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「共通理解」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 共通理解とは

2024-12-04

anond:20241204162627

このコメントユーモアセンス観点から評価すると、以下の問題が浮かび上がります

1. 創造性の欠如

コメントの内容は特に独創的ではなく、安直言葉遊び依存していますユーモアには、意外性や新鮮な視点が求められますが、このコメントにはそれが感じられません。

2. 文脈の貧弱さ

ユーモアが成立するためには、コメントの背景や読者の共通理解に基づいた文脈必要です。このコメントには、そのような文脈が薄いため、受け手に伝わりにくい可能性があります

3. 語彙選択の粗雑さ

言葉遣いが洗練されておらず、むしろ幼稚に感じられる点がユーモアとしての完成度を低下させていますウィットに富んだ表現や巧妙な語彙選択があれば、より高評価を得られたでしょう。

4. ユーモア技術的欠陥

ユーモアにはタイミングリズム重要ですが、このコメントはその点で特筆すべきものがありません。平坦な表現であり、面白さを引き立てる工夫が不足しています

総合評価: 1/10

ユーモアとしての要素がほぼ見当たらず、発言の工夫や技巧が極めて乏しいため、厳しい評価をつけざるを得ません。ユーモアを目指すなら、言葉選びや構造もっと知的な遊び心を取り入れるべきです。

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね3

1. トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。
 それに対して、『トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは
 どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。
 
 
2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。
 
	2-1.	トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。
	2-2.	「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない)
	2-3.	人と違うのは悪いことじゃないが、トランプ文脈フォントにこだわる人は、特別サポート必要です。これは個人自由意思知識コミュニケーション問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。
	2-4.	人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なこと説明してください。
 
 
3. トランプ文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別サポート必要だと考えますがどう思いますか?認知フレームワーク問題ではなく個性範疇ですか?

 ↓

1. 心理的な背景について

 

トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます

1. 防衛的な反応

自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります

 

2. 視点の転換による優位性の主張

「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります

 

3. 共通基盤のズレ

フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。

 

4. 議論すり替え

本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます

 

2. 小学生でもわかるような説明

 

2-1. トランプゲームフォントにこだわるのは普通じゃない

 

トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカード意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。

 

2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない

 

かに普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります

  

2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要ときもある

 

たとえば、トランプで遊んでいるときフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります

 

2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと

 

自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります

 

 

3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応個性範疇について

 

 

フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別サポート必要だと考えられます理由は以下の通りです:

  1. 共有されたルール再確認
    トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルール理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります
  2. ゲームを進行させるための調整
    本人が「フォント」を基準として主張する場合ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります

 

 

この行動は認知フレームワーク問題に近いと考えられます。なぜなら:

  1. 個性範疇を超えている
    個性とは、一般的ルール基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性範疇では説明しづらいです。
  2. ゲーム文脈に対する適応の難しさ
    フォントが違う」という理由カード否定するのは、ルール文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点問題である可能性が高いです。

 

 

結論

 

トランプゲーム文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知フレームワーク問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別サポート必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます

 

 

 


 

 

増田が打っているプロンプトを推測してみたが、かなり言葉を足さないとその出力にはならない
マジでどんなプロンプト打ったんでしょうね(3回目)

 

※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない)
 
Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理メカニズムに基づいているか、またその批判集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。

 ↓

この文章投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理メカニズム認知スタイルに基づいていると考えられます

 

1. 認知の精度と共通理解の重視

 

投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的対話を重んじていることを示しています

 

2. 本質主義 vs. 構成主義思考

 

投稿主は、「ラグビーボールボールではない」という発言についても問題提示し、「概念境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事定義カテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています

 

3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル

 

Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的コミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界常識一般的認識から大きく外れていると見なされています投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイル問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。

 

4. 集団内での影響

 

投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます

共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます

対話排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合集団内でDの意見発言無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります

教育アプローチ模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合集団内で認知の調整が進むことが期待されます

 

全体として、この批判は、投稿主が共有された認識合理的対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています

2024-09-10

anond:20240910092816

以前より長文理解ではChatGPTが明確に弱いって言われてるし、GPT-4oでも改善されていないことを知っている。特に後半部分でかなりの部分を理解していない。

長文を処理する用途では個人的にはgeminiやclaude使ってるし、みんなそうだと思う。

Claude3 Opusが出た時はやっと長文処理ができるようになったとみんな思ったと思う。その後に出たGemini proやSonet 3.5なども長文理解が得意だけど、OpenAIは未だに弱いなあと思う。

同様のつぶやきしてる人も多いし、LLM使いこなしてる人の共通理解だと思ってた。

 

問題視している人を見ないってことは、おそらく情報収集先や見ている世界が違うんだろうあな。

2024-08-05

anond:20240805223324

イラ的には、清潔感とかスピード感っていう言葉は確かに主観的ものだとは思います

でも、社会コミュニケーションの中で使われる際に、それなりの共通理解があるんじゃないでしょうか?

