はてなキーワード: 三橋とは
ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択の基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバーや単行本やアンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達からの突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。
まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体が長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロ」から取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体は歴史的・社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。
つげ義春がガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろ「ゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様なコラージュや巧みな漫画的技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。
若い男女の同棲と破綻の物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公の職業がアニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大の青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一の洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。
漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代、漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品はセンセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂の系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味や物語は排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木は村上の著作の挿画を担当することになる。
簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前の私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回、戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである。
ここまでは疑いなく殿堂入りの作品が並ぶが、ここからは判断に迷う。70年代ガロからは永島慎二や宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂を現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一や花輪和一、古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。
これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマや不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。
80年前後のガロにはニューウェーブにカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお、蛭子能収、ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブの埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力は漫画のみならず演劇や音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本は青林堂だったのでご容赦を。
80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本の近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子が自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?
ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸や山野一・ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。
・個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。
・赤瀬川原平も言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。
・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげるに矢口高雄に池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品を掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりがガロに持ち込んで掲載された例がある。
・ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく・福満しげゆき・東陽片岡・古泉智浩あたりか。
・80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟や泉晴紀・泉昌之、渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンスな作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。
・つりたくにこ・やまだ紫・杉浦日向子・近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。
・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。
・90年代ガロは文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英や四方田犬彦など結構な面々が連載していた。
・投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌のカラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家が福満しげゆき。
・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代前半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。
・ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはんか鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)
