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「おざなり」を含む日記 RSS

はてなキーワード: おざなりとは

2024-12-07

推しの子は実写を見ろ

まあ概ね評価は出てると思うが実写レベルではゴールデンカムイレベルに持っていってる。どっちも同じ雑誌だなぁ。

さらに同じ部分といえば、ゴールデンカムイと共に作者が脚本に絡んでいることと、スタッフ原作ファンということ、またどちらも再現したいものに口出しされないために製作主幹事が賭けていることかもしれない。推しの子にいたってはアマプラ制作と思われたが東映100%出資だった。

ゴールデンカムイに関しては脚本というより北海道雄大自然(植生にこだわった結果多くが北海道ロケになった)と役者たちの「爪痕残すぞ」レベルの怪演の数々、またキャスト原作理解度の高さ、衣装小道具舞台を始めとする裏方チームの異様な熱気を感じる部分が見どころになっている。

脚本は「原作ファン」「原作をできるだけ再現すること」「その上でコンプラ時間短縮すること」「キャラを損なわないこと」に力を入れたようだ。

推しの子脚本監督もまた「原作ファンなのだゴールデンカムイと違うのは「時間が短いこと」だろう。

まずゴールデンカムイ企画というのは金でぶん殴ったような動き方をしている。山﨑賢人を雪山に8ヶ月拘束して1本の映画1シリーズドラマ撮影している。それをおそらく、何年も続けるつもりだ。異常である

推しの子場合常識的企画とも言える。

ドラマで前日端的にやって映画で締める。いつもどおりの実写で時間がない。

とすればなにが必要かと言うと、原作再構成なのだ

取捨選択だけでは補足できない。何が必要で、何が要らないのか、さらに補うものはなにかを考えて「面白いものは何か」を突き詰めなけれないけない。

これは失敗した実写をたくさん見てきた。多くは低予算で、スケジュールも短く、かつ「なぁなぁ感」があるものだ。

しか推しの子予算があるし、ブレイク前夜の若手を使って、他の作品と重ならないようスケジュール確保をした。キャラクター研究役者と深堀した。監督脚本漫画のシーンを全部記憶したそうだ。

裏付け証拠として、あのちゃんYouTubeがあるだろう。「MEMちょの気持ちを知りたくて」と撮影途中から始めたようだ。正直売れっ子なので役作り時間ないと思ってたが、しっかりしていた。故に実写のMEMちょ、滅茶苦茶いい。

キャラ解釈を守り、若手だけでは不安定な部分をベテランで固め、若手の新しい面を引き出すことができた実写は、連載原作でどうしてもブレたキャラクター性を再度固めている。

ストーリーに関しても、連載で人気や盛り上げる部分を意識するがあまりおざなりになった部分を、実写スタッフは見逃さない。作品真剣向き合った結果だし、間違っていない取捨選択をしている。

漫画は一人、編集入れても二人か三人、作画で四人程度の少人数で作るものだ。

からこその作家性を楽しめるのだが、莫大な人と金が動くときに、そこには保険必要になる。

大勢の人が一つの作品に関わると、もしかしたら作家性は薄まるのかもしれない。

しか作品を守る意味も込めて、メディア化というもの真摯映像作りが求められるのだろう。推しの子メディア化の問題真摯に向き合ったように見えた。

推しの子原作は終わりを迎えた。

この終わりはきっと原作を追っていた人だけが受け止めればいいと思う。

終わってみて、ああすればよかったねってとこは変えてしまえばいいし、それこそがメディアミックスの意義ではないのか。

誰もがガラスの仮面みたいに描き直せるわけでもないのだし、今回ドラマを見てつくづく思ったよ。

からならまだ間に合う。推しの子ドラマを見ろ。

推しの子ってめちゃくちゃ面白いんだぜ。

2024-12-01

文学フリマ出展してみんな本当に楽しいですか?

すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。

XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。

そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業書籍消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。

あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。

私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。

商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神バランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。

とくに評論系、たとえば素人映画などのエンタメ文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。

私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。

一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか自分相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。

少なくとも私は、友達同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。

そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人からおざなり言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブ言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。

そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。

だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。

まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさら文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味お稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。

そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。

無駄だよ金と時間の。

いくらでも身内のエコーチェンバーコミュニティに閉じこもってられる時代からこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。

そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字文芸批評かいオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任ポジショントークなんだけどね。

2024-11-28

anond:20241127195444

(1)世の中には唯一の普遍的に正しいものしか無く、その正しいことを自分達が主張しているのに反対する者は間違っている。というのは理性主義左派によくある傾向。

(2)兵庫県民に知的障害者が多いが故に稲村氏に投票しなかったというのは明らかに事実に反する。稲村氏に投票しなかった「誤った選択」をした有権者に対して「知的障害者」を表現罵倒語として使用していると考えられる。