「~感をやめる」っていうのは一つの意見ですけど、それってあなた感想ですよね。

それに、「感じるか感じないか個人問題」って言いますけど、結局、人と人とのコミュニケーションってそういう主観的な要素が絡んでくるものです。だからこそ、ある程度の合意共通認識を持つために使われる言葉なんじゃないですか?

2024-06-23

リベラルが結局何なのか分からん

いや分かるんだけど、「リベラル」という言葉を使う時みんなちゃん一定共通理解の上で話してんのかなって。

なんか人それぞれ微妙に、いや結構認識が違う人が多い気がする。

例えば右翼という言葉を使う時は皆大体同じ方見て話してる気がするけど、リベラルは違う気がする。

気がする気がする。

2024-05-16

anond:20240516184744

記憶にある限りだとゴキエナの話が最後融和になった。

1人でキャンプしてる女性にとって近づいてくる男はゴキブリハイエナハイブリッド怪物、って意見流行ったとき

そうは言ってもとか、状況の拡大とか、紆余曲折あったが

最終的には、1人でいる関係性がない他人に話しかけるのはやめてね。だよな。でまとまったと思う。

男女で共通理解ができたという意味で、融和かと。

2024-05-06

今日レジに来たおばあちゃんは、321円の会計百円玉を3枚と、十円玉を3枚出した。一円玉を持っていたにもかかわらずだった。聞くと、一円玉はお賽銭にするために別に取っておくらしい。確かに一円玉だけは小さなジップロックに入れてあった。

321円の会計で330円を渡されたならば、レジとして自分は9円のお釣りを渡すことになる。釣銭機が吐き出した9円の内、一円玉が一枚、少し汚れていた。折角お賽銭にするなら、少しでも綺麗なものが良かろうと思い、自分さりげなくドロアの比較的綺麗なものと交換してから釣りを渡して、会計はそれで終わった。

もらった330円と、取り換えた1円玉仕舞いながら、ふと思った。折角お賽銭にするなら少しでも綺麗なものが良かろうというのは、いったいどういう考えなのだろうか。お賽銭一円玉が綺麗だろうが汚かろうが、おそらく何も変わらないだろう。お賽銭箱を設置している人だって使用に耐えうるなら気にも留めないだろうし、別にだってそんなことみているわけがないだろう。そもそも自分彼女がどこの、なんという神にお賽銭を投げようとしているのかも知らないのだ。だからこれは本当に、意味のない行為だ。

都合のいいことにレジ周りに他の客は居なかったので、じっくりと考えてみた。その結果、自分について一つの気付きを得た。どうやら自分は、神を敬っているようだ。しか自分には特に信仰している宗教などはないし、聖書や何やらに書かれている神々の実在もあまり信じていない。ただ、神というぼんやりとした枠組みを敬っている。おそらく神という上位的な存在は、成長の過程で多くの人が得る共通理解で、その理解を得た皆がなんとなく、特にその存在に具体的な形を与えないままで、その存在に敬意を払っているのだ。自分と同じように。

