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「地元」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 地元とは

2024-12-19

特に地元でもないのに他所凶悪犯罪正義感を燃やしまくってる人って

けっきょくは単に野次馬だよな

悲惨事件へ過剰に興味をもつ自分変態性を誤魔化すために、社会治安問題を憂いていると言い訳して

外部へのアピールだけでなく自分自身でも自分が変な人間ではないと思いたいのだろう

いっそアダムス・ファミリーか何かで出てきた凶悪犯罪者のカードを集めてる子供キャラのほうが清々しい

2024-12-18

SNS放浪記

ブログ→3回くらい作ってやめた

Twitter→呟くことがない。バズったら宣伝ってなんだよ。バズとは結果のことだろ、何バズを目的にしてんだ。

X→Twitterと同じ。

Misskey→馴染めない。

Clubhouse→使ったことがないし、会話したくない。

5ちゃんねる→2ちゃんねるとは違うの?

おーぷん2ちゃんねる2ちゃんねるなの?

Reddit英語わからん

爆サイ地元のご老人たちが暴れている。

はてな匿名ダイアリー→今ここ。たまに来る。

mixi2→招待無いので会員登録さえできない。

mixi2のせいで

mixiリアル知人(男)が私の彼氏(現夫)と私をディスる文章を書いてて嫌になった記憶が蘇ったので絶対やらんぞクソが

あい低賃金公務員のまま非モテこじらせて地元で腐ってねーかなー

こっちは子供ももう大きくなって毎日幸せだってバーカバー

anond:20241218135617

地獄の沙汰も金次第というやつですね

言うても前の会社でも、地元じゃそれなりに名の知れた企業グループの子会社だったんだぜ。

いちおー。

anond:20241218164149

地元の集まりのメインのメンバー結婚する前は結構行ってたな

レンタカー借りて2時間位の道のりで適当に飯食って目についたところぶらぶらするって感じ

5人なのにクソ小さい車を借りたアホが居てぎゅうぎゅう詰めの2時間だったり、助手席で歌って踊るアホがいたせいで高速で降りる場所間違えて目的地変えて次の降り口の近くを散策してみたり

旅行かに行くフッ軽メンバーは俺も含めて全員結婚してしまったわ

anond:20241217125333

実際に浮くのは、たかマッチングアプリ婚活結婚相談所で初対面の異性に断られた程度で「自分釣り合う異性を選ばない高望クズ女」とギャオ個体デフォネットで声のでかい男性だよ

定期的に「身長170cm以上男性希望」と明記する知らない一般人婚活アカウントに逆上して無数の非難が集まるのもそう

どんな痛い女でも、自分アプローチした男はすべて言いなりになるハーレム世界現実に求めた挙句自分対象外にする知らない男を探し出してネットリンチ炎上糾弾まとめ記事量産する事例とか存在しないからね

恋愛工学成功して報告する人が殆どいないのも、マニュアル有効か否かよりも、女に断られても自分を受け入れる女が見つかるまで探し続ける、女に選ばれるように行動する段階にすらたどり着けないか

顔や金があれば女の方からモリモリ寄ってくるという妄想を好むのもそれがある

男は基本的に女側から寄ってくるような魅力がないんだよ

性的魅力もそうだけど、女から見たら一度籍を入れたら増長され、家事育児共稼ぎ義実家や近隣住民子供学校習い事PTA等の人間関係を全て押し付けられるリスクしかない

ただ男の身長は女の若さと言われるように、特に突出した地位収入がなくても背が高い男は婚活市場ではすぐ売れていき、余る事は基本的にない

から有名人とか業界人とか知名度肩書ステータスを手に入れようと躍起になる

運動部活躍とか地元ででかい顔するヤンキーと言った小さい範囲でもいい

2024-12-17

anond:20241217164137

https://poifull.co.jp/news/20200320/36/

2020/03/20

「はまれぽ」事業譲受のお知らせ

株式会社Poifullは、20203月20日付で、株式会社アイ・ティ・エー(本社神奈川県横浜市)が運営する横浜ローカルメディア「はまれぽ.com」事業を譲り受けましたことをお知らせいたします。