・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。
これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三の作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。
・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品はガロ的ではないとも言えるし
これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。
俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念マシマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人、三橋鷹女の句を紹介したい。
あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方に燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中と出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?
たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台は京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりきれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいだから、この樹に登ったら全身火に包まれてしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ。紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれて鬼女になる」というその妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然・風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化も定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。
これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。
ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。
和服の着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程の総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。
「死ぬにはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為も何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダーの内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識を自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念の世界だと思う。
どうだろう、こういった情念・個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。
そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句の王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性と情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌と俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、だから俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。
「ツイッターでユーザー名やプロフにウクライナの国旗を使うのをやめよう。ウクライナ人は国旗を見て同胞を探して情報交換しているから」みたいな真偽不明のツイートが日本語にも翻訳されて、なぜか反維新、れいわ支持者が拡散するという情報戦が始まっているみたいね。
アカ名やプロフに🇺🇦使うのはやめ、💙💛にしてくださいと…🇺🇦安否確認や情報共有に使われてるらしい。
無期限消費税0でインボイス丸々廃止🔥反新自由主義💥💢反構造改革。打倒維新の会💥💢🍀生き易い社会🍀🔥打倒緊縮財政💥積極財政の為党派超えた協働必要🔥れいわ新選組&三橋貴明/月刊三橋会員/令和ピボット
https://twitter.com/Y0ororafish777/status/1497410340404875269
My Russian is pretty rough but in short : you should avoid using the Ukrainian flag in your bio/username because Ukrainians use it to find each other on the internet and exchange information
The comments suggest using the hashtag instead
元の人は、善意で「ロシア語はよくわからないけど」と、ロシア語のツイートをシェアしただけみたいで、いろいろウクライナ人などからツッコミが入っているみたいだけど。でも、れいわ支持者の狡猾なところはもとのツイートのURLを示さないんだよね。そして、元のツイートでなされている議論に触れる機会を減らして、事実を覆い隠してしまうところ。
しつこい!高市早苗氏だらけの“あおり”ネット広告に批判噴出…党則違反の可能性、自民党本部の回答は
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/295065/3
やっと話題になってたから話をすると、「高市早苗」広告で話題になってる「ダイレクト出版」と「経営科学出版」はどちらも同じ会社です。
https://bokukoui.exblog.jp/amp/32213964/?__twitter_impression=true
さらにいうと、この会社はニコニコで死ぬほどうざい広告をばらまいてることでも有名です。
元々は、アメリカの情報商材屋として知られる「ダン・ケネディ」とか「ヤニク・シルバー」といった連中の情報商材を日本語訳して販売してるだけの会社でした。
情報商材はとにかく利率が良いので、広告がペイしやすいんですよね。ガンガン広告を売って、アフィリエイトもしまくってました。
一時期、はてなでも互助会界隈で「ダイレクト出版」の本をアフィリエイトで売るのが流行ってました。
このように、金儲けしたいけど努力したくない情弱向けに広告を打ちまくって、集まった顧客に情報商材を売りつけて稼ぐのが基本スタイルの会社です。
社長はもともとMLM出身の人で、そこから情報商材販売屋に転身した人物でもあり、とにかくお金儲けがとてもうまい人。
とはいえ、おてんとさまのもとに顔出しできるような立場じゃなくもろにアングラの人間だと思っていたのでニコニコ動画で堂々と顔出しして広告でしゃべってるのを見ると、本当にもうアングラっていう感覚そのものがなくなってるんだなと思います。
そんなダイレクト出版が最近はやたらとネトウヨに媚びた広告を出してるのはなぜかというと。
これは2点あって、「ネトウヨは情弱が多い上に数が多いのでペイしやすい」というのと「ネトウヨの広告には協賛者が多いので安価で広告を出しやすい」ということです。
