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「ボンタン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ボンタンとは

2024-07-28

anond:20240728093741

当時みんなと同じようにボンタンを履かず校内喫煙せず暴力を振るわなかったことで暴力を振るわれる側となり俺の人生は終わった

2024-01-25

anond:20240125094859

奇麗な新今宮の改札を出ると

くっさいボンタンズボンのひげおじが駅構内に座り込んでいて、

近くのホテル異臭が染みついてるんですがそれは

2023-10-20

anond:20231020154638

コンテンツ自体は残ってるんだけど「当時はそれが主流だった」ってのが、今の人たちには信じられないみたいで 「スクールカースト上位は勉強運動もできるリア充あくまで一部の落ちこぼれヤンキーになり、普通の子そいつらを冷笑的に見てた」みたいな史観で上書きされてるんだよ。今で言うとこのトーキッズ的なマイノリティだと思われてる。

リア充グループヤンキーグループ普通の子も基本はちょいヤンキー趣味で、ヤンキー文化に馴染めない子は陰キャマイノリティだった」って言っても信じてもらえない。

追記

一部の治安のいい地域を除いて公立中学ってだいたいそういう風潮だった(実際、校内暴力社会問題になってたわけだから嘘ではない)から、それを嫌って中学受験する人が増えて1980年代半ばから私学の新設ブームが来て中受が一般的になったんだよ。

文教地区で育った子や私学に行った子は、そりゃ身の回りヤンキーなんていなかったんだろうし、50代なかば以上でネットで発信してる人ってだいたいはそっち側の高偏差値層だから田舎ヤンキーまみれの社会で育ったその世代の人がそもそもいないというのはありそう。

今なんかより情報は行き渡ってなくて、自分の暮らす地域ではないよその地域一般人がどういう暮らしをしているかなんて誰も知らなかった時代だし。

追記

ボンタン、短ランとかはヤンキーグループじゃない普通よりの子も着てたし、女子も一部の真面目な子以外はスカート長くしてた(生活指導検査がある日はウエストを折り曲げてごまかす。ちょっと前のギャルと逆)。

ゴリゴリヤンキーでない普通の子トレンドヤンキー風味だったってとこが伝わってないんだよね

2023-07-29

anond:20230729134128

その頃の文化雑誌だったろ

誰かが買ってきた雑誌クラスのみんなで食い入るように見て都会は今こんなんなんだと色々話してたもんだ

その昔はいろんなジャンル雑誌があった

俺たちがよく見てたのはヤンキー系の雑誌

都会のボンタン流行りはこれとか世の中はもうタンランが主流ですよとか色々学んだ

2023-06-27

これからマスクマスク狩りとかやるの?

ボンタン狩りみたいに

2023-03-17

マスクマスクの何が憎いの?

ボンタン狩りみたいな感じ?

2023-01-04

食べ物に対する姿勢

ミルクボーイネタが嫌いなんだけど

理由が「最初になんのテーマか分かった段階ですべてのあるあるが分かるからというのと食べ物disを許さないから」なんだけど

この倫理観どこから来たのかな?って思った

しかしたらボーボボアニメかもしれない

例えばハレクラニ四天王戦で漫画ではボンタンを投げて攻撃するはずが漫画ではスポンジに差し替えられていたり、食べ物に関する粗末なネタ差し替えられていた。

逆に、ハレクラニ戦のデスマネーすごろくにて武藤遊戯が登場するシーンが焼肉に変更になるなど、食をかなり大切にしていた。

お笑い感覚ボーボボスーパーマリオくんで培われたので、もしかしたら食に関してもそうなのかもしれない。

2022-10-19

3大、比喩によく使うけど実物あまり見ないもの

オブラート

よく言葉を包んでるけど、今時、苦い粉薬とかオブラートに包んでる人ほとんどいないと思う。オブラートに包んだボンタン飴とか、今でも売ってるの?

走馬灯

死ぬ間際に思い出を写して脳内に駆け巡るらしいが、現実にはごく一部の“お盆の提灯”くらいしか用途がない。

あと一つは?