そんで

(1)に関しては、これは古くから理性主義者が持つ思想であり、今に始まったことではない

(2)-(A)「知的障害者」を罵倒語として使用することは、少なくとも現在一般的左派リベラルによって許されていることだとは到底思えない。これは左派リベラルにとって深刻な問題だと思われるが、現在左派リベラルは外部からバッシングの防御に徹しているように思われ、内部の引き締めはおざなりになっている感がある。

(2)-(B)「知的障害者」まではいかなくても、「劣等民族」だとか「愚民」だとかという表現実名でする左派著名人が近年目立つようになってきた。それを見た下流が真似をするのは自然だとは言える。

(2)-(C)従来ならば味方につけるべき一般大衆に対しては、同じ「誤った選択をした」と決めつけるにしても、「あなた方は騙されている」「他人意見に流されるのでなく自分の頭で考えよ」「目覚めよ」的な「啓発」を促してきたが、近年は味方につけることを放棄たかのような言動が目立つ。むしろそういう主張をして支持を増やしてるのは右派の方だったりする。

2024-11-25

anond:20241125205032

良くわからんな。

・今アメリカでは急激なインフレが起きたことが問題となっているが、アベノミクスのように金融緩和をしたらインフレがぶり返す。

アベノミクス三本の矢のうち、安倍がおろそかにしたのは成長戦略金融緩和財政出動一時的に景気を下支えしている間に、日本経済を成長路線に導くことがそもそもの眼目だったが…結局は成長戦略は単なるお題目と化して、援護射撃のはずだった金融緩和をだらだらと続けた結果、日銀必要に応じて利上げや利下げを行う余地を潰してしまった。その結果が今の日本円の独歩安。

・なので、アメリカ成長戦略以外はマネしないほうが良いんじゃないかなーと思うし、マネするにしても安倍を真似て成長戦略を絵に描いた餅にしてしまったら、アメリカも沈んじゃうから気を付けてほしいな。

アベノミクスは、当時、その通りに実行できれば効果を発揮できたかもしれない。しかし、実際のところ、安倍日銀には一生懸命金融緩和やらせたが、本来安倍自身が最も仕事しなければならなかったはずの成長戦略の部分をおざなりにしちゃったので結果は残念だった。三本の矢を考案したであろう、官僚コンサルは優秀だったと思うよ。実行するやつは優秀じゃなかったけど。ありがちな失敗だ。

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

やはり人間というのは変な生物だと思う

ずっと思っていることだが「セックスはしたいけど子供は作りたくない」というのは変じゃないか

普通生物というのは行為おざなりにして、子供を作ることを丁寧にするものだろう。例えば

ヤドカリ交尾はメス側に精液を塗りつけておしまいだと聞いたことがある。微塵も愛はなしにだ

ところが人間は数時間行為にかけておいて勝手に満足してそのまま交尾を終わらす。

まりセックス赤ちゃん作りなわけなのだ

それは生物として本来いかがなものかと…

2024-11-05

部屋をきれいにしたいとき(男性専用)

仕事が忙しくなってくると、どうしても家事おざなりになって部屋が汚くなる

部屋を使うのが自分だけだから

別に誰に見られるわけでもないわけだから


まり、誰かに見られるわけでもないからが理由となって片付けをしなくなるんだろうと

そういうとき物理的に誰かを部屋に呼ぶのがいい

友達を呼ぶとか試したが、一番良かったのはデリヘルを呼ぶだった。


デリヘルを呼ぶことで

指定時間に来るから、片付けに時間制限が生まれ

・せっかく女の子が来るんだからちょっとでもいい恰好をしようと思う(小綺麗にしてると思われたい)

