新日本製鉄の頃の歩みを振り返る 鉄鋼業の現状を見てきました。では、これまで新日鉄住金は、何をしてきたのか。統合前の新日本製鉄時代を中心に、その歩みを振り返りましょう。 新日鉄がドラスチックに動いたのが、1985年のプラザ合意後です。円高が進んだのを機に、合理化に踏み切りました。鉄鋼メーカーにとって象徴的な最重要設備である高炉を、休止。30基以上あったものを十数基(旧住金と併せて)まで減らしました。 とはいえ、ただ高炉を止めるだけでは、ステークホルダーの理解は得られません。工場所在地の地域経済や雇用、従業員の士気などにも問題は広がります。当時の売上高は2兆円ほどでしたが、鉄鋼以外の新規事業で売り上げを膨らませようと「複合経営」を目指しました。売上高を倍増する「4兆円ビジョン」を掲げ、できることは色々と手をつけました。 半導体、パソコン…、キャビア、カイロ、下着 一番規模の大きかった新規事業が