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[月別過去ログ] 2006年02月

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2006年02月25日

「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」

こんどの月曜に「ニューロインフォマティクス:IT時代の脳科学展開」に行ってきます。

私自身はこの件については、どうやって草の根レベルでいろんな情報を集めて、継続的に運用してゆけるか、という点に興味があります。つまりハコモノ行政的にとりあえずサイト作りましたよ、ではなくて、データを提供する人もデータを使用する人もいる状態を続けられるか、ということです。これはなかなか難しい。Web1.0的発想で言うなら、ポータルサイトとなるものを作りましょう、みたいな話になるでしょうが、それではデータを提供する経路ができない。だから、Web2.0的発想でXOOPSとかを使ったコミュニティーサイトを作るとか、Wikiを立ち上げましょう、とかそういう話になるわけです。

しかしそういった、読みに来る人がデータを提供する人になる、という形に持って行けるかどうかはなかなか難しい。上からのコントロールだけではだめで、そういう「生きた」システムが創発するのを待たなければならない、という面があるわけですから。たとえばさいきん、「成功するWikiの条件」という話題が出ていました:

Wikiが成功する条件としていくつか挙げられていますが、いま話していることと関連することとしては、

  • ある程度利用者が見込める(すでにコミュニティがある程度形成されている)
  • スタートしてすぐにまとまったコンテンツがある(すぐに利用できる)
  • 書き込みの敷居が低い(管理人以外にもアクティブなメンバーがコンテンツ作成をしている)

というあたりがひっかかってくるでしょう。ま、もちろん同一視できるわけでもありません。どのくらいオープンにするか、ということでもあります。でも、興味ありそうな人たちのあいだでデータをやりとりする、という感じだったら、これまでのメール中心のコミュニケーションとあまり変わらないわけで、そういうのよりはもっとオープンにしてゆくものと私は想定してます。ともあれ、あらかじめこのくらいのことは考えておきました、ということです。

わたしじしん、こうやってブログをやりながら同様な問題意識を抱いております(というか、上の文章は自分の持つ問題意識に引き寄せて書いた、というほうが正確ですな)。日々リソースを蓄積しているつもりだし、濃い書き込みをしてくださる方がいることがさらなるリソースの蓄積とコミュニティの形成につながっている、という思っています。そしてさらに、おなじように情報発信をするサイトに書き込みしたり、トラックバックしたりすることでそのコミュニティーが拡大し、より継続的なものとなってゆくのではないかと。そういうわけで、このサイトが日記というよりは、(かなり偏った)情報サイト的な側面をもつようにしているのは、私がそのように方向性をしぼっているからです。しかしあまり堅い話題ばかりでも敬遠されるし、すでに書き込みの敷居が上がってきてしまっているな、と気になっているところなのですが。ま、あんままぜこぜにして話してもしょうがない。このくらいにて。


2006年02月24日

沈没大作戦ゲーム

家族で沈没大作戦ゲーム。娘も参加できるところがよいです。トランプとかオセロとかはまだ無理なのでいつも応援役だったから。

みんな性格がよく出る。息子は私にそっくりで、策に凝るわりにあまりうまくない。愛する妻は強引な回し方で落ちるべき玉が落ちない。そんなのありか? 娘は自分の玉そっちのけでママの玉をゴールさせて喜んでいるけどなぜか私より先に上がった。赤ん坊がすごい勢いではいはいして玉に手を伸ばそうとする。

予想外の玉を落としてしまったり、自分の玉がどんどん自分の陣地から離れていったりとコントロールの効かないところがあったりするところもよいです。

んで、結果発表-- 1位: 妻 2位: 娘 3位: 私 4位: 息子。意外に実力伯仲していて楽しめました。こういうのもまたよし。

そういえば、二人対戦で戦艦を沈没させるゲームってのもあったなあ、テレビで宣伝してたけどみんな紙に書いてやってたやつ、そろそろ息子と出来るんではないだろうか、とか思ってググってみたら、ああ、TAKARAの製品でレーダー作戦ゲームという名だったのですね。ここにも記載あり。ノートに桝目を書き、ってのはこちらにもありました。みんなおなじことしてたんですね。


2006年02月22日

論文いろいろ Science 2/17

"Causal Reasoning in Rats"
Non-humanで行動を指標にして高次脳機能を明らかにしようとする実験パラダイム(Claytonのepisodic-like memoryとかもそうでした)のひとつとして重要そうなのでどのくらいのことができているか知りたい。けどまだ読んでない。
On Making the Right Choice: The Deliberation-Without-Attention Effect
うお。consciousとunconsciousなんて書いてある。
コメンタリが"Tough Decision? Don't Sweat It"にあり。


