100年過小評価のミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875 - 1911)について好きに書く。
図像はVaiva Laukaitienė編Mikalojus Konstantinas Čiurlionis. Tapyba. Painting (2021)からわたしが作成したものを使う。なお、チュルリョーニスの記事は増えたほうがいいので書くのであってわたしは研究者でさえないから、これはエッセイでかなりの部分が主観により、脱線も多い。参考になる文献や図録、チュルリョーニスへのアクセスのしかたについては最後に紹介する。
イメージを最初に提示しておこう。1906-7年あたりの絵画で、タイトルは《Juozapo sapnas》(「ヨセフの夢」くらいの意味らしい)。
チュルリョーニスはこんな感じの象徴主義的な絵を描いたり、あとは音楽も文芸もやったりしたという人で、音楽の文脈ではわりあい言及されているけど、それでも世界的にはほとんど知られておらず過小評価もいいところ。この記事では出自と音楽について多めに書いてみる。ふたつめの記事で美術をメインに扱うと思う(たぶん)。
チュルリョーニスとその時代について
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスは1875年、東欧リトアニアの南のほうにあるヴァレナという森に囲まれた片田舎に生まれる。この頃のリトアニアはポーランド分割の影響でロシア化が進んでいて、ポーランド人とリトアニア人の区別もままならず、人びとのあいだで密かに民族意識が高まっていた時期でもあったそうだ。また、かつてこの国は多神教信仰の根強いアニミズムの土地であったがむろん近代にはカトリック化していた。
さらに、日本で一度だけあった展覧会の図録に載っている沼野充義さん(!)の論考によると、リトアニア語は印欧語族のなかでも(サンスクリット語に近い特徴を残しているくらい)際立って古いものであるらしいのだが、この頃にはすでに農民しか話すことができなかった。リトアニアにおける文化的危機の時代にあって、こういうものを護るためにナショナリストとして母国に献身したのがチュルリョーニスという総合芸術家だったといえる。教科書的なイントロとなってしまったけれど、このことを念頭に置かれたい。
音楽
チュルリョーニスには音楽の才能があったので、ワルシャワやライプツィヒへの留学(相当な苦学生だったみたい)を経て初めは音楽家として活動していく。けっきょく死ぬまでに約400曲の音楽作品を制作し、その内容も交響詩に合唱曲、ピアノ曲、弦楽団やオルガンのための作品などなどいろいろあった。しかしのちの戦火で失われてしまったのか、写本はほぼ残存していない。
交響詩がいいのだ。完成物はふたつしかなくてどちらもソナタ形式、ひとつめが「Miske」(「森にて」のような意味。1901)。
地味。わたしたちの脳が明瞭ととらえるメロディーがないので劇伴っぽさがある。メロディーラインとその言語的な語りに感動を沿わせて単線的・短文的な感覚に誘導する(収斂させる)のではなく、あちこちに偏在する木霊みたいな謎の精神がそれぞれに意思をもつ声として響いているのを見せる感じ(交響アンビエント)。アンリ・ベルクソンというかしこい神秘家が、メロディーの連続的に継起された状況を使って「持続」という概念を喩えるけど、それでわたしはいつもこの曲を思い出す。生成と変化の音楽。管楽器、とくにクラリネットがよい。
この曲は不思議なつくりで、本国の方の研究によると曲がA-B-C-D-C-B-Aというアーチ構造になっているらしいが、わたしにはまったくわからない。
次に「Jūra」(「海」という意味。1907)。名曲だと思う。絵画作品にも《海のソナタ(Sonata Nr. 5 (Jūros sonata))》というタイトルの連作があるので一緒に見られると理想。
相変わらず追いかけても逃げていく蜃気楼みたいなメロディーだけど、「Miske」よりはわかりやすい。いくつもの主題の重なりが寄せては返す波のように繰り返されて、いきなり荒れたり穏やかになったりする。ピチカートがかわいい。チュルリョーニスは後期のピアノ作品で無調に接近していくのだが、この曲もイントロだけでニ長調、ホ長調、ロ長短調、イ長調と見られ(もっとあるかも?)、調性の自由への欲求がのぞいている。