2021-12-14

anond:20211213182433

なんでそもそもツーブロックなの?

昭和の不良


平成の不良


自分認識はこんな感じなんだけれどツーブロック禁止は誰が何のために作った規則なの?

コボちゃん天皇陛下規制たかったの?

2021-04-09

anond:20210409115332

は?

痴漢小学生から老人まで様々タイプがいるが?

気弱な様子の陰キャサラリーマンらしいのもいれば高そうなスーツ着た青年中年老人。競馬場かにいそうな老人。大学生?みたいなチャラチャラした格好の奴、草臥れたスーツ中年、半ズボンキャップ小学生ボンタン作業ズボン職人ふう、ナンパ空振りしてる美容師ふうとか痩せてる方のキモオタみたいのだの、背格好職業年齢の偏りはない。極端に容姿が劣る人物はいなかったように思う。勿論見ることができた、記憶にある限りではあるが。自分一人の体験でもこれだけ特徴に偏りがない。

また、お手軽に繰り返してるのは都会と近隣在住の電車通勤の奴だろう。

見た目で区別なんかつくわけねえし、強者男性なんて括りもできやしねえよ 

性犯罪子供もするし地位財産のある奴もボケた老人だってやるんだよ

2021-03-22

スクールカースト後遺症と、エヴァンゲリオン

エヴァを初めて見たのは中学校2年生のころだった。

端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。

穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。

新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生同級生はみんな、自分の居場所リセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。

一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。

それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係階層構造が強まった。

勉強のできる学校地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった

当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。

ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。

プライドが高かったのだと思う。

階層トップの不良グループクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。

イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。

お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。

昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループ所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。

そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。

カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。

こんな感じで、安心できる場所学校には一切なかった毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。

その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器おしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。

学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。

小学校からやっていた陸上部を、中学校に入っても続けていた。

年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。

うちの中学校では、この県大会大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。

僕はどの競技選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。

小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。

知らないメンバーのために、部活からサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。

陸上のもの楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所自分から閉じてしまった。

部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCインターネットを利用した。

Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。

オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。

ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。

それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに場所を求めた。

ここまでがだいたい中学1年生。

2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。

小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。

修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。

僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子から男子からも人気のあったイケてるグループメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。

事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。

そして、ちゃん好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。

好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。

ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。

この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。

小学6年生の遠足の時、移動までのバスカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。

歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。

小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。

中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。

そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有自意識過剰から、まともに話すことができなかった。

そしてそのまま、拒否された。

一方的彼女好意を伝え、呼び出した複数人男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。

個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。

自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループ嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと自分のことが嫌になった。

体育の授業で複数人グループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。

ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族ゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。

結果、見事にハマった。

戦闘シーンやメカニクス描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳シンジや他のキャラ内面描写に、自分を重ね合わせて見ていた。

中でも人類補完計画セカンドインパクトは、思春期想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。

意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループ階層といった構造になると、途端に他人攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしま意識があることを知った。

何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。

他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。

人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。

でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァ世界から抜け出さないようにした。

繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジ人間ひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカ気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?

これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。

その後、県内では進学校だった高校入学し、校内の暴力的上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。

大学第一志望には落ちたけれど、都内学校に進学でき、希望していた地元から脱出は叶った。

だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。

人がいる男子トイレでのおしっこも、出ないままだった。

大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。

また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。

いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。

それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。

この時に身に付けた自信から就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。

今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。

誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。

できることが増えて、自分人生俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。

日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。

そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。

なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失ちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァ対峙することで、確認たかったのだと思う。

今日映画館に見に行くことができた。

僕はとても救われた気持ちになった。

今回の物語では、シンジミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。

第3村のトウジとヒカリレイ田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。

劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。

本当に良かった。ああ、これでいいんだね。

ありがとうさようならエヴァンゲリオン。

2021-02-16

ここ最近ずっとボンタンみたいなゆるいズボン履いてたんだけど、気持ち切り替えたくてスキニー履いたら気持ちが明るくなった

2021-01-22

無限ボンタン漬け増田やが(困惑)、

ワイとしては『オーガス』の第一コメンテーターキバってたんで、ソッチが人気エントリに上がってほしいんやが。。。

無限ボンタン漬け!