という状態にして、片付けしなくちゃという気持ち自分を持っていく


自分はこれで幾度と部屋がきれいになったが、毎回2万円くらいの出費になるので

家事代行とか使って片付けるほうが安上がりになると思う。

日本正社員を守り過ぎて失敗した

日本の失敗に関する色々を見ていて思った事は

この国は正社員を守った結果まともな資本主義国家になれなかった社会なんだなという事

バブルが弾けて不況が始まった辺りから不安定化した社会の中で

日本正社員椅子だけは絶対に守ろうとした結果

当時の若者は切り捨てられて分厚い貧困層となり

労働者意識企業に居座った老人寄りに固定化され

本来当然の権利として守られるべき労働者安全保障人権おざなりにされた

老人が権力を握って仕事をしているのだから当然仕事内容も前時代的なやり方が是とされる様になり

大卒の数は増える一方で企業にその専門性が持ち込まれる事は殆ど無かった

そんな企業達が時代の変化に着いていけるわけもなく

今では多数の企業倒産したり海外に買収されたりしている

無能でも成果を出さなくとも絶対解雇されない社員制度などという高度経済成長の中でしか維持不可能幻想はいい加減にもう捨てるべきだ

企業経済的利益を追求する場所であって無能保護する老人ホームじゃない

そうした福祉役割本来は多額の税金を集めている政府責任を持って担うべきだ

2024-10-31

anond:20241031145754

働くというのはサビ残をすることでも、満員電車我慢することでも、上司理不尽命令に耐えることでも、転職活動頑張ることでも、闇バイト探してみることでも無いんですね

収入に結びつかないと意味が無いんです

そして収入に結びつく労働というものおざなりにされて、ブラックだろうと違法だろうと働いてさえいればなんか許された気分になるってのが一番問題ですね

2024-10-20

anond:20241020141755

自分結構近い状況。本当に相談してくれてありがとう

発達障害可能性もあるかもだけど、人には「耳から入った言葉理解やすタイプ」と「文字情報の方が理解やすタイプ」があるので、個性問題と言っても良いと思う。現代は前者の人が幅を利かせているからたいへんだよね。だけどそんな中で三年もの仕事を続けて、しか自分なりの解決法(録音→文字おこし)できているのは本当に立派だと思う。ツール活用できるところは活用した方が良い。かつては「文書化していないものダメ」という風潮があったけど、最近は「スピード感」という方便でそれをおざなりにする人が多いよね。

投稿を見た限りだけでは、職場無理解投稿者の仕事のしづらさに繋がっているように感じる。業務指示がちゃんとした書面でもらえるような職場(あるいは業種)なら、文字情報精緻理解できる才能を発揮できると思う。転職とか考えてなくて現在職場で続けてやっていきたいのなら、もう三年やっているのだし「それ、書面でいただけますか?」とかけっこう強気で言っても良い気がするよ。

2024-10-11

性格キツくなった原因が睡眠不足食事だった

タイトルで大体完結してるが一応詳細も含めて

睡眠不足になるとめちゃくちゃイライラやすくなってちょっとしたことでもキレやすくなったりした

例えば物音がうるさかったら静かに注意すればいいものの怒鳴ったり自分の思い通りにいかなければすぐにイライラすることが多く、もちろんそんなことが続けば人間関係も上手くいかなくなるので自然に病んでいった

オマケ食生活も偏っていたので多分脳に行く栄養が足りてなかったんだと思う

とにかく短絡的でキレやす性格になっていった

で、スマホ依存も重度になりとにかくスマホスマホ人間関係ますますおざなりになっていってぼっちになった

特に人の癖(?)が無性に気になってイライラしてた、これは多分俺だけだと思うけど

そんな訳でメンクリに通うことになったのだがこの時は原因が分からなったので今まであったことを躁状態に近い感覚ペラペラと喋っていたことは覚えている

結局原因が分かったのだが、主治医曰く「睡眠不足は知らないうちに身も心も壊していく」ってさ

かに最初からネット依存気味で睡眠も足りなくなっていたけどモロに心壊れていったとはね

ちなみに初診時は夢と現実区別がついていないような感じだったらしい、どういう意味か詳しくは分からないけど

あと、早くスマホしたくて無性に家に帰りたかった時があったけど、あれは依存というより家に帰って寝たいという身体からサインだったのかもしれない

というわけでみんなも寝ようね、おやすみなさい

競馬が終わってゆく

単純に歳をとっただけだとは思う

競馬面白くなくなって久しい

友人づきあいもあって(競馬サークル的なの)GIシーズンだけ重賞を買ってるけど、予想もおざなり

新聞すら買わず無課金のnetkeibaで10分くらいで予想する

今春のGIがどんなレースだったかどころか、勝ち馬さえ覚えてない

なのに昔の競馬は鮮明にレース映像が思い出せたりする

バイラリーナは東京の1400では買えたよな、とか、そんなマニアックなことまで覚えてる

今は完全に惰性

もちろんトータルで負けるし、やめりゃいいけど、なんとなくで続けてる

 

特徴的な個人馬主が減って、ビジネス感が増したのもつまらないし

とりあえず母父ストームキャットにはディープつけとけ的なロマンのない安直配合連発にも萎えたし

強い馬は間隔空けて使って、早く引退するし

なんか思い入れするのが難しくなってきた

 

そして今年の競馬界は酷い

落馬が多すぎる

不祥事も多すぎる

亡くなる騎手複数

 

シンエンペラーは嫌いな馬ではないが

少なくとも日本で頂点に立ってから凱旋門挑戦しろよとは思った

いや、そうでないからこそ、「凱旋門賞などただの特殊適性レースなのだ証明でき、皆の呪いを解けるのだ」と陣営は思ってたのかもしれんが

ダービーも勝てない馬が「世界を目指す」と出ていっても、そこまで思い入れはできない

 

海外レースを買えるのは楽しいが、

生産育成調教レース外注して馬券だけを売って、それで成り立つんだな、って

じゃあ競馬なんかリアルで開催しないで、精巧シミュレーションゲーム馬券売っても同じみたいな気もして

 

ダラダラ書いてまとまりがないな

まぁ、俺の中では競馬は終わっていて

から俺の目には日本競馬が終わっていくように見えてるけど

好きな人は引き続き楽しんでください

 

もう一度だけでいいから、めっちゃ思い入れできる、好きな馬に出会いたかたか

2024-10-02

大型犬飼い主って小型犬飼い主を嫌いな人が多い

Xの男女論に疲れてスレッズで犬の飼い主の投稿ばかり見てる

そしてあることに気づいた。大型犬の飼い主って小型犬の飼い主を嫌うというか、反発覚えてることが多くね?

