はてなキーワード: 粗忽とは
また防災の日の9/1がやってきて小池都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文の送付を止めた事に関して批判が飛び交っている。
でもそれは単独で起きた事象じゃなくてそこに至るまでの経緯があるので振り返ってみる。
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・2009年11月、twitterで「事業仕分けは日本解放第二期工作要綱による日本弱体化の為の施策」の由発言
・初登庁と共に特別秘書に民族派極右の野田数が就任する事が報じられる
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・音喜多ら2人の親小池議員には発言権を与えずパシリにして議席が無い野田が牛耳る院政
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・舛添全都知事が独断で話をつけてきた市ヶ谷商業高等学校の跡地を韓国人学校に転用する約束を反故
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・2017年、希望の党結成。「排除します」発言で合流予定の民進党議員の大半が立民党を結成
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・音喜多ら当初からのコアメンバーが政治手法を批判して叛旗、小池の元を去る
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で、今に至る。
ノンポリ都民の知事評は、日本株式会社の大企業の自民党という大店出身で安定感があるから、任せておいても実務をやってる都庁の邪魔などせずに安全運転してるから大丈夫、ってな感じだろう。
だけどこの流れを見るとどうもそういう感じではない。仕事に影響する変な人(宗教ゴロ、政治ゴロ)とオフで付合い、変な人を社内に入れちゃう、かなり粗忽な人物と言う外無い。
例えば社用車の交通事故や売掛金の取り立てで揉めてるところに「私、いい人を知っています」と言うので弁護士を知っているのかと任せたら事件屋連れてきた。
或いは化粧品の事でいい人知ってるので会ってというのでノエビアの営業かと思ったらマルチだった、とかいう感じだ。
しかも自民党の屋台骨が揺らいだ2009年衆院選前に幸福の科学に接近されているのが見て取れるし、下野後に更にそれらと親密になり、そこから他の右翼ゴロとも距離を詰められ親近になり、思想リモコン化していった、というのが見て取れる。
そんな中で発せられたのが追悼文取止めで、深く考えるべきところでその当時の己の周りの空気に従って、若しくは言いなりになっての行動ではないかと思われるのだ。
思想的な色を抑えた今でも撤回していないのは、強く信じているんじゃなくて過去を穿り返して総括したくないし、流れや風に乗って生きてきてそういう事をした経験もないからだと思われる。家のクローゼットや会社のロッカーに今はやっていないマルチの商材が残ってるが、捨てるという行為には己の間違いを認める心理的効果が付随するのでやりたくないというか。
地方行政の長だと「小池君、ロッカーの中片付けなさい」という上司も居ないからね。
それから最近だと都庁プロジェクトマッピングの随契額が高額で問題視されているが、上記の経緯と似ているんよな。
つまり、コロナ初期に感染率をライトアップで示そうという意図で外注に出したところ、そこを接点として平時になってから電通に提案営業を掛けられているという事だ。こういうのは業務の効率化に逆らっても定期的に人事シャッフルしなきゃいけない理由の最たるものだが、それを議会に諮らずに高額でやってしまっている。
自民下野直前に変な人士に接近されて続々と連鎖的にその手の人間を受け入れてしまった果てという虐殺否定に至る道の焼き直しやな。優れた営業なら組織のどこが弱いかつけこみ易いか、お偉いさんの過去の行状は全部参照するからそうなるわなって感じだ。
刀を買ったんですよ
刀っつっても真剣ではない
刃の入ってない、研いでも切れるようにはならないような金属で作られた、いわゆる模造刀だ
しかし、ちょっと振ったらポッキリ折れてしまうお飾りの刀ではなく、居合道の練習なんかでブンブン振り回しても平気で、造りは真剣に近いようなやつだ 居合刀ともいうらしい
