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空飛びたこ

アーカイブ - 記録 詞 書き散らし

七つの光 - Mikalojus Konstantinas Čiurlionis III

 

 展覧会開催決定おめでとう!!!西洋美術館ありがとうありがとうありがとう。正式な案内が待ち遠しい。

lrkm.lrv.lt

 というようなわけでチュルリョーニス3。前の記事を「次で終わる」みたいな文言で締めたが、ちまちま調べ続けていたらちょっとスリリングな感じになってきて全然終わらない。この記事ではミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスと、近代の秘教や自然科学との関係などについて書きたい。エッセイです。

 

サムネ用《Pasaulio sutvėrimas》(1905/6)

 

チュルリョーニスと普遍主義

 「リトアニア民族主義に共鳴し、母国のフォークロアを探究した愛国者」としてのチュルリョーニス像を提示し続けてきたが、個人的にはチュルリョーニスの要点はむしろ「リトアニア的でない」要素がリトアニア的な要素と等価に存在していることのほうにある。つまり、チュルリョーニスは(いまでいう)グローバリスト、ひいては普遍主義者のようにも見えるということだ。

ciurlionis.euciurlionis.eu たとえばこれの上は《Bičiulystė》という絵で、日本語では「友愛」みたいな意味。四方に光を放射する球体が古代エジプトのネフェルティティに似た人間の横顔を照らしている。
 下は《Sonata Nr. 3 (Žalčio sonata)》、「蛇のソナタ」という意の呼称がついた個人的にかなり好きな絵。巨大な蛇が空とか山(平坦なリトアニアにこんな山ない)に向かって上昇したり海から生えていたりする様子が描かれていて、画面全体が曲線的な流線や俯瞰的な視点といった日本美術的な特徴をもつ。
 さらに、チュルリョーニスの絵のうえでは、科学と宗教や物と心、理性や感覚といったあらゆる二元的要素の相克や調和が一貫して見られる。もちろん東洋と西洋ということを含めて。

 チュルリョーニスの本質が一元性なのだとしたら。チュルリョーニス芸術のナショナリズムが持つ民俗性や局所性と対立するかと思われる、このような折衷主義や東洋主義、普遍主義と呼べるものははたしてどこからきたのだろう。
というのが個人的にずっとあった疑問で、結論から書くとこの答えは少しずつ見えてきた。おそらく重要なのは、忘れ去られたフランスの天文学者であり心霊研究者であるカミール・フラマリオンと、近代神智学のふたつだった。

 

近代神智学

 先に神智学について。いまいち知名度はないが、神智学(Theosophy)とはヘレナ・ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky)という女性を中心とした思想運動で、1875年にニューヨークに神智学協会というのが設立されたことにより本格的に始動した(この思想運動自体はいまも存続しているらしい)。「神智学」という語の起源自体はとても古く、聖書からグノーシス主義イスラム教神智学などなどいろんな伝統や文脈で使用されてきたもので、協会設立に際してこの語が選択された。
 西洋にとって近代という時代は、神秘と分離した物質主義的な自然科学が台頭した時代で(これらが統合された世界(Unus Mundus)を求めてユング錬金術を研究する)、その反動でスピリチュアリズムも大きく育っていた。神智学はその中でもとくに影響力があったものの一つで、協会員はチュルリョーニスのいた東欧を含むヨーロッパ各地にコミュニティやロッジを持っていた。前の記事で触れたヒルマ・アフ・クリント(展覧会開催決定おめでとう!来年!)やカンディンスキーラヴクラフトなんかも大きな影響を受けていることで知られる。

 神智学は複雑な教義を持っており筆者も全然理解していないが、基本的にはダーウィンの進化論と東洋の輪廻転生の影響のもと発展した「霊性進化論」を核としているみたい(この思想と系譜(オウムに至るまで)については大田俊寛さんの『現代オカルトの根源』に詳しく解説されている)。
 さらに、神智学の見解によれば、世界のあらゆる宗教は同一の古代の真理を基盤としていて、そこから生じたのちに分かれたものであったという。ゆえに神智学協会の目的は、その会員たちに
・さまざまな宗教、哲学、科学に「普遍的に」内在する永遠の真理を調査するように奨励すること
・永遠の真理に基づいた共通の倫理体系のもとに「すべての宗教、国家を調和させること」
 だった。以上によって、近代神智学は折衷主義とかコスモポリタリズム、全体論(+オリエンタリズム)みたいなものに特徴づけられる。

 はじめは単純に、チュルリョーニスは(チュルリョーニスと同じ時期に抽象的な絵画を描きはじめたヒルマのように)神智学からの影響を受けているのではないかと考えた。それでそんな感じの論文を探すためにチュルリョーニスアカデミアにあたってみると、どうやら同じようなことを考えた美術史家による論文や書籍は80年代くらいからぼちぼち出はじめていたらしく、いくつか読めたので手隙のときにそれらを読んでみた(ほぼリトアニアのジャーナルのもの。DeepLさまさま)。
 内容の詳細は省くが、濫読の結果としては、チュルリョーニスと神智学との関わりを充分に立証していると思える記述は発見できなかった。
(たとえばよくある主張が、↓この《Regėjimas》が神智学協会のエンブレムに似ているというやつだが、チュルリョーニスの組織めいたものに拘泥しない性向からしてそんなものをわざわざ描くはずないと思う。サイトも怒ってる)。

ciurlionis.eu

 しかし、チュルリョーニスに「神智学的な」考え方を間接的にもたらしたかもしれない神智学者がいることがだんだんとわかって、それがフラマリオンという人だった。

 

