はてなキーワード: 年末とは
北九州の中学生殺傷事件の犯人が捕まったね。娘を産んだことで人生観も色々変わったがこの年末ほど怒りと恐怖感で頭がキリキリする年の瀬もないと思う
>犯人は40代男性で「事件が起きた現場近くの住民によると、逮捕された平原政徳容疑者は普段から奇声をあげるなどして、警察がかけつけることもあったということです。」
とある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90797a84f3dbc1a9be81e7fa3265a34aebfe0b1a
要するに精神障害者だよね。弱者男性で、精神障害者。ネットで男性社会に負けた恨みを女性への加害にむけているのも弱者男性だし、発達とかも含めると相当程度精神障害者も含まれてると思う。
精神障害者の危険を口にするとすぐに「イメージほど危険な存在じゃない!」とか、極まってる人になると「閉鎖病棟は人権侵害!」とか言ってくる怖い人に絡まれるんだけど、
現役の精神科医の人によるとそういうデータってあまり信用できないというのを見た:
https://x.com/Drmiidrdr/status/1864645869393625423
>何度も言っているけど、このデータは意味不明だから、精神障害者が犯罪率が低い根拠にはならない。
>2、さらに実臨床として、触法行為をしても、起訴されない。入院。
そうそう、精神障害者の暴力って、社会にとってだけじゃなくてケアラーにとっても地獄でしょ。男性は障害者であろうとなんであろうと男性支配の構造による特権に浴しているけれど、この場合でも障害者の男性が家で暴力を振るうというのは男性性の問題だと思う
あと女たちのデータベースで知ったけど、汚言症を公言して顔を出してメディアとかに出てる男、あれも障害者なんだろうけど、路上で「ブス!死ね!」とか女性が前に来たタイミングで言ってるのを見てびっくりした。しかもXで裏垢を持ってるのがバレてそこの発言がミソジニーまみれだった・・
中年男性の障害者と社会って、どうやって折り合っていけばいいんだろうね。私は独身中年男性の障害者が近くに住んでいてほしくない。ナチスの話に戻るけど、戦後の西ドイツだって実は無理やりな医学実験をしたり障害者に死んでもらうことによって質の良い人間が残って先進国になったってきくしね。
こういうことをXで直接田野先生みたいな人に聞いてみたいんだけど、所詮彼も男だしなあ。 トランスカルトとか擁護してる人権派によってたかって通報されても嫌だし。
誰か代わりに聞いてみてくれませんか
これ釣りとかじゃないんで、男性の障害者の人権を奪わないことの社会的なメリットを真剣に教えてくれる人がいたら普通に感謝しますよ。
読書メモの整理のために便乗。今年の読書は文芸、短歌、仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。
6冊を良かった順で挙げる。
本書の長所は最初期短編から晩年の短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。
ダントツに良いのは「雨の木」の連作。ストーリーは「雨の木」というシンボルや高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成が多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。
小説は物語の意図が最初は分からないくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである。構成や内容が三島由紀夫「豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教的死生観や死者に対する忘却が根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観や忘却(作中ではoblivionと表現される)が重要なテーマである。テーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。
物語の道具立てとして海外の大学におけるシンポジウムや海外作家の引用、原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。
「奇妙な仕事」などの最初期短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体からの脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎が絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方が大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。
最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念の世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。
乳幼児の育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント。
今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。
夏目漱石が1914年に学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html
ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想、フェミニズムにまでわたる。
キャリア論の概略は以下の通り。
どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいか分からない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。
昨今は会社員に主体的なキャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任を第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。
社会思想については、自らの個性を尊重すると同時に他者も尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。
いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味を表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベストの歌集。
ライブの楽しさが伝わる。ドラマーがボーカルのトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。
どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ
高低差、という単語を発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまったことの充実感が歌われている。
オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。
漫画。
冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。
冬目景は恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分の意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物がおっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しかし自分の意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。
