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歴史と日本に関するkir_royalのブックマーク (15)

  • 日中戦争から明治体制についての、司史生氏と整備兵氏の深夜の語らい

    司史生@「1868 戊辰戦争」第2版発売中 @tsukasafumio 日中戦争で引けなくなった理由のひとつに、急膨張した陸軍の動員解除の問題があったように思います。成果なしでは獲得した予算がまた削られるし、戦場で血と硝煙の臭いを嗅ぎ勲章の旨味を知った佐官・将官たちをリストラしなくてはならない。 2014-09-21 19:06:49 司史生@「1868 戊辰戦争」第2版発売中 @tsukasafumio 陸軍では戦時動員に備えて中上級の士官を連隊部や師団司令部にプールしてたわけですが、大半はさしたる仕事も無ければ昇進の見込みも無く、退役までお先真っ暗の窓際族でした。それが日中戦争で大隊長や連隊長となり、さらには将官となれた(蒋官と揶揄された)。 2014-09-21 19:13:57

    日中戦争から明治体制についての、司史生氏と整備兵氏の深夜の語らい
  • 「郷土連隊存置運動」

    「郷土連隊存置運動」 小菅信子 N. M. Kosuge (@nobuko_kosuge) さんの「郷土連隊存置運動」についての、連続ツイート。 @rt_luckdragon 作成。

    「郷土連隊存置運動」
    kir_royal
    kir_royal 2011/04/24
    ソレは必要な事だけど、でも自分達がババを引くのは嫌という、現代日本にも通じるアレ。
  • 古代日本人の造形センスsugeeee!!!な画像を貼っていくスレ:ハムスター速報

    古代日人の造形センスsugeeee!!!な画像を貼っていくスレ カテゴリ☆☆☆☆ 1 :名前:1:2011/02/18(金) 22:48:12.08 ID:jYmOP+GP0 とりあえず縄文時代から古墳時代メインで色々と。 なお、弥生~古墳時代の場合、銅鏡や須恵器といった 外来の影響の要素が強い工芸品は、なるべく除く方向で。 あくまでも、日土着のパワーを感じさせるモノを重視。 ただし、基的に自分の独断と偏見によるので もしも「おい、あの有名どころは無ぇのか!」と いった場合は、どんどん貼り付けてやってちょ。 まずは鉄板の縄文土器から 火焔土器(縄文中期):新潟県 十日町市 篠山遺跡出土 9 :名前:1:2011/02/18(金) 23:00:09.56 ID:jYmOP+GP0 深鉢(縄文中期):長野県 富士見町 曽利遺跡出土 火焔土器に対する「水煙土器」とで

    kir_royal
    kir_royal 2011/02/21
    縄文のデザインって、なんとも魅かれるわな
  • 社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 もうひとつの女工の歴史

    社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 Kousyouさんとお約束したのでなぜ女工哀史的史観が一面なのかということをお話ししたいと思います。たしかに、残酷物語がなかったわけじゃありませんよ。実際、非常にキツイ話があったのも歴史的事実だと思います。でも、それはやはり、歴史の一面なんです。 まず、学術論文ではないので、イメージの話をしたいと思います。なぜ、こういう残酷物語、とりわけ左翼史観が優勢になったかと言えば、昔はこういう話が好まれたということと、何より左翼の人は筆が立った。細井もそうですけど、プロレタリア文学というのは、近代日文学史を語る上でも外せません。中野重治や林房雄なんかもみんなそうですね。全体的に右の人が書くのは勇ましいというか難しい。もちろん、左翼もそういう層の方が

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ささやかなお正月飾り お正月飾りに葉牡丹の寄せ植え。関西は色々な葉牡丹が揃っていて選ぶのも楽しい キンセンカ ブロンズビューティー この後、門扉のそばに飾りました。華やかになりましたね そしてしめ縄作り。 松、水引き、しめ縄に庭の南天を加えました あわじ結びから、固く結ばれた…

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  • 『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』 - ぼんやり上手

    『殴りあう貴族たち 平安朝裏源氏物語』を読みました。*1 雅やかなイメージの平安貴族。その実態がいかに暴力にまみれていたかを、賢人右府と呼ばれた藤原実資さんという人の日記に基づいて検証しています。 テーマがテーマだけに、目次には「従者を殴り殺す」「強姦に手を貸す」「天皇、宮中にて女房に殴られる」、「法皇の皇女、路上に死骸を晒す」等々、暴力的で陰惨すぎる見出しが…。 凶悪度で目立っているのが、権勢を誇った藤原道長の一門の人々。 気に入らない役人を拉致ってよってたかってボコボコにしたりとか、牛車に雨あられのように投石したりとか、そんなのばっかり。苦労知らずのおぼっちゃんの代になると、わがままが抑えられなくて子どもっぽいから凶悪度は二割増し! 宮中生まれ宮中育ち、悪そうなヤツはだいたい友達…(だから強姦にも手を貸す!)。 貴族だけでなくて、それに仕える従者の暴れん坊ぶりというのもひどくて、これを

