ちょっと気が重いが後出しじゃんけんみたいな話をしてみたい。気が重たいのは、麻生首相の失言弁護がしたいわけではないし、原理的にそうなる話でも全然ないのだが、背景が複雑なので、渦中取り上げていたら、政局の枠組みで「おまえは麻生支持だからだ」という毎度の的外れな罵倒を受けるくらいだろうとげんなりしていた。しかしもう選挙も終わり、国民は選択してしまったのだから、その意味を考えるうえで少し言及しておいてもいいだろう。 話は昨年11月20日のこと。その日の経済財政諮問会議の麻生首相発言が26日に議事録として公開され、失言として話題になった。読売新聞27日記事「「何もしない人の医療費、なぜ払う」 麻生首相、諮問会議で発言」では、波紋を呼ぶだろうという読みで伝えていた。 麻生首相が20日に開かれた政府の経済財政諮問会議で、社会保障費の抑制を巡って「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何
とりあえず、なんだが、ここ数日のエントリを書いてみて、「年金と税金払えば、社会保障受けられて当然だ」と思っている人がいて驚いた。はてなブックマークのコメントを読んでびっくりした事だ。 何でだろうね。 「賦課方式」型の社会保障制度については、ノーベル経済学者賞を受賞したポール・サミュエルソンがこう述べたので有名。最近、話題の本である竹森先生の「資本主義は嫌いですか?」や、ジェレミー・シーゲル教授の「株式投資の未来」でも、引用されている有名な一文だ。 「社会保険の本質は、それが保険経理的に、不健全なところにある。だれもであれ退職年齢に達すれば、給付金を受け取る権利が与えられ、それは自分の支払った拠出金をはるかに上回る・・・なぜ、こんなことが可能なのか?・・・人口が増加する国では、若者の数がつねに老人の数を上回るからだ。ようするに、実質所得の伸びが年率3%を維持する限り、給付金の原資となる税収額
「官から民へ」。この言葉が金科玉条のごとく唱えられていた小泉政権下、構造改革のバックボーンである新自由主義的経済学を批判し続けた東京大学の神野直彦教授。その著書『人間回復の経済学』では、人間を「利己心に支配された経済人」と捉える新自由主義に対して、「人間の行動基準は利己心ではなく夢と希望」と断言した。 規制緩和による競争促進、公営企業の民営化、公共サービスの縮小――。この10年、日本は経済成長を実現するために、小さな政府を目指す数々の改革を実行してきた。だが、未曾有の金融危機に見舞われて以降、私たちの足元は急速に揺らいでいる。 公的年金への不信は極限に達した。医療を支える医師不足も深刻の度を増している。「派遣切り」や「内定取り消し」も頻発、雇用を巡る環境の悪化は急速に進む。針路なき日本。今こそ、国家の在り方や社会のあるべき姿をわれわれ一人ひとりが考えるべき時ではないだろうか。セーフティーネ
ちゃんと努力をしているのに運悪く失業しちゃった人を国家が救済するのに異論がある人はあまりいない。 しかし、スキルアップ努力も貯金もせずに浪費しまくり、ギャンブルや女遊びなどの自堕落な生活を続けて失業しちゃった人達を国家が救済する理由が分からないという人がたまにいるので、その理由を箇条書きにしてみる。*1 「努力しなかったために職を失った人」が家を失うと、ホームレスが街にあふれて街の景観と治安が悪くなるから。子供の乞食やひったくりが、うようよいる社会に住みたいという変な趣味の人はなかなかいないよ。 「努力しなかったために職を失った人」かどうかの選別が難しいから、努力した人もしない人も区別せずに全員救済する方が現実的。 「怠け者を税金で養うのはしゃくにさわるが、怠け者を養う金をケチったために怠け者が飢え死にしたら、とても寝覚めが悪い」と思う人が多数派だから。もちろん、怠け者を死刑になんぞしたら
どうして若年雇用とか貧困ビジネスへの措置は後手に回るかな。ふつう定住しなきゃ定職につけないのだから、ネットカフェ難民対策の決め手は職業訓練や給付金より先に住居確保でしょう。 保証会社は宅地建物取引業法や借地借家法の規制外で、現在は「監督官庁もない状態」(国土交通省不動産業課)だ。 定住は明らかに憲法が国民に保障している「健康で文化的な最低限度の生活」「居住、移転及び職業選択の自由」に当たると考えられるが、親類に頼れない人々が少なからずおり、費用の点から必ずしも経済合理的とは限らないネットカフェ難民となっている。保証人を温情で親類・親友に頼むことが一般的で、保証人がいないと定住し定職に就くことが難しい日本の商慣行が、社会の流動性の高まりに追いついていないことが問題だ。 保証会社を住宅賃貸に付随する役務と捉えれば国土交通省、債務保証って点では金融庁の管轄なんだろうけど、どっちの役所も逃げるなら
―北海道浦河町「べてるの家」の事例から考える― ◎中俣保志(所属:香川短期大学経営情報科准教授) 社会福祉法人「浦河べてるの家」との出会い 大学院時代の知人から、「べてるの家」という実践を紹介された。すでにTBS系列のドキュメント番組でも同実践が紹介されており、知人によれば、「精神障害者の人たちが地域社会との共生を模索している興味深い実践」ということだった。現地に行って医療側のキーパーソンである医師の川村敏明氏(浦河赤十字病院精神科部長)と向谷地生良氏(当時同病院ソーシャルワーカー)とにインタビューしたのが、今から7年前のことである。 浦河町は北海道東南部日高管内の太平洋側に位置し近隣には歌謡曲で有名になった襟裳岬がある。漁業と競走馬飼育業が基幹産業で人口は1万5000人ほどの町である。札幌からバスで4時間あまり、JRを使うと在来線を乗り継いで5時間はかかる。 インタビュー当日は前述