またこれも冬目景作品に共通の特徴だが、登場人物は基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白でコミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。
中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSFは未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフか小松左京か高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。
『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。
新NISAは税制上の優遇で、インデックス投資は資産をリスクに晒した上での指標の意味するところへの賛同(往々にして『健全な資本主義社会において経済は成長し続ける』)でしかない。
みんなものごとを複雑に考えすぎだ。
旧NISAなんかみんなでアジア開発銀行買ってたぞ。もっと適当でいいんだよ。
どの期間のスコープで見るか。NISAの性質上、日単位ってのは神経質かと思う。1年ごとの再考(しかも年末で固定されている)が意味のある区切りになる。そこで売りたきゃ売れ。
結局メンタルの話になる。日々気にしていたら狼狽するが、情報収集の頻度は高い方が良いのは確かだ。
損益が確定した時も、それを単なる数値と捉えるメンタルが強みになる。資産をリスクに晒して結果を享受しただけ。数値は今後の判断へのフィードバックになるだけ。損を取り返すことなんかできず、少し減った資産で再び投資判断を行うだけ。結果的に損がなくなって益になる。こともある。
私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。
認めたくなかった。
友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。
結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。
既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。
そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。
夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。
もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃんに彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。
けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。
結局色々言いながら実家には帰ると思う。
小学校の時はよく男子にちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。
大学生になってからは友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。
みんながサイゼでご飯食べてトリキで飲んで彼氏の学生寮のマンションに入り浸ってる間に私は色んなホテルや一見さんは入れないお店にも行けた。
キラキラしてないけど入りたい旅行会社の内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。
大学のゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務に就職していった子が多かった。
受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子だからとか関係なく正当に自分の仕事を評価してもらいたかったし、
そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲの教授のゼミで愛想笑いをするのも得意じゃなかった。
職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。
職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃうと自分の職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。
それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEICや韓国語を勉強し始めた。
韓国トークをする友達と韓国で旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークでメトロポリタン美術館に行ったときにイケメン外国人に話しかけられたときもちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。
でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。
韓国語や英語を勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行やショッピングの話をしていたはずなのに、今では子どもの習い事や夫婦の関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。
私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りのコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身だからできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。
それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分の人生を自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。
年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定、彼氏は?の話題になった。
焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。
その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日のケーキを囲む家族、学校の運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。
その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観や目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。
その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。
私、何してるんだろう。
そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。
年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。
そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。