お値段なんと9万円で、その金でブッ壊れたチャリを買い替えた方がいいのは明白なんだけど、俺は衝動に勝てなかった
刀、昔から憧れてたんだよ
それこそ中学生くらいのときに憧れのピークがあって、毎日のように両親に模造刀を買ってくれ〜!と言っていた
俺は飽きっぽかったし、粗忽者でうっかりカッターで指を切ったりしがちだったのもあり、モチロン両親は断固として買ってくれなかった
俺はじゃあ木刀ならいいやろ!と強固に主張して、結局2万円くらいするいい木刀(鞘つき)を買ってもらったことで模造刀熱はおさまった
おさまってなかったんだよな
おさまってなかったってことなんですよ 俺はずっと刀が欲しかったんだ
ロマンじゃないですか
鞘なんかも段々になってて渋いし、鍔は透かしの入った丸いやつでかっこいい 柄の装飾もかすみの図だかなんだかで、和風でええ感じだ
居合やってる人がある程度実力をつけてから買うようなグレードのやつなんだ多分 いい刀なんですよ
俺の刀経験っつったらホント、幼少期の地元の武者行列再現イベントで、抜けないように紐で縛られた刀を腰に差して歩いたことがあるくらいだ
そこなんだよ
武者行列イベントで俺は"副将"の役を押し付けられて、雑兵役と比べるとちょっといい鎧・ちょっといい刀を身につけた
しかしやっぱり、刀の鍔と鞘は紐で強固に括られていて、ガキには絶対に抜かせねえという意思が感じられた 俺は真面目なガキだったんで、これ抜いてみたい…なんて言い出すことはできず、いちども刀身を拝むことはなかった
黄色というか金色というか、そういうやや趣味の悪い鞘に収まった大小で、手の届かない棚の上に鎮座していた
校長先生と仲良くなろう!みたいな企画があって校長室で給食を食ったとき、その刀のことがずっと気になってたんだけど、やはり言い出せず、刀はただ視界の端で存在感を主張するばかりだった
ぜってえ小学校にあった刀よりいいのを買った
9万円だぞ9万円 校長室に飾ってある刀とはいえ、9万円の居合刀よりはショボいはずだ
俺の勝ちってことなんですよ
20年弱の時を経て、俺はあのときの刀に勝ったなあ、ってワケですよ
そんでその刀なんだが、まだ届いてねえ
即納品と書いてあって、1〜5営業日以内に発送って話で、頼んだのは6日前とかなんで、理論上今日あたり届いてもおかしくない感じではあったんだが、ショップから来たメールの感じだとまだ発送されてないっぽい
おそらく刀身の長さをカスタムしたのがよくなかったんじゃないかと思うが、詳細は不明
文句はない 待つ楽しみというのは確実にあり、それが伸びるというのはむしろありがたいことだ
俺の刀が来ようとしている
どうするんだ俺
刀を振る場所なんかねえ たぶん下手に振り回したら天井に穴をあけることになる
パッと見で「すげえ!」「人間離れした動きだ!」とはならないし、むしろ「ただちょっと素早く刀抜いてるだけじゃん」とすら思いかける
でも、何度か見ていると、異常にブレが少なく動きが洗練されていることがわかってくる これは多分、到底真似できねえぞと思いはじめる
居合刀がきたら、真似してみてえ 全然無理だ!!ってなりてえよ
楽しみだ 楽しみすぎる
いい使い方だったんじゃないだろうか?9万円…
ストッキングはすぐ破れる。
足の爪が少し伸びていたり、手に少しささくれがあるとすぐに伝線する。そもそも「破れにくい」をウリにする服っておかしいだろう。
そしてゾッキ編みだろうがなんだろうが破れる時は破れる。サイズやメーカーを替えても1シーズン持った試しがない。
増田が粗忽者だからかもしれないが、それを差し引いても弱すぎやしないか。
先日、3足で900円のストッキングを買ったら毎日破れた。 しかも同じ箇所。クソすぎ。
ムカついたので30デニールの肌色タイツに買い替えた。これが快適である。自分の肌よりトーンは暗いが破れるよりマシ。
とにかくストッキングはクソ。
服としておかしい。
会社規則に「ストッキングを履くこと」って書くなら支給しろよ。制服だろ。
まじで腹立つわ。