カミール・フラマリオン

 フラマリオン(Nicolas Camille Flammarion)は、いまは忘れられて久しいようだが当時は大きな影響力があった人物で、ヨーロッパの心霊ブームの最中でスピリチュアリズムと自然科学の研究を同時におこなっていた。一般向けの科学読みものみたいな本をいっぱい書き、それがえらく売れていたらしい。その内容は自身の専門とする天文学のみならず、生物学や化学など幅広い領域を網羅していた。神智学者としてもよく知られていたようで、ブラヴァツキーとも交流があり、彼女の主著に登場するほどだったそう。
 そして、なんとこのフラマリオンの著作にチュルリョーニスが熱中したことは判明しているそうなのである(だが、実際にその影響関係を検証している研究者はほぼいないらしい)(なぜ?)。
 そこで今度は興味本位でフラマリオンのアーカイブを読んでみた。ここにけっこうある。

gallica.bnf.fr

 これがわりあい面白く、仏語はまったくわからないが自動翻訳でもかなり読ませる文章で、当時の西洋近代科学が人びとに見せていた世界を楽しく俯瞰することができる。ほとんど自分で描いているらしい挿絵もよく、目にも楽しいので、当時売れたというのも納得できる感じ。
 読んでいく中で、チュルリョーニスの絵を思い出す場面がたくさんあった。1886年の著書“De Wereld vóór de schepping van den mensch(人類が創造される前の世界)”にはランフォリンクスやディモルフォドンなんかが出てくるが、これってもしかしてあのスケッチに出てきた翼竜なのかとか、“Dieu dans la nature(自然の中の神)”ではケプラーを引いて宇宙の調和を説いているけどこれって探せば(前の記事で書いた)天体音楽のこともどこかに書いているのではないか、だって他の本にはキルヒャーまで出てくるし、などなど。

ciurlionis.eu

 それだけではない、フラマリオンの著作全体を貫くものこそが他ならない(たぶん神智学由来の)普遍性と一元性への志向だった。以下引用。

有機的存在は未組織の世界と同様に同一の存在の発展である。全世界は巨大な統一によって支配されている(“Astronomie Populaire”)。
・地球上に生息するすべての存在―人間、動物、植物―の生命は、空気を媒体とし土を底辺とするひとつの生命、ひとつのシステムであり、この普遍的な生命は絶え間ない物質の交換にほかならない。
・あらゆる種類の偏見や利己主義が人と人との間に築き上げた障壁を取り払い、人類全体が人種、宗教、国家、肌の色の区別なく、自分たちを偉大な兄弟の家族として、ひとつの同じ目標に向かって行進するひとつの体としてとらえるようにする(“Dieu dans la nature”)。 

 なるほど、チュルリョーニスの作品を世界とそのすべての生命に開かせたのはフラマリオンなのかもしれない。ブラヴァツキーは「人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類愛の中核となること」を神智学の目的としていたが、フラマリオンを経由することで、チュルリョーニスはこういう考えとも接触していたのかもしれない。とここでひとまずの結論を得ることとなる。

 

折衷主義とオリエンタリズム

 また、冒頭に書いたようにチュルリョーニスの絵では科学と宗教が等価のものとして描かれるが(たとえば↓の《天地創造》では、神の手と始原の言葉の描写に始まるけど、全体的には進化論をなぞらえるようにして構成されている)、この唯物論的科学と信仰の対立の問題に関してもフラマリオンは再三述べているし、そもそも神智学自体ブラヴァツキーが「科学と宗教と哲学の再統一」を謳って創始したものでもあるから、ここにも繋がってくる。

ciurlionis.eu

 たぶんチュルリョーニスには、合理的な科学を理性のままに受容する近代人としての側面と、反自然的な文明に覆い隠された古代的な理想に感応する神秘家としての側面とが同居していて、フラマリオンや彼に内在する神智学のホーリズムはこの全体性を担保する役割を少なからず担ったんじゃないのかな。

 さらには、かなり重要なポイントとして、そもそもフラマリオンはリトアニアに注目していたという点がある。
 最初の記事に「リトアニア語はサンスクリット語と似てるくらい古いらしい」ということを書いたのだが、このリトアニア語と古代インドに広まった言語の関係について最初期に研究していた人物こそがなんとフラマリオンなのだった。神智学というのは雑にいえば古代の信仰を研究する運動なんだけど、フラマリオン自身はとくに、インドとリトアニアの神話・言語は共通の起源を持っていて、これらは歴史上もっとも古い宗教体系および言語の一つであると考えていたらしい。このことが書いてある本はまだ読めていないが、これらをチュルリョーニスが読んで知っていたとすれば、彼は「東洋」を、リトアニアとの繋がりという点において重視していたものと考えられるかもしれない。さらには(彼には古今東西の信仰を統合しようとするきらいのあったことを加味すれば)チュルリョーニスはリトアニアの文化を、東西文化の架け橋みたいにみなしていた可能性すらあるといえるかも。いいすぎ?

 チュルリョーニスの抱えていたリトアニア民族主義は排外的な方向に向かうものでは決してなくて、むしろ、さまざまな民族の宗教的伝統へと人びとの意識を向かわせて、それらを統一・一元化しようとした人物たちのコスモポリタニズムの影響の中で育まれたものなのかもしれないなぁというのが、最終的な結論。
 閉じながら開く。ともすればグローバルとローカルとのあいだで引き裂かれかねない昨今だが、絵画や音楽や物語というものには、内集団を囲いながらもその外に向かって開くことや、保守的でありながら革新的であること、自らの共同体に力を与える手で異質な他者をも肯定することもできるのかもしれないと、そんな大層なことをチュルリョーニスを見ていると思う。


参考 掲載号等省略

・Andrijauskas, A. (2021). Flammariono idėjų atspindžiai Čiurlionio estetikoje ir tapyboje. Logos - A Journal of Religion, Philosophy Comparative Cultural Studies and Art. 
・Andrijauskas, A. (2021). Ezoterizmo tendencijų atspindžiai stabrausko kūryboje. Logos - A Journal of Religion, Philosophy Comparative Cultural Studies and Art
・Andrijauskas, A. (2021). Mįslingas M. K. Čiurlionio simbolių ir metaforų pasaulis. Sovijus – Tarpdalykiniai kultūros tyrimai. 
・Introvigne, M. (2013). Enchanted Modernities: Theosophy and the Arts in the Modern World.