自分以外の人から見ればどうでもいい気づきかもしれないし、意味の分からないものかもしれない。だが自分にとっては、新しい自分の一面に出会えた、魅力的な気づきだった。

2024-04-29

anond:20240429044446

うーん、まぁ言いたいことは分かるけど、価値観アップデートされてくよ。

男性が生きづらくないとは言わないし、生活困難を抱えてる人も沢山いる。

だけど純粋にまったく落ち度がない社会の歪みの被害者だなんて、到底受け入れられない。

しろ今の社会の男女不平等を作った責任のある国民の半数、っていうのが共通理解だと思う。

2024-03-28

ちゃんとしてください」って麻薬なんかな

上司が同僚に書類の不備について「これだけでは駄目だ」の指摘の根拠精神論しか持ちだせておらず、

具体的な改善方法説明もできずに「ちゃんとしてください」と「もっとこう他にないんですか?」を繰り返していた

「こういう気持ちはないんですか?」

「ありますよ。こう書いてます

「これができてないってことはこういう気持ちがないんだと思います

「ありますよ。こう書いてます

みたいなループに入っていた

私はひどい会話だと思いながらも、同僚に助け船を出す方法が思いつかず、他の仕事を続けていた

上司書類説明補足を続ける同僚に最終的に「もっとこうどうしたらいいか自分で考えてくださいよ!」と言っていた

そのあと別の上司にその上司が「昨日も別の件でちゃんとしてくださいって言ったんですよ。○○な点をちゃんとしてほしいのに」と言っているのが聞こえてきた

ちゃんとしてください」って共通理解を作れていない場だったら、「私に合わせてください」って意味しかないと思うんだけどな

「私に合わせてよ!私と同じ気持ちなってよ!私に合わせてったら!」と言い換えるのは意地悪過ぎる気もするが、情報量としてはあんまり変わらない気がする

でも同僚が上司と同じ方向を目指すために「この書類目的は何ですか?」と聞いていたらそれはそれで怒ってそうだとも思う

今まで「ちゃんと」って相手に何も伝わらないかビジネスの場で使っちゃいけないんだろうと考えていた

しかしたら「ちゃんとしてください」と言うことで仕事をした気になるという効用を感じる人が一部いて、そっちのが周りに悪影響を与えるのかもしれん

言語化できないときに「ちゃんとしてください」を言い、それで相手反省してその場が収まった場合は、気持ちよさえ感じるのだろう

そして「ちゃんとください」常習犯になってしま

そのうち考え方さえ「ちゃんとしてほしいだけなのに」と思考を「ちゃんとしてほしい」に乗っ取られてしまうが、

本人は「ちゃんとしてほしい」ばかり使っていて言語化能力が衰え、周囲とのコミュニケーションがうまくいかず、自分の考えをその場での共通理解に育ててルールシステムに組み込むことができないまま、

「なんでみんなちゃんとしないんだろう。ちゃんとしているのは私だけだ」と思いつつ「ちゃんとしてください」を言い続けるのだ

ちゃんとしてください」の上司が別の上司に当該書類を見せて、どうしたらいいのかをアドバイスもらっているのも聞こえてきた

そこまで悪い人ではないんだろうけどなと思いつつ、でも自分で依頼した書類の精査と指摘を一人で完結させることはこの人にとって「ちゃんとやる」の範囲に入ってないのかなとも思った

さて、ここまで書いたように「ちゃんと」と言う言葉聞き手にも本人都合で如何様にも解釈できるため、「ちゃんとしてください」と言っている人をいくらでも悪しざまに書く材料にすらなりえている

「『ちゃんとしてください』って言う人は駄目だな」と言う時点で、理解不可能ものに対し、自分なりに理解し、善悪判断をするという悪手をとってしまっているのだ

それは「ちゃんとしてください」と発言する人と「ちゃんとしてください」を自分都合の言葉として扱うという点に置いて、あまり変わらない

ちゃんとしてください」はただ理解不可能ものだと扱うべきだ

書いていたものを読み直して反省したよ

ちゃんとしてください」は言うべきでないし、解釈すべきでない麻薬みたいな言葉なのだ

ただそれはそれとして、明日出社したら「ちゃんとしてください」の上司は席に座って不機嫌そうにしているのだと思う

きっつい

2024-03-16

anond:20240316155740

おたくが通説って何を言うか知らないけど、憲法スタンダードだと芦部説を指すことがあるのよ

そういう共通理解があるからそこから学んだ方いいかもね

そもそも24条が意識されたのは最近で積み重ねも少ない

二重の基準論が古いように芦部説を未だに通説として止まってるようじゃダメだよ

あと引用の仕方が雑

高橋和之の本の2021の版が手元にあるけどここでは「通説であった」とされてる。その次の文章はしかしで接続されて外国同性婚の話になってる。

それに引用元では婚姻事由新しい人権の中で記述されてて、そこでは人格権を中心とした性自認権利が引き合いに出して、他の権利解釈にも影響を与えるとしてる。

そういう実情があるから社会変化を元にした違憲状態って判断複数出てるわけで

ちょっと理解できた?

2024-01-30

anond:20240130033015

ちょっと年上の男目線から。ちなみに自分マッチングアプリやりまくったけど、結局趣味サークルで知り合った友達が紹介してくれた人と結婚した。

メッセージについてちゃん研究たか怪しい。Googleの一ページ目に出てくるSEO対策された薄っぺらサイトを全部眺めたら、どこでも書かれているし共通理解っぽいこと、腑に落ちること、絶対おかしいこと、いろいろ気づくと思う。少なくとも、聞き方が「調べてみて〜って書いてあって、〜という感じでやってみたけどうまくいかなかった」みたいな具体的な形になって有益アドバイスももらいやすくなるはず。

3年くらい前にやっていたときは、メッセージは会うまでの手段にすぎなくて、いかにまっすぐ出会いに向かうか、しかしあまりがっつくと信用できないから他の話題で膨らませたり共通点や会いたい理由共通理解形成する必要がある、そのバランスが難しいがやっぱり出会いにこぎつけるのが大事、くらいの気持ちでやっていたけど、今は違うのかな。

東京とか大阪とか京都とかは分からないけど、地方都市だと個人経営飲食店でやっている文化系イベントとかはよかった。自分文系出身からかもだけど。

 個人経営飲食店に何軒も行く、話しかける店主とか他のお客さんとかいたら、適当タイミングで、自分趣味は〜で(本好き、音楽好き、体を動かすのが好きetc.友達とか集まりを探している、みたいに言えば、何かアドバイスしてくれるんじゃないかしら。あとは、他によく行く飲食店とか聞いて飲食店情報集めるという観点でも、おしゃべりの練習という観点でも吉。