2006年02月21日

今週のF1000(2)

もひとつ。
Neuron 1/19の"Microsaccades Counteract Visual Fading during Fixation" Martinez-Conde。
静止網膜像の議論は「perceptionにactionは不可欠か」という問題(まさにいまNoë関連でとりあげている話題!)に直結する重要な事例で、昔からいろいろやられているのだけれども、microsaccadesが止まること自体がvisual fadingの直接的原因なのか自体はcontroversialであるのでそれを調べました、ということらしい。(イントロ読むと、現象自体は19世紀のうちに見つけられて、1950年代から延々と議論が続いていることがわかります。) んで、microsaccadeのamplitudeとvisual fadingとが関連していることがわかったと。
ともあれ、重要な話なんだけど、、コンタクトレンズを使ったretinal stabilizatoinとかではなくて、じっさいにmicrosaccadeを測定してという話になるとなかなかたいへんな様子。
Martinez-Condeは以前もNature NeuroscienceでV1ニューロンとの関連を見てます。"Microsaccadic eye movements and firing of single cells in the striate cortex of macaque monkeys" Microsaccadeしたときにニューロンがburstするそうな。
ともあれ、「visionがtouchと同じように、agentが環境に向けてprobeする(actionする)ことが不可欠なのかどうか」という問題を考えるときに必ず問題になる話のはずなのです。NoëがIT conversationsで話しているんですが、そこでも"probe"する、なんて表現をしてました。

今週のF1000(1)

小松先生が二つ挙げています。
Science 2/3の"A Cortical Region Consisting Entirely of Face-Selective Cells" Tsao, Freiwald, Tootell and Livingstone。
このへんにface cellの多いところがあることはよく知られていて、わたしも記録したことがあるけれど、これは比較的posteriorのほうのspot ですな。かなりSTSのlipに近いし、A5-6だから、表面の方はTEpdかTEO。しかし97%とはたしかに強烈ですな。ほかにも点在していることが知られているので、それらはどうなのか興味あります。
グリッドの中の1,2点からしかそういうspotに行けない、というあたりはとてももっともらしい。Face neuronに限らず、そういう構造を見つけたら、本物の機能構造だな、と思います。逆は必ずしも真ではないのかもしれない。かならずしも大脳皮質のすべての機能構造がそうなっているとは言えない。だけども、frontalとかでまばらにいろんなニューロンがあるというのはあまりピンとこないのです。(なんかその領野をspecifyするうまい刺激やタスクパラダイムを設計できてないのではないか、と思ってしまう。でもこれはいままでの経験を引きずっているが故のことだろうとは思っているのだけれど。あくまでcortexの話。上丘やbasal gangliaとかはまた違ってそうですし。)


2006年02月20日

Alva NoëとかEvan Thompsonとか。つづき。

前回のエントリの続き。そういうわけで、いろいろ読まなきゃなあ、と思いつつもなかなか進まない。

郡司 ペギオ‐幸夫氏の「原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生」もぴらぴら読んでます。私にとっては、とにかく第2章(「オートポイエシス―認識論的観測から存在論的観測への萌芽」)を消化できるかどうかです。なにしろ、私はオートポイエーシスという概念から心脳問題に入ったもんで。言い換えれば、それまで素朴な意味での心脳同一説かよく言って創発説の位置にいた私は、オートポイエーシスという概念を知ったことで心脳問題に切り込める余地があると考えたのですから。ともあれ、字面だけならもうこの章までは読んだのだけれども、消化しきれてません。半分くらいはわかる。

オートポイエーシスが問題を抱えてる、という指摘はよくわかる。それはオートポイエーシスが取った視点の位置と記述/観察との相容れなさという、この概念そのものに関わっているというのも納得がいきます。「オートポイエーシス」の過去ログ説明のところでも書いたけれども、オートポイエーシスが自己組織化理論とかの影響でなにかを定式化しようとしつつそれがうまくいかない、という問題を抱えていた、というとらえ方に通底していると思うのです。河本英夫氏はそのへんの問題を回避するためにオートポイエーシスをある種の「行為論」として扱う方向に話を展開させた。……ルーマンのことは知りません。

Varela自身はといえば、そのような袋小路から神経科学の方向に舵を切って、enactionと言ったりneurophenomenologyと言ったりしてきたわけです。そしてそれをNoëやThompsonは継承しています。だからここで問題とされていることはNoëの議論ともどっかでつながってくるだろうと予想しているのです。つまり、"enaction"の概念で言われていることは認識論的観測から存在論的観測へ、というスローガンには対応してないか、「記述の地平」から「行為者を構成」への移動を目指してはいないか、と。

