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2014年は大変な幕開けでした。 私ごとですが一月下旬、父が他界しました。通常ならこうした私ごとはブログには書かないのですが、多くの人に知って貰いたいことがあったので、筆を執りました。 父は年末に突然倒れ、救急病院を経て意識不明で母校の千葉大学医学部付属病院ICUにお世話になりました。入院時に脳死状態になり他界するまでの一ヶ月弱、ICUのスタッフの方々に一生懸命看ていただいたことをどうしてもお伝えしたかったのです。何か御礼したかったのですが、そうしたことは今は厳しく対応され、受け取ってもらえないということを伝え聞いていました。ですので、こうして多くの人に医療現場の素晴らしさを知っていただくことで、感謝の意に変えたいと思います。 細かいところまで気配りをしていただき、とても安心できました。私が外科医をやっていた三十年前とは違い、病状説明も丁寧で患者サイドに立ったものでした。そのやり方は付け焼
俳人 長谷川櫂 日本人は子どもからお年寄りまで、詠もうと思えば誰でも俳句が詠めます。ほかの国ではふつう詩人しか詩を詠まないので、誰もが潜在的な俳人であるという日本はちょっと珍しい国であるということになります。 今日は日本中で毎日たくさん詠まれている俳句の中から子どもたちの俳句をみながら、その可能性と問題点を探ってみたいと思います。 さっそく子どもたちが詠んだ俳句をみてみましょう。 きょうりゅうはほねしかなくてすずしそう 内田 蓮(小2) これは小学二年生の内田蓮君の俳句です。恐竜展に展示してある恐竜の骨を見て涼しそうだなあと思った、その感想を俳句にしています。「ほねしかなくてすずしそう」なんて、大人もびっくりするような俳句ができました。 次の俳句は小学三年生の山本咲良さんの作品です。 せんぷうきあああああああおおおおお 山本咲良(小3) これは扇風機に顔を近づけて声を出してい
藤野可織さんの芥川賞受賞についてこないだ書いたが、折角のニュースなのにはてなブックマークニュースが記事にしないのが疑問だった。何も特定のユーザをえこひいきしろというのではない。時事ネタを記事にするのなんていくらでもやってるわけで、ついでに今回の受賞者はうちでブログやってますよー、と素直に盛り上げればいいだろうに、と思ったわけだ。 すると東浩紀さんにコメントいただいたのだが(その1、その2)、こういうところがはてなは心得違いしており、ユーザに対して恩知らずな会社と思う所以なのだが、これはもう言うだけ無駄である。 ただちょっと気になったので、はてなダイアリーのユーザが文学賞を受賞した一覧をまとめてみた。 条件としては、はてなダイアリーのユーザが、実際にはてなダイアリーを開設し利用中に文学賞を受賞した場合に限らせてもらった。また文学賞もワタシが知ってる程度にはメジャーなものに限らせてもらった。
今年のノーベル文学賞は中国人作家の莫言さんが受賞した。もう10年前ぐらいから受賞する、と言われ続けていて、私も新聞記者として北京駐在していた頃は、季節になると受賞したときのことを想定して、記事の仕込みをしていたものだ。おそらく、日本の文芸担当記者は、毎年この季節になると村上春樹受賞原稿の下準備をするのだろう。今年も村上春樹さんが候補筆頭で、対抗馬が莫言さんと言われていた。私は特に根拠を持たないが、村上さんより莫言さんが受賞するのではないか、と思っていた。というか受賞してほしいと思っていた。 莫言さんには何度もインタビューしたし、とくに取材というわけでもなく次回作の構想などをお聞きすることもあった。代表作『豊乳肥臀』が5年間も発禁処分にあった理由、言論統制と莫言式マジックリアリズム表現が生まれた背景などについては2006年秋に産経新聞連載「話の肖像 語る莫れと言う莫れ」で書いたので、ひょっと
9月30日の夜10時からEテレで放送したETV特集「映画にできること 園子温と大震災」で、園監督が創作した詩をご紹介しました。番組終了後、この詩の全文を知りたいという要望が多数寄せられました。 そこで、園監督の了承を得て、全文を掲載します。 なお、この番組は、10月7日(日)午前0時50分~再放送されます。(土曜日の夜遅く) まずは何かを正確に数えなくてはなら(な)かった。草が何本あったかでもいい。全部、数えろ。 花が、例えば花が、桜の花びらが何枚あったか。それが徒労に終わるわけない。まずは一センチメートルとか距離を決める。一つの距離の中の何かを数えなくてはならない。例えば一つの小学校とか、その中の一つの運動場とか、そこに咲いている桜が何本とか、その桜に何枚の花びらがあったとか、距離と数を確かめて、匂いに近づける。その距離の中の正確な数を調べれば匂いと同調する。たぶん俺達の嗅覚は、数を知