違うんだよ常識的に考えて戦後5人目の東大社会学博士号を取った稀代の秀才がそんなこと知らないわけないでしょほんとのこと教えるとウーマン村上や望月イソ子Twitterの陰謀論アカなど取るに足らない知的に怠惰なインフォデミック加担者を敢えて持ち上げて社会をいち早く破壊しよりよい変革を促すための世直しの一環なんだよヘタレにはわからないだろうけど先生は若い頃から自己啓発に精通し空手やクラウマガの達人であるなど心身共に完璧に鍛え上げられた巨人でさ断固たる使命に対して誠実に従事してきた先生の情愛の深さや慧眼に救われた側からすると意図や結果や確からしさを推し量れずに表層の言葉に自動機械のように激昂するのなんて知的怠慢なことか自分で気付けないのほんと恥ずかしいよね先生はお前らヘタレが拘泥している自我やプライドなどとうの昔に捨てていて敢えてわかってやってるんだっつうの傷つけて傷の痛みに気づいたものが知的に学問的に小さな円で社会をよりよくしていく好循環のプロセスを邪魔するなってのお前らエセインテリには滑稽に見えるかもしれないけれど敢えて粗忽者のピエロを演じざるを得ない先生の悲哀を少しは恥じる知的学問的な誠実さを少しぐらいは持ったほうがいいんじゃないかな()
着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。
ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽者であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽者であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。
天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀(津川三松)の屋敷を訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利の分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家の嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利の分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康も新田氏の分家を自称していた。
関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。
征夷大将軍に就任した家康に謁見した際、室町幕府第10代将軍・足利義稙から山名氏当主に贈られた羽織を着用して賞された。
有職故実や和歌・連歌・茶湯・将棋などの文化、教養面に精通していた。室町時代の名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府の上級旗本として存続させた。
大人だと、軽度で診断されて職場でどう待遇が変わるかだよなあ。知らんけど。
子供の場合は、軽度でも特別支援学級に入れられてしまうが、それだとIQが低い訳でもないのに重めの知的障害児と同じ進度で勉強することになる。
で、当然学力が低くなるせいで、中学進学のときにも成績の数字だけを見られて「中学も支援級じゃないと無理ですね」とか、下手すると受け入れ拒否されるので、高校以降の進学の道がそこで途絶える。
クラスが隔離されてるせいで、通常クラスの友達ができにくく、孤立しやすくなる。
そういう問題があるので、子供がちょっとよその子と比べて粗忽者のような気がして、子供のQOLを上げたいなというちょっとした親心くらいのものなら、自治体の発達相談や精神科には行かない方がいいくらいかもしれない。
それくらい軽度の発達障害だと、親によっては全然気に留めないで通常学級に放り込むため、低学年では馬鹿が服着て歩いているような糞ガキだった子が、卒業する頃にはちょっと癖があるけど勉強も人間関係もほどほどやれていたりする。
軽微な困り感が気になって真面目に子供を支援級に入れた親が、自分の子供よりも酷い馬鹿糞ガキだった子供が周囲に多大な迷惑をかけながらも進学の未来を絶たれずに普通に暮らしているのを見て、後悔に泣いている姿を、私は実際に見ている。
群馬県高崎はパスタの町なんて名乗ったり言われたりパスタが名物だとされているが、じゃあ高崎パスタってどんなのが特徴なのよ? といわれるとなかなか返答がない。表現しづらいのも地元民としてわかる。
そこで地元民が高崎パスタの特徴を説明する。ちょっと長くなるが興味ある人は読んでほしい。
このダンスィのむすっこが誕生日を迎えるにあたって、友人と誕生日会をやりたいと言ってきた。なんとダンスィ2人と女子1人が来ちゃうのだそうだ。まじかよ。むすっこ。金星じゃん?その年齢で女子誘えたのか。思ったより出来るやつだったんやな。その偉業にめんじて、よーしママなんかつくっちゃうぞー!これでもママはクックパッドを検索する腕は上級者なんだからね!