今後の展望

地元に愛されているメディアの良さはそのまま引き継ぎ、今後は弊社のSEOノウハウを活かし、認知拡大・地域イベント企画の強化に尽力してまいります

「はまれぽ」について

まれぽ.comは、運営歴が10年以上あり、月間300万人が訪れる国内最大級ローカルメデイアです。横浜市を中心に、川崎湘南相模原市横須賀市など、神奈川県内の情報を発信しています。読者は神奈川県内のキニナルことの調査依頼をすることができ、編集部独自調査するサイトです。

URLhttps://hamarepo.com/

相手先の概要

名称株式会社アイ・ティ・エー

代表者代表取締役 豊川

本部神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目3-5 クイーンズタワーC 12F

本社神奈川県横浜市中区羽衣町3丁目55-1 VORT横浜関内BLD 8F

ホームページhttps://ita.ne.jp/

暇空茜、久しぶりに音無ほむら喧嘩音無真如苑関係者

暇空茜(水原清晃/42歳)と音無ほむら江藤貴紀/44歳)は以前は仲良しだった

音無東大卒で塾経営者をしつつ大黒柱は同じく東大卒の妻であり子供もいたが、ある時期からColabo仁藤夢乃にのめりこみ、仁藤曰く「古参ストーカー」と化し、妻子に逃げられ塾も経営破綻

ますます仁藤にのめりこみ様々な陰謀論を唱え、その陰謀論を垂れ込まれた暇空がパクって騒いだことで、国会でも取り上げられるほどの「Colabo問題」へ発展した

二人は仁藤叩きの同士として仲良しこよしだったが、次第に暇空は仁藤に飽きて、男子大学生堀口英利叩きに走るようになった

音無は堀口のことがどうでもいいので暇空の方針に意義を唱え、好きなことを好きなようにやりたい暇空と対立

ブロックしたり解除したりをイチャイチャと繰り返す関係になった


堀口に夢中な暇空だったが、Twitter上で暇アノンと激しいレスバを繰り広げていた堀口は突然アカウントを削除し、暇アノンには監視しかできないユートピアInstagram移住してしまった

暇空は次第に、堀口のInstagramでの投稿は偽物によるもので、本人は地元高崎市逮捕されているという説「高崎物語」を提唱

やがて「高崎物語ミスリードされたシナリオだ」と気づき、実際には立川本拠地に置く新興宗教団体真如苑」に堀口が監禁されているという「立川物語」だと開眼した

堀口の母が一時期真如苑にはまり脱会したが堀口が愚痴っていた時期があったのが根拠

仁藤や堀口を敵だとミスリードされた時期もあったが、彼らは本当はそれほどの悪人ではなく、全ては真如苑が自らの闇から目を逸らさせるために仕組んだものだと悟り、暇空ははじめて仁藤と堀口に謝罪した

監禁されている堀口を開放することで事態好転するとわかり、暇空は刑事告訴の取り調べで頻繁に会っている検察らに真如苑の闇を訴えかけているという

真の敵が真如苑だとわかった今、それならば仁藤叩きを仕組んだ音無真如苑の手先だと暇空は知ってしまった

暇空茜

@himasoraakane

多分ですけどエコーニュース音無ほむら)も真如苑ですね

名前仏教用語音無

②添付アイコンの髪飾りがコンパスだが、真如苑ではコンパスは「聖地コンパス」として固有名詞にされるほどのグッズでデザインが同じ

③僕が真如苑ほりだしたあたり(12/5)から二週止まってる

④耳飾りのカギはロマサガ2のロックブーケモデルといってるが嘘、ロックブーケはカギモチーフがない

コンパスモチーフにしてるのはあきらかなのにコンパスに関する言及がない

https://pbs.twimg.com/media/Ge_i6rna4AA3LEj.png

https://pbs.twimg.com/media/Ge_i_XAbwAAblMu.png

https://pbs.twimg.com/media/Ge_jEUdasAAd85l.png

https://pbs.twimg.com/media/Ge_jKrpa0AAsYjJ.png

https://archive.md/mBoBk

ネームド暇アノンの「ホットケーキくん」は「法華経」を由来とした真如苑関係

アルパカ社長」は「アルパカ」は漢字だと「羊駱駝」と書き駱駝が仏教重要動物のためやはり真如苑関係

暇空側のふりをしながら焚き付けていた者たちの中からも多くの真如苑の手先が見つかった

また、暇空が不当に退学に追い込まれた母校東大寺学園仏教関係男子校であり、真如苑との縁が深い

かつて彼が退学へと追いやられたときから既に真如苑シナリオは始まっていたのだ

これまで敵対していた暇空・仁藤・堀口が手を組んで真如苑と戦う、そんな熱い展開に期待

10年間、母の毒親ジャッジをしてきた

10年前、友達と親の愚痴の話になったときあんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。

家に帰ってから毒親ネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。

けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。

かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。

うちは愛があるから、違うもんね! 