穂村弘( 歌人) ×池上冬樹( 文芸評論家) 対談 「人は日常生活を送るうえで言葉のカテゴリーを固めてしまう。短歌を作るときは言葉の壁を越えるようにしている」 第29回は歌人でエッセイストの穂村弘さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。短歌と俳句とエッセイの特性と違い、それらと小説に通じるものについて語っていただきました。 ◆斬新すぎたデビュー/短歌の特殊性/視覚的なイメージ ――エッセイは昔からお書きになっていたんですか。 穂村 いえ、書いていませんでした。 ――最初は短歌で始められましたよね。そもそも短歌を始められたのは、何か理由があったんですか。 穂村 大学生のときに何かやってみたいなと思って、それで、何でしょうね、定型のあるもののほうがやりやすいような気がして。 ――俳句はやらなかったんですか。ずっと短歌で? 穂村 俳句じゃなかったですね。短歌もあまり知らなかったし、読んでいたの
黒瀬珂瀾の短歌を主知的だと印象するひとは多いだろう。 春日井建の愛弟子ゆえに 現在的な『未青年』の自己編纂を作歌の宿命とし、 同性愛ディテールをももつ「美少年短歌」を量産した (とくに第一歌集『黒耀宮』)。 ところがそこからサブカル・ディテールをもつ歌への 自然な連続性までもが組織されてゆく。 一方、黒瀬は岡井隆のいる同人誌「未来」に拠っている。 塚本邦雄的に堅牢な喩精神と同時に 岡井→加藤治郎→斉藤斎藤→笹井宏之ライン、 現在最も刺激的になりつつある口語短歌の流れにも伍し、 後述するように深いレベルで歌が岡井調をかもすばあいもある。 時事詠も多い。しかも着眼はマスコミ報道に依拠せず独自性をもつ。 価値転覆的。しかも禁忌侵犯的。 珂瀾歌にあっては天皇家も大東亜戦犯もナチスドイツも たとえばグランドゼロにたいする詠草、サブカル批評的作歌と 単純な等価をなしていると気づく。 絢爛たる技法、博覧
すでに各メディアで流されたから御存知の方も多いだろうが、一月十七日、私の小説が芥川賞に決まった日の夜、東京でバカな記者会見をした。女優の言葉を引用し、自分がもらって当然と言い、さらに石原慎太郎都知事に言及した。その後のさまざまな報道のされ方の中には、事実と違う部分がかなりある。終わったこととはいうものの、私の知っている範囲の事情を、どうしても書いておきたい。 まず、十七日の会見の段階で私は、石原氏が六日に行った、今度の芥川賞候補作はバカみたい、という発言を全く知らなかった。正確な内容を知ったのは十八日になってからだ。次に、会見内での、もらって当然、都知事と都民のためにもらっといてやる、という言い方は、はっきり言うと最終候補になるずっと前から、もしその時が来たら言ってやろうと準備していたものだった。だから、六日の都知事の発言に田中がかみついた、というのはメディアが勝手に作った図式だ。 もう一
少年の性と暴力の衝動を描いた「共喰い」で第146回芥川賞の受賞が決まった田中慎弥さん(39)。 昨日の受賞会見では「もらってやる」発言が物議を醸しています。どのような文脈での発言なのか、受賞会見を全文掲載します。 確かシャーリーマクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなって、最後にもらったときに「私がもらって当然だと思う」って言ったそうですが、まあだいたいそういう感じです。 4回も落っことされた後ですから、ここらで、断ってやるのが礼儀だと思いますが、私は礼儀を知らないので。 もし断ったと聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで。都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる。あの、とっとと終わりましょう。 (以下、質疑) Q:東京で書いていない方が受賞しましたがそのことについては? そのことに関しては感想はありません。 Q:ほかの受賞された
清水アリカ全集 作者: 清水アリカ出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2011/08/25メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 164回この商品を含むブログ (2件) を見る いま清水アリカの小説を読むのは、ある意味で幸せな過去の思いでにふけるような体験だ。彼の小説には何のストーリーもない。社会の周縁部に暮らす人々が、エログロな肉体改造と変態性行為とドラッグと犯罪にひたすらふけるだけ。 著者はデビュー作の時点で、それが意図的に薄っぺらな小説にした結果だ、とうそぶいていたという。でもこの全集を読むと、この人はそれ以外には何も書けなかっただけだとわかる。そして一見、現代社会のおきれいな表層、特にバブル期の繁栄に背を向けたように見えるこの小説は、実はどれも、それに強くよりかかっていることもわかる。どの小説でも、世界は確固たるものだ。かれは、華やかに見える表層の裏にある淀みと腐敗を描く
警告 以下、内容について愚痴る過程で作品内容・構成等が察せられる可能性が高いです。 (というか普通に触れる) そのつもりで。 買った時点でそう危惧していましたがまさに、だわ。 「ラスト5ページで世界が反転する」も「『葉桜の季節に君を想うということ』を超える衝撃がいま」も、全くの蛇足、ぶち壊し。 「著作物がクソであるゆえに殺意を抱く」は久しぶりの感覚だが全くありがたくないわ。(無論、歌野ではなくオビ担当に、である) この作品の構成についてざっくり説明すると、 ・表向きのストーリーが進行 ・ロシアンフック的な大振りのネタが一本入る ・ロシアンフックの戻りで裏拳一発入る みたいな構成になってるのね。 で、「ラスト5ページで世界が反転する」と事前に書かれてしまったので、その前段の「大振りなネタ」が、完ッッッッ全に死んでるの。 「おお、なんか凄いことになってるけどこれまた後で一回ひっくり返るんだ