・Kotkowska, M. K., & Dulska, A. M. (2017). Kazimierz Stabrowski's Esoteric Dimensions Theosophy, Art, and the Vision of Femininity. La Rosa di Paracelso. 

・Micevičiūtė,D. (2021) Tapybinėje raiškoje. Ezoterizmo paralelės čiurlioniškojoje paradigmoje. Sovijus – Tarpdalykiniai kultūros tyrimai. 

など

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 いまはギンブタス(という立出身の考古学者)をちょこちょこ読んでいるから今度はそれをまとめたいけど、そんな時間があるかなぁ。

2024年はスピリチュアルまわりの近代画家にはまる(大学図書館の蔵書)

来年の手帳かわいくしてみた(Agnes Pelton《Rose and Palm》)

合成音声音楽31選

 

あんまり同人音楽を漁らなくなってきてしまったこのタイミングで感謝のまとめ(紹介)。お一方につき苦渋の1選×31(別名義(?)・ソロとコラボの被りはあり)。基本的には好きな投稿者の中で聴きやすいものを選んでるが好みを優先してる部分もある。おこがましいのでレビューみたいなのはなし、冬なので冬っぽいのに偏ってるかも。敬称略。

 

1. フレオロ/空中るさ(2016)

 

2. アルファ・チャンネル/mayrock(2016)

 

3. 何も感じなかったりする/離木かな(2017)

 

4. 松島マンボウ空泳説/あえる(2014)

10周年おめでとう(ということがどこかに書きたくてこの記事つくった)。松島にも行った。

 

5. Escape/One RoomジミーサムP)(2009)

 

6. アルゴリズムの庭/宮沢もよよ(2011)

 

7. Qムンベース/緊急ゆるポート(2013)

 

8. エジソン/cat nap(2021)

 

9. Tweedledum and Tweedledee/nina(2019)

 

10. おもしろいいきもの/ふるがね(2020)

 

11. アイドル/Puhyuneco (2017)

 

12. 真夜中の恐竜/青屋夏生(2017)

 

13. 回る夢の木馬/daluy(2014)

 

14. フォッサマグナ/baboo(2011)

 

15. Me_My/samayuzame(2015)

samayuzame.bandcamp.com

 

16. クリーム入り今川焼き/マグロジュース(2020)

 

17. 違います/目赤くなる(2017)

 

18. Sea Is/きくお(2015)

 

19. 人間たち/松傘、mayrock、緊急ゆるポート、sagishi、tramodog (2016)

 

20. Birthday/ryuryu (2017)

 

21. ブリキの地平線/Elitetao(2024)

 

22. Comet/フェザーミーム(2023)

 

23. かなた/ヤマシロマシロ(2017)

 

24. 水色照明/歩く人(2017)

 

25. すな/隅の恐竜(2019)

 

26. 音楽を聞いているのです/鈴木凹(2019)

jake7.bandcamp.com


27. アワーグラス/クロワッサンシカゴ(2016)

 

28. ghost/millestraw(2019)

 

29. Mort et naissance/Oeil-ウイユ(2018)

 

30. 脈打つための手引き(youtube ver.)/shr(2022)

www.youtube.com

オリジナルもいいのだがより動画が好み。


31. CRAWL/古川本舗(2009) 動画削除済み。古川さんのアルバム『PIANOLESSON E.P』で視聴可

 

 

熊野、高野山 8月

 

近畿を北から南にかけてうろうろしたうちの、紀伊の写真。人といたのであんまり撮っていない(しゃべりすぎてしまう)。和歌山には2日間いた。

サムネ用、いい感じに撮れた橋杭岩。泥岩に貫入したマグマが火成岩の脈となり、月日を経て海上に露出したもの(と書いてあった)。紀伊の海岸の奇岩なのにこれといった伝承もないみたい。空海が山から岩を担いできて一夜にして立てた、みたいなことが少しだけ言われているとか(これを?)

 

田辺湾。神島がちょうど見えるところまで歩きたかったのだが、宮崎近海での地震を受けてあまり長いこと海のそばにいるのはやめにしようということになった。

 

みなべ町のもとや魚店さんで食べたねぎとろ丼。高台にあって席から和歌山の海が望めた。おいしかった

 

ちょっと上って、熊楠邸。市街地の奥まったところにひっそりと・いきなりある。来てみると森というより全然海の町で意外。那智や神島はけっこう遠い(ふだん小さい県にいるから旅行先で地図を見るとスケール感を間違えてしまう)。

 

母屋

 

書斎。研究や写生・筆写を行っていた場所

 

研究に使う材料や文献がいっぱい収められていた土蔵。在野の人だ

 

楠の木たち。大きな庭の池に小太郎くんというクサガメ(熊楠の飼っていた亀の孫)がいるらしくわくわくしていたが、見当たらず会えず……。

 

南方熊楠顕彰館。この施設は熊楠邸に付属するかたちで建っていて、関連資料をたくさん所蔵してある。大人1人350円で入館可能。建物は新しく、内部には陽光がたくさん入るので狭めだが開けた印象。これは資料庫(例のキャラメルの箱が写真左下に)。

 

顕彰館の展示。最初のスペースに大きめの概説パネルがあり、展示品の一つひとつにも親切なキャプションがついていて、熊楠についてよく知らない人も退屈しないように作ってある。
3枚目は生物採集のときに用いていた籠。パレットにこびりついた絵の具に親近感を覚える

 

(本当はこの後もう少し海側に滞在する予定だったが、急遽予定変更し無謀にも)北上、高野山へ。
比叡山は山中からぎりぎり琵琶湖が望めるほどだった記憶があるが、高野山はそれ以上に深い山の中。しかし境内は平坦で広々としていた。これは壇上伽藍中門の多聞天像(1816)。顔がこわい。不思議な構造の服

 

壇上伽藍、金堂。よく見る根本大塔とともに期待以上の内容。いずれも大人1人500円で入場可能。この日友人に「これが金剛界曼荼羅だろう」と言ったほうが全部胎蔵曼荼羅だった。三次元空間におこされた、詩のわざによる宇宙的な形而上学(の視覚的表現)としての密教美術。見られてよかった