しばらく歩けなくて、実家から離れて一人暮らしだから持ってきてくれる人もいなくて本当に何にもなくて困る〜ってなってた。
相変わらず彼氏はずっと「こんなに可愛い人と付き合えて嬉しい」のメンタルで接してくれていて、すごいなありがたいな〜で付き合っていたのだけど、彼の仕事の都合で遠距離になったんだ。
遠方に住んでいて、普段ぜーんぜん連絡取れなくて不満どころかもはや困ってるくらいなんだけど、病院に着いてCTの結果待ちのあいだに、事故で救急車で運ばれたってLINEしたら速攻返事が返ってきた。
「大丈夫!?いまから打ち合わせだから終わったらすぐ連絡見るからね」
おーいその連絡できるなら今までもしてよ〜となりながら、骨は折れてなかったよ〜→やっぱり折れてたよ〜→入院することになったよ〜と連絡してたんだけど、打ち合わせが終わった彼から
「今日の夜そちらに向かって必要なもの持ってくね!病院どこ?」と連絡があり、とっても感動した。ゆかりのない土地で人生初めての骨折で身内もいなくて本当はとても不安だったけど、迷いなくすぐそう言ってくれて、本当はとても心強かった。
往復6時間3万くらいかかる距離に住んでいるのに、本当に本当に困っているとき、何を差しおいても助けてくれようとする彼は本当にヒーロー気質なんだと思う。
結局親が来てくれて、彼氏は来ずになんとかなったんだけど、入院が長引いて折り返しくらいでものが足りなくなった。
所持薬とか、自分の家に取りに行かなきゃどうしようもないものも出てきて、彼が土日に往復3万かけてきてくれた。面会時間は感染症対策で結構厳しめに決められていて土日合わせて1時間くらいなんだけど、本当にそのためだけに来てくれた。ちなみに交通費出すよって言ったけど断られた。
面会に来て、思ったより元気そうでよかったって抱きしめてくれて、病衣で眉毛もボサボサで、当然ノーメイクすっぴんでボロボロのわたしをよしよしして「かわいい…」って言ってくれて流石になんか目にフィルターとか入ってんのか?大丈夫?って思った。でも本当にまじまじと見てやっぱり今そう思いましたってかんじで「なんでこんなにかわいいの?」って繰り返してくれて嬉しかった。彼に可愛がられることが好きになってしまってるから。見た目が相手にハマってる恋愛ってこんなに幸せなんだなと思う。
怪我してても立ち座りはできたんだけど、あんま分かってない彼はそーっとそーっと抱きしめて、壊れ物みたいにそーっとベッドに座らせるまで支えてくれた。そんなしけった砂糖菓子を扱うときみたいにしなくても、って思ったけどやっぱりお姫様みたいに扱ってくれてうれしかった。
私から鍵を預かって言われた用事をこなして、あとの時間はこんな遠方までわざわざ来たのにずーーーーっと寝て、また帰って行った。仕事が相当忙しいらしい。ありがとう。
お姫様抱っこは怪我の具合的にしばらくしてもらえそうにないけど、年末は彼と過ごせそう。
そう遠くない別れを見据えてるって前にコメントであって、そうかもなって思っていたけどなんだかんだ長く一緒にいる。
—————————追記—————————
彼のことを書いたらもう少し書きたくなったから書く。
彼のいいところは、私を見た目ごと愛してくれるところと、私を搾取しないところ。人として対等に扱ってくれる。私を尊重してくれる。というか、彼といる時は彼よりも私が大切な存在みたいにとっても大切にしてくれる。
でも、彼は自分がとても大切な存在であることをちゃんと分かっている。人と人の間の境界線を引いて、自分の価値をとてもとても大切にしながら私のことも大切にしてくれる。
私は男の人に搾取されることをとても恐れていて、それは私の男性経験や社会での経験に基づくものなんだけど、彼といると少なくとも「パートナーから搾取される」という恐怖からは解放されることができる、それどころか彼の中で本当に大切な存在として扱ってもらえてお姫様抱っこまでしてもらえる。彼といるおかげで、搾取に怯えたり惨めで悲しくて泣いていた私は長い間影をひそめてる。素晴らしい解放の日々。私を搾取したりしないっていう絶対的な安心感を、彼がくれた。
そこそこのスマホとPCを用意し続けるのに金かけてたらゲーム本体買う金が残らないから延々と無課金+配布で遊んでる。
それでも全く遊び尽くせない。
色んなファンダム、界隈があるけどK-POPってその中でも異質でキモい気がする
そんでその原因はでっかく【競争システム、グローバルなファンダム、SNSを前提としたファン文化】の3つじゃないかね。
その異質さっていうのが具体的にいうと、ジャンルの中でファン同士の仲が悪すぎるってこと。推しグル以外のヲタクは全部敵だからずっとピリピリしてる。
他ジャンルと比べたとき、もしアニメジャンルだったらオタクはクールごとに始まるアニメチェックしてあれはおもろいわー!このキャラ好きだわー!早く2期だせー!って感じで絵描いたりグッズ買ったりとかして個人で楽しめるし、例え特定の作品しか好きじゃなくてもだからって他の作品を敵対視することって基本ないよね?なかった気がするけど....
でもK-POPって競い合う文化だからジャンルがずっとバトル漫画の世界で平穏な瞬間がない。
スカウザー使うみたいに戦闘力っていうのがある程度数字で出てくるんだ
毎週ほぼ毎日ある音楽番組の中で何回1位を取れるか、音源でそれほど再生数がいくのか、音盤どれだけ初動の数字を出せるか、アルバム出すだけでレースが始まるし、年末の賞レースで何個トロフィー貰えるのか、とか万年競争している。多ければ多いほそスカウザーでの戦闘力も上がっていく。
しかもそれで厄介なのが、ファン投票だったり音盤の売上でファンの力がそのグループの戦闘力に直結するもんだから間接的にオタクの火力バトルみたいな話になってくる。もう戦うしかないんだよ。オタクは金と声のデカさが武器に、ファイトするの。ずっと戦、戦戦。法螺貝鳴りまくり。
さらにオーディション番組というコンテンツが登場してから視聴者がデビューする子を決めるっていう決定権を持った体験をしちゃったせいで、ジャッジするオタクがますます増えた気がする。歌が上手いとか、ダンスが下手とか。
毎日誰が上手いだの下手だの言い合うのが通常モードのジャンル、K-POP。
でもお前のグル歌上手いヤツいないじゃんが悪口として使われるジャンル、ダンスバラバラだけど練習してるの?恋愛する暇あったら練習したら?がアンチのセリフでたびたび登場するジャンル、K-POP。
そんなシステムの中で仲良くできるわけないんだよな。
まずでっかく囲っちゃうけど海外のオタクは日本じゃしないなってライン越えの過激発言とかしちゃって日本でおい言い過ぎ!ってめちゃくちゃ叩かれるみたいな事象、結構あるよね。
同じグループを推しても言語圏で世界が違うから中国でめちゃくちゃ話題になってることも中華以外のオタクはさほど知らなかったり、色んなところで乱闘起きまくってるけど日本のファンの耳には入らなくて平和だなーみたいな時もある。
でもあるでっかい事件、騒動が起こった際にその言語圏ごとに意見が分かれるときがあって、その時は同じグルのファン同士なのに喧嘩しだす。
オリンピックじゃないですよ。
国背負ってるのか?っていう熱量で闘いだす。
どことなら仲良くできるんだよ。
日本はK-POPと1番深い関係があるしほとんど必ず日本デビューはするし日本だけで何箇所もツアー回ったりするから、その特別性で無駄に叩かれるよね。
だって音楽市場世界2位なんだも〜ん、音楽イベント盛んなんだも〜ん、元々ジャンルとして人気あるから新規参入しやすいんだも〜ん。
でもそれは他国から見れば特別待遇にしか見えないんだよね、けどもうそんなのはオタクに言われてもさ〜って。
むしろ韓国の活動より日本活動増えちゃって韓国中心に他のオタクからブチキレられるみたいなのも昔からよくあるよね。でもそんなの日本のオタクはどうしようもないじゃんな、そこで不買しますねとかいう話でもないのに...難しすぎる。そんないうならお前も日本来い、って言いたいよね〜
本当に仲良くないな.....