ちなみに、現段階で特定できてないんだけど、この交響詩にはリトアニア民謡がいくつか引用されているとか。それだけではなく曲の構造にリトアニアの民族音楽に見られるオスティナート(音型の繰り返し)や可変拍子が応用されている。
ちなみに2、リトアニアの民族音楽とはこういうの。Folkloro Ansamblis Gilė さん「MOČIUTE MANO」
www.youtube.com 東欧に行きたい……。
そういうわけで、音楽史的なことをいえばチュルリョーニスは後期ロマン派から国民楽派の流れに位置づけられそうである(わたしはアカデミックな音楽教育を受けていないのでなんとなくで言っています)。とはいえ交響詩そのものの民俗性はそこまで濃くなく、スメタナのそれほど田園的でもないしドヴォルザークほど歌謡的でもない。すくなくとも交響詩においては国際性、リトアニアに閉じないことも強く意識されたようだ。
また実際に民謡を合唱曲として編曲などもしていて、あまり聴けていないが現時点では以下がわたしのお気に入り。
そうだ、これもかわいい。チュルリョーニスによる、生前に刊行されるはずだった民謡集のビネット。民藝デザインを取り入れているみたい。上にT2ファージみたいなのがいる。
ところで、上に挙げた交響詩の動画にはいずれも SP's score videos さんによってありがたくもスコアが付けられていて、「Jūra」のほうなんかををよく見ると楽譜上で音がデザインされている感じを受ける。21分あたりなど音符の配置が波形っぽいし、初めのほうもスラーの連続が波っぽい。
それもそうで、Mikalojus Konstantinas Čiurlionis : die Welt als grosse Sinfonie(1998)というカタログの論考によれば、チュルリョーニスは楽譜を単なる記号のかたまりではなく一つのイメージとしてとらえていたようなのだ。ヘ音記号は逆さまにすると蛇に見えるというへんな気づきを得ていたり、おじさん付きのアコレード(同時に演奏される五線譜の集まり)を作っていたりする。
創作記号、おじさんアコレード
チュルリョーニスは音楽と絵画を並列的にとらえ、両メディアを構成するシステムを照応させながら個の制作原理を組織していく実験家だった。留学当時のワルシャワではワーグナーも演奏されていたようだし、いわゆる総合芸術というアイデアからの影響もあったのかもしれない(なんとなくで言っています)。
また、未完に終わっているが森・海より断然聴きやすいものとして「Pasaulio sutvėrimas」、「天地創造」という意味のすごくいい交響詩もあり、わたしはこれだけCDを持っている。でもあいにく動画はないのでspotifyから。
同タイトルの作品は絵画にもある。こっちは13点にわたる連作で宇宙的なイメージが強い。
(画像大きいかも……すみません)
タイトルが天地創造であるとはいえ絶対者っぽい王がいる以外はそんなに宗教的でもなく、地球とその進化の様相が詩と科学の目でもって生彩に描かれていく。菌類も生えまくっているのがいい。
チュルリョーニスの公式サイトによると、彼は自然科学に特大な関心があって、カント-ラプラスの星雲説をよく勉強したようだ。だからいまとほぼ同じ星雲説に依拠している可能性がある。
そう考えると、曲の嚆矢となるコントラバス?の低音の混沌からしだいに音が集合していくのは原始星雲の冷却や収縮段階の比喩で、急にばーんとなるのが惑星誕生のことなのかも。絵画の2枚目をよく見ると、画面下半分の円盤のなかで白い線がくるくると回転している。
音だけ聴いても森・海よりも明瞭で物語的、そんなに掴みどころなさも感じない。この曲に関してはもうすこし研究してみたい。
ところで2、あんまり関係ないと思うけど、無調研究のシェーンベルクはゲーテの「原植物」に影響を受けながら十二音技法を構想していたそうなのだ(なんとチュルリョーニスはこれより早く7、8音くらいの無調技法を研究していた)。絵画中の植物の形態描写からもどうにもゲーテ的なメタモルフォーゼを感じるような……とここもけっこう研究の余地ありで、チュルリョーニスの汎神論的な想像力と生命進化へのまなざしは、こういう科学者詩人たちを経由することで結べそうな気がする。脱線。
音楽についてはこれくらいに。わたしの主観ではチュルリョーニスのいいのはなにをおいても絵画なのだ。
(この記事にもいずれ参考文献のせます