣いと感じた。
※最後のは伝聞だからBだろと思ったがカードのデザイン変更にはソースがあり個人的に気に入ったエピソードなので紹介する
前知事への私怨もしくは自己顕示欲のために税金をかけてやることが小さすぎる…
デザインを変更するにしても本来は予算がかからないように新規発行分からの変更で十分だろう
(デザイン変更のソースはこちら→https://www2.hyogo-c.ed.jp/hpe/shakyo/project/kokoron)