釈迦に対して仏法を説くように、あることを知り尽くしている人に、それを教えることのおろかさ、不必要さをたとえていう。釈迦に経。〔俚言集覧(1797頃)〕[初出の実例]「兄貴(あにき)に向って、そんな事は、釈迦(シャカ)に説法(セッポフ)、無駄なことだ」(出典:歌舞伎・三題噺魚屋茶碗(とと屋茶碗)(1882)三幕) 未熟な者がその道の専門家に向かって一人前の口をきくたとえ。教える立場が逆であるというたとえ。 [使用例] 「あなたは、心理試験というものの弱点について考えられたことがありますかしら。〈略〉こんな事を御話するのは釈迦に説法かも知れませんね。でも、これは確かに大切な点だと思いますが、どうでしょう」「それは悪い場合を考えれば、そうでしょうがね。無論僕もそれは知ってますよ」判事は少しいやな顔をして答えた[江戸川乱歩*心理試験|1925] [使用例] さすがに恭介が苦い顔をしたので、大屋裕も