 

根本大塔

 

大会堂

 

東塔(斜めから撮る癖があるな……

 

金剛峯寺。全体的に素朴で、切妻屋根でできた正面の三角の部分にかっこいい木彫りの竜がいる。屋根の上にある桶に水を溜めておいて火災時の類焼を防ぐらしい。思いのほか広くない

 

竜のところの下の意匠。花々と獅子

 

金剛峯寺は大人1人1000円で中が見られる(空いていた)。ぎらぎらの曼荼羅のいかつさの後だと粛々とした各間の襖絵にもあたたかみを感じる。ぎしぎしと軋む廊下。竈や暖をとるための囲炉裏の部屋などもあって、いままで見た有名な神社仏閣のなかではいちばん生活(?)感があった。

 

蟠龍庭。1984年の作庭。広い。くねくね蛇行する石。写真だと伝わらないが、白い部分が廊下の足元の下を広がるので雲海みたいだった

 

散歩用に買ってみたフラッペ(高野山はコンビニもあって便利)

 

すごい睡蓮(ぎちぎち)

 

大師協会本部脇にぽつんとある修行大師像

 

かわいい

ふらふらしてから、山を降りる。いきなり来ることになったのでろくに事前準備をしておらず、着いてからちらちらネットを見るのもなぁというのであんまり調べることをしなかったため後にいろいろ見逃しを発見し、高野山に関しては不完全燃焼な感じが残る。

 

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自分史上もっとも南に行った(ほっとくと北上しかしない)。通りがかりだったから写真はないけど、花の窟があるあたりから日没後の異様な雰囲気の熊野灘を見て、かつて南海に常世が想像された理由とか、やたら南方志向だった人たちの持っていた感覚が初めてぼんやりわかった気がした。これはよかった。どんな地理や気候がどんなふうに人の思考に作用するのかも考えると面白いかも(とくに民俗学の考察は地理学が導入されないと充分なものになりえないのではと思った)(わたしはどっちもまったく専門じゃないんだけど)。
和歌山南部は自然が鮮やかで魚もおいしくて、いいところだった。また行きたいな。次は夏じゃないときに。西日本の夏、とにかくあつい……

 

串本漁港(まだ明るい)

 

祭壇と奉献 - Mikalojus Konstantinas Čiurlionis II

 

 チュルリョーニス2。前の記事の続き。この記事ではミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスの絵画作品を厳選して紹介しようと思う。あまりにもいろいろ語りすぎているが、文章は読まなくていいので絵だけでも見てほしい。前回同様図はVaiva Laukaitienė編 Mikalojus Konstantinas Čiurlionis. Tapyba. Painting から作成。

 

美術
 チュルリョーニスはポーランド語のみしか自由に話すことができなかったから、音楽留学をしていたライプツィヒ音楽院では強い疎外感を覚えていたという。26歳頃、貧しい彼を援助していた教授の死を受けて学位を諦め、精神的に疲弊した状態で故郷に戻る。
 実家でちょっとゆっくりしたかと思うと、今度は絵画教室に通いはじめる(もともと絵を描くこと自体はたびたびあったみたい)。翌年の夏には象徴派っぽい絵を描くようになり、その後28歳?でワルシャワ美術学校に入学(1904年)。35歳で病死するまでのたった7年ほどのあいだに、チュルリョーニスは作曲と並行して300〜400点くらいの絵画作品を描いた。
 また、美術学校入学直後に第一次ロシア革命が起きていて、チュルリョーニスの民族意識はこのとき母国リトアニアの人びとを案じるなかで芽生えていったと思われる(前回の《天地創造》はこの頃の絵)。以下はその後の作品になる。制作順に紹介します。

 

《 Himnas. II 》,《 Kibirkštis. III 》(ともに1906)。
 この2作は対とかではなくそれぞれべつの連作の2枚目と3枚目なのだが、見比べるとチュルリョーニスのくせがよくわかる。チュルリョーニスは画面を水平に割りがちであり、ここに天と地・光と闇などの二元的なものが同時に提示されるよう構成することが多い。また、1枚目の下方みたいに、彼の絵では月と太陽の現れが繰り返されるんだけど、リトアニア神話においてはどうも太陽と月がたいてい番として登場するようで、そのあたりの意識もあるのかもしれない。城のようにも見える発光源はよく見ると王座(「王」というモチーフはチュルリョーニスの作品に何度も出てくる)。
 連作全点のリンクは以下に。ちなみに、Himnasは「聖歌」、Kibirkštisは「火花(「煌き」と訳されているがちょっと違う気が)」ほどの意味。


ciurlionis.eu

ciurlionis.eu

 

《 Liūdesys I 》1906-7。好きな絵。抽象絵画と呼べるもののほぼ存在していない時期(※)にこの行列をなした謎の円錐を描けるのは本当にすごい。風にさわさわと揺れている未来や過去の植物にも見えるし、有象無象のプシュケーの巡礼にも見える。Liūdesysとは「哀しみ」の意。チュルリョーニスはこの頃国内の美術展に絵画を出品しはじめるが、ほとんど理解されなかった。

抽象絵画の先駆者として挙げられる(ようになってきた)画家にヒルマ・アフ・クリントという人がいて、スウェーデンに暮らしていた彼女が抽象画と呼べそうなものを描きはじめたのがこれとまったく同時期。あとカンディンスキーが初めて抽象画を描いたのが1910年と言われ、チュルリョーニスがカンディンスキー(露)に影響を与えたのかどうかはしばしば議論される点。ヒルマ、めっちゃ好きなので、いずれ書けるといいな……

 

