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Hegelに関するfunaki_naotoのブックマーク (94)

  • ヘーゲル・テキストデータベース(日本語サイト)

    ヘーゲル・テキストデータベース 「日ヘーゲル学会 ヘーゲル・データベース」最新版 !! Windows版最新データについて 1.過去の利用条件(現在は無効) まず、1992年にデータベースが千葉大学で作成された時点での「倫理規定」を掲げます。しかし、この規定は現代の ような発達したコンピュータネットワークを前提にしていません。このままではテキスト情報の精度も維持 できませんし、ユーザ管理もできません。したがって、この規定を無効といたします。この規定は歴史的文 書であると考えてください。 千葉大学ヘーゲル・データベース 倫理規定 論文執筆などに使った場合「千葉大学ヘーゲル・データベースを使った」旨のAcknowledgement を付け、当 該論文のコピー(大部のものは表紙とAcknowledgement部分のコピー)を下記宛に送付してください。 〒260 千葉市中央区弥生町1-33 千

  • 川瀬和也『全体論と一元論-ヘーゲル哲学体系の核心』 - yamachanのメモ

    「全体論と一元論」というテーマはもちろん、「ヘーゲル哲学体系の核心」という副題にも関心を持つ読者は少なくないだろう。決して分厚いわけではないこの研究書で、どのようにして「ヘーゲル哲学体系の核心」へ迫るのか。著者の川瀬和也さんは、ヘーゲル『大論理学』の「概念論」を中心として、「時にはヘーゲルの文章に大胆な解釈を加えながら、彼の思想の再構成」(9)を試み、ヘーゲル哲学の全体論的な性格と一元論的な存在論への志向性を見事に描き出している。 ヘーゲルの体系が全体論的であるとはどのような意味か。川瀬さんは、「ポスト・カント的解釈」と「形而上学的解釈」の両方を克服しうる解釈を次のように見出している。 ヘーゲルの論理学を認識論としてのみ理解するポスト・カント的解釈と、形而上学としてのみ理解する形而上学的解釈はいずれもヘーゲル解釈として不十分であり、むしろヘーゲルの思想の中には、この対立を克服する洞察が見出

    川瀬和也『全体論と一元論-ヘーゲル哲学体系の核心』 - yamachanのメモ
  • 水戸芸術館

  • 現代思想のなかで「ヘーゲル」はどう解釈され、語られてきたか(仲正 昌樹) | 現代新書 | 講談社(1/3)

    フーコー、ラカン、アドルノ、ハイデガー、ドゥルーズ、デリダ……後世の思想家たちに、ヘーゲルはどのように読まれて来たのか――。日から発売が開始された『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)で、金沢大学教授の仲正昌樹氏が描いたこととは? マルクスとセットで語られたヘーゲル 一昔前、「ヘーゲル」は、「哲学」を志す者が通過しなければならない必読の古典だった。「ヘーゲル」を抜きにして、「理性」「精神」「自由」「市民社会」「法」「国家」「歴史」について語ることはできなかった。 狭義の哲学研究者だけでなく、社会科学や文学、歴史学などを学ぶ人にとっても、「ヘーゲル」は、学問的・体系的な思考方法を鍛える基礎であった。認識論、存在論、論理学、法哲学、道徳哲学、宗教哲学、歴史哲学、自然哲学、美学といった、哲学の各部門をカバーする「ヘーゲル」の体系は多くの人を魅了した。 近代哲学の結節点とも言うべき「ヘー

    現代思想のなかで「ヘーゲル」はどう解釈され、語られてきたか(仲正 昌樹) | 現代新書 | 講談社(1/3)
  • この復元には、従来のヘーゲル「歴史哲学」を覆すインパクトがある(伊坂 青司) | 現代新書 | 講談社(1/2)