理由としては、大型犬ばかり躾しろ危険だと言われたり警戒されたりするけど、小型犬無駄吠えしても噛んでも飼い主があらあら可愛いで済ませて躾けないことが多いかららしい

自分の犬(大型犬)に吠えてくるのも小型犬が多い、そのくせこっちを警戒してくると

かに小型犬大型犬と比べて大事に至にくいから躾がその分おざなりになりやすいし、弱い犬ほどよく吠えるという諺もある

これって、男児ママ女児および女児ママに反発する理由と同じじゃないか

男児ばかり性犯罪者予備軍だ躾けろと言われるけど、うちの男児だって女児に嫌なことされた!それなのに加害者扱いされるのは納得いかない!みたいな男児ママが多いのに似たものを感じる

男女論と関係ない癒しの犬を見ていたはずなのに、結局こんな思考に至ってしま

2024-09-30

The Truth Behind ‘How Are You?’ (Is it even a question?)

オーストラリア自閉症当事者当事者向けに"How are you?"の受け答えについて分析解説している動画を偶然見た。

曰く、英語の"How are you?"(および"How's it going?"などの類似した表現)には複数機能がある。

単独挨拶である場合も、"I'm fine, thanks. And you?" "I'm also fine."と定型的やり取りを交わす社交辞令であることも、本当に相手状態をたずねていることもある。最後場合でも、ざっくりした無難な答えしか期待されていないときと、そうでもないときがある。

この切り分けは、相手との関係性や、会話の余裕がどれくらいありそうかといった状況から判断するしかない。

ただ会話はダイナミックなものなので、常に100%相手の期待に応えなくてもいい。おざなりな"I'm fine"が期待されているときに、「それがさあ、ちょっと聞いてよ」と本気の会話に持っていくことも、関係と状況によっては可能

社会的慣習を共有しない非ネイティブスピーカーにとっても分かりやす解説で良かった。

とどのつまりは「空気を読め」という話ではあるのだけど、ざっくり分類することでアタリがつけやすくなる。

2024-09-28

40歳、今が一番かわいい

子供の頃から違和感はあった。小学 4 年生くらいから顕著にかわいさを求められていることが分かって、辛さだけがあった。姉妹は美しかった。私はかわいく無かった。早くに母を失って、「かわいい」と言ってくれる唯一の人が居なくなって、自分がかわいくないことがよく分かった。

幸いに頭は良くて、人生に悩むことは無かった。とはいえ中の上くらいだが、好きなことを見つけられてそれで生きていけた。

色々あって離婚して、やっと「もう男女交際に悩まなくていいんだ」と思った。結構長い間夫婦をやったので、この人生でこれ以上はいいや、この分野はこれでいいや、と思った。

しばらくは自堕落自由を楽しんでいたが、あるときピーリングに目覚めた。皮膚が固くなるのは、刺激によって固くなった皮膚が真皮に負担になり、それによって固い皮膚が増えるらしい。なにそれバグでは、という気持ちが湧いた。

もともと色々あった中で美容についての知識技術はあった。たくさん勉強はした。保湿と日焼け止めこそが正義という世界だったが、これから衰えていく中で衰えた皮膚がより衰えさせるという事実に不満と疑問が生じて、実験してみたくなった。

ケミカルピーリングから物理的なピーリングまで色々試した。その中では真皮まで削る失敗もあった。そもそもピーリング医学用語であって、化粧品で「ピーリング」を冠しているものはすべて違法であるという、検索性の低さもあって迷走したりもした。

毎日やってもターンオーバーサイクル的に意味が無いので、その歩みは遅々たるものだった。合ったと思ったものが合っていない時期もあった。

やっと合うピーリング剤と物理の加減が見つかった。そうしたら、毎回毎回肌がとてもきれいになっていくのだ。

肌がつやつやしている。毛穴が小さくなってくる。化粧ノリが良い。何もかも良いことばかりだ。だから鏡を見る機会がふえた。見ると、改善したいことが出てくる。そしてどんどん良くなっていく。

鏡をポジティブ気持ちで見ることがあるなんて。そこには醜いものしか映らないから見たくなくなって、それ故にケアおざなりになっていた。でも今は見るたびに良くなっていくので、しょっちゅう鏡を見ている。

しょっちゅう鏡を見ると、きれいになりたくなる。化粧品を全部変えた。今までは、悪いところを隠すものだったから、モチベーションが低かった。

今までで一番「化粧が楽しい」と思ったのは、親の死に化粧くらいだった。私よりずっと見目麗しい(それ故にパートナーを苦しめ続けた)父に施す化粧は楽しかった。学んだ技術が生かされた唯一の瞬間だった。