んで、この2章ですが、そのへんの視点の問題にかんしては明確に書かれていて素晴らしいです。「外部からの決定不能性を契機として、内部による決定、システム自身による境界決定が結論づけられる」p.36 あたりとか。わたしは、境界を決定するのは内部だけれど、その境界を観察するのは産生プロセスの循環を見渡せる外部だけだ、という理解あたりで満足していたから。やっぱクリプキとか読まないと無理か……

しかし、オートポイエーシス自体に関してだけは原著にあたってそれなりに読んできた私からしてもオートポイエーシスに関する記述はかなり飛ばしているという印象です。たとえば、あそこに書かれている記述だけで、「構造的カップリング」の概念がオートポイエティックなシステムに接ぎ木されてゆく、というような言い方を理解できるとはとても思えません(オートポイエーシスは構造的カップリングの概念がないとほとんど意味をなさないものだし…)。ということは、ほかの事項(たとえば存在論的観測というときの「存在論」とか)でもかなりすっ飛ばしているであろうことが予想されます。

でも、ここでの「存在論的観測」が消化できないとこの章(オートポイエーシスは認識論的観測から存在論的観測へ向かおうとする萌芽は見られたが、けっきょくは認識論的観測でしかありえない)を読めたことにならないと思ってるのです。ま、第3章までを繰り返し読んでゆく予定です。

まだつづきます。じぶんでもびっくり。


2006年02月16日

Alva NoëとかEvan Thompsonとか。

arational agentさん、寄稿どうもありがとうございます。ぼちぼち読んでなにか応答できればと思っております。つづきの部分に関しても期待しておりますが、プレッシャーかけるつもりはございませんので、もし気が向いたら、というくらいのつもりで寄稿していただければ幸いです。

具体的な事例から話をするのが良かろうと思いますので、BBS論文のblindsightに関する項目あたりまとめてみようかな、と思ったのですが、この部分はNed BlockのBBSで想定されたsuper-blindsightに対する議論に終始していてあまりおもしろくありませんでした。ともあれ、どっかとっかかりを見つけようと考えております。(「かれらの論文への批判は機能主義に対する批判ですべて済んでしまうのではないか」とかそういうことも言ってみたいけど、私の手には余るんで、そっち方面はよろしくお願いします。)

cogniさんのところで言及がありました。Alva Noëの Action in Perceptionに関しては、draftでwebで公開されているときからチェックしていて、昨年のSFNで購入してからすこしずつ読んでいるところなのですが、まだはじめの方です(いま、自分のサイトを検索したら、まったく言及がなかったことを発見しました)。Richard Gregoryのnatureでのレビューはたしかそんなに好意的な採りあげ方をしてなかったような記憶があります。記述はBBSでのFilling-inに関する論文についてだったりして、ちゃんと読んだかも怪しいかんじがします。ま、この本はVarelaからの系統で反表象主義的ですし、そんなもんでしょう。Trends in Cognitive Sciences '05のレビューのほうがしっかり内容の説明をしている様子で好感を持ちました。

Evan Thompsonの方の話はenactionというよりはneurophenomenologyに関する話のようですね。Lutz et al(PNAS '02)に関してはPNAS '04ととも以前のエントリ20041203言及したことがあるのですが、あれがneurophenomenologyなら、げんざいの人での研究で行われていることとあまり違いがないなあ、と思ってます。Recognition memory testでfamiliarityを感じたか、recollectionを感じたかを報告させて解析する、なんてのでも同じことが必要で、あとはどのくらい被験者がその現象的な側面を分析できるか、程度の問題のように思います。

とはいえ、このことは軽視すべきことではないとは思っています。実際問題、familiarityかrecollectionかの報告がどのくらい信用に足るのか、というあたりがPhil. Trans. Roy. Soc.のepisodic memory特集のときに問題になっていたはずです。また、たとえばさまざまな脳損傷の患者さん(半側空間無視や病態失認や盲視)にさまざまな心理テストが行われて論文が出てきているのだけれども、そこでどのくらいその患者さんの現象的報告を活用できているか、という考え自体は重要だと思います。

たとえば盲視の患者さんは、awarenessの報告はないけれども弁別が出来るだけではなく、awarenessがあると報告するのだけれども弁別が出来ていない、ということが起こるらしいです。(Zekiはこの二つの現象を併せて、Riddoch syndromeと呼んでいます。) このことからすると、この患者さんのawarenessの報告はずいぶんと違った性質および構造(という言葉を使ってよいものやら)を持っていると言えそうなわけです。もっとも、科学に組み込まれた現象学ってありえるのか(現象学をnaturalizeするという問題)未だによくわかってないのでこれ以上言えないのですが。