    歴史哲学」への毀誉褒貶 ヘーゲルのいわゆる「歴史哲学」は、これまで一般にどのようにイメージされてきただろうか。 ヘーゲル哲学への分かりやすい入門書とされる反面で、アジアを低く見るヨーロッパ中心主義の歴史観とか、理性法則に基づいた楽天的な進歩史観として揶揄されるというように、毀誉褒貶の相反する評価が入り乱れてきた。 『歴史哲学』の分かりやすさは、『精神現象学』や『論理学』のようなヘーゲル自身による著作ではなく、複数の聴講者による講義筆記録をもとに編集されたテキストという性格にある。 これまで一般に使用されてきた旧版テキストは、彼の死後、ヘーゲル全集の中の1巻として講義筆記録をもとに編集されたものである。 実はこの編集が曲者で、E・ガンスの責任編集による『歴史哲学』第1版(1837年)は、10年弱の間に隔年で5回講義されたうちの最終回講義(1830/31年)をベースにしながら、しかし複数の筆

    この復元には、従来のヘーゲル「歴史哲学」を覆すインパクトがある(伊坂 青司) | 現代新書 | 講談社(1/2)
  • ヘーゲルに挫折しないための5冊 - 川瀬和也 研究ブログ

    西洋哲学史のなかでもトップクラスのとっつきにくさで知られるヘーゲル。この記事では、ヘーゲル哲学を学ぶための入り口を提案します。この夏、新たな挑戦としてヘーゲルに入門してみてはいかがでしょうか。 1.ヘーゲル哲学入門の難しさ 西洋哲学に興味のある者でその名を知らぬ者はいない、と言ってもよい大哲学者ヘーゲル。しかし、彼の思想を学ぶことには独特の困難が伴います。 1.1 文章が難解すぎる ヘーゲルの文章は非常に難解で、西洋哲学の中でもトップレベル。ヘーゲル自身も書簡でうまく書けないと嘆いており、専門の論文でも、例えば英語ならdense(濃縮された)やnotrious(悪名高い)と言った表現に何度も出会うほど。いきなりヘーゲルの著作を開いて、数行で挫折してしまった、という方も少なくないでしょう。 1.2 著書が手に入りにくい 哲学の古典と言えばまず思い浮かべる人も多いであろう岩波文庫。その岩波文庫

    ヘーゲルに挫折しないための5冊 - 川瀬和也 研究ブログ
  • 「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 - 本と奇妙な煙

    「自由であることの苦しみ」 「動物化」 「他者」や「正義」 ヘーゲルは超保守主義者か? ヘーゲルによるイロニー批判 「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス) 作者:苫野 一徳発売日: 2014/06/19メディア: 単行(ソフトカバー) 「自由であることの苦しみ」 [アクセル・ホネットは『自由であることの苦しみ』で、ヘーゲル]の哲学を論じながら、いまだ政治的な「自由」さえ十分になかった当時のドイツ(プロイセン)において、ヘーゲルがすでにこの問題を先取りしていたことを述べている。 ちなみにわたしの考えでは、ヘーゲルは哲学史上において、「自由」の質とそれを可能にする条件を最も深く考え抜いた哲学者である。しかし残念なことに、そのほとんど不当なまでの難解さと、“時代遅れ”の有神論的形而上学体系(絶対精神〔=神〕を前提とした哲学体系)、そして、長らく専制国家プロイセンの「

    「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 - 本と奇妙な煙
  • ヘーゲルの主要著作、どの訳で読む? - 川瀬和也 研究ブログ