《 Pasaka 》全3点、1907。これくらいの時期から本格的に象徴主義に接近し、具体性は増すかたちになる(作家性も極まっていく)。1枚目では何者かたちが連れ立って勾配を上がっているが、この山の頂上をよく見ると顔みたいになっており、おそらくリトアニアの精霊信仰が意識されている。Pasakaは「おとぎ話」のような意味で、チュルリョーニスは音楽にリトアニア民謡を取り入れたように絵画にも民話を取り入れた。これらは特定の伝承に基づくというよりはだいたい既存の・元型的な物語のパターンをトレースしながらオリジナルに作られたものじゃないかと思う。ちなみにこの絵は、「山の上に願いを叶えてくれる皇女がいると信じられていたけど、幸福を求めて人びとが山を登った先ではたんぽぽを見て泣いている小さな子どもがいるだけだった」というストーリー。
 だんだん色彩感覚も個性的になっていって、ビビッドな色の挿し方がおしゃれになるんだけど、デジタルの画面では色調が出しにくくて残念。3枚目、向かって左の塔の極彩の橙がきれいなのだが(後方の太陽?のような白の使い方も、どうしたらできるようになるのか)。

 

 

《 Sonata Nr.5 ( Jūros sonata ) 》、1908。「海のソナタ」。
 青の反対色を全面に使って海を描く大胆さが好きだ。
 1枚目(Allegro)をよく見ると鳥と魚が同時に描かれている。その上で波の重なりが山?砂丘?になりかわっていっているが、チュルリョーニスはこんな感じで形態に類似性のあるものを抽象によって接続することがけっこうあった。水泡とも真珠ともつかないようなもの、も半ば規則的に散らばっていて、この光る球体は2枚目(Andante)・3枚目(Finale)にもリズムの変化を伴いつつ登場する。こういうモチーフの連続もチュルリョーニスがよくやるやつで、音楽において音型の繰り返しを取り入れていたことと重なるだろう。また音楽で無調に発見したような自由を、本作品を通して美術にも見込みはじめていたように思える(ここからさらに化けるので)。
 この頃には交響詩「Jūra」が完成し、チュルリョーニスが中心となった美術展をヴィリニュスで開催したこともあって、そこそこ知られる人物となっていたみたい。観客の反応は依然芳しくなかったようだけど。

 それと、同じタイトルの散文詩もある。リトアニア語が読めたらな……。

ciurlionis.eu

 

 

《 Sonata Nr.6 ( Žvaigždžių sonata ) 》、1908。「星のソナタ」。
 もうなんか……すごいことに。連作2点をまたいで水平に走る橋、の上に天使がいて下に惑星みたいな宇宙卵みたいな球体がある。星雲にも五線譜にも似た帯が画面を覆い、音波みたいに揺れている。うまく写(映)っていないがこれも彩色がよく、刺すようなコバルトブルーによって全体が締まっている。
 チュルリョーニスのサイトにはこの作品の構想段階?かなにかのスケッチも載っていて、これが夢のある感じなのだ。よく見ると同じ橋の架かったパートが上の絵に加えてまだ2つあり、変な植物のようなのときのこが生えていて、その上を翼竜?が飛んでいる。もし本来の完成形があったなら見たかったなぁ。

ciurlionis.eu

 古来いろんな数学者や天文学者が宇宙は天体が織りなすハーモニーでできていると考えていたと言うけど、そのあたりが霊感源だったりもするのだろうか。とにかくこの絵はオカルティックでいいな。

 

 

《 Angelas 》(「天使」)、1909。このあたりからさらに具象に向かい描き込みも細やかになる。いつまでも天地を含めた高さを遠くから描くことが好きだったようで、その仲介(中間地点)としてしばしば描かれたのが天使だった。赤色の配り方を見ても、本格的に描きはじめて数えるほどの年数しか経っていないとは思えない目のよさ。天使繋がりで、なんとなく日本での人気が高そうな気がする絵《 Angelėliai ( Rojus ) 》(1909)のリンクも。《 Angelas 》《 Angelėliai ( Rojus ) 》どちらも天使たちが画面右側に向かって伸びる階段を上っている。

ciurlionis.eu なおこの年にチュルリョーニスはソフィアという女性と結婚しており、彼は完璧なリトアニア語を話す彼女から母国語を学んだという。

 

《 Auka 》(「奉献」)、《 Aukuras 》(「祭壇」)ともに1909。連作ではないがタイトルが呼応するので並べてみた。奉献する天使と祭壇、たぶん供物を燃やす犠牲の火(の煙)。この年の絵は気体が輪郭を持っていてかわいい。独特の遠近感と陰影で平面と立体の中間くらいの絵を作っている。
 チュルリョーニスはいつも直線の使い方がおもしろくて、想像力は柔らかいのに必ずまっすぐ仕切られている。前回の記事でも触れたように彼は近代科学へのあこがれが少なからずあったっぽいのだが、線は雄弁なので、そういう合理的鍛錬の発現のように思えなくもない。
 この頃の絵ならさすがに当時でも受け入れられたのでは……と思うけど、チュルリョーニスが生前に展覧会で展示をしたのは08年の星・海あたりまでで、ここでも肯定的な評価を受けることはなかった。

 

《 Rex 》(「王」)、1909。代表作とみなされることの多い大きな絵。祭壇に火が灯り、水平に張られた水が鏡面となってそれを映している。画面中央には王座があって、もうひと回り大きい王座の暗いシルエットを背に抱えて王が鎮座する。足場とする地球の地から階層をなす形でいくつも天球が(天地を複数含みながら)描かれており、最後の天上で星々の光を受けた天使たちが並んで歩いている。四大元素とチュルリョーニス的な陰陽原理がてんこもりの大作。
 ほぼ同じ構成のがグラフィック作品にもあって、これもかわいい。こっちにはもくもくした星雲がある(水面に立っている切り立った崖のようなものは上の絵画にだけある)。

ciurlionis.eu

 《 Rex 》の到達を見ていると、チュルリョーニスがあと少しでも生きていたら美術の歴史さえもいまとは様相を違えていただろうと思わされる。しかし彼はこの頃にはすでに経済的にも精神的にも限界に近づいており、《 Rex 》の2年後に病死してしまった。この絵についてはもうちょっと言いたいことがあるのだが、また今度。

 数点になってしまったがすでにけっこう長くなっちゃったので美術はここまで。次に参考になるものの紹介と、あとは余談を少しして終わろうかな……。

 

