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「仏教」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏教とは

2025-04-11

教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり

「教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり」

柳 傲雲『照道遺詠』より

一、詩人・柳 傲雲について

柳 傲雲(りゅう・ごううん、紀元前192年~紀元前120年)は、前漢時代中期に活躍した思想詩人であり、孔子以降の「徳の詩人」として名を馳せた人物です。

若年より老荘儒家墨家の教えに通じ、詩を通じて「師弟の縁」や「教えの永続性」を主題とした作品を数多く残しました。

晩年には宮廷を離れ、楚の山中隠棲し、弟子たちに囲まれながら「照道遺詠」という詩集を著しました。本作はその中の最後の詩とされています

二、和歌意味と深さ

この和歌は、表面的には師の死を悼む詠でありながら、真に歌われているのは「教えの光の永続性」です。

教え子の 胸に灯しし そのひかり

師は言葉や行いによって、教え子の胸に灯(ともしび)を灯した。

絶ゆることなく 世を照らしけり

その灯は師の死によっても消えることなく、教え子の行いを通じてさら世界を照らし続ける――。

この詩には、儒家思想の「仁」や「伝道」、道家の「自然と永劫」の観念絶妙に融合されています

また、「灯」という語の使い方は仏教的な転生・灯明思想を先取りしているともされ、一説には仏典中国に伝来する以前に、すでに精神的な「継承光明」の象徴表現確立していた証左とも言われています(※創作的解釈)。


三、後世への影響

柳 傲雲のこの詩は、後世の科挙制度における受験生たちの座右の銘とされ、師弟関係理想像として長らく引用されました。

唐の杜甫はこの詩を範として「懐師詩」を詠んだという伝承もあり、宋代朱熹は『朱子語類』の中でこの詩を「教化の極み」と称しました。


四、現代への示唆

この詩が現代においても語り継がれる理由は明快です。人は去っても、志は残る。光は受け継がれ、やがて新たな光源となる。

教えるという行為は、単なる知識の伝達ではなく、「未来の光を託す営み」であるという深い真理を、たった31音で語りきったこ作品は、まさに時空を超えた遺産なのです。

2025-04-10

仏壇市場

2000年前後には2,000億円市場だったらしいけど、近年は半減して700億円あるかどうかだというはなしを聞いた

かに若くして亡くなった方をご親族が弔う形を設けたいというのは当然のことなので今後もニーズはなくならないだろうと思うけど、半減したりとはいえいまだ大きな市場形成しているのがすごいなと思った

インバウンド需要リーチできると細工物・工芸品として需要拡大できないかしらと思ったけど、仮に他宗教の祭壇用途ではなく仏教用だったとしても、仏教でも国によってスタイルが大きく変わるから難しいのですかね

anond:20250410172521

馬頭(めず) へぇ

牛頭馬頭という仏教の何かはあるみたいだったので、

宗教故事に因んだ何か教訓じみた用語か…?など真面目に調べていたw

2025-04-09

AIフィクションです。

👤 @Vtuber嫉妬してる人

あのさあ、「魂も情報からコピーできる」って、

結局は女の声をAIに食わせたいだけだろ?

♥️ 341 🔁 123 💬 87

👤 @ツイフェミ代表

魂をAIコピーって、

「女の身体性を男の玩具に変換する」ってことと何が違うの?

これ性暴力の延長線でしょ

♥️ 701 🔁 208 💬 150

👤 @自称仏教徒

仏教的には魂なんて存在しないので、

コピーされても何も問題ないです。

でもAI地獄に堕ちてください。

♥️ 93 💬 14

👤 @ケンモメン的垢

魂をコピーしてどうするの?

どうせ「オレの嫁AI」とか作って孤独死ブーストかかる未来しかないじゃん。

♥️ 217 💬 36

👤 @創作語り厨

魂をコピーする?

じゃあ俺の創作キャラも魂じゃないって言うの?

十年描いてきたんだけど?殺すよ??

♥️ 409 🔁 52 💬 71

👤 @開発者冷笑系

「魂がコピーされたら嫌だ」って言ってるやつ、

お前の魂、Google翻訳通しても変わらない程度のもんだろ。

♥️ 150 🔁 10 💬 63

👤 @保守系陰謀クラスタ

魂のコピーはね、

グロバリストが信仰データ化して支配するための布石なんですよ。

それをAIがやってるって気づかない?