習い事とか社会人サークルはいい。恋愛目的じゃないやつ。そこで広がった人脈が生きるから。直接恋愛対象と知り合えなくても、学校とか職場とか違う友達ができるのはよいこと。恋愛についてのフィードバックとかももらえるかも。

 変化球だと読書会とか哲学対話とかもよくやってるよね、行ったことないけど。

劇薬として、あくまマッチングアプリにこだわるなら、女の子には絶対内緒にしなきゃいけないけど、ライブチャット(ノンアダルト)とかを上限決めてやるのもいいと思う。

 金はかかるけど、正直でいれば、増田よりはよっぽど具体的なアドバイスをしてくれるし、自分で見えていない部分も聞き出してコメントしてくれると思う。

 できるだけお堅い仕事もしてそうな(ライブチャットだけで生計立てて世間からずれてたりしないような)女性数人から聞く。一人だと偏る。話しかけてみてぴんとこなかったら(話が弾まないとか到底有益アドバイスもらえそうにないなと思ったら)、丁重挨拶してすぐ切っていい。

 顔がタイプ女の子がいたら話してみたらいい。ガチ恋してしまリスクもまるでないではないが、高確率で、顔がよくても話し合わない人とは楽しくないんだなと腑に落ちて先に進める。

 絶対にはまらないこと。

2024-01-26

anond:20240126100106

極端な話、監視カメラ完全装備で問題解決するが、ネックはコスト

ゆえに基礎的な認識として、トランスジェンダー社会コストカット犠牲になってる、っていう共通理解必要

スロープがない社会車椅子の人が犠牲になるように。

社会が、多数派デフォルトで生きやすく有利なように設計され、少数派が切り捨てられるなら。

それは多様性に逆行しているし、権利不公平は人びとのこころ崖っぷちに追いやるだろう。

2024-01-14

anond:20240114191433

ハッタショのワイはそこかなり共感できるなあ

明言された部分とそうでない部分の境界を歪められるのは定型仕草の中でもいちばん我慢ならないこと

察するとか人の気持ちを考える云々とかの曖昧で不確実でわけのわからないところと違って

「明言されたこと」というのは定型たちと自閉ガイジのワイらの間で数少ない「共通理解が及ぶはずの部分」なんだよな

それなのに定型カスどもはそんなワイらの唯一の拠り所である「明言されたこと」まで歪めて汚染してくる

許せない

2024-01-12

神奈川県民は横浜で遊ぼうと言うのか?(いや、言わない)

だって横浜って広いからそれだけだと絞れないんだよね。何度も一緒に行っている友人とか家族とかならあるかもだけど。あくま文脈として共通理解がある人同士の場合ね。

みなとみらい」「関内」「野毛」とかはある。場所絞れるし。

横浜駅周辺に行くときははシャルとかジョイナスとか施設名が多いんじゃないかなあ?もしくは「横浜駅あたり」とか。

横浜行かないって近隣住民的には響きがなんか変なんだよね。

神奈川県民は横浜で遊ぼうと言うのか?(いや、言わない)