    ヘーゲルの著作は出版の事情も複雑で、読む前にこれを整理して押さえるだけでも一苦労です。しかも訳書も複数あり、比較して選択しなければなりません。この記事では、『精神現象学』と『大論理学』に絞って、邦訳を比較していきます。 0.基礎知識 ヘーゲル生前の公刊著作は、『精神現象学』『論理の学(大論理学)』『エンツュクロペディー(小論理学・自然哲学・精神哲学)』、『法の哲学』の四つしかありません。ただし、『論理の学』は「存在論」「質論」『概念論」の3分冊となっており、「存在論」のみ第1版と第2版があります(ヘーゲルが改訂途中で亡くなったため)。 ちなみに、この記事で詳しく扱いませんが、『エンツュクロペディー』は二度改版され、第1版から第3版まであります。『エンツュクロペディー』と『法の哲学』には「補遺」つきのものが存在します。この「補遺」はヘーゲルの死後に弟子が年代の異なる講義ノートをつぎはぎして

    ヘーゲルの主要著作、どの訳で読む? - 川瀬和也 研究ブログ
  • ヘーゲル論理学に分け入る5冊 - 川瀬和也 研究ブログ

    ヘーゲル研究者で、論理学の重要性を否定する者はいません。しかし、その重要性に比して、ヘーゲル論理学を学ぶ者がよりどころとできるは驚くほど少ないのが実情です。そこでこの記事では、入門書にこだわらず、少し専門的なものも含めて、ヘーゲル論理学を学ぶ者が手に取るべきについて紹介してみます。 ①海老澤善一『ヘーゲル『大論理学』』:「登場人物紹介」として ヘーゲル『大論理学』 (哲学書概説シリーズ) 作者: 海老澤善一 出版社/メーカー: 晃洋書房 発売日: 2014/03/01 メディア: 単行 この商品を含むブログを見る ヘーゲル論理学は、一般的な論理学と異なり、「論理的カテゴリーの発展」が物語のように描かれます。このため、論理学書ではなく哲学の古典を読むときの流儀で、はじめに大まかに全体像を把握しておくと読みやすくなります。これに役立つのが書。この一冊をもってヘーゲル論理学の完全な理解を

    ヘーゲル論理学に分け入る5冊 - 川瀬和也 研究ブログ
  • もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと読むヘーゲル - 本と奇妙な煙

    「父ガソウデアッタヨウニ、騎士ニナリタイ」 ヘーゲルとフロイト 「理性の狡知」 マルクスとフロイト 「幻想を横断する」 もっとも崇高なヒステリー者 ――ラカンと読むヘーゲル 作者:スラヴォイ・ジジェク発売日: 2016/03/19メディア: 単行 「父ガソウデアッタヨウニ、騎士ニナリタイ」 最初の「へーゲルの唯物論的転倒」とは。人はこれを正確に位置づけることができる。それは一八二八年の五月二日、ニュルンベルクの中央広場で起きた。この日、奇妙な服をまとった一人の若者がニュルンベルクの街の中心部に現れた。彼の様子、そして彼の仕草には固さが刻印されていた。言葉としては、ただ、暗唱された「主の祈り」の断片さながら、「父ガソウデアッタヨウニ、騎士ニナリタイ」という謎めいたフレーズ、つまり〈自我理想〉への同一化の糸口を、文法的間違いを犯しながらたどたどしく発するのみであった。そして、左手にはカスペル

    もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと読むヘーゲル - 本と奇妙な煙
  • ヘーゲルとハイチ: 普遍史の可能性にむけて - 本と奇妙な煙

    「欲求の体系」 経済とネイション イェーナ時代のヘーゲル 奴隷制と啓蒙主義 奴隷はファッションの一部 理論と現実 カントとフランス革命 ヘーゲルとハイチ: 普遍史の可能性にむけて (叢書・ウニベルシタス) 作者:スーザン・バック=モース発売日: 2017/09/29メディア: 単行 「欲求の体系」 冷戦の終わりとともに、新自由主義は、地球規模でのイデオロギー的支配思想になるまでに台頭した。経済法則と市場合理性は、あらゆる実際的政策を正当化するために用いられるスローガンとなった。このつかみどころのない幻影、これほど過度の崇敬の対象となった「経済」とは、いったい何なのか。それはいつ、なぜ発見され、さらに困ったことに見えざる手はどのようにして与えられたのか。 (略) もっとも驚くべきは、ポリティカル・エコノミーの理論が19世紀初頭のヨーロッパ中でいかに大きな知的興奮をひき起こしていたかというこ