その競争システムとグローバルファンダムにSNSっていうのが融合しちゃってさらにカオスを生んでる状況。
あるオタクはSNSでペラペラしゃべって、あるオタクはそれに噛みついて。
でもSNSで自分の意見が全世界から観測できちゃうってこと抜け落ちてる人多いし、その認識があっても甘い人が多すぎる。
だからこそ、【撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ。】って言葉、全員覚えるべき。
【撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ。】
SNSでぽちぽち発信するのは特にK-POPというジャンルにおいては戦場で銃弾を放つこととあんまり変わらないと思う。誰かに撃ったつもりなくても流れ弾で撃たれてる人がいる。だから本当に思ったことだからってなんでもかんでも言うべきじゃないと思う。こんなに敵だらけの界隈で、それは宣戦布告、先制攻撃になりかねない。それを受け取った全然知らないやつから殴られる可能性ある。気をつけて。
しかも普通にいいことだけ投稿したつもりでも勝手に責められてると思って襲いかかってくるヤツもいる。
だからそもそもSNSで発信した時点でなにかしら言われる可能性あるって考えてた方が、急に殴られても不意打ちじゃないからダメージ少なくなるはずなんだ、きっと。
あと自分のSNSなんだから好きに言わせてっていう人もいるけどそれはできたらいいけど現実としてそんな上手くできるような界隈じゃないの、分かるでしょ。(戦場設定だからね)
自分で公開するって決めて全世界に見えるように投稿してるんだからそれは発信した側から干渉しにきてるとも考えられるんじゃないカ?
本当に誰からも邪魔されたくないなら非公開にして鍵かけて投稿しまくるようにしないと。備えはね、しとかないと。
言語のニュアンスだったり文化の違いで理解されなくて意図してない風に拡散されて叩かれたりするヤツ、あれマジで無駄すぎる
誰かの翻訳を鵜呑みにしてへーですぐ叩き行為に入るな、まずその翻訳ミスってたら無意味に怒ってることになるけどいいんすか?
ニュアンスを理解せず◯◯が酷いこと言った!とかすぐ言い出すのもアウトね、早いよ武器持つのが
普段から何事も他人に振りっ放し、他人の時間を奪う教えてクレクレおじさん(役職は偉い)が
「俺に友人の会社からオファーがあって、そこは上場を見込んでいる」と言い出したので、
こりゃラッキー、自発的な年末のゴミ掃除かよと思ったんよ。そしたらさ
「でもな、俺はいまこのプロジェクトで成功することを確信してる、絶対に上手くいくはずだ」と
急に熱弁しだすの。
ど、どうしたんだ、おじさん、急に大きな声出して・・・。
結局「俺はすごいオファーを断って今の事業にコミットすることにした、成功させよう、するはずだ」
って話だったのね。もうドン引き。
おせちは昔の主婦が豪華だけど日持ちするものを年末に作りためて食事は豪華でも年始に働かなくてもいいようにするためのものと聞いたことがあるが、現代でそれを踏襲する意味合いはもはやないだろう
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そのこと覚えてる?