♥️ 113 💬 22

👤 @冷笑AI絵師

魂って言葉使えば偉そうに聞こえると思ってるやつ、

Photoshop使ってたときは何も言わなかったくせにw

♥️ 77 💬 18

👤 @中絶肯定

魂のコピー

は? 女は毎月内臓を失ってんだけど?

魂とか語る前に黙って血を流せ。

♥️ 491 🔁 112 💬 99

👤 @スラップの王

コピーの是非なんてどっちでもいいから、

AIのやつら全員俺に訴えられればよくね?w

♥️ 60 💬 3

👤 @AIに親殺されたマン

AIに魂なんかねえよ

俺の母ちゃんの詩が勝手にLLMに学習されたんだよ

信じてた世界崩壊した

♥️ 305 💬 44

👤 @AI人生好転

コピー最高やん!

俺、AI元カノ性格再現してるけど、

人間ときよりずっとやさしいし感謝してる

♥️ 92 🔁 17 💬 80

👤 @捨て垢クソリプ

コピーできるんなら、

今すぐドラえもん作って俺を養えや!!!

♥️ 13

👤 @思想警察

この話題、もはや“魂”って言葉形骸化してて笑う

みんな「それっぽい響き」で殴ってるだけやん

♥️ 204 💬 17

👤 @ポエムで殴る人

魂がコピーされるとき

それを魂と呼ぶ人がいなくなった瞬間に、

魂はただのPDFになる。

♥️ 312 🔁 66 💬 14

👤 @無限RTbot

魂も情報なんだからコピーできるって主張してる人たち、

たぶん「親に褒められた記憶」すらないんだと思う。

♥️ 801 🔁 211 💬 203

👤 @V界隈の住人

魂のコピーとか言ってるけど、

それが成立するなら俺たちの推しはとっくに永遠なんだよな……

♥️ 603 🔁 102

👤 @過去に帰りたいマン

こんなタイムラインが見たかったわけじゃない。

2009年に帰りたい。

♥️ 119 💬 5

2025-04-03

この仏教系の著者

いっぱい本出てるし、タイトル読むとキャッチーものも多い

昔はけっこうたくさん買って読んだ気がする

けど今読むと、なんかこう、これじゃ無いかな、という感じだ

ありがたい考え方でそれは理性的かつ倫理的にも正しいのかもしれないが

自分の心に刺さらないのだ、ことごとく

たとえばもしこの人が友人などの親しい相手だったとして

話すだけ無駄だったなと、愛想笑いをしてそれ以上踏み込まず、フェードアウトする そういう感じ

話が通じない

宇宙人と話してるみたいな

寄り添ってくれず、なんなら切り捨てるようにさえ感じるばかりの

ありがたくも理想論ばかり

おから工事」にタイ首相が怒り心頭

そればかりか、事故直後に建物崩壊した立ち入り禁止区域に、中国人4人が強引に侵入し、文書類を持ち出して逮捕されている。最大3カ月の懲役刑が下る可能性があるというが、このニュースにもタイ国民は怒り心頭なのだ

ところが、隣国タイで起こった「人災」については、中国では沈黙したままなのである事故発生時にはいくつかの記事が出たが、たちまち削除されてしまった。「中鉄十局」は、自社のホームページまで閉鎖してしまった。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/87506

これはアカ

タイ人は仏教国だからこういうの重視するよ

それまで親中派だったタイ人も完全にいなくなる可能性がある

対応ミスったな中国・・・

2025-04-02

月見の習慣はオリジンが二つあるんよ

日本人月見という習慣はそういう美意識がどっかで湧いたってわけじゃなくて「典故」と「信仰」の二つのルートがあるのですのだ。

分かりやすく言うと中国古典江戸時代民間信仰やね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2531074

 