ダンスィは食う。ときに異常なほど食う。そして食えないとしょんぼりする。高級な料理(たとえばローストビーフとか)はもちろん作れる(断言)のだがコスパが悪い。なんかこーおしゃれで腹に溜まって子供が喜ぶのはなかろうか? そこでパスタが登場。嘘。間違えた。パスタじゃない。スパゲティだった。
乾麺をだーっとゆでて、野菜と魚介とかいれて、にんにくいっぱい、トマトはスープ風にだばー! 完成!
これが高崎パスタ。This is gunma spageti!
ちょっと料理が出来る(自慢の奥さまぱわー)が作った家庭でできるちょいハイカラ料理。でも、多量に作っちゃったせいで、インスタ映えとかはあんましない。材料細切れだし。でも大盛りがデフォだし、食べるとなんかホッとする。シェフの作った味じゃないけど、どことなく良い。っていうか、スパゲティなんてこれで良くない!?とおしゃれを標榜しつつおしゃれに徹しきれずに逆ギレ。これが高崎パスタだ。
魚介は必須じゃないし、時にはトマトではなく塩味であることもある(オイルソースではなく塩味といってしまうところに注目)。でも、その背景にある精神性はこれ。これでええやろ。誰が文句つけるのだ。こちとら日常食やぞ!
そんな高崎パスタに興味を持った方は是非群馬にどうぞ。グルメ向けじゃないかもしれないけどあなた向けのスパゲティ屋がたくさんあります。
総合点は★★★★☆(星4つ)
2回目の前に制作陣のインタビュー記事などを読んで細かいネタが仕込まれているのに感心しつつ楽しめました。
良作画で動いていたのはすごく良かった。
特に「編集」作業シーンを「切る」ことに注目してアクションのある絵に再構成していたのは面白かった。せっかくのアニメなんだから動きのあるシーンはあってしかるべきだなあと。
あとこれは明確には示されてなかったので多分なんだけど。
「撮影」パートのクライマックスである「みんなでアイデア出して偶然虹まで撮れたカット」も切ったんだよね?
「撮影」パート成功の象徴のようなカットまでも切ることで、ジーン君の「映画のためには他の全てを切ることも厭わない」という面を表しているんだと思う。
しかし、それを明示してしまうと「空気を読んで仲良くすることを大事にするマス層」には理解不能で嫌われてしまうだろうから匂わせるにとどめたんだろうなと思っている。
ところで全体的にジーン君がウェットというかシリアスというか常人の枠から半歩しか踏み出していないという感じを受けた。
原作ではもっと狂人なんだよなあ、特に巻が進むほどに。「友情を、会話を、家族を、生活を、切れ!」とか原作ジーン君は言わない。
当たり前すぎるからわざわざ言わない。「息を吸え! 息を吐け!」って普段はあんまり言わないじゃないですか。
でもまあ1巻ベースだとああいう解釈もアリだと思う。むしろジーン君の物語って感じも出たと思うし、そもそもあまりに狂人狂人してるとマス層がまったく感情移入できなくなるから映画版としてはあれで正解だと思う。
さて、ここから減点材料なんだけど、アラン君および資金調達パートがぜんぜん響かなかった。
まずアラン君、お前は何なんだ。
再会して「あの時はノート悪かったな」とか言ってたけど、特に謝るほどのことでは無くないか。
たまたま雨の日にぶつかったらジーン君がノートを水たまりに落としただけじゃん。寝坊してメモやななにやらぶちまけつつ部屋を飛び出すような粗忽なジーン君なんだし。
ところでそういえば、その粗忽シーンもちょっと違和感あるんだよね。映画だけの男ジーン君が大事なオーディションの日に寝坊したり資料ぶちまけダッシュしたりするかね?制作陣インタビューによるとナタリーちゃんとの出会いのシーンをインパクトあるものにするためにすれ違い構成にしたっぽいんだけど、それってストーリーのためにキャラが捻じ曲げられてるよね。いや、構成自体は悪くはないんだけど、やっぱりそのためにキャラを捻じ曲げられると違和感あるんだよねえ。違和感と言えばナタリーちゃんがニャリウッドに上京するためにバイトで金貯めたっていうシーンでビルの窓磨きしてたけど、あれって上京してからのバイトじゃないとおかしいよね。原作にも窓磨きバイトのシーンあるけどニャリウッドでのことだし。ナタリーちゃんの故郷は農村地帯みたいだしビルなんてあるの?いやいまどきドコにでもそれなりのビルくらいあるのかもしれないけどミスマッチだとは思う。