 

天地創造 - Mikalojus Konstantinas Čiurlionis I

 

 100年過小評価のミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875 - 1911)について好きに書く。
 図像はVaiva Laukaitienė編Mikalojus Konstantinas Čiurlionis. Tapyba. Painting (2021)からわたしが作成したものを使う。なお、チュルリョーニスの記事は増えたほうがいいので書くのであってわたしは研究者でさえないから、これはエッセイでかなりの部分が主観により、脱線も多い。参考になる文献や図録、チュルリョーニスへのアクセスのしかたについては最後に紹介する。

 イメージを最初に提示しておこう。1906-7年あたりの絵画で、タイトルは《Juozapo sapnas》(「ヨセフの夢」くらいの意味らしい)。

 チュルリョーニスはこんな感じの象徴主義的な絵を描いたり、あとは音楽も文芸もやったりしたという人で、音楽の文脈ではわりあい言及されているけど、それでも世界的にはほとんど知られておらず過小評価もいいところ。この記事では出自と音楽について多めに書いてみる。ふたつめの記事で美術をメインに扱うと思う(たぶん)。

 

チュルリョーニスとその時代について

 ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは1875年、東欧リトアニアの南のほうにあるヴァレナという森に囲まれた片田舎に生まれる。この頃のリトアニアポーランド分割の影響でロシア化が進んでいて、ポーランド人とリトアニア人の区別もままならず、人びとのあいだで密かに民族意識が高まっていた時期でもあったそうだ。また、かつてこの国は多神教信仰の根強いアニミズムの土地であったがむろん近代にはカトリック化していた。
 さらに、日本で一度だけあった展覧会の図録に載っている沼野充義さん(!)の論考によると、リトアニア語は印欧語族のなかでも(サンスクリット語に近い特徴を残しているくらい)際立って古いものであるらしいのだが、この頃にはすでに農民しか話すことができなかった。リトアニアにおける文化的危機の時代にあって、こういうものを護るためにナショナリストとして母国に献身したのがチュルリョーニスという総合芸術家だったといえる。教科書的なイントロとなってしまったけれど、このことを念頭に置かれたい。

 

音楽

 チュルリョーニスには音楽の才能があったので、ワルシャワライプツィヒへの留学(相当な苦学生だったみたい)を経て初めは音楽家として活動していく。けっきょく死ぬまでに約400曲の音楽作品を制作し、その内容も交響詩に合唱曲、ピアノ曲、弦楽団やオルガンのための作品などなどいろいろあった。しかしのちの戦火で失われてしまったのか、写本はほぼ残存していない。
 交響詩がいいのだ。完成物はふたつしかなくてどちらもソナタ形式、ひとつめが「Miske」(「森にて」のような意味。1901)。

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 地味。わたしたちの脳が明瞭ととらえるメロディーがないので劇伴っぽさがある。メロディーラインとその言語的な語りに感動を沿わせて単線的・短文的な感覚に誘導する(収斂させる)のではなく、あちこちに偏在する木霊みたいな謎の精神がそれぞれに意思をもつ声として響いているのを見せる感じ(交響アンビエント)。アンリ・ベルクソンというかしこい神秘家が、メロディーの連続的に継起された状況を使って「持続」という概念を喩えるけど、それでわたしはいつもこの曲を思い出す。生成と変化の音楽。管楽器、とくにクラリネットがよい。
 この曲は不思議なつくりで、本国の方の研究によると曲がA-B-C-D-C-B-Aというアーチ構造になっているらしいが、わたしにはまったくわからない。

 

 次に「Jūra」(「海」という意味。1907)。名曲だと思う。絵画作品にも《海のソナタ(Sonata Nr. 5 (Jūros sonata))》というタイトルの連作があるので一緒に見られると理想。

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 相変わらず追いかけても逃げていく蜃気楼みたいなメロディーだけど、「Miske」よりはわかりやすい。いくつもの主題の重なりが寄せては返す波のように繰り返されて、いきなり荒れたり穏やかになったりする。ピチカートがかわいい。チュルリョーニスは後期のピアノ作品で無調に接近していくのだが、この曲もイントロだけでニ長調ホ長調、ロ長短調イ長調と見られ(もっとあるかも?)、調性の自由への欲求がのぞいている。
 ちなみに、現段階で特定できてないんだけど、この交響詩にはリトアニア民謡がいくつか引用されているとか。それだけではなく曲の構造にリトアニア民族音楽に見られるオスティナート(音型の繰り返し)や可変拍子が応用されている。

 ちなみに2、リトアニア民族音楽とはこういうの。Folkloro Ansamblis Gilė さん「MOČIUTE MANO」

www.youtube.com 東欧に行きたい……。

 

 そういうわけで、音楽史的なことをいえばチュルリョーニスは後期ロマン派から国民楽派の流れに位置づけられそうである(わたしはアカデミックな音楽教育を受けていないのでなんとなくで言っています)。とはいえ交響詩そのものの民俗性はそこまで濃くなく、スメタナのそれほど田園的でもないしドヴォルザークほど歌謡的でもない。すくなくとも交響詩においては国際性、リトアニアに閉じないことも強く意識されたようだ。
 また実際に民謡を合唱曲として編曲などもしていて、あまり聴けていないが現時点では以下がわたしのお気に入り。

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 そうだ、これもかわいい。チュルリョーニスによる、生前に刊行されるはずだった民謡集のビネット。民藝デザインを取り入れているみたい。上にT2ファージみたいなのがいる。

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 ところで、上に挙げた交響詩の動画にはいずれも SP's score videos さんによってありがたくもスコアが付けられていて、「Jūra」のほうなんかををよく見ると楽譜上で音がデザインされている感じを受ける。21分あたりなど音符の配置が波形っぽいし、初めのほうもスラーの連続が波っぽい。
 それもそうで、Mikalojus Konstantinas Čiurlionis : die Welt als grosse Sinfonie(1998)というカタログの論考によれば、チュルリョーニスは楽譜を単なる記号のかたまりではなく一つのイメージとしてとらえていたようなのだ。ヘ音記号は逆さまにすると蛇に見えるというへんな気づきを得ていたり、おじさん付きのアコレード(同時に演奏される五線譜の集まり)を作っていたりする。