ヤバい緑茶と交互に口にすると

無限ボンタン漬け喰えるでごわす!

2020-07-18

ツーブロック禁止についていろいろ言う人

バカ世界ではツーブロック狩りというものがあるんだよ。

昔でいうボンタン狩りみたいなもの場所によってはフルボッコにされちゃうんよ。

バカと関わらないようにツーブロック禁止というルールを作ったんでしょ?

自由だとか人権だとか言うならまず高校生のかっこしてツーブロックにして歩いてみてフルボッコにされてみろよ。

追記

ねんのため…ツーブロック刈り ではなくて ツーブロック狩り ね。

ヤンキーツーブロック髪型中高生を見つけたら殴りかかって襲うやつね。

2020-02-09

バイト日記(書きもらし)

年末年始のいつだったか、時々来るお客様が、なんだかものっすごいニヤニヤしながら入店してきて、ニヤニヤしつつ、こちらをチラチラと窺いつつ、不思議ムーブお菓子売り場を行ったり来たりしていたので、つい気になってじっと見てしまったら、がっつりと目が合った。

そのお客様は、お会計の時に、

「いやはは、このお菓子がどこにあるのか、なかなか見つからなくてねー。ところでこれ、僕のおごりです、どうぞ」

といって、私にちょっと高いジュースをくれた。

オーナーは、

「あの客、入ってきた時からなんかおかしかったよなー」

と言っていた。

そんなことがあったのだが、今日そのお客様が久しぶりに来店。今日不思議ムーブで行ったり来たりはしていなかったが、やっぱり謎にニヤニヤし続けていたので、目を合わせないようにしたが、お釣りを渡した時にいつもの癖で顔を上げたら、目が合った。お客様はやっぱり、謎にニヤニヤしていた。


ところで、今日は全ての注文を「お願いします!」の一言で済ませるお客様は、来なかった。前回のシフトの日も来なかった。地味に気になる。

でもまあ、常連客が来なくなるのって三日くらいは気になるけど、すぐに忘れるんだよなぁ、と思って、ふと思い出した。

去年の秋ごろ、頭から肩までは防寒対策万全なのにズボンボンタンを踝の上くらいでカットしたようなものを履いていてしかも裸足に雪駄履き、という謎のイケメンお客様毎日来店していたけど、暮れぐらいから全く見掛けない。

そして、今日はその人とは違う人で、やはりボンタンを踝のところでカットしたようなズボンを履き、裸足にビーチサンダルを履いた若いお客様が来店していた。髪の毛が鬼滅の刃カラー最近流行ってるなぁ。

それにしても、あのボンタンを踝のところでカットしたようなズボンって、仕事の時に引っ掛けて破かないようにとか、そういう実用かられて自分ズボン丈をアレンジしたものなのかな、と思ったのだが、もしかして既製服なのだろうか?職人さんの最新ユニフォームなのだろうか。謎。

2020-01-04

ブラック校則VS弁護士1990年前後の戦い

1.まえがき

ここ数年、ブラック校則話題になっているが毎日新聞の記事に『中学校でどのような校則があったか』の年代グラフがある。

こちらのグラフでは特に帰宅途中の買い食い』『スカートの長さ』などの校則について、今(正確には2018年)の20台~30台で一度は緩和されたことが見て取れる。

まり毎日新聞記事にあるような『昔より今が厳しく』という一直線の構図ではなく、昭和から平成へと移った1990年頃に“管理教育”への批判とそれに後押しされた校則を巡る人権救済案件裁判があり、