といいつつ、現象学をnaturalizeするという問題については以前に調べたことがあるのでメモ。"Naturalizing Phenomenology"にはThompson,Noë,PessoaのFilling-inのBBS論文が再録されていて、Varelaの"The Specious Present"も入ってます。日本では、野家伸也氏がこのへんの問題を扱っています(「思想」の「認知論的転回 ―認知科学における現象学的思惟―」、オンラインで行けるのは、要旨だけだけど"ヴァレラの「自然化された現象学」をめぐって""「現象学の自然化」とメルロ=ポンティ"など)。

つれづれと。まだすこし次回につづきます。

コメントする (2)
# arational agent

pooneilさん、cogniさん応答ありがとうございます。こちらは記事書き楽しみながら、気楽にやっていますので、ご安心下さい。注文していたNoëの新著(Action in Perception)が最近手元に届いたので読み始めたところです。で、2001年のBBS論文では論証の過程で重要な役割を担っていたchange blindness、inattentional blindnessの扱いを確認してみたら、これがまるで別物になっている!かなり驚いています。はみ出たしっぽは自分で切ってしまったということなのでしょうか。

# pooneil

Indexを見た限りですと、BBSでの"sensorimotor contingency"も"sensorimotor dependency"になっているようですし、いろいろupdateさせているんでしょうね。まあ、こちらのほうもぼちぼち進めてゆきますので。


2006年02月15日

Gamma-band synchronization, Science '05

昨日のエントリのつづきというか。んで、そのPascal FriesはこのあいだもScience ("Neuronal Coherence as a Mechanism of Effective Corticospinal Interaction")にM1とspinal cordのmotoneuronとのあいだでgamma bandのcoherenceがある、っていう話を出してました。
スゲー、と言いたいところだけれど、どこでもgamma bandってところがどうなのよ、とも思います。じっさい、SN Baker and RN LemonのThe Journal of Physiology '97 "Coherent oscillations in monkey motor cortex and hand muscle EMG show task-dependent modulation"なんかだと、M1からのLFPとmuscleのEMGとのあいだで見られるtask-dependentなcoherenceはbeta band (ここでは20-30Hzあたり)なわけだし。もしくはJNS '05 "Existing Motor State Is Favored at the Expense of New Movement during 13-35 Hz Oscillatory Synchrony in the Human Corticospinal System"とか。
このへん、motorの人はどう考えますか?


2006年02月14日

Gamma-band synchronization, Nature 2/9

この分野でひさびさに出たnatureはPascal FriesによるV4 gamma oscillationのattentionによるmodulationの話。
Nature 439, 733-736 "Gamma-band synchronization in visual cortex predicts speed of change detection" Pascal FriesとRobert Desimone。
タイトルに"speed of change detection"なんて言い方してるけど、たんにreaction timeを調べましたということのようですな。以前のScience '01 "Modulation of Oscillatory Neuronal Synchronization by Selective Visual Attention"からの違いは、trial-baseでのreaction timeとgamma oscillationとの相関を見たところにある模様。Oscillationのようなノイジーなデータでtrial-baseの議論ができるというのはすごいことだと思うけれども、それでNatureか?とも思います。
しげさんのところでも採りあげられてます。


2006年02月13日

神経科学学会要旨の提出終了

ぎりぎりまでねばって、まだ不十分なところもあるのだけれど時間切れ……と思ったら締め切り延長してるし! どうしよう、まだまだねばるか。


2006年02月10日

Noë の知覚理論

060111 のエントリにも登場されたarational agentさんからAlva Noë の知覚理論に関する記事を投稿していただきました。どうもありがとうございます。それでは以下に投稿記事を掲載します。というわけで今日はarational agentさんによるゲストブログです。ここから:


Noë の知覚理論

知覚や意識の哲学の分野でインパクトのある仕事を最近連発している研究者として、Alva Noëがいます。Noëは哲学者としては珍しく共同研究を好む人なのですが、今回は、彼が Kevin O’Regan と行った研究を取り上げます。文献としては以下のものがあります。