■貴重な「資産」の使い方 後期高齢者の医療費負担と、東京都の2倍の面積といわれる耕作放棄された農地の存在。一見まったく関係ないこの2つのテーマについて、税という視点から一つの見方を提供したいと思う。 税の専門家の間では、所得から徴税するのと、資産から徴税するので、どちらがより好ましいのかという議論が続けられている。私は資産からより多くの徴税をするという見方にひかれる。 たとえば、農地を考えてみよう。一方で、一生懸命努力して耕作して所得を生もうとする農家がある。他方で、主たる所得は役場や工場などの所得にあり、農地は放置しておくか、手間をかけずに少しだけの収量をあげる兼業農家がある。 もし、土地への税金が軽く所得への税金が重ければ、農業活動を専業とする農家には厳しい税となる。努力して収量をあげるほど税が高くなる。農地をあまり有効に利用しているとは思われない兼業農家や耕作放棄農家は農業所得が少な
情報「後期高齢者医療制度」など増大する高齢者の医療費が社会問題化しています。日本全体の医療費が30兆円の中、75歳以上の医療費だけで年間10兆円を超えており、あと10年もすれば団塊世代が高齢化して・・・考えるだ... 「後期高齢者医療制度」など増大する高齢者の医療費が社会問題化しています。 日本全体の医療費が30兆円の中、75歳以上の医療費だけで年間10兆円を超えており、あと10年もすれば団塊世代が高齢化して・・・考えるだけで恐ろしい事態です。 そんな中、5月7日(水)のワールドビジネスサテライトで、コメンテーターの伊藤さんから非常に興味深い提言があったのでメモ。 #なお小生の勤める会社の主要顧客が社会保障業界なので、この辺の事象に興味があります。 実は日本の金融資産の75%は60歳以上、不動産の75%は50歳以上が所有しており、統計上は高齢者の方が高所得です。 この資産はいずれ遺産相続と
■ 雪斎は、「日本の福祉」批判で言論活動を始めた。今は、表の活字メディアでは「福祉」論を封印している。 ただし、このブログでは、自分が障害を持つ身であることを隠さないで書いている。 雪斎に直に会ったことのない人々は、雪斎がどのような障害を持っているのかが判らないであろう。 脳性小児麻痺という障害には色々とヴァリエーションがある。 雪斎の持つ障害者手帳には、「両上肢障害」と書かれている。 要するに、手が使えないということである。 手を使ってまともにできることというのは、書を開いたり、キーボードを打つことぐらいである。 世の人々の中には、雪斎における言論活動を褒めてくれた人々がいた。 しかし、雪斎にとっては、それは、唯一できることだから、やっているのである。 故に、普段の生活は不便であることこの上ない。 ① 食事のとき ② 服を着るとき この二つの局面だけは、どうしても他人の手を借りなければな
Unknown (ハウエル) 2007-12-27 20:31:11 偶然にこのホームページに辿りつきました。 最近、フランスでは社会保障を厚くすることで出生率が回復しつつあるという新聞記事を読みました。疑問なのですが、 ①フランスに行ったとき移民の多さとその子供たちの多さに驚きました。出生率回復には移民の力が大きいのでは? また、フランス人、スウェーデン人に関わらず、公費が自分たちのルーツを持たない人間に使われることをどう思っているのですか? ②世界人口が60億人を突破し、そのため人類は食量、水、石油などの天然資源、その他をめぐって利権争いをしています。どうして、賢いヨーロッパ人の間(EU)の間で世界人口の削減の話がでないのですか? 10年前に比べ発展途上国も豊かになり、今では中国などの国にも寿司ブームが起こり、水産資源をめぐる問題も出てきています。資源不足、もしくはそこから派生される問
まあ、あまり多くを語っても仕方のないことではあるが。率直に言って「無理を言うねえ」としか思わん。無理なんだよ、赤ちゃんや若者やおっさんや老人全員が高度成長時代のような暮らしを続けることが。だから必ず生産してない弱者にしわ寄せがいくんだ。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20071026/CK2007102602059330.html 「生活水準の切り下げ」というと漠然とした話になってしまうが、それが現実面で何が起きるかというと、社会に対して何ら生産しておらず利益を出していない老人に対する福祉が削られるということだと。 生産していない老人を支える若者が減っているのが問題なのだから、老人を支えるより赤ちゃんを沢山こさえられる制度を作りましょうというのが妥当であって、もう日本社会には出産・育児奨励政策も老人福祉も充分にできるほどの余裕はないの
経済部の記者が「制度的に介護事業が儲からないからマトモな事業家が参入しなくて、変な奴がやっちまったんだよ」と驚くほど正論な記事を書き面白かったのでピックアップ。いやその通り。 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070615k0000m070150000c.html 最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では本質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。 「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離され
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