まあ話を元に戻してアラン君ですよ。
アラン君が謝るってことは、元々のシナリオ的には学生時代のアラン君はもっとひどい奴にするはずだったんじゃない?それこそ、一度拾ったノートを破るとかまた捨てるとかするはずだったんじゃない?それなら「あの時はノート悪かったな」「暗記してたから平気」に違和感無くなるんよね。でもそこまでやっちゃうとあまりに悪すぎて資金調達したとて許されないというか、ジーン君とお茶することすら「なにこいつ?」って感じになってしまうから描写をぬるくしたのではないかなとか思いました。
でまあアラン君からも一回離れて資金調達なんですけど、最悪、ポンポさんなりおじいちゃんなりの私財とかコネクションとかで調達できないものなんかね?二人とも超有名ヒットメーカーなわけだし、財産もコネクションもすごいだろうし、なんなら主演のマーティンさんだって世界一の俳優なんだから金だってうなるほど持ってそうだしスポンサーになってもらえないもんかね?縁もゆかりもない銀行に出資を頼むより先にいくらでもアテはあるんじゃないの?いや、もちろんそういうアテを全部当たって、それでも足りなかったんだっていうならハイソウデスカとしか言えないんですけども。
まずアラン君、クビを賭けたギャンブルをした風だけど、そもそもその職場を辞めようかと思ってたくらいだからノーリスクなギャンブルだよね。なんだかなあ。
そんでクラウドファンディングに生中継でって無茶にもほどがあるけど、それ以上にひどいのは役員連中の手のひら返しの速度ですよ。頭取が出てきてOKしたとたんに「融資成立だー! ワッハッハー!」じゃないんだよ。お前数秒前まで大反対してたじゃねーか頭取がOKしたらまるで「ボクも本心では融資したかったんだけど立場上できなかったんだよね。結果として融資成立してヨカッタヨカッタ」みたいなポーズ決めてんじゃねーよ。いや、そういう変わり身の早さで出世してきたヤツだと言われたらハイソウデスカなんですけど。
アラン君に話を戻して、彼は「クリエーターでないマス層の感情移入先」として作られたキャラなんだと思うんですよ。
監督である平尾隆之氏のインタビュー記事(例えば https://gigazine.net/news/20210720-pompo-the-cinephile-takayuki-hirao-interview/)なんかを読んでいると「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマをお持ちのようなんですね。
「マジョリティ」=「マス層」ですよ。
このテーマは商業作品で表現するのは非常に難しいテーマだと思うんですよ。
だって多数の人に受け入れてもらうことが商業的成功なわけですよ。マジョリティに快感を得てもらわないといけないわけですよ。そうしないとお金が儲からないわけですよ。
しかしね、「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」ストーリーで「一矢報いられたマジョリティ側の人間」が快感を得るかっていうと難しい。だって矢が刺さってるんだよ。痛いじゃん。それで快感なのってドMくらいじゃん。
そこでアラン君の登場なんですよ。アラン君はマジョリティ側の人間なんだけどマジョリティ世界の強者である上司や取引先をしくじったりして、いまいちうまくいっていない状態なわけですよ。つまり、マジョリティ世界という巨大なピラミッドの底辺層なんですよ。でもピラミッドの底辺だから数的にはかなりのボリュームゾーンなんですよね。この層の人たちが「なろう系ヒットの母数」だと思うんですけどね。マジョリティ世界に身を置きながらもうまくいかず底辺をはいずっているのでいっそのこと異世界転生して現世のしがらみリセットしてチート能力で無双したいとみんな思っている。「みんな」ですよ。つまり「マス層」ですよ。