今ではそれが自分の肌に生かせる。ベースの肌もきれいだし、化粧すればよりきれいになる。楽しい

おそらく多くの女児が思う「かわいくなりたい」を、今になってやっと素直に言えるようになった。そしてそれは叶う。今は技術知識お金がある。

こんな日が来るとは思っていなかった。別に 40 歳がかわいかろうときれいだろうとほとんどの他者にとってはどうでもいい。でも、 40 歳であるところの私にとっては、 40 歳とは思えないきれいな肌が私を励ましてくれる。鏡を見る度に、良くなった、もっと良くなると思える。他人にとってどうかはどうでもいい。今、私は私をかわいいと思う。毎日れいになっていく自分を良いと思う自分をかわいく思う。

ああ、かつて小学校高学年から中学校まで不美人であることですべてのコミュニケーションを絶たれていた頃は、こんな日が来るなんてまるで思えなかった。

もう男女交際のためでない、同調圧力でもない、ただ私が私を美しいと思うために行う儀式は意外と楽しい。やっと、やっと女の子になれた気がする。

自分が 40 歳になるなんて、想像もつかなかった。でもなってみると、意外と楽しい仕事ではやりたいと思ったことは大体できる。スキル的にも他者への影響力的にも、すごく強い。

その上、同年代とは比べ物にならないきれいな肌がついている。誰に言うでもない、誰かに誇るでもない、ただ自分自分をきれいだと思うこと。それが最後ピースだったようだ。

まとまらないが、歳を取ること、悪くないよ。エンジニア 35 歳定年説なんかに惑わされず、好きなことをやろう。いつの間にか自分を好きになっているかもしれないよ。

2024-09-25

anond:20240924134943

共産党を最大の敵にしているのは、日本労働組合総連合会連合)だよ

連合との推薦・選挙協力をを捨てて、共産党の力で選挙を戦うつもりなのか。。

 

これまでの立憲は、あまり連合おざなりにするから、捨てられた連合自民党と繋がろうとした

連合は長年、マイナンバーの最大の推進者なのに泥を塗られておかんむり

そこで「俺たちは共産党と仲良しだが、次の選挙も協力よろしく」は無理だろう

東京都知事選はそれをやって、見事に自爆。。

2024-09-16

にじさんじのお陰で色々挑戦してる

今までアニメゲーム漫画にばかりかまけていて現実おざなりだったんだけど、最近くろなんのシャトレーゼ回見てチョコバッキー買いに行ったり不破っちの香水案件見てカラリア登録したりした

話し上手がオタクワード絡めながら現実楽しいところを見せてくれるのが良いよね

2024-09-06

友達を選り好み、親切にしてくれる人をおざなりにしながら「無視される……」とか「✕✕だから人に好かれない……」「友達いない……」とか言ってる皆さん、いつ死ぬんですか?

2024-09-04

マイナンバーだけは無条件賛成するはてなー

命名からし安直ジャパニーズイングリッシュで、当初の目的外の利用方法ばかり並びたてて本質を見失っている施策

表面的な「便利さ」ばかり誇張されて、胡散臭いことこの上ない


だいたい、国が個々人の収入を正しく把握したいのなら、国費で全国民及び外国人居住者に対して個人番号証明書を発行すればいい

再発行ぐらいは多少費用負担を求めてもいいかもしれないけど、それも一部負担に留めるべき


それで、全銀行口座個人番号の紐づけを義務

その代わり、確定申告簡素化や生活保護などの所得保障の充実などを漏らさずきっちり行う


そのくらいやればいいものを、中途半端銀行口座との紐づけは義務化しないとか、マイナンバー取得は義務ではないとか

それに、生活保障年金などには従来のおざなり対応で済ませておいて

国というか官僚にとって都合のいいところばかりをつまみ食いしようという、ケチ臭くてさもしい根性ばかり見える施策の何がいいのか

俺は人に金を貸して利子を受け取ったことはない

要求したこともない。

それが当たり前だと思っている。

そもそも勤め先の小口経費の精算なんて「俺が会社のために立て替えてやったのに、俺がこんな細かい請求をしなきゃいけないのかよ」と思いはするが、もちろん利子などもらえない。

話が逸れた。

まり俺のモラル道徳には、「人に金を貸して利子を取ってはいけない」というものがある。

そりゃあ貸した相手「ありがとう」と言われなければ腹が立つし、返してもらう時に「お礼に」と言われてお菓子の一つでもくれるのを拒みはしない。

 

なんの話をしたいかというと、株の話だ。あるいは金融全般の話。

何か事業を起こそうとしてる人がいる、だが金が足りない、金があるやつがそれを用立ててやる、

そこまではわかる。

で、事業成功する、それで金を返せば終わり、

ならわかる。

いや、それでは申し訳ないので、その事業起こした人が、なんかのお礼をしますよ(株主優待

までならわかる。

いつまでも金をむしり取り続ける配当という考えや、金貸してるから当然づらして経営に口を出す、

こうなってくると、俺としては貸してる奴のことを醜い人間だとは思うが、

(金持ってるのは別に偉くないし、金貸したら相手に偉そうにしていいわけでもない。人は対等だ。パンが余ってたら足りない人間にくれてやればいいだけの話だ)

そうしないと誰も他人に金を貸さなくなるよ、という意見もあるだろうし、

まぁなんとか飲み込めなくはない。

 

で、株が売り買いされる、

これはもうわからん

お前が誰かを信用して、そいつのしたいことのために金を用立てた、その借用書を赤の他人に売る?