知覚や意識については数多くの伝統的哲学理論が存在します。現在の分析哲学で行われている意識についての議論に特徴的なのは、分析対象が意識現象そのものであることまれだということです。このことは、哲学的手法で意識現象を説明できると考えている人はあまりいないということを反映していると思います。分析されるのは、主に意識現象とそれを説明する科学理論との関係です。で、現在の議論の軸になっているのが、意識を現在手持ちの自然科学的手法や理論装置で説明できる見込みがあるかというメタ的なテーマです。例えば、ハード・プロブレムや説明のギャップに関する議論は科学的手法による意識の説明可能性の評価に関わっています。また、意識研究のリサーチ・プログラムを提案し、そのプログラムの意義を検討するというタイプの仕事も見られます。この手の議論では、まず意識とは本質的に何であるかについて暫定的な定義が大まかに提起され、その定義と意識について現在わかっていることとの整合性が検討されます。Noë & O’Reganの議論は後者にあたります。

さて、現象的に見ることとは何かという問いに対する答えとしてありがちなのは、表象することだというものです。例えば、赤いリンゴの現象的な知覚像が目の前に立ち現れたときに、その像は外界にある赤いリンゴを表象しているというわけです。トンプソンと共同で編集した上記の論文集の序文で、ノエ(以下で「ノエ」と呼ばれるのは、ノエと共同研究者たちの略号とお考え下さい)は、このような定義を正統的見方と呼んでいます。対照的に、ノエは見ることとは、何かすることなのだという見方を提示します(以下で、行動理論と呼びます)。ちょっと引用すると、

Seeing is an exploratory activity mediated by the animal’s mastery of sensorimotor contingencies. Tha is, seeing is a skill-based activity of environmental explanation. Visual experience is not something that happens in indivisuals. It is something they do (Noë & O’Regan. 2002: 567).

で、ノエは、センサーで目標物を追尾するロケットの例やポルシェの運転などの事例に基づいて、意識現象について比喩的な説明をおこなっています。ところで人の行為には多くの種類があります。ノエによると、見ることに本質的なのは sensorimotor contingencies についての実践的知識を持つことによって可能となっていることです。つまり、感覚情報と運動情報を神経中枢で適切に組み合わせることで、感覚的に把握された状況に応じて適切な運動を行いうる動物は、知覚的意識をもつことができ、また現にそのような振る舞いを行っているとき、動物は知覚体験を持っているということです。その上で、環境内での活動そのものを意識体験と同一視します。

さて、二つほど注釈です。ノエは、感覚情報と運動情報を統合することで知覚体験のどのような性質がどのように規定されるのか、細かくは議論していません。ですから、行動理論は、意識体験の生成について具体的な説明とはなっていません。知覚体験の空間的内容について、ノエと類似した観点から、より具体的な立論をおこなっているものとして、以下があります。

次に、知覚体験を環境の検索活動と同一する理論に対する強力な反例として、夢の存在があります。夢は現象的な意識体験だと思われますが、夢を見る人は環境の検索活動などは行っていません。この点、2001年BBS論文に対するコメントで、Revonsuoが指摘しています。夢は、意識をバーチャル・リアリティーに例える別タイプのリサーチ・プログラムで、典型的な意識現象の例として取り上げられるものです。例えば、以下をご覧下さい。

  • Revonsuo, A. 1995. Consciousness, dreams, and virtual realities. Philosophical Psychology 8: 35-58.

さて、行動理論の説得力は、どんなものでしょうか?私にはいま一つピンと来ないという感じです。というのも、センサー付きロケットが巧みに目標物を追尾していたとしても、そのロケットが現象的な知覚的気づきや意識をもっているという感じはしないですから。

そこで、ノエは、彼のいう知覚の正統的見方では扱いにくいいくつかの意識現象を取り上げて、行動理論のほうがそれらをうまく処理できることを示そうとします。特に重要なのは、change blindness (CB)の扱いです。

知覚の正統的見方について説明しましょう。ノエが念頭に置いているのは、知覚の表象理論のうちのマッハ的描像のことです。マッハの『感覚の分析』の冒頭に、寝転がっている人が部屋を眺めたときの知覚像の図解が載っています。これによると、知覚者は外界に対する詳細な知覚表象を頭の中に持っているということになります。正統派によると、豊な知覚体験に対応する詳細な知覚表象を形成することが見ることであるということになります。最近では、ピリジンはこのような見解を表明しています。

The phenomenology of visual perception might suggest that the visual system provides us with a rich panorama of meaningful objects, along with many of their properties such as their color, shape, relative location, and perhaps even their “affordance.“ (Pylyshyn, Z., 1999. BBS 22: 362)