そんなアラン君はマイノリティ側と見下していたジーン君が思いのほか成功していたもんだから、マジョリティ側からマイノリティなジーン君を手助けするポジションに立とうと思い立つわけですね。異世界転生強くてニューゲームですよ。コミュ障マイノリティが苦手な資金調達ネゴシエーションをリア充なオレ様がやってあげようってーわけですよ。同じ立場ならみんなそう思う。コミュ障な天才クリエーターのマネージャーになってソイツと社会の架け橋になるだけでオコボレもらいてえなあって誰だってそう思う。オレだってそう思うんですよ。コミュ障だから無理なんですけどね。そんな知り合いもいないし。
つまりアラン君は、平尾氏の「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマ実現のために生み出された舞台装置なんですよ。いまいちうまくいっていないマジョリティの感情移入先であり、途中からマイノリティ側に与してマジョリティ側への一矢となる存在なんですよ。テーマと商業的成功を繋ぐための存在なんですよ。
でも、なんかつまらねーんだよなあ。
思うに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマと「ポンポさん」という題材の相性が悪かったんじゃないかなあ。
原作ポンポさんはね、マジョリティのことなんて基本的に無視してるんですよ。あくまでも映画業界の中でクリエイターや役者などの能力があり個性的な人々にフォーカスして活躍を描いているんですよ。「すごい人がすごい能力を発揮してすごい活躍をしました。」っていう話なんですよ。これは「チート無双系」にも通じると思うんですけど、すごい人がすごい活躍をするだけでも面白い話は作れるんですよ。
そんな原作ポンポさんに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマを盛ろうとしたら、そのままじゃうまく盛り付けられないよね。なので、アラン君&資金調達パートで補強したんだろうね。でも、原作にはまったく存在しなかったテーマを盛り付けるために、かなり強引でイビツで不格好な補強になっちゃってるんだよなあ。
結論。
原作ファンとしては、ポンポさんには原作に存在しないテーマは乗っけずに素直なアニメ化だけしてほしかったなあ。
と思いました。(小並感
ついに30歳になった、なってしまった
20代を週3、4日程度のアルバイトやパートばかりで履歴書に書ける職歴は白紙、特技も趣味も志望動機も全部白紙、なんにもない女と、相成ってしまったのだ
18のころだろうか、急激に足腰の悪くなった母の介護で過ごして恋人もいない
まるで親の介護をしていたせいかという言い方だが親のせいだけではない
勿論30歳にして処女だし異性と手を繋いだ経験すら数えるほどしかない
交際経験は、続いたとして3ヶ月、セックスまですらも行かずに終わった物ばかりなので交際経験なしと言った方が早いだろう
おまけにコロナの関係で仕事をクビになって無職の引きこもり、やることといったら炊事洗濯家事くらいの物でなににもならない
とことんまでクズなのだが、せめて私が20代も前半ならよかった、まだ若いから許された
外に出ないから異性との出会いは完全にゼロだし(これは言い訳だ、どんな状況であれ出会う人は出会っている、)、こうなる前から異性に食事に誘われてもなにを話せばいいのか解らず結局どうにもならなかった
相手に不愉快な思いさせてしまったのだと言うことだけは理解できた、次もまたという世辞が恥ずかしくてみっともなかった
親はコロナが落ち着くまで外にでるのも怖いから、と仕事探しはゆっくりしたらいいと甘やかしてくる