貸し借りの根本にあった人間同士の関係性をなきものにしてしてしまう、

そんなことを認めたら、貸し借りはただの数字になっていき、

その数字は当然のように偏り、こういう超絶格差社会になるのも当然だろう。

(だから俺はクラウドファンディングという金の用立て方は理解できる。そこには関係性が存在するから

 

年金や預貯金など、金の運用から完全に隔絶されて生きることはできない世の中だが、

俺は少なくとも株は買わない。

説教的に資産運用もしない。

現在社会においてその行為は、誰かから不当に金を奪う行為からだ。

かに法的には問題ない。

しかし、他人のものを奪わない、損なわない、なんていうのは、そもそも法律以前のものだろう。

 

株主のために利益を求めて、経営者が本来真っ先に行うべき「従業員幸福の追求」がおざなりになる。

それに加担しているのが株を買う人間だ。

座ったままで儲けようとするクズだ。

人に金を貸して利子を求めるゴミだ。

 

底辺アピールをしながら生きづらい生きづらいと愚痴を繰り返して、

その実株を買ってるやつなんかもいるわけだが、

恥を知れと思うね。

お前が辛いのは、お前みたいなクズ行為をするやつのせいなんだぜ。

2024-08-29

anond:20240828151536

サクッと調べたので間違えてるかもしれんが

万博会場建ぺい率は70%なのよね

会場図面を見ると割と厳しいだろうなぁと

しか建ぺい率が決まった後にリング大屋根が決まってる

これがかなり食ったんじゃ無かろうか

建ぺい率の食い合いになり、休憩所には屋根はつけられない、みたいな話になったのでは

 

結局、建築基準法的に屋根のない工作物パーゴラ建築にするしかなく

 

面白いのは、未着工の海外館、100%建たない、空き地万博協会おざなり休憩所を建てるだろうが

建ぺい率に余裕が出たのでこっちは屋根付きになる、エアコン完備、こっちにしか人来ねぇみたいな状況になるだろう。

 

まぁそんな事はどうでもいい、俺が気に入らないのはデザイン機能美も根拠も無い

万博テーマは「いのち輝く未来デザイン

石を吊るしてどう命が輝くのか、未来なのか、

 

本来であれば全体統括のデザインマネージャーが居て、各種のパビリオン施設、床材の色まで目を光らせ、全体の調和を図る、その指針になるのがイベントテーマ

ところがそういうものがまったく機能してねぇのよ、それぞれのパビリオン施設が好き勝手バラバラパッチワーク

さらにそれぞれのデザイナー万博テーマなんて歯牙にもかけない。無視

 

そこにそれがある理由デザイン合理性機能の追求

 

ねぇのよ

 

めっちゃデカイ石を吊るしたら映えね?凄くね?見たことねぇべ」

インパクト勝負、目立ったもん勝ち、デザイナーとして実績作り

助平心が全部透けて見える

 

万博テーマに沿ったデザインで来場者の利益を最大に考えたらこんなデザインにならない

日除けとしてまったく機能してない、隙間だらけで日射ダダ漏れ

真夏万博会場の休憩所として機能しない

なーんも考えてない

 

んな事は全員わかってる

から大事故起きてデザイナー生命が絶たれやがれクソが、と願うわけ

2024-08-28

anond:20240827160550

アラフィフ既婚子供アリでバツイチ一人暮らし

20ぐらいの第一子が近所で一人暮らししてるので、週5ぐらいで様子を見に行ってる(買い物頼まれたり、雑談相手として)

自由時間は家に引きこもってゲームしたり、漫画読んだりゲームしたりしてる

動画も見る

独身じゃなかったら、と考えると、

空間

4LDKより広い家には住めてない

 ので、自室がない ので、エロ動画自由に見れない

小さい書斎みたいなのはギリギリ得られるかもしれないが、今みたいに自由に、HMD&エアドールでの活動ができない

子が家を出たら部屋は空くかもしれないが

お小遣い

結婚してた時月3万とかだった

今も第一子に仕送り&第二子仕送りしてるけど、合わせて20も行ってない

ローン引いて、なんだかんだしても、自分だけで使うわけにもいかないし、毎月使える金額は半減とかすると思うし、数年おきになんとなくでPC買い替えたりするのもできなくなりそう