――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。

書いてる人

書いてる人の母

発端となったエピソード

美大に進学してからなにかに気づきはじめた

美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。

段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。

思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。

そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカデブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。

3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたし保育園の頃から離婚したら、わたしお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。

絵は、子供の頃から得意だった。

なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。

保育園先生友達友達のお母さん、学校先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。

「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。

それは半分、周囲の褒め言葉への照れ隠しなのはわかっていた。

でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。

ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。

わたし承認の場をインターネットに求めるようになった。

「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。

次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先テクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。

賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。

そんなことをしていたから、本当の画力デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。

学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。

 

どんなに認められても満たされない

就活事件

就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。

わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。

さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、

お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。

 

思い悩んだわたし教授相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。

他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。

 
会社評価してくれるも、満たされない。

会社わたしのことを高く評価してくれた。

なにせわたしは褒められたくてしかたない人間から給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。

3年で役職がついた。20代年収700万になった。

でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。

就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。

お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。

この頃、ADHDテストを受けた。自分おっちょこちょい名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。

 
承認されたくて絵を公募に出す

仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。

そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。

自分画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。

その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしダメなんだと、かなり落ち込んだ。

しかし、その絵がコンクール入賞した。

すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。

わたしあなたの、世界一ファンからね」などとLINEしてきた。

心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。

せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。

 
カウンセリングに通いはじめた

母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。

母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。

まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。

子どもがほしい」と、全く思えないことだ。

そのことで、カウンセリングに通うようになった。

 

初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情コントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。

すると、カウンセラーわたしヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神虐待と言います」と言った。

子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、

だって子どもは産んでほしいかからいから」

ちゃんと育てる経済力精神成熟がないのなら産むなよって思うから

子どもが不幸になったらかわいそうだから

などと思いつくまま話すと、それはあなた子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。

 

気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。

「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、

「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手ゲーム会社就職出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。

びっくりした。考えたこともなかった。

家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。

そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。

 

毒親かどうか」はどうでもよくなった

 
この10年、「毒親ジャッジ」に時間を費やしてきた

毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。

自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。

そのとき手土産シャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールねじまれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。

これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。

ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。

毒親体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。

正直今でも続いていることだが、本当に時間無駄人生無駄である

 
 1000万より価値があると言ってもらえたこ

会社に入ったとき社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。

わたし自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。

わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。

そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。

その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。

愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。

この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。

子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。

(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。

 
好きなときも、嫌いなときもある。

小学生の頃、梨木香歩の「裏庭」という本を図書館で読んだ。

その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。

それを読んだときわたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。

好きなときも、嫌いなときもある。それが当たり前なんだ。

最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。

 

好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。

人間から、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単ジャッジはできない。

ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。

 