だって横浜って広いからそれだけだと絞れないんだよね。何度も一緒に行っている友人とか家族とかならあるかもだけど。あくま文脈として共通理解がある人同士の場合ね。

みなとみらい」「関内」「野毛」とかはある。場所絞れるし。

横浜駅周辺に行くときははシャルとかジョイナスとか施設名が多いんじゃないかなあ?もしくは「横浜駅あたり」とか。

横浜行かないって近隣住民的には響きがなんか変なんだよね。

2023-12-12

エリート中年会社員転職して窓際社員になるまでの6ヶ月

異動した会社員がしんどかった記事を読んで思い出した。

数年前に弊社新規事業部門管理職入社してきた時の話。

入社

誰もが知る外資IT企業マーケティング責任者で、弊社では新規プロダクトの営業戦略を任せるとのこと。

その前は大手広告代理店でも20年近く働いていたそうで、コネクションにも期待されて社長が呼んできたらしい。

ちなみに俺はその事業部の数値管理をする管理職なので給与もわかっているが、低年収の弊社にしては破格のオファーだった。

入社挨拶したときの印象としては、人当たりがよく物腰の柔らかな方だな、というところだ。

しか入社2ヶ月目から「ん?」と感じることが増えてきて、3ヶ月が経過したころには「この人ダメなんじゃないか」が事業部全体の共通理解となっていた。


ダメなところ

単純に実務能力が圧倒的に低いのである

一応2名の20社員が部下についたが、事務周りのフォローがメインであり経営層への報告・提案資料を作るのは荷が重い。

前職では優秀な部下に指示すればいい、という考えで何とかなってきたのだろうが

JTCである弊社はそこまで人材豊富ではなく分業制も機能していない。

資料が作れない

「◯◯業界向けの商品を作りましょう」といきなり口頭で提案してくる。

じゃあ簡単事業計画を作ってください、と依頼して2週間後、会議に30枚くらいの資料(カラーコピー人数分)を持ってきた。

びっしり文字が書かれているが、よく読んでみるとChatGPTに「◯◯業界とは何ですか」と聞いた回答のコピペで、資料の7割は競合企業HPスクショだった。

最後は「これで売上1000億を目指します!」で終わっている。

これでは何も判断できないので少なくとも利益計画スケジュールについて追記して再提出してください(あと次回から投影だけで印刷不要です)、と伝えたが

「やっぱそうですよね!これからやろうと思ってたんです!!」とのこと。ちなみにこのセリフは今後も何度も聞くことになる。以降ヤッパ氏とする。

会議後に事業トップから事前に資料レビューしてあげて、と俺に指示があったため、資料を見せてもらうことにしたが

以下のようにまともな社会人として出せるレベルのものではなかった。



初めのうちはこうしたらどうか、この観点が抜けているのでは、と改善案提示していたが

そのたびに「やっぱそうですよね!」と言われるとだんだん腹が立ってくるので、

1ヶ月経過した頃にはこちからアドバイスはせず

「これを書いて読み手に何を伝えたいのですか」「前ページと矛盾した言葉になってますがどちらが正しいのですか」と質問するだけにした。

また、ヤッパ氏の悪癖として話が長い、ということがある。

ちょっといいですか?と声をかけてきて1時間平気で話し続けてきたりする。しかメモはとらない。

俺はそれなりな立場にいるので「忙しいので15分にしてください」と言えるが

若手社員が捕まって2時間くらい雑談につきあわされている、という話をその後何度も聞くようになった。

業界理解をしない

一般的に異業界への転職は覚えることが多く、特に弊社の新規事業ハイプサイクル前半の業界なので

オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」みたいに聞こえるだろうな、と思い

読んでおくといい記事過去資料などを紹介しておいた。

しかしいつまで経っても素人みたいな勘違いが続く。

社内のteamsに定期的に配信している記事も、同じ単語を使っているがまるで別のビジネスだったりすることが多い。

外資出身なので海外事例のレポートを要約してもらったりもしていたが

技術がわかっていれば明らかにおかしいと思われる文章がたびたび混在し、その度に原文を読みにいかなければならず、結局機械翻訳を使うことにした。

勉強がてら社外イベントに行きたい、というヤッパ氏の希望にも応え遠方のイベントにも頻繁に行ってもらったが

出張報告では誰々の有名人がいた、ニュースにもなっていた、という話ばかりで自社に関係がある情報かという観点はほぼなかった。

イベント資料をもらった会社面白かったので今度訪問してもらうことになった、とのことでその会社を調べてみたが明らかに弊社とは相性が悪そうだった。

(例えるならガソリンしか作ってない弊社と、EV車用のエンジンをつくってるベンチャーみたいな感じ)

弊社のプロダクトに活用できないと思いますけど、先方はわかってますか?と聞いたが

「やっぱそうですよね!ちゃんと伝えておきます」とのことで一抹の不安はあったが会議に同席した。

当日先方のプレゼンを聞いても、どうしても弊社で活用できるイメージはない。

一通り聞いたあとで「弊社はこういうビジネスなのですが、そういった企業向けのプランはありますか?」と質問したときの「え・・・?」と引きつった顔は忘れられない。

片道2時間かけて来ていただいたのに申し訳ないことをした。会議以降その会社からの連絡は来ていないらしい。

案件が取れない

大手広告代理店出身ということで大企業にも知り合いが多いらしく、「あの会社責任者なら知ってますよ、声かけましょうか?」とアポをとってきてくれるのはカッコよかった。

20年前くらいにドラマのいい役やってた芸能人なんかを会社に連れてきたこともあった。

しかアポレポートを読むうちに、連れてくる人は3パターンに分けられることに気づいた。

(1)先輩後輩の関係で仕方なく来る人

(2)イベント知り合って弊社の他事業目当てで来る人

(3)ただ喋りたい人

 →(3)が半数以上であることが意外だった。

  世の中の大手企業にはなんたら部長という役職は持っているものの実質一人部署で、知り合いの会社を回ってそのまま会食へ行くというポストが割とあるようだ。

  1度だけ同席したが、会議中は「あのときの同期は何してる」「この人は昔こういう仕事をしてて、、」という話が延々と続くので、以降顔合わせを頼まれた際も断ることにした。