    『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』 - ぼんやり上手
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    バンドを脱退した理由は「唐揚げ定」だった 最近、Twitterでmixiのことがやたらと取り上げられていた。今更mixi復活するの?といった感じである。mixiは今から20年くらい前にやたらと流行っていたSNSである。俺も一時、アカウントは持っていた。その話は後述する。 俺はSNSはFacebookとInstagramをやっている。In…

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  • 新左翼とは何だったのか - 池田信夫 blog

    著者は、いわゆるブント日向派(荒派)の元委員長であり、新左翼に(去年やっと)見切りをつけて、今は「環境運動」をやっているそうだ。日向派の教祖は廣松渉だったので、東大駒場にはたくさんいた。理屈とビラまきはうまいが、武装闘争はからきしだめで、そのうち革マルに追い散らされた。 そういう当事者が語るのだから、新左翼のおかした誤りについてちゃんと総括するのかと思えば、まるで他人事のように60年ブント以降の歴史を解説するだけ。あげくの果てには「共産主義各国の崩壊は、ハイエク流にいえば設計主義の破産であり、自生的秩序に反したからだ」。30年も党派を率いてきた委員長が、こんな(半世紀以上前からわかりきっていた)総括をするのでは、彼の言葉を信じて人生を棒に振った数百人の党員が泣くだろう。 あとの解説は、著者と同世代の人々には無価値だが、今の若い世代には「サヨクのおじいさんたちって、こんなバカなこと大真面

  • 日中戦争下の日本 - 池田信夫 blog

    9/14の記事のコメントで教えてもらって読んだが、たしかに著者はあとがきで、書の執筆中に「『丸山眞男』をひっぱたきたい」を読んで、「昭和戦中期の日とは、今の日のことではないか」という錯覚に陥ったと書いている。 軍部が独走し、言論を弾圧して国民を戦争に動員した、という常識的な理解は間違いである。当時の兵士の書いた手紙や新聞などの一次史料を読めば、兵士は赤木氏のように閉塞感の中で戦場に自己の実現を求めて行ったのだ。新聞も、検閲によってやむなく戦争を賛美する記事を書いたのではなく、争って戦地に従軍記者を送り、戦意高揚につとめた。 戦争は固定化した秩序を破壊する一種の祝祭であり、原初的な社会には対外的な戦争や対内的な「王殺し」のようなメカニズムが埋め込まれていた。それが「自然国家」になると、権力は世襲されるようになり、秩序は固定され、支配階級は腐敗する。それを破壊するという点で、戦争には

  • シベリア抑留者について(2) : 抑留者の性 - rna fragments

    軽い(?)ネタから。一部の抑留者はそのへんの非モテ諸君よりはずっと恵まれていたかもしれない。もちろん、性的な意味で。 まずこの絵を見てくれ。こいつをどう思う? 逢うは別れるの常とか、つらい別れになった戦友もいたようだ。ドスビターニア(さようなら)泣いてくれるなナターシャ、今頃何をしているだろう可愛そうに。 泣いてくれるなナターシャ (旧ソ連抑留画集 〜 元陸軍飛行兵 木内信夫) シベリア抑留者が強いられた強制労働というと森林の伐採や材木の運搬のようなイメージがあり*1、実際そのような重労働で命を落とした(殺された、とも言えるだろう)抑留者も多数いたのだが、建築現場や工場や発電所での労働など、比較的軽い仕事もあった。そのような仕事では現地の女性労働者と一緒に仕事することもあったようだ。 比較的軽いと言ってもかなり激しい肉体労働であり、当時の日人の女性観からすると考えられないことだった。彼女

    シベリア抑留者について(2) : 抑留者の性 - rna fragments
  • 「沖縄は日本ではない」という差別について - Backlash to 1984