今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。

今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。

わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。

褒められたかった。ずっと苦しんできた。あなた毒親なのかどうか10年悩み続けてきた、と。

謝れない人とのタイムリミットまであと1週間

まずい、あと1週間しかない。

「今年のクリスマスプロポーズしなければ別れるから。」

同棲して3年になる彼女は、夏の帰省から帰ってきた途端にこう告げた。

高齢出産ということもあり、何度も顔を合わせている彼女の親は、確かにおれの親よりも白く、弱く、小さい。

そんな彼女父親の「おれだって、再来年免許返納する年だからなー」というボヤキは彼女に深く刺さったらしい。

頻繁に会う中で見た目の変化こそ感じないものの、実際に過ぎていく時間の速さに驚愕したと言っていた。

親が元気なうちに、もっというと、彼女父親が車を運転できるうちに、子供を授かり、みんなでドライブしたいらしい。

おれだってそんな気持ち聞いて、重い腰が上がりかけるさ。

ただその腰に縛り付けられた、土嚢のような不安をどうしても吹き飛ばせないでいる。

好きな気持ちがこれらを吹き飛ばしてくれるとしたら、それこそ恋は嵐というべきか。

くー。迷うところである

いやいや、実際この土嚢が理性だと思うのだよ。

これこそが生きてきた経験や、人を見る目、「この道を右に曲がってはならない!」という直感なのだと思う。

こんなことを考えていると、セミは泣き止み、半そではタンスの奥にしまわれ、M-1グランプリの予告が流れてくる頃を迎えた。

今年は秋がなかったな。そういえば。

そうこうしているとタイムリミットまであと1週間になってしまった。

秀才だったおれは、夏休みの宿題最初に終わらせて、それをヤンキーに献上し、ヤンキー達に恩を売っておくことで身を守るというほどには、締め切りを守るし、頭が回ったものだ。

そんなおれが解決できずに先延ばしにしてきた問題、それは彼女資質にある。

それをこれからここに書いてみる。ちなみに、おれはその日以来、この問題についてずーーーーーーっと考えてきた。

思いやりがないとか、浮気性だとか、その程度の言語化などとっくのとうに過去のものになっている。

これ以上は難しいというところまで言語化できている気がするが、、、どうだろう。

---

二人で居酒屋に入り、注文したお刺身提供された。

彼女醤油差しを持ち上げたとき、蓋が緩くなっていたせいで、醤油差しが倒れ、醤油が僕にかかってしまった。

このあと醤油をかけてしまった側としては

A. 「うわ、ごめんね!とりあえず布巾!」 落ち着いた後...「シミ落ちそう?なんか蓋しまってなかったかも...」

B. 「え、蓋閉まってなかったんだけど!はい布巾!」 落ち着いた後...「シミ落ちそう?てか蓋閉まってないことある普通?」

という2種類の反応がある。

この話の肝は、醤油差しの蓋が緩んでいたことは、彼女の否ではないということだ。

Aは自分が悪くなくても謝れる人の反応。

そして、Bが自身に否がないときには謝らない人の反応だ。

この2種類のうち、彼女は必ずBの反応をしてしまう。

---

どうだろう?これはあくま彼女性質をわかりやすく表すための例えで、実際に醤油をかけられたわけじゃない。

「要は謝れない人ってことでしょ?」と思っただろう。おれも最初はそう思っていたが、どうも違うのだ。どうやら程度がある。

その中にも程度がある。

重度ならば、自分に否があっても謝らない。謝らないために客観的事実を捻じ曲げる。

中度ならば、自分に否があっても謝らない。

軽度ならば、自分に否があったら謝る。(が、表情や声色を駆使して、表面上でだけ謝っていることを意図的表現する。)

という具合だろうか。

一般的には、否があれば謝るし、否がなくても謝るメリット理解し、積極的に謝るだろう。

おれはたぶん一般的なのだ。というか、否がなくても謝ってるからちょっと変なのかもしれない。

一方、彼女基本的には「中度」であり、とある限定的局面でのみ「重度」へと変貌してしまう。

とある限定的局面、それは「否を認めることで、経済的負担のしかかる」ときだ。

例えばさっきの例で、通りかかったマダムの綺麗なドレスにも醤油がかかったとする。

このとき彼女は「謝る=否を認める=クリーニング代を支払わなければいけない」を瞬時に判断し、

過剰に「元々醤油差しの蓋が緩んでいたことへの指摘」に注力し、醤油をかけてしまたことへの謝罪を忘れてしまう。

挙句の果てには、「てか、汚れちゃいけない服で出かけることがそもそもだめじゃない!?」と議論が発散してしまうのだ。

---

みどりの窓口で知らないだれかと取っ組み合いになっている彼女を、駅員さんとアイコンタクトをしてせーので止めたあの日、何か変かも?と思っていた。

それ以来、謝られない対象がおれになることがどんどん増えていったんだ。

どうだ、土嚢の中は、思ったより人間臭いだろう?

