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別に、面白くないのに、やめられない。 電源を切る事ができない。 トイレすら我慢してしまう。 別に僕はネットゲームにハマってるわけじゃない。 楽しくてたまらなくてやめられないわけじゃない。 そりゃそこそこ楽しいけど、もう特に見るページがなくなっても、ダラダラ続けてしまう。 やめたい。でも怖い。電源、切る決心がなかなかつかない。 ついあとちょっと、とぐぐってしまう。 なぜか。 考えたら、簡単なことだった。 まず第一に僕は寂しい。 ある事情で今友達が全くいない。 世間とのつながり、今僕だけじゃない、誰かが活動してる、それを感じられるのがネットだからだ。 これを切ると、あとは一人の行動が待っている。それがさみしいのだ。特に、夜は。 第二に、たいていダラダラ続けてしまう時っていうのは、「やること」があるときだ。 本当にヤバい重要な用事ならたいていなんとかギリでやめるが、 とるにたらないこと、夜寝る前
「処女や童貞のまま死ぬと妖精になる」の元ネタは「ジゼル」ですが 前々回の記事から言及してる、一連の騒動の大元のhashigotanさん。「お前ら子連れの夫婦全部死ねって事なんだよ!!!」という、「カップル死刑宣告」の次は、うってかわってハートが飛びかうような記事を書いていらっしゃいます。 で、昨日も今日も出先でMasaoさんの事ばかり妄想するようになりました。ここ最近色々ありすぎて弱っていた心にMasaoさんが嵌まり込んでしまいました。 彼女が居る男にマジになっても、自分が惨めなだけなので… つーかMasaoさんも最初から「友達になりたい」って言ってるだけだし。でも「友達になりたい」ってのは保険みたいなもので、実際会ってまんざらでもなかったら会った日にセックスするかもしれない… 私がお願いしたらMasaoさんは彼女が居ても私を抱いてくれるのですか。 あー・・・どうみても陽性転移ですわ。こり
Mixiもいい加減ツラいがTwitterは本格的にツラい。何がツラいって、Twitterが更新されてるときはだいたいにおいてパソコンの前にいるときだ。パソコンの前にいるならうちの仕事を先にやってくださいよというような催促が来る。書類やメールの返事や入稿を忘れてブログを書いても「あれは予め書いてあったものをアップしただけなんですよハッハッハ」という言い訳も立つが、Twitterだけはどうしようもない。Mixiであれば「ケータイで移動中に見てたんですよハッハッハ」という言い逃れも可能だが、Twitterはケータイでやらないものだというイメージがあるらしく、電話がかかってくる。 つーか、私たち繋がりすぎなんじゃね。メッセが苦痛に思ったときは、メッセを立ち上げたとき一斉にコールがかかるからだし、ICQはメール以上にショートメッセージみたいなのがたくさん溜まってて全米が泣いた。 いつかこの過剰なコミ
やる気は実はくじかれている──。8つの、やる気をくじく方法をマスターして、自分のやる気をコントロールしてみよう。1つ目のくじき方「高すぎる目標」に続き、2つ目のくじき方を紹介します。 「やる気がない」ではなく、「やる気はくじかれている」と、まずは考えてみましょう。ではどんなことがやる気をくじいているのか。第1回の「高すぎる目標」は、やる気をくじくに続き、2つ目の“やる気のくじき方”をご紹介します。 2──「自分を低く評価する」ことは、やる気をくじく やる気をくじく方法の2つ目は、自分を低く評価することです。自分のできていないところ、悪いところ、ダメなところばかり意識して否定していくと、やる気がどんどんくじけていきます。 もちろん、中には自分のダメ出しをされればされるほど、やる気が出る人がいます。でも、そんな人は私の経験上、多くて5人に1人、おそらく10人に1人です。「お前、ダメだろ。そうじ