その影響で1990年代後半~2010年頃には校則の緩和が行われていて、その揺り戻しが最近になって再び出てきているというのが正しい実態なのではないか

そして、ちょうどその頃の『1990年ブラック校則』をめぐる案件に関わった話をたまたま本で読んだので書いてみよう。

ちなみにその本とは、伊藤芳朗(弁護士)著・『ボクが弁護士になった理由』という本だ。

2.S女子高校管理教育事件

著者は「この事件前後して綾瀬女子高生コンクリート詰め殺害事件があった」と書いているから時期はだいたい想像できる。内容については少し長くなるが以下に引用する。

この事件は、当時問題になっていた管理教育の最たるものでした。まず、登下校時には、100メートル置きに教師が立って服装髪型、歩き方などをチェックする。もちろん決められたルート以外の道を通るのは許されない。

山手線の駅に近いため、駅には教師変装してスパイ活動をしている。髪型は三種類に決められており、おかっぱ頭可、中くらいか、長いかだけ。中くらいの時は黒のゴムで2つに縛らなければならず、長い髪は三つ編みにしなければならない。

もちろんワンレンとかポニーテールは不可。パーマや毛染め、脱色はもってのほか(即退学)。しかも、三種類の髪型を変える時は教師許可必要

また、下着の色が決められていて、肌色か白でないとダメピンクは不可。そのため、全校一斉の抜き打ち検査が度々あり、全校生徒が体育館に集められ、男性教師が並ぶなか、一人ひとり服をめくられてチェックされる。

もし決まった色の下着を着ていなかったり、夏の暑い時にスリップを着用していなかったりすると、壇上に上げられて教師たちから「この子たちは娼婦です」と罵倒され、笑いものにされる。(中略)

体罰は横行し、女生徒も平気で教師から下腹を膝蹴りされる。顔を殴るのは当たり前。言葉による暴力も凄まじい。(上掲書。p.224-226)

平成の初めの時期ですらこのような管理教育があったという。このケースでは、中退した元生徒を申立人として弁護士会に人権救済を申し立て、最終的には校則制服の全面改訂で妥結したそうである

3.S高校パーマ自主退学強要事件バイク退学処分事件

前者のパーマ事件があり、報道されたことを受けて別の生徒が『自分もこのような理不尽な退学処分を受けた』と訴えてきたのが後者であり、著者が主に関わったのは後者であったらしい。

男子生徒はS高校在学中にバイクに興味を持ち、免許を取得してときどきバイクに乗っていました。その後、先輩が事故したこときっかけに男子生徒はバイクに乗るのを止め、自主的にバイク免許証を担任に預けていたのですが、元来メカいじりが好きな男子生徒は他人バイクの修理などを自宅で行っていました。そのような経緯から男子生徒は今でもバイクに乗っているのではないかという疑惑が持たれ、免許証を預けていたなどの態度も一切考慮されず、弁解をする機会も与えられないまま退学願いを出すよう強要され、これを断ると退学処分を行ってきたというものです。(上掲書。p.241-242)

最近は見直されつつあるというバイク関係、いわゆる「3ない運動」を厳しく実施することに関する事件だったのだろう。そして

最初学校側と復学交渉しましたが、あまり学校側の弁護士(元検察官)の態度が悪いので(元生徒)本人が怒りだし、ボクたちも頭に来たので、たぶん全国でも初めてだったと思いますが、裁判所に申し立てて、学校に残っていた職員会議録や元生徒の生徒指導要録を証拠保全裁判が始まる前に相手方が持っている重要証拠を押さえてしまうこと。医療過誤訴訟カルテの書き換えを防止するため行うことが多い)したのです。(中略)これも全国初だと思いますが、校則を正面から争った裁判で、生徒側が勝訴したのです。

という結果となった。

4.ボンタン事件

ボンタンというのは幅広ズボンのことだが、制服を改造したりするのが流行っていた時期だったのかその辺の影響はわからない。

とにもかくにも、男子生徒が校則違反ボンタンを履いて登校したところ学校からブロックアウトされ授業を受けられないという事例が埼玉県千葉県で同時期にあったという。

学校側の理屈は、「授業を受けさせないと言った覚えはない。校門のところで『履き替えてきなさい』と指導したら家に帰ってしまっただけだ」というもので、まったくお話になりませんでした。