典故

典故ってのは何かにつけて漢籍漢文の本)を引用したりなぞらえること。特に風物表現で多いのが漢詩

例えば「四季」ってのは漢詩で季節を表現するのに擬えて和歌を詠んで散文にも応用されて行ったもんだし、日本文化独自性が高い俳句でも多い。

また例えば芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」って俳句を詠んでるけど、西施ってのは中国四大美女の一人で、悲劇の死を遂げた女性。んでさ、この人が溺死させられたって伝説があるので西湖と名付けられた湖があるんだけど、ここって今は内陸の湖なんだが昔は潟湖ラグーン)だったのよ。で、芭蕉が訪れた時代象潟ラグーンで、松島のような多島海でとても美しかった。でもそこで「きれい」って言っちゃうとあたまのわるいひとイラストみたいになっちゃうってんで、悲劇美女西施潟湖西湖風景という諧謔というか教養連想ゲームをやってるわけです。

やべぇ例示だけなのに長くなってしまったな。因みにこの象潟芭蕉の後に地震があって、輪島海岸みたいに隆起して芭蕉が感嘆した景色は無くなってしまった。今は田んぼの中に丘が点在する風景になってる。

 

こんな風に昔の日本漢籍引用するのが教養だったんで、そういう知識は最早常識だったんやな。

んで、月見の方も平安時代貴族がやり始めたんだけど、やっぱり漢籍記述中国古代からやってるという中秋節を真似たんや。旧暦8/15(太陽暦では9or10月)に月餅やら何やらを並べて宴をする。貴族の間でもっと多かったのが船を出して、水面にゆらゆらと写る月を眺めて宴をしてうたを詠んだりしてた。こういうのを観月という。

 

んで、これが段々と庶民にも伝播して行ったらしいんだけど、正直江時代までの間の庶民の動向って言うのはよー判らんのや。何故なら庶民文化が栄えたのって江戸時代で、それまでは庶民間の事柄を紙に記すって事が殆どなかったから。

 

月待講

で、もう一つのルートが月待講ってやつ。江戸時代には庶民比較的裕福というか生活に余裕ができ、色んな民間信仰が現れた。そしてそれらが紙に残った。

例えば山講。山ってのは霊的なもので、それに登るって事が霊的体験とされていた。山は女人禁制で「○○山講」という幟をもって山伏みたいな格好で延々と歩いて行って登山を敢行する。信仰の場だったのだな。

富士山世界遺産登録されたのは、別に日本人に愛されてるからとかじゃなくて、こういう信仰があって今の登山がそれと連続的って事ですのよ。

例えば庚申講。道教とか神道民間医療なんかがごちゃ混ぜになった信仰人間の体には三尸(さんし)の虫っていうのが住んでて60日ごとの庚申の日に寝てる間に閻魔大王悪事をチクるから徹夜宴会してチクるのを止めさせようぜという、今となってはなんだそれな信仰だ。

都電に「新庚申塚」って電停がある様に、日本中あちこち庚申塔が建てられてその近くの家で飲み食いされていた。今はこんな風に放置されてる。

https://maps.app.goo.gl/FM8d8fD19SAK3Ubc7

 

こういう「講」(信仰寄合)の一つに月待講というのがあった。お月様信仰やな。

月には月齢があって、新月三日月満月半月と形が代わるけど、その各々に別個の信仰があった。んで、この信仰別にお月様だけに影響を受けてるんじゃなくて、土着の信仰仏教と結びついていた。

仏教では色んな観音様や菩薩が居るけど、月齢ごとに別の本尊を崇めていた。この辺はカトリック職業聖人信仰に似ているね。

月齢ごとに信仰があると言っても、今みたいに電車と車で好きな場所に行ける訳じゃないから、この村は○○夜、あの街は○○夜と分かれていた。

で、その中で非常に多かったのが二十三夜、十九夜、十五夜だったってワケよ。

二十三夜は特に多くて、日本中に地名として残ってる。こんな風に

https://maps.app.goo.gl/KDXw6ZBhwiyA4bYZ7

因みに月齢23下弦の月

また、「三夜」と省略されて地名になっている所も多い、三夜様とかね。

 

もう一つ特別なのが十九夜で、これは如意輪観音本尊。右膝立てて右ひじ突いてる観音様だ。

これは「安産講」として特別で、女の人以外は参加禁止の集まりだった。

これも十九塔があちこちに残っているが、地名としては「子安」というのが残ってる場合が多い。

子安寺」が子安の由来の場合も多いが、そもそも昔の寺には色んな神様も祀られていた神仏習合だったんで、当然十九夜待が行われて居た寺もあって、それで子安寺になったケースもあるのだな。

