展覧会開催決定おめでとう!!!西洋美術館ありがとうありがとうありがとう。正式な案内が待ち遠しい。
というようなわけでチュルリョーニス3。前の記事を「次で終わる」みたいな文言で締めたが、ちまちま調べ続けていたらちょっとスリリングな感じになってきて全然終わらない。この記事ではミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスと、近代の秘教や自然科学との関係などについて書きたい。エッセイです。
サムネ用《Pasaulio sutvėrimas》(1905/6)
チュルリョーニスと普遍主義
「リトアニアの民族主義に共鳴し、母国のフォークロアを探究した愛国者」としてのチュルリョーニス像を提示し続けてきたが、個人的にはチュルリョーニスの要点はむしろ「リトアニア的でない」要素がリトアニア的な要素と等価に存在していることのほうにある。つまり、チュルリョーニスは(いまでいう)グローバリスト、ひいては普遍主義者のようにも見えるということだ。
ciurlionis.euciurlionis.eu たとえばこれの上は《Bičiulystė》という絵で、日本語では「友愛」みたいな意味。四方に光を放射する球体が古代エジプトのネフェルティティに似た人間の横顔を照らしている。
下は《Sonata Nr. 3 (Žalčio sonata)》、「蛇のソナタ」という意の呼称がついた個人的にかなり好きな絵。巨大な蛇が空とか山(平坦なリトアニアにこんな山ない)に向かって上昇したり海から生えていたりする様子が描かれていて、画面全体が曲線的な流線や俯瞰的な視点といった日本美術的な特徴をもつ。
さらに、チュルリョーニスの絵のうえでは、科学と宗教や物と心、理性や感覚といったあらゆる二元的要素の相克や調和が一貫して見られる。もちろん東洋と西洋ということを含めて。
チュルリョーニスの本質が一元性なのだとしたら。チュルリョーニス芸術のナショナリズムが持つ民俗性や局所性と対立するかと思われる、このような折衷主義や東洋主義、普遍主義と呼べるものははたしてどこからきたのだろう。
というのが個人的にずっとあった疑問で、結論から書くとこの答えは少しずつ見えてきた。おそらく重要なのは、忘れ去られたフランスの天文学者であり心霊研究者であるカミール・フラマリオンと、近代神智学のふたつだった。
近代神智学
先に神智学について。いまいち知名度はないが、神智学(Theosophy)とはヘレナ・ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky)という女性を中心とした思想運動で、1875年にニューヨークに神智学協会というのが設立されたことにより本格的に始動した(この思想運動自体はいまも存続しているらしい)。「神智学」という語の起源自体はとても古く、聖書からグノーシス主義、イスラム教神智学などなどいろんな伝統や文脈で使用されてきたもので、協会設立に際してこの語が選択された。
西洋にとって近代という時代は、神秘と分離した物質主義的な自然科学が台頭した時代で(これらが統合された世界(Unus Mundus)を求めてユングは錬金術を研究する)、その反動でスピリチュアリズムも大きく育っていた。神智学はその中でもとくに影響力があったものの一つで、協会員はチュルリョーニスのいた東欧を含むヨーロッパ各地にコミュニティやロッジを持っていた。前の記事で触れたヒルマ・アフ・クリント(展覧会開催決定おめでとう!来年!)やカンディンスキー、ラヴクラフトなんかも大きな影響を受けていることで知られる。
神智学は複雑な教義を持っており筆者も全然理解していないが、基本的にはダーウィンの進化論と東洋の輪廻転生の影響のもと発展した「霊性進化論」を核としているみたい(この思想と系譜(オウムに至るまで)については大田俊寛さんの『現代オカルトの根源』に詳しく解説されている)。
さらに、神智学の見解によれば、世界のあらゆる宗教は同一の古代の真理を基盤としていて、そこから生じたのちに分かれたものであったという。ゆえに神智学協会の目的は、その会員たちに
・さまざまな宗教、哲学、科学に「普遍的に」内在する永遠の真理を調査するように奨励すること
・永遠の真理に基づいた共通の倫理体系のもとに「すべての宗教、国家を調和させること」
だった。以上によって、近代神智学は折衷主義とかコスモポリタリズム、全体論(+オリエンタリズム)みたいなものに特徴づけられる。