また、上記の中でも一応は真摯に向き合ってくれる企業もあるので、こちからRFP作成する必要も出てくるのだが

ヤッパ氏の実務能力の低さから、若手社員がそのフォローに入る(ヤッパ氏的には相談しているということだが若手は断れない)ことになり

通常業務に支障をきたすことが増えた。「発注書をもらうまでは一人でやること」というルールになった。


その後

ヤッパ氏が引っ張ってきた案件はその後結実することはなかった。

6ヶ月目目からマネージャー会議には呼ばれるものの、発言もほぼなく、たまに会った他社との商談(雑談)報告をするだけとなり、

1年経たずに退職することになった。

最後の方では事業トップとの1on1ではかなり厳しいことを言われていたらしい。

外回りがないときは休憩室にいることが増え、他部署新人雑談に付き合わせて上司から苦情が来たらしい。

ヤッパ氏についた部下2名は仕事が減って暇になったタイミングで俺の部署仕事を手伝ってもらいそのまま引き受けることになった。

本人としては「もっと裁量があれば話は進められるのにマイクロマネジメントをされた」と考えているかもしれない。

正直このレベル役職であれば我々も「結果さえ出ればやり方は任せる」としたいが、

新規事業とはいえ弊社はキャッシュが潤沢にあるわけではなく、よくわからないけど投資して失敗しました、だとガバナンスを疑われる。

からこそ、周囲を納得させるためのロジックが最低限欲しいのだが、それが出てくることはなかった。

ヤッパ氏は悪い人ではないし、優秀な部下がいれば活躍できた可能性もあるので、単なる採用ミスマッチとも言える。

弊社の他部門でも実務能力が同じくらい低い管理職が率いていながら何とかなっているところもある。

前職にいれば安泰だったのに、弊社に来たがゆえにヤッパ氏のキャリアプライベート悪化したとなれば悲しい話だ。

しかし仮に退職したとしても持ち前のコネとノリでいい会社転職できた気はする。名前エゴサしてみたが見つからなかった。

どんな会社が引き受けることになったかは分からないが、皆さんの会社にヤッパ氏が来たときは暖かく迎えてほしい。




なお、ヤッパ氏の性別をあえて書いていないことに気づいた人はジェンダーバイアスがない良い人だ。

2023-11-14

つの間にか「日本の衰退」が右派左派共通理解になってしまったよな

こないだまで戦後最長の好景気とか騒いでる人たちもいたけど

2023-10-14

ペドクィア、はどこかの学者じゃなくて、本家本元がいってるんです

https://twitter.com/URUWA_L_O/status/1711914705080717791

またぞろ、ぺドフィリアも「クィア」や「性的マイノリティ」に入る論が出てきたが、そんなもん入るわけないだろう。

と言うと、どこかの学者がそうtweetしていたというのが根拠として毎度持ち出されるのだが、学者一人の不用意なtweet一つで社会共通理解になるわけもあるまい。世の中を知るべきだ。

相変わらずトランスアライは不勉強やなあ

クィアペドを含んでるってのはどっかの一学者が言ってるんじゃなくて、クィア元祖本家本元のゲイルルービンがいってるんですわ

https://anond.hatelabo.jp/20230904082004

いかげんにデマ飛ばすのやめてもらえませんかね…

2023-09-09

anond:20230909142028

もちろん中小企業が全部ダメだという話ではないが、とうぜん淘汰されててよい筈のダメ会社ゾンビのように生き残っていて従業員たちのためにも社会のためにもなっていない例が結構あるというのは間違いないだろ。そういうところの新陳代謝が弱いのが日本経済の大きな弱点のひとつだというのもほぼ共通理解だと言って良いと思うぞ。