彼女の親は昔大きな会社をやっていて、小学生の頃は毎年ハワイ旅行にいっていたそうだ。

そこから会社が傾いてから、以降生活は大きく変わったことも聞いている。

このような、彼女理解するための情報いくら仕入れても、謝られないことがこんなに辛くて苦しいとは思わなかった。

嫁には味方で居てほしいという淡い希望も、この性質の前では叶わない。

書き始めて30分、またタイムリミットまでの時間無駄に使ってしまった。

どうしたものか、好きなところは本当にたくさんあるのだ。

若手芸人のような、「何かボケしろはないか?爪痕残してやる!」という女性ではありえない姿勢出会って以来変わらない。

抱くきっかけ欲しさに呼んだに決まっているという、女の子の可愛さとバンド知名度釣り合っていないMusic Videoの撮影に呼びつけられるほどには綺麗な顔をしている。

そしてなにより素行が悪い。ヤンキーがうろうろする地元で育ったおれにとっては、こいつといるのがとても居心地がいいんだ。

夜も事欠かない。性的にど真ん中ではないが、なぜか抱きたいと感じさせる。

お金は平均年収よりちょっと下。だがおれが頑張ればいいのだ。

しかし、このおれは道端で泣いちゃったんだ。

ひょうきんなこのおれが。各コミュニティでいつも真ん中にいたこのおれが。

そんなおれが30分の沈黙のあと、「どうしてそんなに思いやりがないの...??」と言って号泣して3時間黙ってしまったんだ。

その日までに、何度も醤油をかけられるようなことがあったんだ。

大事価値観を傷つけられたのに、謝ってくれないことが何度もあった。

大切にされていないなって思っていた。そんな中で軍艦にかける程度の醤油がちょこっとおれにかかってしまった。

そのとき彼女には否がなかった。けどその瞬間に涙が止まらなくなっちゃったな。

あのとき自分血液が青黒くなっていく感じがしたよ、愛を感じないなーって思った。

あのときおれを真っ二つ切っていたら、カツオみたいな断面になっていただろうな。

そんなことがあってから、ずっと迷っている。

おれは男前で明るいんだ。だからほかの可能性も探したらいいのかも?って思う日もあった。

綺麗なやつとはデートできるんだきっと。

けど、「何かボケしろはないか?爪痕残してやる!」という姿勢があって、かつ綺麗なやつなんか一人もいないんだ。

親戚や友人は、みんなやめておけという。

四面楚歌というか、もうポリゴン楚歌。

関係性が遠くてどこに住んでいるかからない親戚も「やめちょけ」って言ってくれた。たぶん宮崎じゃねえかなあの人は。

家族になったとき彼女が嫌な目で見られないように、家族にだけはこの話はしていない。

別れたときに伝えようと思うが、結婚するなら一切伝える気はない。

綺麗なだけの人に表面上取り繕って死んでいく覚悟もないし、面白いだけの人を愛しぬく自信もない。

かといって今の彼女と一緒にいて傷付くのも嫌だけど、とはいえ孤独死は避けたい。

理想の人がいたとしても、その人の「この人と結婚するくらいなら独身でええやライン」をおれが下回っているかもしれない。

というか下回ってるだろ、面白くて綺麗な女性なんか、いっちばん選べるんだから

今の自分の最適解はなんなんだろう。

「お前が脆すぎるんだよ!」と言われたので、心配して一人でこっそり精神科にいってみてもらったよ。

先生から、「変なのはあなたじゃないですよ」と優しく言われたよ。

タイムリミットまで1週間、どうしよう。ほんとうにどうしよう。

謝れない人と結婚したその後を体験した人がいたら教えてほしい。

anond:20241217040844

都会育ちなのかな?

自分はド田舎出身から、もし中高時代同級生や先輩と結婚して地元に留まってたら…と思うとゾッとする。

30代までなら、全然まだまだ恋愛できるよ!