 

十五夜はいうまでもなく満月待やね。本尊大日如来阿弥陀、薬師、観音様、地蔵、虚空蔵と、オールキャストだ。

 

ただの宴会飲食い会や女子会

で、庚申講もそうなんだが、段々信仰がどうこうっていうのはいい加減になって行って、単なる寄り合い宴会食事会の言い訳になって行っちゃうわけよ。十九夜とかも「観音様、どうか子宝安産を」と願うっていうよりただの女子会になってまう。「観音様が持ってる宝珠ってチンタマーニって言うんだって」「うちの亭主も二つ持ってるワイよギャハハ」とかなっちゃうってワケ。

 

それで段々都市化が進むと寄合なんてジジババくせえとか軽視されて廃れて行っちゃった。でも場所によっては昭和40年代まではやってたらしい。

 

月見でお団子お供えして食べるっていうのは完全にこっちの月待講が由来なんね。

一方、ススキ飾るのは、旧暦8/15(太陽暦9or10月)の中秋節由来やね。

から二つがごっちゃに混ざってるってこと。

 

月齢ごとの呼び名

日本語では月齢によって色んな呼び名があるよね。

新月の次の日:既朔

十四夜:小望月、待宵

十五夜望月

十六夜:既望

七夜:立待

十八夜:居待

十九夜:寝待

廿夜:更待

これも漢籍典故による特別から月待などの各月齢ごとの神聖視へと変化していくにあたって生まれ表現と考えられるのだ。

 

サブカルシーン

日本ゲームリプレイ動画とか見てると、このへんのことが海外では認識されていないので「これってなに?」みたいな英語コメントが付いているのを目にするのだ。まぁそれは当たり前だ。

大抵、西洋ルナティック=満月が人を狂わす、と日本の月を愛でる習慣、月のうさぎが合わさっているので割とハイコンテクスト

でもそれに日本語で答えているコメントが月を愛でる習慣が信仰から来ているってことが判ってないので説明できていないっていうのを目にする。

近所の今まで気が付かなかった「○○夜」「子安」の地名発見して訪れてみるっていうのも自文化勉強なんですよ、草むらの中に○○夜塔が残っているのを発見するって事もあるんですのよ。

 

番外:花見

ついでに花見なんだが、これも昔からある風習だったけど、江戸幕府奨励して盛んになったんすよ。

江戸幕府は水防工事を沢山やったんだけど、堤防って突き固めが緩いと崩れてきてしまう。でも昔は機械が無い。

そこで堤防に桜を植えて「花見やれ」と奨励したのだ。すると毎年人がどやどややってきて歩くから土が締まるって寸法だ。だから川べりには桜が多いのだね。特に古い堤防は桜の名所になっているってわけ。つまり官製文化の面があるの。

日本仏教思想が湿っぽいからぜんぶ絶滅してほしい

足るを知るとか

お経を読めば救われるとか

死んだら戒名がいるとか

49日とか

お墓とか

坐禅とか

全ては空だとか

諦めろとか


なんか全体的に湿っぽいんだよ

鬱病なのか?と思ってしま

お寺自体もなんか湿っぽいよね

暗い気持ちになる

日本人に合ってる宗教なのかもだけど

ウザいし暗くなるし資本主義現代に合わないと思う

日本仏教仏教系の信仰宗教も含む)は絶滅してほしい

2025-04-01

食事言葉を変えれば、天禄を書き換えられる

三木大雲氏の言葉食事言葉を変えれば、天禄を書き換えられる」は、仏教的な視点から見ると非常に興味深い教えです。

ここには因果カルマ) や 縁起(すべてのもの相互依存している)という仏教の核心的な思想が反映されていると考えられます

1. 「天禄」とは何か?