続けて、CBについてご説明しましょう。極めて衝撃的な例として、Simon & Chabris が1999年の論文で発表した実験があります。ただ、この実験は、ノエが来日時に見せてくれる可能性があるので説明しないことにします。ノエがBBSの論文で紹介している例(954頁)では、フライト・シュミレータで着陸の訓練をしている被験者に、滑走路上に他の飛行機が侵入する像を提示した場合、8例中2例で、被験者が侵入する飛行機に気づかなかったというものがあります。目を向けているはずのシーンでおこる大規模な変化に対して、ある種の条件下では、知覚者が全く気がつかないというのがCBのポイントです。

CBは確かに正統的知覚論と両立しにくいと思われます。もしも外界を見ているときにシーンの詳細な知覚的表象が脳内に形成されているのならば、外界に大きな変化が生じたときに、知覚者がそれに気づかないというのはもっともらしくないからです。それに対して、行動理論では、外界はそれ自身の外部に存在するモデルであり、知覚者は、自身が保持している実践的知識に基づいて、注意を向けている外界の部分についての情報をピックアップすることができると想定されています。従って、変化が起こっている箇所に、知覚者が何らかの理由によって注意を向けることができない場合、CBが起こりうると容易に想像できます。

知覚の行動理論は、意識研究のリサーチ・プログラムとしていくつかの重大な帰結を持ちます。一つ目は、説明のギャップは存在しないということです。運動理論によれば、赤いトマトの赤という性質は、知覚者による赤の検索活動そのものと同一なわけですから、自然科学的理論によって説明困難な特殊な性質であるわけではないというわけです。次に、ノエは、NCCを探すという現在主流の神経科学的意識研究のスタイルは誤りだと主張しています。これは、現象的意識体験とcorrelateすると想定されている神経的表象のようなものは実は脳内には存在しないとする意識の行動理論からの帰結です。この論点は、以下の論文でさらに追求されています。

ノエはまた、binding問題は疑似問題だと考えています。これは、豊かな知覚体験を説明するためには、それに対応する詳細な心的表象の存在を脳内に仮定する必要はないとノエが考えているからです。

最後に、行動理論と、Milner & Goodaleらによる「二つの視覚システム」理論(TVS理論)との整合性について、ノエの見解を確認したいと思います。ノエは全体としてはTVS理論は、行動理論と不整合ではないと考えているようです。それは、TVS理論が(特にdorsal経路に関して)知覚的気づきと知覚者の振る舞いとの強い結びつきを示唆しているからということ、それから統合的パノラマ表象が脳内に存在することを否定していると解釈可能だからです。ただし、ノエは、Milner & GoodaleによるDFさんの症状の解釈に関しては異議を唱えています。DFさんは視覚的に振る舞いをコントロールする能力の多くを保持しているのだから、視覚的気づきを持っていると見なしてよいのではないかというのがノエの言い分です。

まとめです。行動理論の正否とは中立的な論点として結構重要と思うのは、CBの存在が、外界の詳細な表象が脳内に形成されているという想定とは両立しづらいという指摘です。(この想定に対する批判は、1998年のfilling-inに関するBBS論文から継続しています。)

CBを説明するためには、ノエが言うように、外界をそれ自身のモデルとして使用するという発想は重要だと思われますし、知覚における注意の役割をより積極的に評価する必要があるというのも納得できます。行動理論の正否と相関する論点として、もしも行動理論が正しい場合には、現代の意識研究の動向ー意識全体がどのように統合されるのかとか、ハード・プロブレムが解決可能かどうかは個別の問題として登録しておいて、まずは現象的意識の要素的性質それぞれのNCCを発見するべくつとめるというものーが誤って方向づけられていると結論づけられるという指摘があります。これらは、少なくとも報告者にとって、見逃せない論点です。


2006年02月09日

ScienceDirectって使い勝手悪いっすよね

今に始まった話じゃないのですが。Vision ResearchとかNeuronとかTINSとか、とにかくScienceDirectでfulltext開いて、referenceからScienceDirectで扱っている以外の雑誌に行こうとするとめんどい。Referenceのリンクは、publisherのサイトのabstractのページかfulltextのページに行くか選択できるようにしておいて、publisherのサイトがないときはEntrez PubMedのabstractのページに行けるようにしてほしいのですよ、こちらは(JNSとかJNPみたいに)。
しかし、ScienceDirectはそんなことしてくれない。まず、referenceのところにpublisherのサイトへのリンクがない。しかも、"Abstract-MEDLINE"とか書いてあるリンクをクリックすると、ScienceDirectが取り込んだabstractのページに移動したうえに、やはり、fulltextへのリンクがない。ようするに"Abstract + References in Scopus"とかを経由してSCOPUSへ呼び込みたいらしいんだけれども、SCOPUSも使い勝手悪いし、citationはScienceDirectの雑誌しかないし、"view at publisher's site"はしばしばうまくつながらないし、っつうか一発でpublisherのサイトへ行かせなさいよ。
こういう「囲い込み」思想、っつうのは、もう、完全に排除すべきですよ! Web 2.0らしくないっすよ! リンクの情報だけもっておいて、fulltextにすぐ行ける仕組みを作りなさいよ! そういうのがWeb2.0ですよ! (いま思いついたけれども、"Web2.0"というタームは「うちはWeb2.0だ」とか主張するのに使うのではなくて、「あなたのところはWeb2.0でないね」と非難するのに使う戦略的タームなのではないかという気がしてきました。っつかハイプってそういうものか。)
PMID使わないでDOIを活用しようって言うならそれで徹底すればよいのにそうもなってないし、なに考えてるんでしょうか。
こんなことにぶち切れている私を大切にしてください(急に甘えだした!)。