2007年11月06日16:30 カテゴリLove 成長が止まった大人が思い出すべき事実 子供のころ、以下を徹底すると早々行き詰まる。その時に思い出すべきことがら。 成長する子供がまず知るべき事実 自分は誰かにとっての「特別」である 「自分が死んだら世の中が代わってしまう」と自他ともに認める人はほとんどいないでしょう。またそれに耐えうる人も。私が死んでも世の中は死なないというのは、空しくもありますが安心感の方が勝ります。しかし、「世の中」を「家族」に変えたとたん、その印象は逆になるでしょう。そこまで行かなくても、「職場」でも「コミュニティー」でも、あなたがいなくなったらそこは元の場所ではなくなる場というのを、誰もが多かれ少なかれ持っているものです。 自分が特別でないと思っている人は、一度そうやって「自分がいなくなるとそこはどうなるのか」ということを考えてみるといいでしょう。 自分を優遇して
[388]名無し三等兵2007/10/12(金) 18:39:57 ID:??? ちなみに、大学時代の留学生の話ですね。 イスラム圏の留学生がホイコーロー定食を食していたので 「ちょ、お前それ豚肉 やばくね」 「私は堕落したイスラム教徒です。問題なし。おいしいです」 インドからの留学生が牛丼を食いながら 「私の国では今は夜です。神様寝ています。問題ないです」 実家が熱心なカトリック信者の留学生が秋祭りで神輿を担いでいて喜んでいるので 「他の神様を担いで良いのか??」と聞いたら 「神とは、・・・以下訳分からん理論武装・・・・だから問題ないです。」 インドネシアからの留学生が学食でビーフカレーを食っていて 「いいのか、ビーフカレー??」 「ここは日本だから、問題ないです。国に帰ったら駄目です」 「??そういうものなのか」「そういうものです」 なんか、そんなのばっかり
カーテンは常に閉めて外の光をシャットダウン 引きこもりが酷かったときは、一年も日の光を浴びなかったよ… 日の光が「気持ちいい」と思えるまでに回復したのが奇跡です…。
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棋士の谷川浩司さんが書かれた『構想力』を読了。僕は特に将棋ファンというわけではないのですが(子供の頃はやっていました)、何事であれ優れた結果を残している人がどんな思考回路を持っているのか知るのが好きなので、こういった本はたまに読むようにしています。 個人的には、Amazon の書評でもあるように、ちょっと「ビジネスにも使えますよー」的な臭いが鼻につきました。突然「この考え方はビジネスにも応用できると思うのだ」と言われる場面が数回あるのですが、そんなことを言われなくても、十分参考になるアドバイスを仰っているわけで。あぁ、出版側(角川書店)から「ビジネスマンにも受けるように!」みたいな指導があったのかなと感じています。 ま、それは「玉にキズ」的なもので、本書に登場するアドバイスが「玉」であることは間違いありません。谷川さんの言葉を「○○するためのライフハック」的に並べてしまいたい誘惑に駆られる
「亀田問題」といい「相撲問題」といい「ぶってぶって姫議員問題」といい、分かりやすい悪役が往生際悪く対応した結果、問題が隅々まで広がって炎上して、こっちまで延焼するとは思ってもいなかった関係者が右往左往し、余計なとこまでほじくり返され、マスコミに煽動される形で何か国中が酔っ払ってるかのようなフルボッコ体勢に入ったあと、どんな悪党も最終的には世論に押し切られる形で謝罪に追い込まれ、ある者は破綻し、ある者はヤケクソになり、ある者は時間を稼ごうとして失敗していく状況をリアルタイムで楽しんでいる日本人がおるわけです。 一番大事だった安倍首相の政権放り投げ→テロ特措法延長問題とか完全に国民の目から逸らされて、国民生活の改善には何ら寄与しない亀田一家叩きとかに国民総出で熱中するというのもなんか凄いな。本当に叩くなら、公共の電波に現役の暴力団幹部の皆さんがバッチリ映ってたときにやらないと。 情報を消費する
