「現代の女性が60年代の女性を救おうとしたら?」エドガー・ライトが描きたかった、ロンドンの“闇の底” 『ラストナイト・イン・ソーホー』エドガー・ライト(映画監督)インタビュー
「現代の女性が60年代の女性を救おうとしたら?」エドガー・ライトが描きたかった、ロンドンの“闇の底” 『ラストナイト・イン・ソーホー』エドガー・ライト(映画監督)インタビュー
「文藝春秋」2021年10月号より「読んではいけない『反ワクチン本』」(大阪大教授・忽那賢志氏)を全文公開します。(全2回の1回目/#2に続く) いま日本国内で新型コロナワクチン接種が急ピッチで進められています。8月末時点で2回接種を終えた人の割合は、総人口のうち約45%に達しました。 ワクチン接種が進む一方で、新型コロナワクチンの危険性を喧伝する「反ワクチン本」が多数出版されています。その内容を見ると、「遺伝子改変が起こる」「不妊になる」など、医学的に誤った情報があふれています。「よくこんなことを考えつくな」と驚くようなものもありました。 そうした書籍の中には、ネット通販で売れ行きランキングの上位に入っているものもありますし、本にある誤情報が、個人のSNSを通じてネット上にも出回っている状態で、さすがに看過できません。 反ワクチン論者たちは不安につけこんでいる もともと日本は、ワクチンへ
演出責任者の相次ぐ交代など迷走を重ねた五輪開会式。今回入手した11冊にも及ぶ台本には、その過程が詳らかに記されていた。なぜ、どのようにして、開会式は“崩壊”していったのか。小誌だけが書ける全内幕――。 そのセレモニーは、新国立競技場に1台のバイクが颯爽と走ってくるシーンから幕を開けるはずだった。大友克洋氏の漫画『AKIRA』の主人公の愛車、赤いバイクだ。会場に映し出されるカウントダウンの数字。ゼロになると、中央のドームが開き、ステージに3人の女性が姿を見せる。Perfumeだ。会場には、彼女たちをプロデュースする中田ヤスタカ氏の書き下ろし楽曲が流れている。 Perfumeの出演は幻に終わった 精魂込めて作り上げた210分間のステージが、全世界の人々を虜にし、アスリートたちの背中を押していく。演出振付家・MIKIKO氏と彼女が率いてきたチームにとって、東京五輪の開会式はそんな晴れ舞台となるに
令和二年四月、今年の春はいやに肌寒く感じていたが、ようやくこの季節らしい日差しが降り注ぐようになった。伸び放題になってきた木をそろそろ手入れしなければと思っていたある朝に雨戸を開けると、ほんの二尺ほどの近さで鳥と目が合った。猫の額ほどの庭、よく見るとオリーブの木に鳩が巣を拵えている。ちょうど掃き出し窓に立った私の目の高さである。これは困った。たくさん集まってきて糞を落とされたりしてはたまったものではない。そうなると近隣にも迷惑がかかるであろうし、追い出すべきか否かと悩んでいたが、既に卵を温めている様子である。最早追い出しにくいではないか。 調べてみたところ、そこらの公園などで群れているドバトではなく、キジバトのようである。たしかに公園のものより少し細身で色柄も違う。きりっとしていてどことなく野鳥の趣である。キジバトは群れず、単独、或いはつがいで行動するとあり、なるほど昼と夜で雄と雌(私には
サブカルチャー。この言葉を聞いて思い浮かべるものは、恐らく人によって様々だろう。ひとつの社会における主流文化に対して、その社会の一部の人々によって共有される副次的な文化……というような意味合いが、この言葉の一般的な使われ方ではある。 ただ、戦後日本社会においては、サブカルチャーという言葉はある独特のニュアンスのなかで用いられてきたと私は考える。一言で言ってしまえば、それは文化の脱歴史化・非政治化とでも言うべき、「脱臭化」のニュアンスである。 私=コメカと相方であるパンスとで構成される批評ユニット「TVOD」による初の著作『ポスト・サブカル 焼け跡派』は、時代を象徴する様々なミュージシャン・アーテイストに言及し、戦後日本のサブカルチャーを取り巻く文化的な精神史を描くことを試みた本だ。そしてその精神史の探求は、先述したような「脱臭化」の作法を活用し消費社会的状況を謳歌した日本が、いつの間にか「
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日本映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた
『シン・ゴジラ』が大ヒットした。総監督は『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)の庵野秀明。観客動員数は400万人を突破し、興行収入は70億円を超えたという。客層の幅広さ、反響の大きさからして充分「国民映画」の域に達したと言ってよい。 成功の理由は何か。日本伝統の得意技を使ったからだろう。世界を重ねて、その世界に思い当たる観客を喜ばすやり方だ。歌舞伎や文楽の常套手段。『仮名手本忠臣蔵』なら『太平記』の世界と赤穂浪士の世界を、『東海道四谷怪談』なら忠臣蔵の世界にお岩さんの怪談話を重ねる。そうやって世界の重ね方を楽しむ。分かる観客は勝手に考え面白がる。想念を暴走させ、深読みもしてくれる。 第1作を巧みに本歌取り 『シン・ゴジラ』は具体的にどんな世界を重ねているか。まず土台を成す世界は1954年の本多猪四郎監督作品『ゴジラ』。「ゴジラ映画」の第1作にして傑作中の傑作。そこでゴジラは、伊豆諸島
人工知能(AI)そのものではないのですが、その人工知能を稼働させるためのデータを整備する会社にいくつか投資をしている関係で、昨今の「なんでも人工知能が問題を解決してくれる」的なネタに敏感になってきました。 まあ、一言で言えば「それができたら苦労しねえよ」って話で。 「人工知能」のような大きい言葉で騙しに行く「仕組み」 先日も、某大新聞が「6000サンプルを参考に、新卒大学生の採用試験を人工知能に任せることにしました」的な報道を大々的にして、いわゆる人事評価や採用のデータを取り扱うサイエンス系が「そんな話、どこにあるの?」と騒然としたわけです。また某大手通信会社の薄毛社長が人工知能に投資して採用に活かすみたいな発言をしていたので、なんか私たちも知らないような凄い統計学バックグラウンドの秘伝のタレでもあるのかと思ってました。 蓋を開けてみれば、単純に大学生が企業の採用面接を受ける際のエントリー
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