創作記号、おじさんアコレード

 チュルリョーニスは音楽と絵画を並列的にとらえ、両メディアを構成するシステムを照応させながら個の制作原理を組織していく実験家だった。留学当時のワルシャワではワーグナーも演奏されていたようだし、いわゆる総合芸術というアイデアからの影響もあったのかもしれない(なんとなくで言っています)。
 


 また、未完に終わっているが森・海より断然聴きやすいものとして「Pasaulio sutvėrimas」、「天地創造」という意味のすごくいい交響詩もあり、わたしはこれだけCDを持っている。でもあいにく動画はないのでspotifyから。

 

 同タイトルの作品は絵画にもある。こっちは13点にわたる連作で宇宙的なイメージが強い。

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(画像大きいかも……すみません)
 タイトルが天地創造であるとはいえ絶対者っぽい王がいる以外はそんなに宗教的でもなく、地球とその進化の様相が詩と科学の目でもって生彩に描かれていく。菌類も生えまくっているのがいい。
 チュルリョーニスの公式サイトによると、彼は自然科学に特大な関心があって、カント-ラプラスの星雲説をよく勉強したようだ。だからいまとほぼ同じ星雲説に依拠している可能性がある。
 そう考えると、曲の嚆矢となるコントラバス?の低音の混沌からしだいに音が集合していくのは原始星雲の冷却や収縮段階の比喩で、急にばーんとなるのが惑星誕生のことなのかも。絵画の2枚目をよく見ると、画面下半分の円盤のなかで白い線がくるくると回転している。
 音だけ聴いても森・海よりも明瞭で物語的、そんなに掴みどころなさも感じない。この曲に関してはもうすこし研究してみたい。

 

 ところで2、あんまり関係ないと思うけど、無調研究のシェーンベルクゲーテの「原植物」に影響を受けながら十二音技法を構想していたそうなのだ(なんとチュルリョーニスはこれより早く7、8音くらいの無調技法を研究していた)。絵画中の植物の形態描写からもどうにもゲーテ的なメタモルフォーゼを感じるような……とここもけっこう研究の余地ありで、チュルリョーニスの汎神論的な想像力と生命進化へのまなざしは、こういう科学者詩人たちを経由することで結べそうな気がする。脱線。

 

 音楽についてはこれくらいに。わたしの主観ではチュルリョーニスのいいのはなにをおいても絵画なのだ。

 

(この記事にもいずれ参考文献のせます

 

Q(歌詞)

2019  公開した! 歌詞

 

くるみのなかくるみのなかくるみのなかくるみのなか

けむしのうらけむしのうらけむしのうらけむしのうら

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

えにしだのめとかげのつめかもしかのはぺりかんのわ

おもだかのねおうむのほねいわしのむれかえるのつば

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

われるわれるたまごのからあひるのたまごのからから

あやまちのかたちすなわちぱたごなのぱらぼらならば

あるぱかのあるきかたのきんこんきんのいんがですか 

たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた

すいくだむしただしぴぴぴすてれおだしげしのあさに

くえいさのでんぱのたてがみをなでつけるのかそうか

ははははははぷかりぷかりあるいはらららららなので

わわわわわわつまりつまりはそらしらそらそはそはみ  

つかのまのほこりとちりのぶらんこをこいでいるけど

まがさしてとじるまぶたのはりついてそのかぜをしる

るるるるるるもぐるはしるくぐるさめるなめるるるる

きえるまねるささえるくべつするおびえるあこがれる

あれはあれはあれはあれはまんとるのいしのほとりの

むささびのひだのただれのかげのながさのかめれおん

えうろぱのみずのながれのしたのそらのしたにしたに

いるかいるかいるかいるかとんだとんだとんだとんだ

らららららららららららら

            らららららららららららら

ららら   ららら   ららら   ららら

   ら     ら     ら     ら

すなのちにつづくさかみちこおりのゆかこおりのゆか

それからはつづくねむりのさそりさそりさそりさそり

うねりくだりうねりくだりひくいどりみなみをあおぎ

はたしてかなたにつめたきうずまきのほしのひしめき

ひだのただれきりのかおりいるかいるかいるかいるか

いるかいるかいるかいるかとんだとんだとんだとんだ

とんだとんだとんだとんだぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ

ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱゆえに

ありとなしのまんなかになみだちやまぬこえがあれば

いちとにいのふとうめいなこたえあわせのれんぞくが

りんぐれらのしんだつちのたくしあげるふるいねつを

うぬぼれるよるのくらげのうでのひかりにかえすまで

できあいのはくげいのちのかえりみちをたどれるけど

まなざしておどるてんしのおそらくはおろかさがいる

それでどうだあれはそうだそりとんのつらなりなのだ

うみつぼみのこどもなのだあんどろめだのうたなのだ

たいたんのたいきけんのめたんのおおきさのかさぶた

まつりのちんもくのあとのふくすうのあざらしのひふ

ゆうれいのみぎてのいろのさめのいつくしみのおわり

しんきろうのなつのひのゆめのれぷりかのかなしみよ

はなさないではなさないではなさないではなさないで

はなさないではなさないではなさないではなさないで

ありとなしのまんなかになみだちやまぬこえがあれば

こえがあればこえがあればらららららららららららら

らくだのしたらくだのしたらくだのしたらくだのした

ほたるのはねほたるのはねほたるのはねほたるのはね

とびうおのめとびうおのめとびうおのめとびうおのめ

かもめのあしかもめのあしかもめのあしかもめのあし

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

ごきげんようごきげんようごきげんようごきげんよう

けむしのうらけむしのうらけむしのうらけむしのうら

くるみのなかくるみのなかくるみのなかくるみのなか

 

バンフ、ドラムヘラー、アリス・マンロー 2017

 