はじめは単純に、チュルリョーニスは(チュルリョーニスと同じ時期に抽象的な絵画を描きはじめたヒルマのように)神智学からの影響を受けているのではないかと考えた。それでそんな感じの論文を探すためにチュルリョーニスアカデミアにあたってみると、どうやら同じようなことを考えた美術史家による論文や書籍は80年代くらいからぼちぼち出はじめていたらしく、いくつか読めたので手隙のときにそれらを読んでみた(ほぼリトアニアのジャーナルのもの。DeepLさまさま)。
内容の詳細は省くが、濫読の結果としては、チュルリョーニスと神智学との関わりを充分に立証していると思える記述は発見できなかった。
(たとえばよくある主張が、↓この《Regėjimas》が神智学協会のエンブレムに似ているというやつだが、チュルリョーニスの組織めいたものに拘泥しない性向からしてそんなものをわざわざ描くはずないと思う。サイトも怒ってる)。
しかし、チュルリョーニスに「神智学的な」考え方を間接的にもたらしたかもしれない神智学者がいることがだんだんとわかって、それがフラマリオンという人だった。
カミール・フラマリオン
フラマリオン(Nicolas Camille Flammarion)は、いまは忘れられて久しいようだが当時は大きな影響力があった人物で、ヨーロッパの心霊ブームの最中でスピリチュアリズムと自然科学の研究を同時におこなっていた。一般向けの科学読みものみたいな本をいっぱい書き、それがえらく売れていたらしい。その内容は自身の専門とする天文学のみならず、生物学や化学など幅広い領域を網羅していた。神智学者としてもよく知られていたようで、ブラヴァツキーとも交流があり、彼女の主著に登場するほどだったそう。
そして、なんとこのフラマリオンの著作にチュルリョーニスが熱中したことは判明しているそうなのである(だが、実際にその影響関係を検証している研究者はほぼいないらしい)(なぜ?)。
そこで今度は興味本位でフラマリオンのアーカイブを読んでみた。ここにけっこうある。
これがわりあい面白く、仏語はまったくわからないが自動翻訳でもかなり読ませる文章で、当時の西洋近代科学が人びとに見せていた世界を楽しく俯瞰することができる。ほとんど自分で描いているらしい挿絵もよく、目にも楽しいので、当時売れたというのも納得できる感じ。
読んでいく中で、チュルリョーニスの絵を思い出す場面がたくさんあった。1886年の著書“De Wereld vóór de schepping van den mensch(人類が創造される前の世界)”にはランフォリンクスやディモルフォドンなんかが出てくるが、これってもしかしてあのスケッチに出てきた翼竜なのかとか、“Dieu dans la nature(自然の中の神)”ではケプラーを引いて宇宙の調和を説いているけどこれって探せば(前の記事で書いた)天体音楽のこともどこかに書いているのではないか、だって他の本にはキルヒャーまで出てくるし、などなど。
それだけではない、フラマリオンの著作全体を貫くものこそが他ならない(たぶん神智学由来の)普遍性と一元性への志向だった。以下引用。
・有機的存在は未組織の世界と同様に同一の存在の発展である。全世界は巨大な統一によって支配されている(“Astronomie Populaire”)。
・地球上に生息するすべての存在―人間、動物、植物―の生命は、空気を媒体とし土を底辺とするひとつの生命、ひとつのシステムであり、この普遍的な生命は絶え間ない物質の交換にほかならない。
・あらゆる種類の偏見や利己主義が人と人との間に築き上げた障壁を取り払い、人類全体が人種、宗教、国家、肌の色の区別なく、自分たちを偉大な兄弟の家族として、ひとつの同じ目標に向かって行進するひとつの体としてとらえるようにする(“Dieu dans la nature”)。
なるほど、チュルリョーニスの作品を世界とそのすべての生命に開かせたのはフラマリオンなのかもしれない。ブラヴァツキーは「人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類愛の中核となること」を神智学の目的としていたが、フラマリオンを経由することで、チュルリョーニスはこういう考えとも接触していたのかもしれない。とここでひとまずの結論を得ることとなる。
折衷主義とオリエンタリズム
また、冒頭に書いたようにチュルリョーニスの絵では科学と宗教が等価のものとして描かれるが(たとえば↓の《天地創造》では、神の手と始原の言葉の描写に始まるけど、全体的には進化論をなぞらえるようにして構成されている)、この唯物論的科学と信仰の対立の問題に関してもフラマリオンは再三述べているし、そもそも神智学自体ブラヴァツキーが「科学と宗教と哲学の再統一」を謳って創始したものでもあるから、ここにも繋がってくる。