しろそういう感覚の無い界隈ってどんなところだよ? と思うんだが、、、

2023-09-02

エリート中年会社員転職して窓際社員になるまでの6ヶ月

異動した会社員がしんどかった記事を読んで思い出した。

数年前に弊社新規事業部門管理職入社してきた時の話。

入社

誰もが知る外資IT企業マーケティング責任者で、弊社では新規プロダクトの営業戦略を任せるとのこと。

その前は大手広告代理店でも20年近く働いていたそうで、コネクションにも期待されて社長が呼んできたらしい。

ちなみに俺はその事業部の数値管理をする管理職なので給与もわかっているが、低年収の弊社にしては破格のオファーだった。

入社挨拶したときの印象としては、人当たりがよく物腰の柔らかな方だな、というところだ。

しか入社2ヶ月目から「ん?」と感じることが増えてきて、3ヶ月が経過したころには「この人ダメなんじゃないか」が事業部全体の共通理解となっていた。


ダメなところ

単純に実務能力が圧倒的に低いのである

一応2名の20社員が部下についたが、事務周りのフォローがメインであり経営層への報告・提案資料を作るのは荷が重い。

前職では優秀な部下に指示すればいい、という考えで何とかなってきたのだろうが

JTCである弊社はそこまで人材豊富ではなく分業制も機能していない。

資料が作れない

「◯◯業界向けの商品を作りましょう」といきなり口頭で提案してくる。

じゃあ簡単事業計画を作ってください、と依頼して2週間後、会議に30枚くらいの資料(カラーコピー人数分)を持ってきた。

びっしり文字が書かれているが、よく読んでみるとChatGPTに「◯◯業界とは何ですか」と聞いた回答のコピペで、資料の7割は競合企業HPスクショだった。

最後は「これで売上1000億を目指します!」で終わっている。

これでは何も判断できないので少なくとも利益計画スケジュールについて追記して再提出してください(あと次回から投影だけで印刷不要です)、と伝えたが

「やっぱそうですよね!これからやろうと思ってたんです!!」とのこと。ちなみにこのセリフは今後も何度も聞くことになる。以降ヤッパ氏とする。

会議後に事業トップから事前に資料レビューしてあげて、と俺に指示があったため、資料を見せてもらうことにしたが

以下のようにまともな社会人として出せるレベルのものではなかった。



初めのうちはこうしたらどうか、この観点が抜けているのでは、と改善案提示していたが

そのたびに「やっぱそうですよね!」と言われるとだんだん腹が立ってくるので、

1ヶ月経過した頃にはこちからアドバイスはせず

「これを書いて読み手に何を伝えたいのですか」「前ページと矛盾した言葉になってますがどちらが正しいのですか」と質問するだけにした。

また、ヤッパ氏の悪癖として話が長い、ということがある。

ちょっといいですか?と声をかけてきて1時間平気で話し続けてきたりする。しかメモはとらない。

俺はそれなりな立場にいるので「忙しいので15分にしてください」と言えるが

若手社員が捕まって2時間くらい雑談につきあわされている、という話をその後何度も聞くようになった。

業界理解をしない

一般的に異業界への転職は覚えることが多く、特に弊社の新規事業ハイプサイクル前半の業界なので

オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」みたいに聞こえるだろうな、と思い

読んでおくといい記事過去資料などを紹介しておいた。

しかしいつまで経っても素人みたいな勘違いが続く。

社内のteamsに定期的に配信している記事も、同じ単語を使っているがまるで別のビジネスだったりすることが多い。

外資出身なので海外事例のレポートを要約してもらったりもしていたが

技術がわかっていれば明らかにおかしいと思われる文章がたびたび混在し、その度に原文を読みにいかなければならず、結局機械翻訳を使うことにした。

勉強がてら社外イベントに行きたい、というヤッパ氏の希望にも応え遠方のイベントにも頻繁に行ってもらったが

出張報告では誰々の有名人がいた、ニュースにもなっていた、という話ばかりで自社に関係がある情報かという観点はほぼなかった。

イベント資料をもらった会社面白かったので今度訪問してもらうことになった、とのことでその会社を調べてみたが明らかに弊社とは相性が悪そうだった。

(例えるならガソリンしか作ってない弊社と、EV車用のエンジンをつくってるベンチャーみたいな感じ)

弊社のプロダクトに活用できないと思いますけど、先方はわかってますか?と聞いたが

「やっぱそうですよね!ちゃんと伝えておきます」とのことで一抹の不安はあったが会議に同席した。

当日先方のプレゼンを聞いても、どうしても弊社で活用できるイメージはない。

一通り聞いたあとで「弊社はこういうビジネスなのですが、そういった企業向けのプランはありますか?」と質問したときの「え・・・?」と引きつった顔は忘れられない。

片道2時間かけて来ていただいたのに申し訳ないことをした。会議以降その会社からの連絡は来ていないらしい。

案件が取れない

大手広告代理店出身ということで大企業にも知り合いが多いらしく、「あの会社責任者なら知ってますよ、声かけましょうか?」とアポをとってきてくれるのはカッコよかった。

20年前くらいにドラマのいい役やってた芸能人なんかを会社に連れてきたこともあった。

しかアポレポートを読むうちに、連れてくる人は3パターンに分けられることに気づいた。

(1)先輩後輩の関係で仕方なく来る人

(2)イベント知り合って弊社の他事業目当てで来る人

(3)ただ喋りたい人

 →(3)が半数以上であることが意外だった。

  世の中の大手企業にはなんたら部長という役職は持っているものの実質一人部署で、知り合いの会社を回ってそのまま会食へ行くというポストが割とあるようだ。

  1度だけ同席したが、会議中は「あのときの同期は何してる」「この人は昔こういう仕事をしてて、、」という話が延々と続くので、以降顔合わせを頼まれた際も断ることにした。