2006年02月08日

テンパってます

わたしの住んでる場所では、夜中に寝台特急が通り過ぎるのが聞こえます。遠すぎてどちらからどちらへ向かうのかわからないくらい。
こういうのがよく聞こえるときと、ぜんぜん気づかないときがある。
このあいだは、あつい雨雲の切れ間から夕焼けが見えていて、それを見みながらなだらかな坂を下って帰りました。
さらにこの前は、三日月が細すぎて、月の影の部分が新月のようにぼんやりと光っていたのを見ました。「ギリギリの三日月もボクを見てる」って聞いてもピンとこなかったけど、なんのことだかやっとわかった。
ずっと前に、夏の明け方に、貨物列車がずっと遠くから、ものすごくゆっくりと通り過ぎる音がするのを聞いたのを思い出して、耳を澄ましたら冷蔵庫がジージーいうのが聞こえた。


2006年02月07日

Change blindnessとかapparent motionとか。

以前書きかけたものを貼ります。

Change blindness / Change detectionとかapparent motionとかについて調べてました。まずChange blindness / Change detection。

  • "Neural Correlates of Change Detection and Change Blindness in a Working Memory Task" Luiz Pessoa and Leslie G. Ungerleider
  • JNS '04 Wurtz "Subcortical Modulation of Attention Counters Change Blindness" せっかくやるからにはawarenessに絡む方が面白いのだけれど、attentionの話になってしまっている、という印象。
  • Trends in Cognitive Sciences Volume 9, Issue 1 , January 2005, Pages 16-20 "Change blindness: past, present, and future" Daniel J. Simons and Ronald A. Rensink。この分野のオリジネーターか。Alva Nöeが表象関連について文句を付けている。Attentionの問題とかgapの問題とかかなり複雑で、扱いにくそう。
  • Annu. Rev. Psychol. 2002. 53:245–77 "CHANGE DETECTION"(著者サイトのpdfファイル) Ronald A. Rensink。とくにわたしが気になっているのはchangeとmovementの問題なんだけど、けっこうさらっと抽象的に処理されているようすなので困る。どっかで扱われていると思うんだけれど、ちゃんとこの概念の始まりから追っているわけではないので見つからない。いや、端的にgapなしだとapprent motionが起こるのにgapありだとapparent motionが起こらないから、という説明が成り立つケースもあるのではないかと。

こちらはapparent motion。


2006年02月06日

Neuron 2/2

"The Hippocampus Supports both the Recollection and the Familiarity Components of Recognition Memory" Larry R. Squire。ROC書いてYonelinasに反撃。このへんに関しては前にも書きました。
"A Motion-Dependent Distortion of Retinotopy in Area V4" John H. Reynolds。Previewは"A Flashing Line Can Warp Your Mind" Vincent P. Ferrera
"Object Selectivity of Local Field Potentials and Spikes in the Macaque Inferior Temporal Cortex" Tomaso Poggio and James J. DiCarlo
"Thalamic Burst Mode and Inattention in the Awake LGNd" Harvey A. Swadlow。って、"Awake LGNd"ってあり?