しかも、論争していると、驚いたことに両校とも言うことは全く同じで、「それじゃあ弁護士さんたちは女生徒トップレスで登校してもよいと仰るんですか?」もうこれには言葉もありませんでした。ホントはこいつら女生徒トップレスが見たいんじゃないか、と思わせるほど同じ言い方だったのには呆れるばかりでした。(上掲書。p.244-246)



5.ところで

増田がこんなことを書いた理由は2つある。

1つは、『ブラック校則場合によっては弁護士会の介入や裁判を招く』ことを多くの人に伝えたいと考えたから。

もう1つは、これらの事件に関して同書に興味深い記述があるから。その興味深い記述とは以下のようなものだ。

(2の事件学校で)

ある体罰教師は言いました。「ボクも、本当にこんなに暴力を振るっててよいのかと自問したことは何度もあります。でも、周囲が同じようにやっていて、自分も今まで体罰を繰り返していたのに、急に体罰をやめると、自分としてもやるべきことをサボっているという錯覚に陥り、やめることができなかったのです」(中略)

さらに、校長先生お話もっとも印象的でした。「私は、実は何度も管理教育を見直そうと悩んだんです。でも、もしウチが突然管理教育を止めたら、生徒は一時的にも荒れるでしょう。そうすると必ず親の方から、『なぜもっと厳しく躾けてくれない』とか、『学校が甘いからウチの子がだらしなくなった』とか、必ず学校が責められるんです。でも、今回は弁護士会という外圧がかかった。だから、親からクレームがついても、『弁護士から圧力がかかったから、仕方がないか校則を緩めたんです。文句があるなら弁護士会に言ってくれ』って言えるでしょう。助かりました」

結局、管理教育をやる側の教師たちも、何も悩んでいない訳ではないのです。むしろ、内実を知らず、やみくもに厳しくすることだけを望む親との間で苦しんでいる姿がそこにはあるのです。

(4の事件学校で)

埼玉の方の学校は、帰りがけに教頭先生がポツリと、「実は私つい最近までアメリカ研究留学していましてね、本当はこんな服装のチェックばかりやらされて『アホらしい』と思っているんですよ」と仰るのです。

結局のところ、『無意味から止めろ』というのは簡単だ。だが、実際には『管理を強化』が必ずしも安全の向上には繋がっていないとしても、『安全のため』を錦の御旗にされるとなかなか反対できない。

あるいは本当に止めようとなると始めた人の責任問題になったり、互いの空気の読み合いになったりする。だからなかなか止められない。学校に限らず、企業役所非営利団体でもありがちな話だ。

そのような構造を見ると増田は別のことも思うのだ。

管理の強化は、結婚のようなものである。始めるのは簡単だが、終わらせようとすると苦労する』

(2022年3月追記)同内容のtogetter増田(2ndGiteki)が作成したものです。

2018-09-18

今日嘘松

2018-09-01

底辺高校動物園って言葉があるじゃない?

じゃあ、それ以下の学校はどんな言葉があるのかなって。

平成時代に短ランボンタンリーゼントの奴が通う学校に行けなかった奴が通う学校

分かり易く言うとぬまっきレベル

思いついたのは掛川花鳥園

理由休み時間になると一箇所で立ったまま動かない後輩が居たから。

ヒゲを剃らず髪も整えないかだんだん無人島遭難したみたいな顔になってた。

2018-07-04

改造学生服ってなんだったんだろう

その昔、改造学生服ってあったよな

短ランとかボンタンとか

校則禁止されているもの

なんとかかいくぐって着用しようとしてた

校門検査や朝のHRでの服装検査を抜ければ

校内で着替えたりとか

改造学生服を着用しているのがオシャレもしくはカッコいいとかいう風潮だった

ルールを破る俺カコいいだったのかな

まあ俺もそうだったんだけど

ある日、ハタと気がついた

「これ意味なくね?」ってね

他人からの目を気にしなければ自由だって思った

それからアホらしくなって普通ストレートズボンしかはかなくなった

学校の中でしか通用しないルール流行って今もあるけど

そういうのを経験するのって良いことだよね

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