たぶんチュルリョーニスには、合理的な科学を理性のままに受容する近代人としての側面と、反自然的な文明に覆い隠された古代的な理想に感応する神秘家としての側面とが同居していて、フラマリオンや彼に内在する神智学のホーリズムはこの全体性を担保する役割を少なからず担ったんじゃないのかな。
さらには、かなり重要なポイントとして、そもそもフラマリオンはリトアニアに注目していたという点がある。
最初の記事に「リトアニア語はサンスクリット語と似てるくらい古いらしい」ということを書いたのだが、このリトアニア語と古代インドに広まった言語の関係について最初期に研究していた人物こそがなんとフラマリオンなのだった。神智学というのは雑にいえば古代の信仰を研究する運動なんだけど、フラマリオン自身はとくに、インドとリトアニアの神話・言語は共通の起源を持っていて、これらは歴史上もっとも古い宗教体系および言語の一つであると考えていたらしい。このことが書いてある本はまだ読めていないが、これらをチュルリョーニスが読んで知っていたとすれば、彼は「東洋」を、リトアニアとの繋がりという点において重視していたものと考えられるかもしれない。さらには(彼には古今東西の信仰を統合しようとするきらいのあったことを加味すれば)チュルリョーニスはリトアニアの文化を、東西文化の架け橋みたいにみなしていた可能性すらあるといえるかも。いいすぎ?
チュルリョーニスの抱えていたリトアニア民族主義は排外的な方向に向かうものでは決してなくて、むしろ、さまざまな民族の宗教的伝統へと人びとの意識を向かわせて、それらを統一・一元化しようとした人物たちのコスモポリタニズムの影響の中で育まれたものなのかもしれないなぁというのが、最終的な結論。
閉じながら開く。ともすればグローバルとローカルとのあいだで引き裂かれかねない昨今だが、絵画や音楽や物語というものには、内集団を囲いながらもその外に向かって開くことや、保守的でありながら革新的であること、自らの共同体に力を与える手で異質な他者をも肯定することもできるのかもしれないと、そんな大層なことをチュルリョーニスを見ていると思う。
参考 掲載号等省略
・Andrijauskas, A. (2021). Flammariono idėjų atspindžiai Čiurlionio estetikoje ir tapyboje. Logos - A Journal of Religion, Philosophy Comparative Cultural Studies and Art.
・Andrijauskas, A. (2021). Ezoterizmo tendencijų atspindžiai stabrausko kūryboje. Logos - A Journal of Religion, Philosophy Comparative Cultural Studies and Art.
・Andrijauskas, A. (2021). Mįslingas M. K. Čiurlionio simbolių ir metaforų pasaulis. Sovijus – Tarpdalykiniai kultūros tyrimai.
・Introvigne, M. (2013). Enchanted Modernities: Theosophy and the Arts in the Modern World.
・Kotkowska, M. K., & Dulska, A. M. (2017). Kazimierz Stabrowski's Esoteric Dimensions Theosophy, Art, and the Vision of Femininity. La Rosa di Paracelso.
・Micevičiūtė,D. (2021) Tapybinėje raiškoje. Ezoterizmo paralelės čiurlioniškojoje paradigmoje. Sovijus – Tarpdalykiniai kultūros tyrimai.
など
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いまはギンブタス(という立出身の考古学者)をちょこちょこ読んでいるから今度はそれをまとめたいけど、そんな時間があるかなぁ。
2024年はスピリチュアルまわりの近代画家にはまる(大学図書館の蔵書)
来年の手帳かわいくしてみた(Agnes Pelton《Rose and Palm》)