商法はまるで同じで、この場合だったら三橋の、『99%の日本人が知らない明治維新の大嘘 「司馬遼太郎の日本史」の罠』とかいう、むやみに長いタイトルの本を送料のみで送ると銘打ってカモを集め、そのあと高価な情報商材なり、たくさんのビジネス本なりを売りつけるという算段なのは間違いありますまい。ちなみにこの経営科学出版の場合は、ダイレクト出版よりももっと露骨に、三橋の「月刊三橋」なる音声データを月2回配信するサービスの宣伝をしています。
今更言ってもしょうがないけど、YouTubeとかニコニコ動画の広告はいい加減規制が入ってほしい。
フェミカスはニコニコ動画なんか見ないから話題にならないみたいだけれど、ニコニコの広告は有害コンテンツの巣窟であり、
企業広告の些細な表現に目くじら立てるよりこっちを取り締まった方が撃墜率高いと思うんだが、
鮎川は中学校3年の時の同じクラスの女子だった。身長が高くて小顔。すっと通った鼻筋が印象的な美人だった。
校則で禁止されているのに、少し明るい色に髪を染めていて生活指導によく目をつけられていた。
当時はアムラー全盛期。クラスの女子はみんなルーズソックスくらいは履いていて、ギャルっぽい格好が普通だった。
その中でも彼女は少しヤンキーっぽくもあり、大人びた雰囲気もあり、いつも気怠そうな感じで「圧」があった。
休み時間に仲良くする友達も少なかったので、漫画の模写ばかりをして昼休みを過ごしていた。
無論、下手くそな絵を見られるのが嫌だったので、音楽室の隣の空き教室にいつも忍び込んでいた。
うちの中学校では3年生が町内10キロを走るマラソンが1番の目玉だったが、
そんな時「大看板を描いて、当日応援すればマラソン免除」という体育祭実行委員の役職は、
あまりに魅力的で、すぐに飛びついた。立候補したのは、俺と鮎川、鮎川と仲の良いギャルの3人だった。
例年、体育祭の看板は、ナウシカや紅の豚などのジブリ作品が描かれることが多く、
ついでドラゴンボールやエヴァなどの少年漫画がモチーフとされた。
自分は特に描きたいものもなかった(というか、模写してる絵は萌え絵ばかりだった)ので、
二人の話の成り行きを見守っていたところ、鮎川が「今日から俺は!!」を描きたい。と言ってきた。
当時サンデーを読んでいなかったこともあるのだが、ギャルがオタクの自分が知らない作品を挙げたことにびっくりした。
話を聞いてみると、高校生のお兄ちゃんがいるらしく、兄の影響で読み始めたがめちゃめちゃ面白いので、
その絵を描きたいという。俺は漫画の内容を全く確認せずにOKした。
翌日、鮎川が「今日から俺は!!」の漫画を10冊ほど持ってきた。とりあえず、読んで欲しいと。
ごりっごりのヤンキー漫画であった。特攻の拓や湘南純愛組!のようなヴァイオレンス&コメディー。
中学校の体育祭の看板にヤンキー描いて大丈夫か?という不安がよぎった。
しかし、鮎川に意見できるわけもなく、主人公の三橋と伊藤の絵を描くことになった。
製作が始まると、友達のギャルはなんだかんだ理由を言って、すぐに来なくなった。
しょうがないので二人で作ることになった。鮎川は複数のコマから
「このコマの三橋と、この表紙絵の伊藤を組み合わせた、殴りかかるような絵」にしたいと、
細かく指定してきた。彼女のこだわりはよくわからなかったが、俺はオーダーに応えた。
「増田、超絵うまいじゃん!漫画家なれるよ!!」と謎に褒めてくれた。
1週間も一緒に作業していると、ポツポツと話をするようになった。
4つ離れた兄と2つ歳上の兄がいること、浜ちゃん(友達のギャル)は最近塾忙しいから、
手伝うの難しいのわかってて無理に誘ったこと。
自分は商業高校行こうと思ってるから勉強しなくても余裕だということ。
目の前にいるのは気怠そうな怖いギャルではなくて、ただの普通の可愛らしい女子だなと思った。
女の子からそんな身内話を聞くのは初めてで、俺は多分恋に落ちていた。
提出日の前日、19時過ぎ。仕上げ剤が乾燥するのにもう1〜2時間ほどかかった。
家の遠い鮎川があんまり遅くなるのは良くないかと思い、先に帰した。
先生にもう少し居残る旨を職員室に伝えに行き、戻ってきたら1枚のメモ書きが残っていた。
体育祭は無事に終わり、懸念していたヤンキー絵ということで教師から怒られることも無かった。
クラスは受験一色に雰囲気が変わり、鮎川とはまた話す機会もなくなった。
それから数年後。成人式の時、久しぶりに中学校時代の同級生と再会した。
特に仲の良い友達もいなかったが、飲みに行くというのでついていった。
鮎川は来ていなかったが、思い出話の中で彼女の名前が出てきた。
彼女のお兄ちゃんは有名なチーマーのヘッドでめちゃくちゃ怖かったこと。
そして、お兄ちゃんの友達と当時付き合っていたらしいということ。
数年前、池袋を派手な格好で男性と歩いてるのが最後の目撃談だったこと。
俺が見えてた世界と、彼女が見えてた世界は同じ場面でもきっと全然違ってたんだろう。
でも黙々と絵を描いている彼女の横顔は綺麗で、今でも覚えている。
もしくはV(字回復)やでかもしれない。
世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第372回 全ての国民を守る
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12151-688104/
しかしあの当時割と残念な発言をしていた三橋氏にすら、コロナ禍における企業補償等への残念さを指摘されている辺り、色々な意味で末期だなと思う。
それに下がり続ければ上がる時期があるのは当たり前だし、このV字回復すらも米国の経済対策や希望的楽観的観測から来る投資家等の複数の要因が重なった代物である訳だしねぇ…。
ただこの辺もある種の大本営発表的な真理の錯誤効果が働いていて危うく思う部分だったりする。
こんな情報の裏で世界銀行がヤバい状況になっているとか言う事を言っているみたいだから。
またその当時積極的に国民補償や企業政策への追加予算を積極的にしていた米国ですら失業率や雇用の悪化や実体経済の悪化を招き、日本と同じ様な問題が大学でも割と起こっているみたいだから、それを見ても当時麻生大臣が企業補償すらまともにしなかった事や今ですら倒産件数が200件超えをした事を見ても日本の実体経済は今後増々悪化していくのは目に見えているからね。
それに日本企業が崩壊し続けて外資が生き残れば余計に酷い事態になるのも目に見えている訳で。
普通にトヨタとかですら営業益8割減とか自動車部品会社が倒産する事態が起き出したみたいだしねぇ…。
今も中途半端な解除のせいで野球とかのスポーツやコンサート等のイベントや観光にも営業に弊害が出まくっているのは事実だし、結果コロナすら未だくすぶり続けてしまっているのも事実だからねぇ…。
しかし色々な意味でギャンブル依存症ならぬ株価依存症と言うか株価至上主義をあの辺は持っているように見えてそれがある意味余計に足を引っ張る結果になっていると思うね。
だからこそ本来は企業補償や景気刺激策を行うべきであるにも関わらず、このタイミングでレジ袋有料化等の景気減退策を逆に行う様なセンスの無さを発揮しているのだろうけど。
今日ようやく会見をした。
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_5804.html
"初めて"である。大阪の感染者数が増えてる一方にも関わらず、全く会見など行わず
このように、仕事が遅いため県立の学校の休校に関する案内が非常にゴテゴテになった。
あまりにも表に出てこないため、
https://twitter.com/mihashi_nara/status/1245638383239434244
【奈良県知事の安否】
感染症対策について、
他県では知事自身が記者会見を行っているのに、
奈良県では知事の姿を見ない。
知事の自宅は、感染者の多い世田谷区だそうだ。
もしかして、感染しているのではないか?