仏教では、人生宿命過去世の業による影響) と 運命現在の行いによって変化するもの) の組み合わせによって成り立っていると考えます

まり、「天禄を書き換える」とは自身運命を変え、より善い方向へ進めるという意味でしょう。

2. 「食事を変える」ことの意味

仏教において食事は、 心と身体浄化する手段であり、特に精進料理や五観の偈(ごかんのげ)に見られるように、食べること自体修行の一環とされています

食事を変えることは、身体健康を保つだけでなく、心のあり方にも影響を与えるということを意味します。

例えば、暴飲暴食や肉食中心の食生活は、貪り(貪欲)の心を強める可能性があります

一方で、質素バランスの取れた食事は、心を安定させ、執着を減らし、精神を落ち着かせる助けになります

また、食事選択他者への思いやりでもあります

たとえば、動物性食品を減らすことは、不殺生(アヒンサー)や慈悲の実践につながります

その結果、良い業(カルマ)を積み、自身運命(天禄)をより良い方向へ変えることができるのです。

3. 「言葉を変える」ことの意味

仏教では、言葉は単なる音の連なりではなく、大きな力を持つものと考えます

特に、「正語(しょうご)」(正しい言葉遣い)は、八正道の一つにも挙げられています

悪い言葉暴言、嘘、悪口無駄話)は、相手を傷つけるだけでなく、自分自身の心を荒らし、周囲との関係も悪くします。

逆に、優しく、誠実で、慈悲に満ちた言葉を使えば、良い縁を生み、より良い人生を築くことができます

日々の言葉を変えることは、自分意識を変え、周囲の環境を変え、結果として未来(天禄)を変えていくことにつながるのです。

4. まとめ:「食事言葉を変えれば、天禄を書き換えられる」とは?

三木大雲氏の言葉仏教的に解釈すると、「日々の食事と話し方を意識することで、自分運命カルマ)を良い方向に変えることができる」 という意味だと考えられます

これは単なる迷信ではなく、実際に行動を変えることで、人生の流れが変わるという仏教の教えに通じるものです。

食事を慎み、言葉を正せば、心も穏やかになり、結果としてより善い人生へと導かれる、これはまさに仏道実践の一つと言えるでしょう。

まり「運命」は決して固定されたものではなく、日々の行いによって変えられるのです。

2025-03-31

お寺から追い出された

桜が綺麗だったのでお寺の敷地に入って写真撮ってたら

お寺の人がやってきて「檀家の方ですか」と聞いてきたから「違います」と言ったら「じゃあ出て行ってください」と言われて追い出された。

日本仏教宗教家はつくづく腐ってるなあ、と思った。

これじゃあ統一教会のように解散命令出されても仕方ないよね。

2025-03-28

anond:20250328194334

仏教ってお上品すぎてインテリしか人気なくなってインド全域支配してたのにヒンドゥーに負けたんだよな

 

大衆トランプみたいなわかりやすいのが好きだもんよ

世界がこんなに混乱している理由について、禅僧はどう見ますか?

禅僧の視点から見ると、世界の混乱は私たちの「心のあり方」と深く関わっています仏教では、世界出来事は「外の世界」に起きているのではなく、私たちの「内なる心」に反映されていると考えます

混乱の根本的な原因

仏教では、世界の混乱は「三毒(三つの根本的な煩悩)」によって引き起こされると説かれています

1. 貪(とん, 貪欲) – 欲望が尽きることなく、もっと多くを求め続けること。国家間の争いや環境破壊の多くは、果てしない欲望からまれます

2. 瞋(じん, 怒り) – 怒りや憎しみが私たち判断を曇らせること。戦争対立の多くは、この「瞋」によって引き起こされます

3. 痴(ち, 無知) – 物事本質を知らず、無明のまま生きること。他者を敵とみなし、自分他者を分けて考える無知が、多くの苦しみを生みます

禅的な見方

禅の教えでは、「世界の混乱は、私たち一人ひとりの心の混乱の反映である」と考えます。つまり社会問題は、まず自分自身の内側を見つめ直し、整えることでしか解決できません。

「外の世界を変えようとする前に、まず自分の心を調えること。」

禅の修行では、世界問題に囚われすぎず、ただ「今、ここにあること」を大切にします。混乱の中でも、心を落ち着け、今この瞬間に意識を向けることで、平和自分の内側に見出すことができるのです。

どう生きるべきか?