    戦前の沖縄で、土地の言葉を使うと責められた、という話をよく聞く。沖縄の人々は「日人である、日国民である」という意識が低い…という中央政府の認識の下での、皇民化教育の強化があったと聞く。しかしそのことを問うなら、偏見や差別意識が強かったことのほうが、主因ではないか、そのようにも思えてならない。逆にいうと、当時の土の人士にとって「沖縄」がどう見えていたのか、ということにもなろうかと思う。ウチナンチュでありつつヤマトンチュとともに日人であるという意識が、そんなに低かったのだろうか。ならばなぜ、沖縄県民はあれほど米軍に奮戦し、戦後の沖縄は日に復帰しようとしたのか。 沖縄の人間は日人としての認識が弱い…と土の人間が思うとする。しかしそのようにその人が思うとき、その人にとっての「日」とは何か。あらかじめ引かれた線に沿って「日」を囲い込み、少しでも異質と思われたならば「日ではない」と

    「沖縄は日本ではない」という差別について - Backlash to 1984
  • 赤の女王とお茶を - 障害者と優生学/20世紀のアメリカと21世紀の日本

    「"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか?」 「知的障害者とは共存できない、隔離せよ」 知的障害者が合法的に犯罪が許されるか否かより、まず考えておくべきこと。 言うべきことはいろいろと言われていると思いますので、少しだけ歴史のおさらいをば。 産業構造の変化 それに伴う格差の拡大 労働条件の悪化と低賃金化 移民の流入 20世紀初頭、アメリカの姿です。 そして1907年、権力が障害者を「去勢」する、世界初の「断種法」がインディアナで制定。 次々に他州も追従、最終的に37の州が「断種法」を取り入れ、10万人以上の人たちが「断種」されました。 優生思想自体はイギリスにおいて、かのダーウィンの従兄弟、ゴルトンによって生み出されました。しかし、その頃は飽くまで思想に過ぎなかった。 よくも悪くも思想を具現化する国は、やはりアメリカだったのです。 ちなみに現在でも生命科学のメッカとして知られ、D

    赤の女王とお茶を - 障害者と優生学/20世紀のアメリカと21世紀の日本
  • 日本の仏教史はざっと見ているかぎり全滅かと思う - finalventの日記

    のは、教義史と区別ができてないからだ。 仏教史と限らないとも言えないこともないが。 で。 例えば、実際の寺院と見て回るとやたらと薬師如来とか観音菩薩が多い。なぜか。地蔵とかも多いなぜか。こういうべたな質問に仏教史が答えない。で、民俗学が答えようとするのだがメタになってとんちんかん。 薬師如来については単純に病気平癒祈願というのはわかりやすい。 では、観音菩薩はというと、これは呪法返し(つうかバリヤー))ではないかと私は思う。私が知らないだけかもしれないがあまりよい研究がない。ま、江戸以降というか近代では壷坂霊験記のようになるのだが。 観音菩薩と観音経を一緒くたにしてはいけないが、後者の経典、実際には法華経の一部で、しかもその詩文の部分だが、これは古代においては呪法返しがかなりの用途っぽい。ということは、それに対応する呪法が存在したのであり、仏教というのは、この側面では呪法のエキスパート養成

    日本の仏教史はざっと見ているかぎり全滅かと思う - finalventの日記
  • YouTube - 神風特攻隊 WWⅡ 前編 1 of 5

    The young pilots were completed sucide for their country, Respected ! but their training officers, their upper rank officer became a servants for US Army, they even provided and arrange wine and women to US army. Most of them survied and even some of them still live at age of 90s. They pushed people to sucide and they did not do it by themselves. Japan famous film director had made a film to descr

  • 旧軍が抱えた根本的矛盾 - Apeman’s diary

    館で書いたこのエントリとの関連で。 旧日軍の最大の弱みは突き詰めれば経済力、技術力の不足だった。海軍の艦艇が「小さな船体に重武装を載せた、トップヘビー」なものだったことはよく指摘されるが(「第四艦隊事件」などがその現われ)、江口圭一は当時の日という国家自体がトップペビーだったのだ、と指摘している。当時の日経済は農業と軽工業に支えられていたわけで、軍の近代化には工業化の推進が不可欠だった。 ところが、軍は農村こそが優良な兵士の供給源だと認識していた。都市化や高等教育の普及といった(工業化の前提になるはずの)要因が、軍紀面では不安定要因であると認識していたわけである。 軍隊に入って戦争に行って殺したり殺されたりする…というのはたいていの人間にとって「やりたくないこと」である。やりたくないことを人にやらせる方法にはいくつかあって、1)高い報酬を約束する、2)やりたくなくてもやらなきゃなら

    旧軍が抱えた根本的矛盾 - Apeman’s diary
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