出会い婚活でもマチアプでも、相性の合う人と出会えれば過去恋愛とか普通に忘れるし。

もし40代だったらすみません。。

デジタルスタンプラリー地獄

地元観光協会が、デジタルスタンプラリーなるものを始めた。

QRコード掲示しておいて、それらを撮影して、何スポット回ったか最後観光協会に行くと記念品地域商品券がもらえるというものだが、

その紹介ページが地獄

恐らく順番に加わっていったであろう赤文字の警告がこんな感じ

やっぱり観光業なんてクソなんじゃねーかなって。思ったっす。

修羅

北九州ロケットランチャーが見つかった時近所に住んでいて野次馬しに行ったことがある

その頃同年代の子らが手りゅう弾を見つけたりしていた時期だったのであーまたかーと思っていた

周辺に大げさに規制線がはられていた

まさかこんなに後世に大々的に語り継がれ全国的に有名になるとは全く予想だにしていなかった

それと通学路に暴力団事務所が2.3軒あり、作業服の男がたむろしていたり路上にでっかい車を止めていて邪魔だった

地元祭り山笠を担ぐのはほぼ全員ヤクザみたいな見た目で、近所の人たちは全員「見た目だけでしょ」と言っていたが、本当にヤクザだったようで逮捕されていた

anond:20241217125928

ごにんめの仕事行政雑用がかかりで、こういう地元で勢いのある会社取材するって業務があるらしいぞ

そうして取材した結果は買い叩かれたあとで広報誌に載る。

ひとりめとふたりめはそうやって知り合ったららしい。

その人脈を悪用して自分を売り込んで、副業お仕事もらっている人間のクズがごにんめ。

親の介護が終わったら活かしておく価値がないので駆除しよう

ワイの高校の卒業生のその後やで

  1. ひとりめ
  2. ふたり
  3. さんにんめ
  4. よにんめ
  5. ごにんめ

地方ローカルケーブル番組が好き

小学生田植えとか、地元集会カメラ回すだけとか、クセの強いおばちゃん料理番組とか、地方で無いとみられない低予算番組が好き。

高校時代に付き合った人と結婚たかった

これは呪いだ、と時たま思う

私の好きになる人間はみんな高校時代、もしくは中学時代に知り合った人間結婚した。

そして私はそれがほんとに本当に羨ましくて仕方がないのである

私はブスで卑屈なので所謂ティーンときは非常にモテず、好きになった人にできる1番のことは話しかけないことだった。でもずっと憧れていた。おんなじ教室たまたま同じ空間にいた人を純粋に好きになって、その人と初めての恋をして。

それがあるなら何も要らなかった、とさえ思う。

私は女だが、まじでモテなかったので勉強して、就職も頑張った。全ての原動力モテいから、であって、そのおかげもあって自分能力以上の大学卒業し、それなりの会社にも勤められたと思う。

それでもアラサーになって、周りが結婚しだしてほんとに思う。

何も要らなかったから、純粋に生きて純粋に恋した相手と結ばれたかった。

学歴とか、年収とか、そんなもの取っ払って誰かに愛されたかったし、私も誰かを好きでいたかった。地元を離れなくても、幸福青い鳥そばにいたんだと思えるようなそんな人生がよかった。

たまたま人生のどこかで出会った人と、笑って、手を繋いで、たまにキスをするような人生がよかった。

私にはもうない。私の高校時代は暗黒で、今もまあ似たようなものだけれど。でもどんなに望んでも、どんなに努力しても、高校ときに付き合った人と結婚するという人生はもう私には残されていないのである

そして私はそれが喉から手が出るほど羨ましい。

努力なんてしなくても愛される女の子でいたかった。

婚活なんてしたくなかった。彼氏いるの?に対して、いつも「います」と返答したかった。勉強なんてしなくてもいいや、と思えるような相手出会たかった。まあずっとこの子は俺のそばにいてくれたからな、ってプロポーズされたかった。酔った勢いじゃなくて、震える声で制服告白されたかった。

女体は好きだけど女性は嫌いって男性気持ち、よくわかる。異性と関わることはすなわち傷つくことだった。それでも異性が好きで、そんな自分辟易としている。

大人になってからの恋は、どうしても計算がつきまとう。妥協と欲もセットでついてくる。どうしようもなく駆け引きの色合いを帯びる。

そんなのじゃなくて、気がついたらずっと人生で隣にいた人と結婚たかったな。どんな人生でも、まあこの人の隣にいたら幸せかなって思えるような相手大事にされたかったし、私も人生を捧げるように好きでいたかった。

それさえあれば何にもいらなかったのに。

anond:20241217012601

ワイがハリー・ポッターを初めて観た地元映画館はこみすぎて立ち見もあったな

あれはあれで何かヒット映画を見てる高揚感がかなりあったな

2024-12-16

嘘松レビュー治安最悪地元まとめ)(削除済み) 2024/12/16

迷惑な隣人がなんやかんやあって消えてスカッと+俺は以前からこの問題を指摘してたのに、他の住人たちが今さら騒ぎたててズルい!