時間自由も桁違いで自分のペースで生きれる

スマホゲームには課金してないが、積みゲー積読積みプラし放題

風俗行きまくりだし、セフレもどきみたいな人とおうちで遊べる


真面目な話、奥さんと相性良ければ独身メリットかいう金とか時間なんて、奥さんと一緒に過ごすことで吹き飛ぶとは思う

実際そんな生活が楽しくてあまり一人で出ない妻帯者も(夫帯者)居るし、嫁(旦那)が帰ってこいとうるさいからと、不満述べてる人も居る

稼ぎがそこまで多くなくて、結婚相手見つからなかったので、すっぱい葡萄って言ってる人と、

めちゃくちゃ稼いでるし亭主関白で家庭おざなり自由すぎる人の間に色んな人が居る

個人的には罪悪感無しに風俗行けるのが度メリット

親が高齢出産だった子供だけど高齢出産を持て囃す風潮やめてほしい

両親→戦時中まれ。46歳で出産

自分平成初期生まれの30代

現在では高齢出産は35歳以上の出産のことを指すらしいが、個人的には自分体験から40歳以上の出産だと思っている。

高齢出産で大変なこと

①他の親と世代が違うので話が合わない

同級生の親のほとんどは20代後半〜30代前半での出産が多かったと思う。同級生の親とはひと回りもふた回りも異なるので話が合わない。ちなみに同級生祖父自分父親高校の元同級生だった…。

自分の親が同級生の親と話している姿をほとんど見たことがない。ママ友という概念があることを、自分社会人になるまで知らなかった。PTA等の打ち上げ飲み会に参加した様子もなかった。たぶん孤立していたんだと思う。

②他の親と価値観が異なる

親が高齢出産だと、これが1番困ると思う。例外はあるが、高齢であればあるほど新しい価値観理解が難しく、取り入れにくい。

ゲームアニメ漫画、おしゃれには全く理解が無く「オタク犯罪者予備軍」の認識が強かった(某死刑囚の影響)のでその辺りのものは買って貰えなかった。アラサーの親だと、ゲーム漫画等に触れた経験があるだろうが、戦時中に生まれ自分の親は全く無い。学校で友人が親とポケモン対戦していると聞いた時はびっくりした。

おしゃれに関しては、幼少期は戦後すぐの時代だったからおしゃれしている場合ではなかった影響だと推測している。

電車を「汽車」って言ったり、国立大学は「一期校、二期校」で区別している。

職業大学に関する知識アップデートはされていない。(例えば看護師養成専門学校だけではなく看護大学大学院も登場し、専門看護師認定看護師制度を作り地位専門性向上を図っているのだが、自分の親は看護師医者の言いなりの下働きと本気で思っている)

カタカナ学部に対し理解がない。情報工学IT系も疎い(パソコンでチャラチャラ遊んでいると思っている)。

子供反抗期と親の更年期が被る

出産が35歳以上になるとこの問題が出てくると思う。この組み合わせは最悪。喧嘩ばかりになる。

④両親を祖父母と勘違いされる。

体調を崩して学校を早退する時は事務員さんに「おばあちゃんが迎えに来たよ」と言われるが、その度に母が激怒していたのを憶えている。

⑤親の年齢を聞かれた時に答えにくい

親の年齢を正直に言うと全員からドン引きされていたので、現在「秘密」にしている。




他にはネットで言われている通り、体力がないとか子供高校大学進学時に定年を迎えて金銭的にきついとかあるが、1番辛いのは他の親と価値観が異なることだと思う。個人的体感だが、同い年でも祖父の子育ての価値観高齢出産の親の子育ての価値観はまるで違う。年若い人でも価値観が古かったり、年配の方でも新しいものに対し抵抗がないタイプもいるが。

女性社会進出医療の発達もあり、芸能人の影響もあってか40代以上の出産が持て囃されているが、高齢出産で育った側の人間としては、できれば高齢出産はやめてほしいと思っている。高齢出産した親はキラキラしているように見せているが、子供おざなりになっていないだろうか?

現在は両親と飛行機距離だが、母親認知症発症しており父親介護を受けている。そして今月、父親にがんが見つかり、定期的な通院や入院必要であることを病院から説明された。働き盛りの年齢に両親の介護ダブルパンチを受けていてどうするか大変頭を悩ませている…。