(第145回芥川賞・直木賞講評 2011.7.18 07:03 産経新聞 http://j.mp/r084gA ) 円城作品の評価は二分した。高く買う委員がいる一方、「(純文学が対象の)芥川賞の範疇ではない」との意見や、知識の間違いを指摘する委員もおり、得票は限られたものに。 今回は東日本大震災後、初の選考会。震災が選考に与えた影響については、山田さんは「まったくない。芥川賞に関して即座に何かをするものではないという認識は委員の皆さんにあったと思う」と説明した。(磨井慎吾)」 村上龍_RVR @rvr_ryugenhigo 『サイエンスフィクション的な要素があったり、通常の物語とは違う文学世界をつくるときに、そういったディテールで間違うと、決定的だって言ったんですよ。』 村上龍RVR龍言飛語 今回は第145回芥川賞についてです。明日更新予定です。 http://t.co/ncbHGwa ル
新井素子の著書におけるあとがきの書き出し一覧 最終更新日:2024-01-26 1978年 12月,『あたしの中の…』(単行本),奇想天外社 ●我ながら呆れてはいるのです。その――自分の運の強さには。 1979年 なし 1980年 7月,『いつか猫になる日まで』(文庫),集英社コバルト文庫 ●えっと、あとがきです。 11月,『グリーン・レクイエム』(単行本),奇想天外社 ●えっと、あと書きです。 1981年 3月,『星へ行く船』(文庫),集英社コバルト文庫 ●えっと、あと書きです。 9月,再『あたしの中の…』(文庫),集英社コバルト文庫 ●えっと、あとがきです。 10月,『ひとめあなたに・・・・・』(新書),双葉ノベルズ ●えっと、あと書きです。 1982年 1月,『通りすがりのレイディ』(文庫),集英社コバルト文庫 ●あと書きであります。 3月,『扉を開けて』(単行本),CBSソニー出版
(承前) 先生は、忍法帖は長編よりも短編の方が「わりとクズがないと思っている」と語っておられた。 私は長編も大好きだが、確かにその奇想において短編はいずれも大風太郎ならではの作品が揃っている。 お話を伺っている内に、「長編の内で、気に入っていて、まあまあというものが五つくらいですかね」というお言葉が飛び出した。 すかさずその内訳を訊いた。その五作とは、 『魔界転生』 『くノ一忍法帖』 『忍びの卍』 『甲賀忍法帖』 『忍法笑い陰陽師』 であった。 (番外として『柳生忍法帖』の十兵衛が城に乗り込んでくるシーンを挙げておられた) 『魔界』『くノ一』『甲賀』あたりは万人が首肯されるであろうが、長編自薦作に『笑い陰陽師』を挙げるあたりがいかにも先生らしい。私は思わず大納得したものであった。 忍法帖以外の自薦作は、 『妖説太閤記』 『妖異金瓶梅』 『警視庁草紙』 とのこと。(これまた全く大納得である)
太田克史 @FAUST_editor_J 今を遡ること十有余年、94年のゴールデンウィーク。講談社のある編集者が朝から出社して仕事に励んでいたところ、突然、編集部の電話が鳴った。「講談社では小説の投稿を受け付けているでしょうか?」という電話だった。 2010-05-03 11:43:20 太田克史 @FAUST_editor_J 多くの編集部では小説の直接の投稿=持ち込みは受け付けていない。編集者は電話の主に新人賞への投稿を促したのだが、「新人賞の応募規定にある枚数を大幅にオーバーしてしまう枚数の小説で、どこにも応募する賞がない」とのこと。 2010-05-03 11:45:19 太田克史 @FAUST_editor_J 編集者は電話の主に軽く小説の内容を伺ったところ、その小説は民俗学的なテイストのミステリー小説・・・らしかった。興味を惹かれた編集者は、「それでは僕に原稿を読ませて下さい」
まえがき: このエッセーの趣旨 その事件は、突然我が身に降ってきた。 冲方丁氏の著書『天地明察』(角川書店、平成21年11月30日初版)に、拙著『近世日本数学史 関孝和の実像を求めて』(東京大学出版会、2005年)が参考文献として挙げられていたことである。 知人から単行本『天地明察』の存在を知らされ、パラパラとめくっていたら、どこかで見たことのある史料が原文で出ていて驚いた。 (今回紹介する本文。後述。) この著者はよく調べているなあ、と思って巻末を見たら、何ということはない。拙著が参考文献に挙げられていたのである。 (Deja Vuになるのは当然だよなあ……) これが『天地明察』との最初の出会いであった。つまり、元の小説が『野生時代』に連載されていた頃(2009年)、不覚にも筆者(佐藤)は、この小説の存在すら知らなかったのである。 ご存じのとおり、冲方氏の本書は、2010年の本屋大賞を受
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