苦節数年、やっとマンガ家になった。それまで一読者としてマンガを楽しんできたんだけど、読者のころ考えていたマンガ家像とだいぶ違う。まず最初に思ったのは、世にあふれるマンガ評論の類がほとんどただの妄想だったこと。ぼくが作品を発表して、ネットで色んな意見がつく。そのなかに妙に断定口調で「こいつは○○に違いない」とか「このキャラのこの行動はこういう意味」とか語りたがる輩が多い。「この作者はこんなこと考えてるんだぜ!」という奴も居た。それだけならまだ良いんだが、その脳内設定をもとにぼくへの人格攻撃をしてくる人すら居る。そんなにイヤなら読まなかったら良いじゃない。君にとってぼくのマンガが面白くなかったからって「死ね」といわれる筋合いは無い。たかだか数百円払ったくらいでぼくの生死をどうこう出来る権利なんて無いだろう。 名前を呼び捨てられるのも最初は抵抗があったが、もう慣れた。ファンと言われる連中がどれだ
昨日チャットで話して見えてきたのだが、非モテの問題は私にとって大した問題ではない気がしてきた。というか、悩みの症状の一つに過ぎない。まあさほど悩んでいるわけでもないんだけれども。 私の抱える非モテの根っこにある問題は、承認されるされないの問題である。 名づけるなら承認欠乏症だ。 私はこの世に生きていても良いですか。 動物を殺して生きても良いですか。 植物を殺して生きても良いですか。 有限の資源を使ってしまっても良いのですか。 私が便利に生きるために他人様に迷惑をかけてもよろしいのですか。 私が楽しむために他人様に何かしていただいても良いのでしょうか。 今すぐ死ななくても大丈夫ですか。 私さえいなくなれば助かりますか。 私が消えると嬉しいですか。 運動のできない私は死ぬべきですか。 勉強のできなくなった私は消えるべきですか。 金の稼げない私は腹を切るべきですか。 などなど。そんなことを、折に
2007年10月09日21:00 カテゴリ翻訳/紹介 回る人影は右脳左脳を見分けるか!? まずはこの記事をご覧下さい。 The Right Brain vs Left Brain | The Daily Telegraph 短い記事なので全訳します。 右脳対左脳 2007年10月05日 正午12:00 右脳対左脳テストです。踊り子が回っているのは時計回り?それとも反時計回り? 時計回りなら、あなたは右脳をより使っているということで、反時計回りならその反対ということになります。 我々のほとんどは反時計回りに見えますが、じっと見みることで、反対に回っているように見えるようにもできます。あなたには出来ますか? 左脳の機能右脳の機能 論理直感 詳細指向鳥瞰指向 物証主義想像主義 言葉と言語シンボルとイメージ 現在と過去現在と未来 数学と科学哲学と宗教 「知っている」「わかる」 知っている信じている
「選択肢が多すぎると意欲が削がれる」マルチコアの問題点 2007年10月 9日 経済・ビジネス コメント: トラックバック (1) Bryan Gardiner 2007年10月09日 米Intel社の『Research@Intel』ブログに、Timothy Mattson氏が10月2日(米国時間)、驚くべき投稿を行なった。 「プログラミング言語の開発者にとって最も重要な論文」について紹介し、この論文と、来るべきマルチコア・プロセッサー時代との関係について述べた内容だ。 Mattson氏の投稿の基本的な趣旨は、以下のようにまとめられる――2人の社会心理学教授が2000年に書いたそれなりに有名な学術論文「選択が意欲をそぐ場合:良い物があまりに多く用意されている時、人は欲求を抱くことができるのか?」は、今日のハードウェアメーカーにとって、コンピューター科学者や数学者によるいかなる著作よりも重要
ブクマにずらずら並んだコメント見てワロタ。自分を賢そうに見せようと一生懸命なバカを見て気の毒になった。皆様、よい人生を!
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