今は昔なアルバータ州研修にて。まともな写真が数枚しかない。2017

 

バンフへ向かう車窓からカナディアンロッキーと針葉樹林、デジタルカメラの反射

 

 

かわいい建物が軒を連ねるバンフのメインストリート。観光の盛んな山にある町の風景は世界のどこもけっこう似ている。1枚目からの道で巨大なヘラジカを目撃したので(幸運らしい)(めちゃでかかった)、ここの近くのお土産やさんで記念にヘラジカグッズを買った

 

 

バンフゴンドラに乗ってサルファーマウンテンの頂上より。生きてきてもっとも心に残っている光景のひとつなのだが、写真ではいやにくすんで&ぼやけてしまっていて、まったくわたしの見た通りのものではない。肉眼ではいちめんにカナディアンロッキーが見えて、大量の雪が静かに降り続いていた。坂本龍一さんの「The Other Side of Love」を聴くと個人的にはいつもこの景色を思い出す。たんに曲調からの連想にすぎないが。標高は2400mとのこと

 

 

雪原と化したレイクルイーズ。本来は氷河岩粉?のせいでエメラルドグリーンになるらしい湖。雪のほうがうれしい

 

 

ロイヤル・ティレル古生物学博物館のプリパレーターさん(お顔をぼかした)。研修旅行だったのでティレルの写真は全然ないのだけど、とても開けていて親しみやすい雰囲気だった印象がある。一押しはさすがにアルバートサウルス。デスポーズの状態の標本が多く、ブラックビューティーの前で友人と写真を撮った。

ここは福井県立恐竜博物館と並んで最大の恐竜博物館ということになっているそうだが、恐竜以外の古生物(バージェス動物群)についても非常に充実していて、途中にある地球史をたどる展示などは面食らうほど気合が入っていた。

福井県立恐竜博物館さんほどのダイナミックさというか、臨場感みたいなものはあまりないけれど、オリジナルの標本が多く出ているとのことだし、周辺の地理もあいまってまた違った魅力があるので、機会があればぜったい足を運んでみて。また行きたい!

 

そういえばFPDMで撮った姉妹提携書とやら

 

 

州立恐竜公園の美しい古代地層。バッドランドは見渡すかぎりの不毛地帯、果ては360°地平線の大光景。かつては海だったり多雨林の湿地帯だったりしたらしい。

ドラムヘラーの町にはいたるところに古生物の図柄があって、福井みたいに嘘の恐竜たちものさばっていたが、みんな顔がまぬけでかわいかった

 

 

奇岩フードゥー。エリンギ?

 

そうだ、なんとなんと、わたしがティレルに行った日から1ヶ月も経たないうちにボレアロペルタ(という名前のついた恐竜の、史上もっとも保存状態のいい化石)の一般公開が始まっていたとか。また見に行くまではぜったい死ねません

 

 

マンローが亡くなったので追記。(2024.05)

 書いていなかったがこの渡加ではクレストの小竹由美子さん訳によるアリス・マンローイラクサ』を持っていって読むということをしていた。わたしは当時高校生で、帰国後学校から文集を編むので研修の感想を書けと言われて書いたのが以下の文章。

カナダでアリス・マンローの『イラクサ』を読んだことは、ホームステイや観光と同じように、わたしが出国前から予定し、カナダから持ち帰った大切な経験のひとつです。
繊細に紡がれる語句の隙間から、日常の感傷や閑適な生活の息遣いを含んだ、カナダの乾燥した風が流れ込んできそうな文学。と言うとちょっと大袈裟だけど、わたしはこの研修を通して、そういう澄んだ空気感を持ったマンローの本の寛大さは、想像の何倍も広かったカナダで送る悠々とした生活の中で執筆されてこそ生まれるものなんだと知りました。
「牛のいる丘陵」、「信仰によって生きている人」、「ティム・ホートンズ」、「セブンイレブン」。ホストや友人との毎日の中、小説と同じものの発見を重ねられてよかったです。
大事な家族のいるカナダに、たぶんまた行きます。そのときはまた違う本を読みたい。

 だそうだ。

 尋常ではない量の知識と人生の体験の記憶に裏打ちされた堅固で柔軟な手つきで、人間と人間のあいだに一瞬だけ生じるすべての機微をつかまえていく短編たち、というような作風の巨人も晩年に認知症を患ってのちこの世を去ってしまうのはまったく無常を感じさせられることであるなと思いつつ、そういえば、と読み返したのが「クマが山を越えてきた」という妻が認知症を患ってしまった浮気性の男性の話で、じつに4年とかそれくらいぶりのマンローだったけど面白かった。あらかじめ設定された厖大な事実のうちの数個が順不同に出し抜けに明かされ、こちらがそれらを手繰り寄せたり並べ替えたり余白を想像したりしながら全体を編み上げていかなければならない、みたいなタイプの小説は脳みそのあちこちを使える感じがして純粋に楽しい(疲れるけど)。リアリズムから離れて久しかったので退屈に感じるようになっていたらと心配したが、技術は流儀とかを超えることがあるらしい。
「グラントは満足感を覚えた――否定する必要はないだろう――マリアンをそういう気持ちにさせたということに。彼女の人格の表面に揺らめきのようなもの、曇りのようなものを生ぜしめたことに。彼女のつっけんどんな広母音のなかにこのかすかな懇願を聞けたことに。」
 こういうひと息で視界が鮮明になったような気になる文章にありつくためにマンローを読んでいた気がする。ぼーっとしているわりに心中になんでも詰め込みすぎて熱暴走しがちだった自分には、広くて寒くて乾いた実在の異国のイメージ、またそれらを長大な時間の感覚のなかで喚起させつつ心身の風通しをよくしてくれる物語が「ある」ということが、ありがたかった。ありがとうありがとう。

 

 カルガリーダウンタウンにあるショッピングモールでやっと見つけた書店で、まあ大学生くらいになったら読めるようになるだろうと24カナダドルで買った原著(日本文学は『海辺のカフカ』だけあった)。7年経つが、ふつうにぜんぜん読めない。