老人たちは。
初めてウッチャンナンチャンってコンビ名を聞いたんだけど、
「ウッチャンナンチャン?がコンビ名、、、?」
「それただのあだ名だろ!!」
みたいな感覚。
今年は暦の関係で早めに事務所まわり大掃除するって言って張り切っているんだけど、
まだ、
その最中でやるっつーのはいささか乱暴なのでは?って思っちゃうのよね。
年末進行とは甚だしいわね。
まったくだわ。
こんなのちゃっちゃっとやっちゃえばいいんだけど。
たぶん、
また隣の私が前いた会社のところは私の事務所の同じフロアなので、
きっとまた借り出されて猫のようなお手手で掃除をするのよ。
それはそれでいいんだけど、
向こうの事務所の動きの気配を探っておかないといけないのよね。
給湯器のお湯もこの時期みんな使うからすぐに無くなっちゃうし。
いまだに
うちの会社の給湯室のお湯がすぐ無くなるりゆがよく分かってないんだけど、
ある程度たくさんの量を湯水のように文字通り使ったらお湯が出なくなっちゃって。
シンクの下にそのお湯を温める小型のボックスの装置があるみたいなんだけど、
そこにはもちろんただいまの湯量とかってステータスは出てこないので、
いったいどのぐらい湯を湯水のように使えるんだろう?って分かんないのよね。
そんで、
急速沸かしボタンってのがあって、
それを押すとブーストして沸かせられるけれど、
これも期待できなくってジワジワ文字通り瞬間湯沸かし器の如くタニコーの五徳の上にヤカンを置いてお湯を沸かした方が早いような気がするし。
まあお湯が沸く速度が遅いのよね。
お湯使いがちじゃない。
すぐに無くなっちゃうのよね。
そもそもとして
事務所レヴェルのそんな給湯器には家庭用の給湯能力は持っていないもちろんお風呂用に大容量のお湯が連続して沸かせられる仕組みではないので、
でも!
違う階の給湯室のお湯は全階同じ給湯器の仕組みだけど、
階によっては使っていない給湯器もあるので、
そこを目指してお湯を求めて彷徨うのよ。
でもやっぱり同じ事を考えている人は多くて
お湯を求めてそのいつも使っていない給湯室のお湯もみんなあるってことに気付き始めたので、
お湯取り合戦なのよ。
お湯枯渇しがちなこの時期なの。
みんな考えることはいつもお湯のことばかり。
あとさ、
プラスチックのいわゆるどこにでもあるバケツってあるじゃない。
こんなにたくさんの種類!たくさんのカラーバリエーションのバケツがあるよ!って
薦めて推してくるじゃない。
でもバケツもう買ったあとなので
なのに賢明に一所懸命に私のハートに届く様にバケツプレゼンを一所懸命する検索エンジンの横に出てくるバケツの広告は健気さを越えてちょっとアホみを覚えるのよね。
でも
ふと思ったの!
これ考えて作ったらそのバケツ爆売れ!ってやつ!
よく飲み物を入れるタンブラーって超保温できるやつあるじゃない。
温かいお湯をいつまでも温かくキープできるバケツを考えて開発して苦難を乗り越えて
その保温性抜群のバケツはこの冬の大掃除に大活躍だと思うんだ!
だから
そんなものが世の中にあれば私が買いたいので、
それこそインターネッツ広告はそのバケツを探して私にこんな保温性抜群のバケツがあるよ!って言ってほしいの!
そんなバケツないわよね。
って言いながら
汚れた雑巾をさっきまでお湯だったバケツの水はもうとうの昔に冷めて冷たくなってしまって、
あのころの温かかったあなたとは打って変わって冷たく私に接するの。
ちべてー!って
しくしく、
この床、美しくないわ!
それはNIKKEのシンデレラのやつ!
でもよくよく考えてみたら、
お湯が温かいであろうがどうであろうが、
どうしようもないのね?ってことに気付いたわ。
沸かせる湯量の量は増えるわけではないので冷静に考えたらそうよね。
やっぱり
どうしようもないこの冬の大掃除のことについていくらたくさんの御託を並べても解決しないんだなぁって。
世の中のお湯の量は決まっていて、
それを奪い合うまさに冬の陣ね。
雰囲気で今イキフンで言ってみたけど。
冷たい水の感じがするでしょ?
しかたないので、
お掃除が終わったら
うふふ。
定番鮭のほぐし鮭がたっぷりワカメとまぶして入っているのが握られているので、
グレープフルーツ買ってきて1玉果汁マジ搾りのその果汁を
ホッツ白湯ストレートウォーラーに入れて微かに香るグレープフルーツ感。
朝寒くって寒くって
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!