    ヘーゲルとハイチ: 普遍史の可能性にむけて - 本と奇妙な煙
  • Hegel on Knowledge, Impatience, the Peril of Fixed Opinions, and the True Task of the Human Mind

  • 教養のヘーゲル『法の哲学』

    [著]佐藤康邦 ヘーゲルは、『法の哲学』の主題を「自由」であると語っている。国家、社会を哲学の立場から論ずるということは、国家、社会、そして文化一般を、人間とはいかなるものか、とりわけ人間の考える能力というものはどのようなものかという所にまで引きつけて検討することである。 書は、 四角四面に構えて、国家、社会を論ずるということを逸脱した、読者の微苦笑を誘うような「人間通」ヘーゲルという側面を表面に取り出しつつ、 難解きわめるヘーゲル『法の哲学』をときほぐし、その全体像を 分かり易く解説し、棚の奥で埃のなかに埋もれさせておくには余りにも惜しいと言うべき、豊穣かつ新鮮な知を提示する。 【電子書籍版もあります】 定価=体 1,500円+税 2016年11月10日/B6判並製/152頁/ISBN978-4-88303- 411-6 [目次] 第1部 近代国家の現実と哲学――ヘーゲル『法の哲学

  • 哲学の犯罪計画・その4 弁証法 - 本と奇妙な煙

    弁証法とは ドイツ観念論 『精神現象学』 エピローグ 訳者あとがき 前回のつづき。 哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む (叢書・ウニベルシタス) 作者:ジャン=クレ・マルタン発売日: 2013/05/31メディア: 単行 弁証法とは 弁証法とはたんなる普遍的「実体」と個別特異的「主体」の平和的な統合を意味するわけではない。 (略) 「一人の人間は、すべての要素とは違うものであり、個体的生の無限性はかれとは無縁であるときにのみ、一人の個体的生たりうる。生の全体性が分割されてはじめて、ひとは存在しうる。ひとはその一部であり、残りは他人のものである。しかし、ひとが存在するのは、自分がなにかの一部などではない、自分から切り離されたものは何一つないというときのみである」。近代民主主義や平等主義的規範によって均質化作用を被る平凡な人間の偏狭なヴィジョンに縛られたままでいることはできない。

    哲学の犯罪計画・その4 弁証法 - 本と奇妙な煙
  • ヘーゲル変奏 フレドリック・ジェイムソン - 本と奇妙な煙

    第8章の終わりから 第9章 革命と「歴史の終焉」 集合的なことの失敗 市民性と服属 功利主義の世界 よくわからぬまま、第9章だけ読んで、メモ代わりに引用。 ヘーゲル変奏 『精神の現象学』をめぐる11章 作者:フレドリック・ジェイムソン発売日: 2011/04/23メディア: 単行 第8章の終わりから ヘーゲルは次のように書いています――「自分を言い表わす自我は聞きとられている。この自我はひとつの伝染であり点火であって、これにおいて自我は自分がそれに対して「そこ」にある人々との統一のうちへと移行してしまっており[、普遍的な自己意識である]」と。 (略) 言語はいまやハーバーマスの「公共圏」にも似た何ものかとなっているのです。そして この故に純粋透見の伝達は抵抗のない雰囲気のうちにおいて芳香が静かに拡がり普及することになぞらえられるべきものである。しかも伝達は滲透する徹底的な伝染でありながら

