もしも75年前にSNSがあったら――。実在の人物の日記をもとに、広島への原爆投下を挟んだ日々の出来事や思いを、ツイッターに連日投稿するNHK広島放送局の企画「1945ひろしまタイムライン」がこの夏、…
NHK広島放送局の企画「ひろしまタイムライン」のツイートに批判が起きています。ツイッターを使い、広島に原子爆弾が投下された75年前と現代を結びつける新たな手法は、原爆や戦争を身近に感じさせることに成功しています。ここでは、批判の背景にある企画の危うさを考えます。 ツイートへの批判はどのようなものなのか批判されているのは、シュン(@nhk_1945shun)のツイートです。 シュンの投稿の一部=筆者がキャプチャ「朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」 という投稿に、ヘイトスピーチが溢れる中で配慮が足りない、差別を扇動しているのではないかという批判や「注釈をつけるべきだ」という指摘があります。 NHK「ひろしまタイムライン」ツイートに批判の声 8月20日の「朝鮮人」投稿めぐり(ハフィントン・ポスト)NHK「批判は認識している」 戦時下を実況する「ひろしまタ
片渕須直監督作品・映画『この世界の片隅に』(2016年版)を観た。3年前に制作されたこの映画をこれまで観ていなかったのは、漫画家こうの史代のモヤモヤとする「あやうさ」に気付いていたからで、いまになってみようと思ったのは友人から「天皇家があの映画を観てえらいニュースになっとる」と知らされたからだ。その友人は映画の批判をしたがっているが、彼も映画を未見、私も未見。観ていないものをあれこれ批判するわけにもいかないので、自分の中に巣食う正体不明のモヤモヤを突き止めるためにも、これを機に観たわけだ。 私はこうの史代の単行本『夕凪の街 桜の国』を発売時に読んでいて、電車の中にも関わらず号泣したという体験を持つ。しかし自分の涙の正体の中に少し引っ掛かるものがあったのも確かで、その後のこうの史代現象を見ると余計に「あやうさ」を感じないわけにはいかず、そして今回の映画『この世界の片隅に』現象である。いつまで
「うちは、いつも、にぎやか。おとうさんが、写真をとるのが すきだから、すぐにわたしたちをわらわせるの」 公子ちゃんの父親は、写真が趣味で、家族の何気ない日常をカメラにおさめていました。子どもたちは動物やピクニックが大好き。でも、その幸せな日常は続きませんでした。これは、ある日、消えてしまった6人の家族のお話です。 (広島放送局記者 秦康恵) 公子ちゃんは、広島市で理髪店を営む父、鈴木六郎さんと母のフジエさんとの間に生まれました。大好きな兄、英昭くんと、弟の護くん、妹の昭子ちゃんの6人家族でした。 父親の六郎さんが撮った写真には、今も昔も変わらない、子どもたちの笑顔や家族の光景があふれています。
約4千人が死亡したとされる第1次大阪大空襲から13日で74年になる。被害者の高齢化が進むなか、悲惨な体験を語り継いだり、補償を求めたりした活動の記録を未来に残していく取り組みが進んでいる。 空襲犠牲者の氏名、性別、年齢、住所が手書きで記されたノートが、大阪市中央区の大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)にある。「大阪戦災傷害者・遺族の会」(伊賀孝子代表)が作った。大阪では1945年8月までに空襲で約1万5千人が犠牲になったとされる。国による調査がないなか、「犠牲になった一人ひとりの名前を残したい」と寺や慰霊碑、役所などを訪ね歩き、遺族から話を聞いた。1983年ごろから約15年かけて6千人分を集めた。 こうした資料の整理に、歴史研究者や市民が参加する「大阪空襲被災者運動資料研究会」が取り組んでいる。昨夏には空襲の体験手記などの索引・リストを完成させた。「空襲体験そのものの継承も大事だが、そ
反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵本として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日本人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日本は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、
太平洋戦争末期、約40万冊の貴重な図書を戦火から守るため、都立日比谷図書館(現千代田区立日比谷図書文化館)から、郊外に「疎開」させた史実を関係者の証言でつづる映画「疎開した40万冊の図書」が終戦記念日の15日、同館で上映される。 監督は、新藤兼人監督に師事し、テレビ番組のディレクターもこなす金高謙二さん(58)が務めた。 疎開が行われたのは、戦況が悪化した1944~45年。当時の中田邦造館長らが中心となり、空襲などで本が焼けてしまわないように、同館に所蔵する本に加え、古書店主に依頼して市民から買い上げてもらった資料性の高い蔵書など計約40万冊をあきる野市や埼玉県志木市の民家の土蔵などを借りて疎開させた。 本を運ぶ際には、図書館職員のほかに、旧制都立第一中学(現日比谷高校)などの生徒にも手伝ってもらった。本を詰め込んだ袋を背負ったり、大八車に載せたりして運んだ。難を逃れた図書には、貴重な江戸
沖縄戦の犠牲者を悼む、65回目の「沖縄慰霊の日」が過ぎた。本土は、沖縄のことをどれだけ考えてきたか。沖縄戦をめぐる芝居を四半世紀、構想し続けたのが、4月9日に75歳で亡くなった作家の井上ひさしさんだ
8月15日は終戦の日。お盆とあいまって先の大戦で亡くなった英霊が多数現世にもどってくるシーズンだ。彼らを祀る靖国神社もかき入れ時…のはずだが、今年はなぜか“霊出”がまばら。関係者は首をひねっている。背景には、世界最大の同人誌即売会「コミックマーケット」(コミケ)の開催が重なってしまったことがあるようだ。閑散とした九段下と対照的に、東京ビッグサイトはサークル・一般参加で訪れる英霊でごったがえしている。 コミケはコミックマーケット準備会が主催する世界最大の同人誌即売会。マンガやアニメなどの愛好家らが同人誌・グッズを販売、これを求めるファンが多数殺到することで知られ、一回の参加総数は60万人にものぼる。今年は14日から16日の三日間開催されているが、ちょうどお盆にあたることから「これ幸い」と訪れる英霊が増えたものと見られる。レアグッズを確実にゲットするため開催前日の深夜から“徹夜組”として会場近
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