家にいてじっくり面倒を見て貰えるのがうれしいと世辞を言ってくれる
暑くても雨でも寒くても足は痛む、リハビリに付き添いながら、関連書籍を読み込んだが
結局年齢によるもので根本的解決はないとばかりがかかれていた、あえていうなら筋肉をつけることだとわかった
私には実兄がいる、忙しく飛び回っているのでなかなか顔を合わせることは出来ない。それでも出来うる限りは安否確認の連絡をくれている
忙しい中で時間をとってくれて大変ではないだろうか、余り無理をしていなければいいがと思っても私に出来ることはなにもないのだ
そんな兄もまた、今は私家にいて母の面倒を見て貰える方が有り難いと世辞をくれる
それがいけない、甘やかされると甘えてしまう、元来甘やかされれば増長して驕る女なのだけれど
流石に今回ばかりはゆっくりしていていい年齢ではないのことは理解できる
自分は別に人間は恋愛をして結婚しない事を否と論じたいわけじゃなくて、
事実として、もしかして自分は所謂人を愛せない女のではないかと調べてみたことがあった
(あまりにも細分化されており本だけでは解らなかったがそういった人たちのいるお店には人生で立ち入ったことがないので少々怖じ気づいてしまい足を踏み入れることが出来ず、結局よく解らなかった)
それならそれで一人でも生きられるように自立して生きる道を見つけないといけないと思っているわけで
というか、だけどそもそも前提として自立すら出来ていない人間が他者と生きるなんてもっと無理があるんじゃ、と余談だが色々と考えてしまう
私も恋人とまでは言わなくとも会話できる異性くらいはほしいと思っている
だけれど恋愛偏差値のあまりにも低い私は異性と話すとイコール恋愛に直結してしまう
これはいけない、相手に迷惑だ、とそこまで思ったがそもそも今は会話する相手すらいないのだった
それに、いざとなるとなにを話せばいいか解らなくて、会話が終われば酷く疲れて気持ち悪くなってしまう
人と話すと疲れるものなのは当たり前だとは思うけれど、これではどうにも恋愛に発展しようにない
友愛は解る、友人と遊びに行くのは大好きだ
それでも終わって帰れば疲れが出てしまう
その上恋愛としてデートという名目がつくとなにもわからず気持ちが悪くなってしまう、比喩ではなく、戻してしまうのだ(汚い表現になってしまい申し訳ありません)
あまりにも相手に迷惑だと気がついてから、誘われても余りに乗らないようにして今となってはお誘いはゼロで
閑話休題、とくとくと私のどうにもならない恋愛に関して吐露してみたが差し当たっての問題は恋愛よりも仕事だ、お金が必要だ
それは少し寂しいかもしれないけれど生きることは出来る
だけどお金は直接的だ
いまは、みっとももなくも貯金と親の金で何とかなっているけれどかこれからどうする
私にはなにもない、才能もなく、なにも特技がなく、性格もよくなく、粗忽でドジで、人に好かれるタイプではなくそれでいて不真面目だ
親は、恐らく余程のことがない限り私よりも先にいなくなる
いっそ順序が逆であればよいのにと言うのは余りにも身勝手な親不孝だろう
一人、初めて自立しなければならなくなるとき、必ず遠くはないいつかやってくるその時
その時に私に残された者は親の遺産の家が一つと、職歴一つなく自分一人で稼ぐことも出来ない女なのだ
兄に頼る? 忙しくも飛び回って、それでも常にこちらに気を配っている兄弟に迷惑をかけられる筈がない
子供の頃から色々とあった我が家のせいで結婚すら出来ていない兄にこれ以上の迷惑をかけるわけには行かない
私には、認めたくないけれど血縁上姉と呼ぶべき女性がいる、ちなみに父とは数年前数十年ぶりに事故にあったとかで緊急治療室で顔を見てから一度も会っていないが生きてはいると思う
姉は、今生活保護を貰って生きている
親を謗り、兄弟を羨み、自分一人で生きていくと行って夜逃げした姉は今どうしようもなくて、行政を頼って、生きている
それは別に悪いことではない、どうしようもないとき行政を頼るのは国民として正しい姿勢だ