2024-08-19

ITがつまらなくなった」じゃなくて「お前がつまらなく感じる」だけだろ

IT がつまらなねーって、プログラマがいうのはプロ意識的にどうなんだろと思う

話題職業倫理ってどうしたよ、AIだけの問題なのか? そうじゃないだろ

というわけで、個人的に思うところをまとめてみる

生成AI の話に関して

生成AI で置き換えられるなら置き換えられればいいだろ

そうじゃない現在進行形価値は、過去から類推する生成AIでは作れない、だって元となるデータがないんだから

顧客にとって最適な、オーダーメイド価値提供できなければ、そりゃ簡便な手段代替されるだろう

それは AI に限ったことじゃないし、バーティカル SaaS とかで言われてきたことだろうに

そうじゃなきゃ生成AI代替されるというのは、至極当然のことだろう、今までの歴史からわかってるはずだろ

顧客に最適な価値提供できないことを、AIのせいにするなよ、つまらんこといってんじゃねーよ

ゲームエンジンの話に関して

ゲームエンジンの話にしたって、オレオレエンジンを作るレベルが上がっただけで、ゲームエンジンを作る仕事消滅してないだろ

適当な事をいうんじゃねーよ、大多数のゲーム必要としないからって、開発自体自体がつまらんと言い訳してるんじゃないよ

ゲームエンジンを内製するだけのゲームを作る気がないというのを、業界全体がつまらんという問題勝手に置き換えやがって

つまんねー論点のすり替えをするんじゃねーよ、プログラマとしてちゃんエンジン作らないと提供出来ない価値を考えろよ

必要としないんだったら、そこにゲームプログラマはいらないということで、そりゃお役御免なんじゃねーの? ツールいじるだけの仕事なんだし

クラウドサービスに関して

自分たち価値提供するということをおざなりにして、クラウドサービス限界自分たち限界にするのも腹が立つ

お前たちは GAFAM の奴隷で御用聞きなんですか?

Amazon提供してないから、Google提供してないから、Microsoft提供してないからって言い訳するの、恥ずかしくないの?

結局、リスクを負うことを避けてるからクラウドマネージドサービスを利用してるだけだろ、いい加減にしろ

SLA で返金されるからってノーダメからって、顧客に対して GAFAM の威光を利用してスネカジリしてるの恥ずかしいと思わないわけ?

クラウドベンダーが悪いんですっていって、最悪でも顧客に対して障害報告書を書けば済む業界は、そりゃ舐められるわけで

そういうのを、クラウドは可用性が...ってごまかすもの顧客にとってみれば関係ない話なのに、GAFAM の名前だせば許されると思うのは、流石に舐めてるだろ

メインフレームを扱ってる人のほうが、たぶんサービスを落とさないという観点において、プロ意識を持ってると思うよね、そりゃ

落ちちゃいけないんだから、落ちてもいいだろという人たちよりは、流石に神経使うだろうね

まとめ

自分技術が足りなくて価値提供できない事を、つまらないということこそダサいし、それがプロなんですかね?

ちゃん自分価値提供できていると思えるのであれば、そんなことを言ってほしくはないね

2024-08-10

国家資格勉強に勤しむ薄給会社員男性35歳。妻と共に、団地で1歳の子を育てている。

 土日休みの私と、シフト制で共働きの妻は、休みが被らない。だから休みの日はワンオペで子の面倒を見ることはよくある。

 いつも遊んであげているからか、子は私によく懐いていると思う。

 だから休みの日になると、「だっこ」「読んで」と絵本差し出してくる。

 普段、なるべく子どもに構ってやりたい、と思って色々と連れまわしてあげていたりするものの、やはり試験直前期ともなるとそういう訳にはいかない。

 渋々子の希望に応じて抱っこをして、絵本を読み始める私の気がそぞろであることを1歳ながら子は鋭敏に察する。そして、スッと別の部屋に行って、一人で絵本を読んでいたりする。その背中が切ない。私が不甲斐ないばかりに、早く大人になることを強いてしまっているような気がして、「ごめんね。」と背中越しに声なく語りかけるが、そんなことを子は知る由も無い。

 

 私は頭が悪いから、きっと今年も試験には受からないだろう。

 結果は判り切っているのに、勉強なんてさも正当な理由があるが如く振る舞い子をおざなりにしてしまうことに罪悪感がある。そもそも勉強自体、好きじゃない。

 

 だけど、しかし……。

 冒頭で書いたように私は薄給なのであって、どうにかして現状を脱するには資格に依るしか途が無い。長い目で見たときに、この苦しみが結実することを祈る。そしてこれはイズムの問題だと自分に言い聞かせている。

 

 短期的に子を慈しみ、今の生活を良くしようとすることは妻がすればよく、今を苦しんで長期的に何とか生活を良くしようとする行いは、苦しみを飲み込む器のある側がやるしかない。

 子は父の心を知らず、私のことは嫌いになっても構わないし、妻が私のことを「役に立たない」と思い恨んでも構わない。しか勉強した世界線勉強していない世界線では、前者の方が(私自身は嫌われているものの)妻子の幸福寄与するはずだ。少なくともそういう姿勢暮らしていくことが、生活の全てにおいて溶け込んで良い方向に作用するはずだ。

 そして私は、家父長としてそれを受け容れなければならないのだ!

 

 とポエミーに語ってみたものの、どう自分の中で折り合いをつけたところで妻子の側からは、1年後、2年後の結果で私の行いを裁くのだろうなと思う。

 

 もう何千時間勉強してきた。全部がムダだったなんて思いたくない。何とか受からないと。

 

  

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