2006年02月03日

Movable typeテンプレートいじりました

カテゴリ名が長すぎてエントリのタイトルが読みにくくなってきたので、各エントリの右上にboxを作ってそこに入れました。固定リンクはtDiary方式でタイトルの前の四角から行けるようにしていたのだけれど、これもわかりにくそうなので同じboxへ。小粋空間のデザインを参考にしました。……現状のtemplateだと、タイトルよりも先にこのboxがくるようになっているので、アンテナとかで見るとエントリのタイトルの前にカテゴリが来てしまって読みにくい。うーむ、CSSでちと策を弄してこれを避けるようにしたほうがよさそうです。
あと、印刷用のCSSを導入しました。うちのサイトは、字が多くてスクリーン上で読むにはあまり適していないので、印刷することもあるのではないかと。そうすると現状ではサイドバーやらいらんものが入ってページ数が多くなってしまってよくない。というわけで、print-site.cssを作成。CROSSBREEDのエントリを参考に。印刷プレビューをしてもらえるとわかりますが、印刷時はヘッダ、フッタ、サイドバーや上記のboxが消えます。カテゴリ別過去ログなど、ある話題をまとめて印刷して読むのによいのではないかと思います。不都合などございましたらお知らせください。
ほんとはもっといろいろいじりたいのですが、かんたんにできることからやってます。カテゴリー[雑記]や[Paper]が巨大になっていて、カテゴリー別過去ログを開くと、この巨大なファイルを読み込むのを待たなければならなくなってます。MTpagenateを使っていくつかのページに分割してやればいいのだけれど、サイトをphp化しなければならないので二の足を踏んでます。php化するタイミングでMovable typeのバージョンも上げたいし、ファイル名も統一性のあるものにしたいので、これをやるのはけっこう大工事をするときにしようと考えております。


2006年02月02日

David J. Heegerのトーク聞いてきました(最終回)

前回の続き。これで終了。

んでもって、activationの伝播のlatencyとしてactivationのpeak timeを使ってます。しかしこれは非常によろしくないやり方で、peak timeはactivationの大きさの影響をもろにかぶります。端的に言って、同じretinotopicalな位置に刺激を出して、contrastを上げてゆけば、activationが大きくなって、peak timeは後ろにずれる。だからそのeffectをさっ引くような処置をしていないのか、ということをHeegerに質問してみました。答えは、それはやっていて、supplementary dataではbinocular rivalryではなくて実際にgratingが動くような刺激での応答を取って、それをモデルに組み込んでさっ引いている、というものでした。それで完全に取り除けているかまではよくわからないけれど、とにかく処置はしているようでした。これはMethodological issueだけれども、データの解釈に根本的に響く問題でして、こいつは話がわかった上で聞いてるな、という印象だけ持ってもらえれば私の目的は達したというものです。

最後の方ではpreliminaryなデータを披露。なかなかおもしろい。同じ系でattentionの効果を見たというものですが。くわしいことはいちおうコメントアウトしておきます。昨年のSFNでも出してないようなので。

セミナー後のラボツアーにむりやり押し込んでもらって、自分の話をすこし聞いてもらいました。相手は専門家だからこちらの用意した図を見てすぐに話はわかったようで、評価は良さそうだったのだけれど、(あちこち回った一番最後だったから)いかんせんお疲れのご様子で、あまり深いことは話せず。でも、出来るだけのことは出来たのではないかと。コツコツと宣伝活動でした。以上です。


2006年02月01日

David J. Heegerのトーク聞いてきました(つづき)

前回の続き。

話の内容はNature Neuroscience '05 "Traveling waves of activity in primary visual cortex during binocular rivalry"でした。これはどういう話かというと、binocular rivalry(=両眼視野闘争がなにかは省略。とりあえず見つけたリンクとしてはこのpdfの8ページを参考にしてください)では、右目と左目に別々に入った視覚刺激が一定の時間を持って入れ替わるのだけれど、その切り替わりの時間帯では片方の視覚刺激からもう片方へ一挙に切り替わるのではなくて、数秒かかってある視野の位置からだんだん広がるように切り替わってゆく、ということが知られています。んでもって、この切り替わりの過程をfMRIで見てやることで、視覚入力が同一な状態で、「見え」の切り替わりが起こるのを、V1のretinotopicalなmap内での活動の伝播として捉えてやろうとした、というのが今回の話です。

この切り替わりのタイミングを再現よく起こすために、視覚刺激にはリング状のgrating(縞模様)を使い、低コントラストのgratingを片目に提示してから、高コントラストのgratingを反対の目に提示します。んでもって、リング状の刺激の切り替わりが伝播したタイミングを被験者に報告させます。このタイミングとV1のactivationとを対応づけてやる、というわけです。たとえば、右上から右下に向かって低コントラストのgratingから高コントラストのgratingに切り替わってゆくのを見たときには、V1の右上視野に対応した部分から右下視野に対応した部分に向かってactivationの高いところが動いてゆく、というのを見ることが出来ます。

んでもって、被験者が伝播の速度が遅いと報告したときにはV1内でのactivationの伝播の速度も遅いし、被験者が伝播の速度が速いと報告したときにはV1内でのactivationの伝播の速度も速かった、というのがmain findingです。細かいことは省略。次回でこの話締めます。


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