治安最悪地元シリーズのまとめというか再放送的な内容。

ババアという新キャラ?こそいるものの、やはりこれまで何度となく見てきた内容とほぼ変わり映えがないので面白みを感じにくく、反応に困るのは否めない。

なんで今さらこんなものを…

不思議に思っていましたが、なるほど、本業での新展開があるので、その宣伝のためになんとしても拡散されたかったんですね。

お気持ち理解しますが、ポスト拡散されるにはまずフォロワーにリポストされる必要があり、私を含めたフォロワーは、そのネタは既に何度も何度も読んでるのです。

何回語ってもウケる鉄板ネタという言い方はありますが、当然ながら実際にはどんなネタにも賞味期限があり、擦り過ぎて味がしなくなれば苦笑の対象しかありません。

今回は、宣伝という実益のための焦りから、ありもので済まそうとして軽く事故ってしまった、という印象です。

拡散具合を確認することもなく、投稿からさほど時間を置かずに削除していることから、ご自分でもその失敗を自覚しておられることとは思いますが、嘘松として新たにネタを練り続ける挑戦心は忘れずに持ち続けていただきたいものです。

増田で学ぶ京都弁講座 第一回 「~どす」

京都弁は、関西の中でも特に優雅で柔らかな印象を与える方言として知られています

その中でも「~どす」という言い回しは、京都の人々にとって非常に特徴的な言葉の一つです。

今回は、この「~どす」の使い方について簡単に紹介します。

「~どす」は、基本的に「です」に相当する表現で、主に丁寧な言葉遣いの中で使われます標準語の「です」に比べて、少し温かみがあり、柔らかい印象を与えるのが特徴です。

例えば、「おいしいどす」や「ありがとうどす」というように、日常的に使われることが多いです。

また、「~どす」を使うことで、相手に対して敬意を表すことができますが、ただの「です」よりも一段階丁寧に感じられます

そのため、目上の人や初対面の人と話す時にもよく使われる表現です。例えば、店員さんが「いらっしゃいませ、こちらでお待ちどす」と言うように、接客の際にも自然に使われています

さらに、京都弁では「~どす」は、名詞形容詞と一緒に使われることが多いです。例えば、「きれいどすね」や「おもしろいどす」という表現は、京都ならではの優雅な響きを持っています

このように、「~どす」は京都弁の中でも非常に使い勝手がよく、京都文化や人々の温かさを感じさせる表現です。京都を訪れた際には、この「~どす」を覚えて、地元の人々との会話を楽しんでみてください。

anond:20241216143128

票につながる地元有力者と献金してくれる企業と党執行

2024-12-15

はてなー「体育、タトゥー飲み会地元、お洒落世間話が嫌いです」

生きづらそう

横浜駅、すごくせっかちで窮屈

週末に旅行横浜駅を利用したんだけど、駅も電車もせっかちで窮屈でびっくりした。

まず電車のドアの開閉が早すぎる。停車した瞬間にバッと開いてバッと閉まって即出発する。無駄を削ぎ落とした機械特有威圧感がある。地元電車ののろーっとした動作に慣れているから、せっかちでちょっと怖かった。

せっかちといえば、横浜駅エスカレーターめちゃくちゃ早い。アトラクションみたいに風を切って上っていく。若くて足が健康な人なら早く移動できて楽だろうけど、お年寄りや足が不自由な人は乗るとき転倒しかねない勢いだった。

それから電車のベンチシート、一人分の座席幅が狭すぎない?特に今の時期はかさばる上着を着ているから、隣の人と肩が触れ合うくらい本当に狭い。本や手帳を開く余裕すらなくて、じっと座っているかスマホをいじることしかできない。乗り合わせた人も大体そんな過ごし方をしていた。

横浜駅、とにかくせっかちで窮屈という印象だった。名古屋京都大阪にもたまに行くけど、こんなに慌ただしく追い立てられている感覚にはならなかった。

人口が多い分、一分一秒でも早く正確に捌いていかなきゃならないのだろう。旅行自体は楽しかったけど、私は田舎ねずみで充分っすわ…としみじみ思いながら帰路に着いた。

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