また、上記の中でも一応は真摯に向き合ってくれる企業もあるので、こちからRFP作成する必要も出てくるのだが

ヤッパ氏の実務能力の低さから、若手社員がそのフォローに入る(ヤッパ氏的には相談しているということだが若手は断れない)ことになり

通常業務に支障をきたすことが増えた。「発注書をもらうまでは一人でやること」というルールになった。


その後

ヤッパ氏が引っ張ってきた案件はその後結実することはなかった。

6ヶ月目目からマネージャー会議には呼ばれるものの、発言もほぼなく、たまに会った他社との商談(雑談)報告をするだけとなり、

1年経たずに退職することになった。

最後の方では事業トップとの1on1ではかなり厳しいことを言われていたらしい。

外回りがないときは休憩室にいることが増え、他部署新人雑談に付き合わせて上司から苦情が来たらしい。

ヤッパ氏についた部下2名は仕事が減って暇になったタイミングで俺の部署仕事を手伝ってもらいそのまま引き受けることになった。

本人としては「もっと裁量があれば話は進められるのにマイクロマネジメントをされた」と考えているかもしれない。

正直このレベル役職であれば我々も「結果さえ出ればやり方は任せる」としたいが、

新規事業とはいえ弊社はキャッシュが潤沢にあるわけではなく、よくわからないけど投資して失敗しました、だとガバナンスを疑われる。

からこそ、周囲を納得させるためのロジックが最低限欲しいのだが、それが出てくることはなかった。

ヤッパ氏は悪い人ではないし、優秀な部下がいれば活躍できた可能性もあるので、単なる採用ミスマッチとも言える。

弊社の他部門でも実務能力が同じくらい低い管理職が率いていながら何とかなっているところもある。

前職にいれば安泰だったのに、弊社に来たがゆえにヤッパ氏のキャリアプライベート悪化したとなれば悲しい話だ。

しかし仮に退職したとしても持ち前のコネとノリでいい会社転職できた気はする。名前エゴサしてみたが見つからなかった。

どんな会社が引き受けることになったかは分からないが、皆さんの会社にヤッパ氏が来たときは暖かく迎えてほしい。




なお、ヤッパ氏の性別をあえて書いていないことに気づいた人はジェンダーバイアスがない良い人だ。

2023-05-18

anond:20230516192434

いくら大人全員で子ども全員を育てる」といっても、「子ども別にどう育ってもいい」なんてことはない。

昔は、親の職業子どもが継ぐのが当たり前だよね。

長男は跡取りで、次男以下は独立を目指し、長女以下は嫁いでいたわけだ。

まり親も周囲の大人も、子どもをどう育てるのかわかりやすかった。

例えば農家なら、長男農業を学び、次男以下は独立するための何かを学び、長女以下は花嫁修業を学ぶ。

親も周囲の大人も、そうなることを期待するし、そうなるように躾をする。

子どもも納得していたから、それで良かった。

「立派な農家になれよ」「家を出るなら手に職を付けないとな」「良いお嫁さんになるんだぞ」

という感じで、誰もが納得していた。

今は、親の職業子どもも就くなんてことはないから、昔のようにやったら批判される。

子ども別にどう育ってもいい」からではなく、「子どもはこうなるべきだ」という共通理解があったからじゃないかな。

2023-04-29

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

2023-04-27

デカルトに学ぶよく生きる方法

私は哲学徒としてかなり落ちこぼれだったが、学んできた中で印象的だった哲学者が何人かいて、そのうちの一人がデカルトである

デカルトの最大の功績は、「世界共通理解を作った」事にあるんだよと私は習った。つまりそれは、cogit ergo sum,我思う前に我ありにあたるわけだが、この「世界共通理解」とは何か?

それは、どのような考え方を持っていたとしても、どのようなバックグラウンドであるとしても、人類皆んなが普遍して持てる考え、であるデカルト場合は、16世紀当時、「神は本当にいるのか? いないのか?」みたいな事を真剣に話している知識人たちの中で、こうした考えを打ち立てた(どんな考えであろうとも、共通して持てる考えとして)。

これは現代でも、特に人とコミュニケーションをとる時に私がおりに触れて思い返す概念だ。

人とコミュニケーションをとる時に、「相手との共通理解は何処まで出来ているのか」と考えてみる。そうし始めてから、格段に仕事がやりやすくなった。

こうする事で、行き違いが格段に減る。こっちはこうだと思ってたのに、とか、あっちは違うことを想定していた、とかがグッと減る。この共通理解を埋める、双方で同じ土台を作るためには、相応のコミュニケーション的手間が生じる。そういう手間を惜しまないようにする事が、自分にとっては大事な事だった。

現実世界を生きていると、この「共通理解」の概念がすっぽり抜けている人に沢山会う(というかほぼ全員)。つまり自分にとっての常識が他の人にとってもそうだ、というのを全く疑ってかからない人たちだ。ネットにも沢山いる。

そりゃあ、そんな人たちで話し合ったりしたら、トラブルも起きます精神疲弊しますよね、と思う。

確証バイアスという言葉があり、それは、人は自分の見たい情報だけ見てしまって、自分にとって都合が悪かったり、或いは興味を持っていなかった情報に関しては、見たい情報そばにあって、見ているのにも関わらず、そもそも「見ていない」と認知の歪みが発生してしまう、という概念だ。

共通理解を怠らない、という事は根本的であり、ある意味他者理解するとは何か、という壮大なテーマに関しても、重要示唆を与えてくれる。

2023-03-29

anond:20230329144942

「1から教える」だと普通全部教えてくれることを期待するし話者もそういうつもりでこの言い回しをするべきというコミュニケーション上の共通理解がある気がするけどなあ

なので「1から話す」も然り

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