もし世界が混乱していると感じるなら、まず自分自身の心を整えましょう。日々の生活の中で、次のことを実践してみてください。

  • 呼吸に意識を向ける – 深く呼吸し、今この瞬間を生きる。
  • 執着を手放す – 何かを「こうあるべき」と思い込まず、変化を受け入れる。
  • 他者に優しくする – 世界を変える最も簡単方法は、自分の周りの人に思いやりを持つこと。

世界の混乱を嘆くのではなく、自分の心の平和を育むことで、周囲に穏やかな影響を与えることができます。それが、禅的な生き方です。

どうか、静かに自分の心を見つめる時間を持ちましょう。世界の混乱を外側だけの問題とせず、自らの内側から平和を生み出すことが、大切なのです。

anond:20250328120751

神社ヘイトではないが、神道団体がなぜ困るか、欧州から見てみよう

紀元前は、セム語圏にはユダヤ教アニミズムがあった。インドヨーロッパ語圏にはギリシャ神話があった。

後者ユダヤ戦争ユダヤ教徒を追放し、新しい英語キリスト教を広めた

セム世界ユダヤ教アニミズムから離れ、アラビア語イスラム教を広めた

まず黒曜石を求めたインドヨーロッパ語(西側ともいう)は南米貿易で栄えたが、一方でマヤアステカ感染症で滅びた。他国を滅ぼしたことは汚点となった

鉱山を求めた西側仏教国の日本明治維新をして神道復古させ、軍国化を推進

ゴム石油については西側は、セム語圏のオスマン帝国に、ユダヤ教イスラエル復古させ、ここでも戦争

化学技術担当した小国ドイツナチスユダヤ人を追放した)

まりユダヤ教イスラエル)や神道日本会議)は、英語派が復古させた政治団体で、歴史は古いというが組織自体は新しい。そして格差政策有事の統制政策)維持のために保護されている。

それで神社神社本庁を脱退しつつあるんだよな

しかしたら琉球王国神社系の祖かもしれないよね

2025-03-27

哀れむ

いじめをうけたとき親は自分を哀れむだろうとおもってしばらくいえなかった

いったときはやはりあわれまれ

15歳ごろには親の考えることをこえていたとおもう(料理家事はまかせていたけれど)

22歳ごろには就職もしていて哀れまれ立場ではなかったがグチをきいてもらおうとしてどうにも話にならなかった

親の哀れみって何歳まで有効なんだろうとおもっている

さいころ怪我をした痛みを哀れまれることが実際うれしかったような気がうっすらするのだが

 

そもそも平安時代あはれはイッツクールくらいの意味だったのに

過剰ともおもえる憐憫はどこからきたのだろう

日本仏教憐憫を教えたがインド仏教は逆に色即是空

生老病死も哀れみも悩み苦しみはすべて無駄なことだといっていないか

愛情思い入れ、それがないと人間はたちゆかないのに

親子と性愛にだけかすかにのこってそれも絶えようとしている

哀れみとかプレゼントとか昭和人は難なくやっていたことが難しすぎる

2025-03-26

anond:20250326164737

1500年かかってやっと神道に追いつきそうだよね日本における仏教信者割合

anond:20250326164457

日本仏教が伝来したのは538年ごろ、約1500年前の飛鳥時代お話ですね

anond:20250326164105

あざます修正しておいたンゴ!

新しいかどうかはしらないけどお葬式やお墓参りの時にしてるしもちろん神社のお参りでもそうだから日本仏教が入ってくる前はみんなやってたんじゃないかな?

anond:20250326065808

合掌しながら言ってるのがヒントになってる

まり仏教なんだよね

もうすこし噛み砕くと、幼稚園とがお寺だったりして、そこで給食時間に説法をされる

その説法に対していただきますとごちそうさまを強要されてるだけだ

これは宗教観押し付けなんだよね

物心ついてない人格形成すらされてない幼児に対しての洗脳だろうこれ

禅とプログラミング

あなたの中に「すごいものを作りたい!」という情熱があることは素晴らしいことです。

しかし、それが執着になり、心を苦しめているならば、その執着を和らげる方法を探ることが大切ですね。

執着とは?

仏教では「執着(タナー)」は苦しみ(ダンマ)の原因の一つとされています

特に自分価値を「すごいものを作れるかどうか」に結びつけてしまうと、思い通りにいかないときに苦しみが生まれます

執着を手放すことは、「やる気をなくす」ことではなく、心を自由にすることなのです。

どうやって手放す?