だけどどうしようもなく、私は姉と呼ぶべきその女に自分の未来を重ねてならない
これは完全に私が姉への恨みの色眼鏡で見てしまっていることだって理解している
書きたいことを書いて、羅列も言葉もめちゃくちゃできっと読みづらいことこの上なくて申し訳ない
私には文章を書く才能すらないのだ。なにも特技も才能も継続する力すらもないまま、30歳だ、ハッピーバースデートューミーだ
日々、明日も生きているという事に恐怖する
電車に乗りたい、正しくは乗りたくない
電車を見逃して、見逃して、ぼんやりと過ごして誰も自分も見ていない
雑踏の中でただ一人何時間も何時間も過ぎていく電車を眺めたいと思ったのは、恐らく思い出が美化されているからだ
結局あの時は帰路の電車に乗り込んでいつも通りにただいまといった
あのときはそれが正解なんだと思うと、言った
事務の人相手だから丁寧語の方がいいかなって思ったけどここは増田だからくだけた口調で書くね。
大学事務の方々には、いつも粗忽な学生相手に辛抱強く対応していただいて本当に感謝しているのだけれど、それとこれとは話が別だ。
大学生くらいの年代の元気な若者は感染しても無症状で済むことが多いが、自分の感染を通じてそういうハイリスクな人々にもし感染させて重症化させたとき、あなたは「仕方ないよそいつらの体が弱かったんだから」と思えるのかい?そう思うなら大学で学ぶ資格はないぞ。
仕方ないよ。
世の中には程度問題っていうものがあるよね。責任を論じる上では重要じゃん?
例えばさ、制限速度60キロの道で100キロ超えてたドライバーとさ、制限速度守ってたら子供がスケボーに寝そべって突っ込んできたドライバーじゃあさ、同じ「人身事故で人を撥ねて死なせちゃった」でも責任の重さが違うじゃん。前者は池袋の上級国民みたいにすごい非難にさらされるだろうけど、後者は「これは仕方ない」「避けられないでしょ」「轢かれたほうも悪い」みたいな感じで擁護してもらえるよね。
大原則として、感染症にかかって、それを移してしまうことに責任は発生しない。移された人だけでなく移してしまった人も被害者だ。
これは理解できるよね? できないなら近代的な市民社会で生きるための素養が不足しているので人権講習とかを受けような。
で、その上で話をすると、学生は別に感染者主催のコロナパーティーさせろとか言っているわけじゃないよね。
普通に大学に通わせろ、対面講義を受けさせろ、対面ゼミで討論させろ、図書館を使わせろ、学食で飯を食わせろって言ってるだけだよ。
これ、全部、法律に反していないどころかマナー違反ですらない、ごくごく通常の、模範的な学生の営みだよね。
ここで話が程度問題に移るわけだよ。
こんな当たり前の行動で蔓延するウイルスなんて、もう仕方ないでしょ。
事故だよ事故。避けられないよ。そんなん気にしてたら生きていけないよ。まっとうな社会生活が営めなくなっちゃうよ。スケボー少年を気にしてたら運転できないのと一緒だよ。
大学のリスクを説明されても、どうして私たちだけが? っていう不公平感は変わらないよ。私たちの学業は、貴重な大学生活の機会は不要不急? あちこちの会社では通勤が再開されているのに? あの会社員たちの日常は尊重されるべきで、私たちの日常は尊重に値しないの? どうして?
まして、私たちは学費を払っているのに? 会社員の人たちはお金をもらうために日常に復帰している。それなのに私たちは、お金を払っているのに日常に復帰できないの?
会社員の人たちの日常が尊重されるのはとても良いことだ。それは支持するから、同じように私たちの日常も尊重してほしい。
研究に使う本は高くて、個人ではなかなか手が出ない。それでもそれは研究する上で必要なもので、だから大学図書館に入れてあるんだよね。
図書館を使えないのに満足な学びができるわけないじゃん。どうして図書館にすら自由に入れないんだ。中ではほとんど喋らないのに。どうして。なぜ。納得できない。