そうでないなら、奈良と自宅の往来は当然自粛し、知事自ら会見に臨むべきだ。 https://t.co/6LhNNEadc5— 三橋和史@奈良市議会議員 (@mihashi_nara) April 2, 2020
40台男性。テレビ離れのなか、TVerなどを観てドラマやバラエティを観てる。
三、四年前くらいに仮面ライダーWを後追いで観たくらいには好き。
テレビで放映されて録画していた「帝一の國」を何気なく見返していたら、ヒロインの声が特徴あって、よく見てみれば「3年A組」の学級委員長だった。永野芽郁(ながのめい)。有名な若手女優さんとのこと。NHK朝の連ドラの主役とか。ほへー。
千葉雄大はファイナルファンタジーのオンラインドラマのやつで知った。
志尊淳はNHKのジェンダードラマ?女の格好してドラマやってたやつで知った。
竹内涼真はソフトバンクのCMだな。ドラマで観ていた記憶はない。だけど人望あるキャラクターの演技すごい。
今見てるドラクエドラマ「昨夜はお楽しみでしたね」の主人公はまったく知らない俳優なんだけど、その彼が竹内涼真の側近で帝一の國に居たのに驚いた。
しかもチラッとしか映ってなかったけど、生徒会の会議のときに「今日から俺は!!」の三橋役やっていた賀来賢人もいた気がした。三橋役が初見。奥さんが榮倉奈々なのな。すごい。
帝一の國でいじめっ子役の東郷菊馬をやってる俳優も知らないけど調べてみたら野村周平という名前。知らん。
wikipediaを覗いてみると「森山中教習所」に出演していたという。
テレビ放映していた森山中教習所まだ撮ってあるよ!なんとも言えないいい映画だった!で、見返してみたら、準主役の銀髪のスーツの鉄仮面なチンピラ、賀来賢人だった。びっくりした。
野村周平は観てたんだな。でも見てたけど東郷菊馬とはまったく結びつかんやったわ。すごいですね。
桐島ローランド役の間宮祥太朗は、残念ながらご存じなかったです。
今日から俺は!!に出ていた矢本悠馬、いいね。ガムくんで認知した。「君の膵臓をたべたい」だっけか。
磯村勇斗という人が、今日から俺は!!とこちらも観ていた織田裕二のドラマ「SUITS(スーツ)」、にも出ていたのを途中で気がついたけど、同じ人って感じがしなかった。
中村倫也ってひとも今日から俺は!!で初めて観た。そして初めて「カメレオン俳優」という語彙を知った。
ドラマや映画も興味あるやつだけチラッと観てるくらいなので、だいたいが「今更?」だと思うんだけど、昨日観た「帝一の國」で、本当にゴロゴロと若手俳優が出ていて、それにいちいち顔が指したのでそんなに侵されていた、ということにびっくりした。