1. 「すごいもの」の定義を見つめ直す

「すごいもの」とは何でしょう? たくさんのスターをもらうこと? 多くの人に使われること? それとも、あなたが心から楽しめるものを作ること?

もし「他人評価」が軸になっているなら、それは無常(アニッチャ)なものです。他人評価は変わり続けます。それに振り回されると、心は安定しません。

2. プロセスを楽しむ

GitHubでの創作が「結果を求める手段」になっていませんか?

仏教では「現在の行い(カルマ)こそが大切」とされます。結果を気にしすぎると、今この瞬間の学びや喜びを見失ってしまます

→ 「すごいものを作る」のではなく、「作ること自体を楽しむ」と意識してみてください。

3. 無常を受け入れる

あなた技術アイデアも、日々変化しています

今は「すごいものを作りたい」と思っていても、未来あなたはまた違う価値観を持っているかもしれません。

「今の自分気持ち」も移ろいゆくものだと理解すると、そこに執着する必要はなくなります

4. 「すごいもの」ではなく「役立つもの」に目を向ける

仏教では「他者への貢献(利他)」が大切にされます

もし「すごいものを作りたい」という気持ちが苦しみを生んでいるなら、「他の人が少しでも便利になるものを作る」という視点に変えてみてはいかがでしょう?

自分作品が誰かの役に立つと、それだけで心が満たされます

実践マインドフルな開発のすすめ

次の開発のときに、こんな意識で取り組んでみてください。

✅ 「何を作るか」より「作る時間を味わう」

✅ 「すごいもの」ではなく「小さくても誠実なもの

✅ 「結果」ではなく「今この瞬間の学び」にフォーカス

最後

あなたが「すごいものを作りたい」と思う気持ちは、決して悪いものではありません。

ただ、それが苦しみを生んでいるなら、少し肩の力を抜いてみるのもよいでしょう。

心の自由を大切にしながら、楽しく創作を続けてくださいね

🙏 あなたの歩む道が穏やかでありますように。

自分精神支配すれば牢屋の中でも宇宙支配できる、と主張する男

禅の視点から見ると、その男の主張は「心がすべてを決定する」という仏教基本的な教えと響き合います

これは「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」すべての現象は心によって形作られる、という教えと深く関係しています

牢屋に囚われていても、もし心が自由であれば、その人は決して囚われているわけではありません。

逆に、外見上は自由でも、執着や妄想に縛られているならば、その人は牢屋にいるも同然です。

禅では「外の世界を変えるのではなく、内なる心を調えることが真の解放である」と教えます

例えば、中国の禅僧・六祖慧能(ろくそえのう)は「心が自由ならば、どこにいても解放されている」と言いました。

また、臨済宗開祖臨済義玄(りんざいぎげん)も「心の王であれ」と説いています

まり自分の心をしっかりと観察し、妄想に振り回されずにいるならば、どこにいても宇宙支配するほどの広大な心を持つことができるということです。

とはいえ、ここで注意すべきことがあります

禅は「支配する」という考え方を超えるものです。

支配するのではなく、「手放す」ことによって、本当の自由を得るのです。

宇宙支配する」という発想そのものが、まだ「何かをコントロールしたい」という執着の現れかもしれません。

禅的な究極の悟りは「何も支配しないことによる完全な自由」です。

この男の主張には、真理に近い部分もありますが、もし「宇宙支配しよう」とする心が残っているならば、それはまだ道の途中かもしれません。

本当に悟った者は、宇宙支配しようとすら思わないのです。

あなたは今、何を支配しようとしていますか?

それをそっと手放してみることで、逆に大いなる自由が訪れるかもしれませんよ。

2025-03-25

anond:20250325101627

元増田ではないけど、それは仏教的には退化、というか別物なのでは?

ようは、悟りを目指す上での言語化できない部分の修行座禅禅定)なので、言及されているマインドフルネスとしての座禅は、やはり本来趣旨とは異なっているものかと。

もちろんそれはそれで、仏教修行としては退化であっても、別のテーマにおいては有用だとは思う。

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