性愛というのは、「匿名的」なものと「記名的」なものがあると思う。 記名的な性愛というのは、私が誰であり、あなたが誰であるということがお互い了解済みの性愛―――普通の恋愛の末の性愛であり、 匿名的な性愛というのはその逆――つまりは金銭で贖うような性愛といえると思う。 もちろんどちらが上位であるか、とか、どちらが有意義であるということは、ここであえて糾すつもりはない――お互い名も知らない方が気楽に性欲を満たせるという場合もあるだろう。 しかし、「恋」は、それがコミュニケーションの希求である限り、人が本当の意味で「人を恋うる」というのは、記名的なものでしかありえない。 「セックス」はどこの誰でどういう人で、というのがなくても成立するが、「恋」はそれなしには、成立しないのだ。 大概において、女性はそのことを本能的に体得しているが、しかし男性の場合はそうでないのか、いまいちぴんと来ないという人が結構