    ヘーゲル変奏 フレドリック・ジェイムソン - 本と奇妙な煙
  • 哲学の犯罪計画・その2 挫折した反逆者の行方 - 本と奇妙な煙

    疎外 理性 観念論 挫折した反逆者の行方、「イデオロギーの死」 英雄が引き出す普遍 作品 前回のつづき。 哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む (叢書・ウニベルシタス) 作者:ジャン=クレ・マルタン発売日: 2013/05/31メディア: 単行 疎外 このように視野を新たにすると、われわれにも山々がじつは波のようにうねっているのが見えてくる。 (略) まどろみから覚めると、事物は再びここに自明なものとして登場するが、それはわれわれの権限に属するものではない。これが直接知である。夜の闇の中では、どの要素もおのおのの持ち場を離れないのだ! 消滅していくのはわたしであって、かれらではない! (略) 世界は前もって与えられており、私が覚醒しているかどうかということとは無関係だ。わたしの人間としての性もまた同様で、わたしの選択に属していることなどない。存在はそこに存在するのだ! (略)

    哲学の犯罪計画・その2 挫折した反逆者の行方 - 本と奇妙な煙
  • 哲学の犯罪計画 ヘーゲル『精神現象学』を読む - 本と奇妙な煙

    抽象への憎しみ 百科全書の円環 概念は生を表現する 否定性 第一章がわかりやすくて面白いのでごっそり引用。 哲学の犯罪計画: ヘーゲル『精神現象学』を読む (叢書・ウニベルシタス) 作者:ジャン=クレ・マルタン発売日: 2013/05/31メディア: 単行 抽象への憎しみ 『精神現象学』には、抽象への憎しみと、その抽象こそあらゆる思惟にとっての真の敵だと見なすほどの警戒心とが見られる。抽象とはまず分離であり、われわれの知性の「分析的」な使用である。それはいっさいを解体してものごとをほかとは別個に措定するものであり、そのやり方はしばしば手荒であまりに断定的だ。まるで裁断機でばっさりと切り落とした断面のようである。このように個別化されたものの生、私的空間と言ってもいいが、それはどの扉の後ろにもまた別の扉が開いているような感覚を、あるいは閉じた瓶ないし区切られた部屋や廊下のなかに現実が細切れに

    哲学の犯罪計画 ヘーゲル『精神現象学』を読む - 本と奇妙な煙
  • 日本ヘーゲル学会/Japanische Hegel-Gesellschaft

    ヘーゲル学会会員の皆様 フロンティア研究部会運営委員会です。現在、9月に次回の研究部会を開催すべく準備中です。会員の皆様から広く発表の募集を行います。奮ってご応募ください。 応募に際しては以下を参 続きを読む 9月フロンティア研究部会申し込み募集のお知らせ→

  • 47NEWS(よんななニュース)

    [新潟県の天気・気象情報]7月28日から5日間は平年より2・2度以上高温の可能性!!熱中症や農作物の管理に注意を

    47NEWS(よんななニュース)
  • ヘーゲルがミュンスター再洗礼派はファナティストだと言ってたそうです。 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    今日は休みにしたので、以下の論文を読んだ。ちなみに無料でpdfをダウンロードできます。 神山伸弘「宗教的ファナティズムの非インド的想定 : ヘーゲル『法の哲学』第五節とミュンスター再洗礼派王国―」『跡見学園女子大学人文学フォーラム』12、2014年、52-65頁。 この論文は、ヘーゲル『法の哲学 要綱』(1820年)の自由論についての考察である。ヘーゲルは、「純粋な無規定態」の自由が理論的でしかないときには、宗教的なものにおいては「インド的純粋観想」というファナティズムになると述べているそうだ。他方彼は、自由が現実へと向かうとき、「政治的なものにおいても宗教的なものにおいても、いっさいの既存の社会的秩序を粉砕するファナティズムになる」と述べた。(53頁)彼はここでの「政治的なもの」をフランス革命だと見なしていた。では「宗教的なもの」は何を念頭に置かれていたのだろうか?インド的な純粋観想のフ

    ヘーゲルがミュンスター再洗礼派はファナティストだと言ってたそうです。 - ミュンスター再洗礼派研究日誌