日本の物価安定目標が2%に設定されて久しくなりますが、ここへきて様々な矛盾が露呈するようになりました。欧米で2%のインフレ目標見直し論が出ていますが、日本でも再評価が必要になってきました。そもそも日本で2%の物価目標を掲げる意味は何か、それは国民経済に望ましいことか、運用に問題はないか、そろそろ見直す時が来ているように見えます。(『 マンさんの経済あらかると マンさんの経済あらかると 』斎藤満)
※有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2024年6月7日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。
2%目標設定の矛盾
そもそも日本で2%の物価安定目標が設定された過程に疑問があります。
バブル崩壊後、長年インフレゼロの時代が続いたなかで、政府からインフレ目標を設定し、高めのインフレを実現するために、十分な金融緩和を求める声が強まりました。日銀は当初1%程度のインフレ目標設定を打ち出したのですが、安倍政権は2%の高い目標を求めました。
この過程で多くの問題がありました。小泉政権のもとで竹中平蔵氏は日本を円高デフレと称し、この円高デフレを招いたのは、日銀の不十分な金融緩和のためとの考えを示しました。これは後に安倍政権のリフレ派にも受け継がれ、アベノミクスの柱として大規模な金融緩和を行う羽目となりました。
ここにはすでに2つの問題がありました。
まず「デフレ」の定義があいまいでした。経済学上の「デフレ」とは、物価が継続的に下落する中で、生産、所得、支出のスパイラル的縮小が生じる事態、となっています。日本では98年ごろに一時物価が下落しましたが、持続的な物価下落はなく、アベノミクスを始めるまでの30年の平均インフレ率は0.1%の上昇で「超安定」を維持していました。
しかもその間企業利益は過去最高を達成するなど、生産、所得のスパイラル的縮小は生じていません。企業が収益を拡大するために賃金を抑制したことで、GDPデフレーターが下落し、GDPの名実逆転が生じたため、これをデフレと称した向きもありました。しかし、経済学上の「デフレ」は日本では生じていません。
それでも大規模な金融緩和をしたい政府、財界、市場がメディアを利用して「デフレ」と喧伝し、これを利用した面があります。
次に円高を抑制するための大規模緩和がとられたことです。今日の日銀幹部は「国際金融のトリレンマを引き合いに出し、自由な金融政策、自由な資本移動、為替の安定の3つを同時に達成することはできないとして、為替安定のために金融政策の自由を放棄するわけにはいかない、と説明しています。
しかし、小泉政権も安倍政権も、円高を抑制するために、あえて無理をしてでも大規模な金融緩和を日銀に求めました。実際、日銀が当初提示した1%程度の目標に対して、政府は「世界が2%目標を掲げる中で日本が1%の目標にすれば、インフレ格差で円高になる」と説明し、2%に引き上げさせました。
これまで円高を阻止するためにあえて大規模な金融緩和をしてきたのであれば、今日の行き過ぎた円安を回避するために、金融引き締め、利上げに出ることは問題がなく、「トリレンマ」を引き合いに出す必要もありません。
2%の目標設定は初めから「動機不純」でした。