名前を隠して楽しく日記。
お前みたいなオッサンって衰退ポルノ愛好家なだけだから、例えばHyondai IONIQ 5 Nとか実物見たことも乗ったことも無いだろ
先日、残尿でズボンを汚すっていうのをやらかしてから対策方法を調べてて、尿漏れパッドというものがあるって教えてもらってあちこち見てたら
いつのまにか高齢者と判断されるようになったのか広告が高齢者向けのものばかりになったんよ
んで、セサミンなどの健康サプリみたいなのは想像の範囲内だったんだけど、それ以上に多いのが働き口の斡旋だった
直前までは「ハイクラス・ミドルクラスの転職は〇〇」など出てた場所が「70歳以上雇用」のような簡易でストレートなものに変わってビックリ
まだ30年くらいは先のハズなんだけどな
アメリカ合衆国の保安官の権限は、州や郡によって大きく異なり、一概にこうとは言えません。しかし、一般的に以下の様な権限を持っています。
* 法執行権: 警察官と同様に、犯罪の捜査、逮捕、令状の執行などの権限を持っています。
* 裁判所の警備: 裁判所の警備や、被告人の護送などの業務を行います。
* 刑務所の管理: 一部の地域では、郡の刑務所の管理も行います。
* 民事執行: 民事裁判の判決に基づいた財産の差し押さえなどの執行を行います。
* 選挙で選ばれる: 保安官は、多くの場合、選挙で選ばれます。そのため、警察官よりも政治的な側面が強いと言えるでしょう。
* 管轄区域: 保安官の管轄区域は、郡単位であることが多いです。一方、警察官は市や州を管轄する場合もあります。
* 歴史的な背景: 保安官の制度は、アメリカの歴史の中で独自の進化を遂げてきました。そのため、警察官とは異なる歴史的な背景を持っています。
* 州法による違い: 保安官の権限は、州法によって大きく異なります。ある州では、保安官が非常に強い権限を持っている一方で、別の州では、警察官との役割分担が明確にされている場合もあります。
* 郡ごとの違い: 同じ州内でも、郡によって保安官の権限は異なる場合があります。
* 連邦法との関係: 保安官は、州法だけでなく、連邦法も遵守する必要があります。
まとめ
保安官は、アメリカ合衆国の法執行機関において重要な役割を担っていますが、その権限は多岐にわたっており、州や郡によって大きく異なります。保安官に関するより詳細な情報を知りたい場合は、特定の州や郡の保安官事務所のウェブサイトなどを参照することをお勧めします。
無期懲役囚〜死刑囚。税金を食い潰すだけの生けるゴミ。心神耗弱とか非科学的な理由で無罪放免の奴らも同様だ。
犯罪者の家族。腐敗した遺伝子をこの世に撒き散らす、生きながらの巨悪。
これから国が小さくなるなら、最初に掃除するべき存在があるだろ。
そういう政党こそ、いま作るべきだろ。
お前さんはさ、毎回同じ論法で軽EV持ち上げてるだけの「軽EV原理妄信爺」だな。
CDセグ以上はEVに向かないとか、2トン近い車重を挙げてドヤってるけど、世界見渡しゃ軽量で安価なEVなんざ実在してんだよ。
たとえば欧州で売られてるダチア・スプリングは1トン前後で、都市部の移動手段として割と受け入れられてる。
中国でもBYDのシーガルみたいな軽量小型EVがバカスカ売れて、既に発売から半年ほどで累計10万台以上普及しちまってる。この事実はどう説明すんだよ?
お前が得意げに「軽EVは合理的」とほざく一方で、世界中のメーカーは各セグメントでEV展開して、重量増への対策を電池技術や素材開発で競い合ってるんだが?
それを「EV信者」とか「ニワカ」とかレッテル貼って終わらせるだけじゃ、ただの視野狭窄な妄信爺そのものだわー(笑)
すげえ時代遅れ、釣りにしても5年は書くの遅い出羽守なのすげーな
EV持ってるフリしてるけど、車持って無さそうだから、HyondaiのBEVとか試乗したことないんだろな
Tier4とか、存在も知らないんだろうな
調べたら親の学歴相当までは養育費を支払う義務を負うとは書いてある
父君の学歴が大学卒業なら、子である私も大学卒業までめんどうみてくれやと。一理ある
で、父君は大卒なんですか?
ソニーはエンタメに関わらんでくれ〜最終的にマネーゲームにするから〜
ただでさえアニメになると原作のエロはなかったことになったり削られたりとか言う原作改変が始まってるのに
ただでさえ色んな諸事情があって界隈はがんじがらめなのにそこに筆頭株主(笑)のソニーが横から札束ヒラヒラさせて口出してくるんだろ?
嫌や〜
そんでアストロボットがゲーム・オブ・ザ・イヤー獲得してからps5また安くしてる
知ってた、ならもうずっと安くしとけ
T4作戦を知っているなら、ナチスが障碍者を「安楽死」させた、そのプログラムがやがて健康体のユダヤ人やロマ族の虐殺に応用された顛末も知っているだろうに。やはり釣りかと思ってしまう。
これ釣りとかじゃないんで、男性の障害者の人権を奪わないことの社会的なメリットを真剣に教えてくれる人がいたら普通に感謝しますよ。
一度国家に「生きるに値しない命」から人権を奪うことを認めてしまうと、その適用範囲は広がり続けるというのが歴史の教訓ということだな。
ちなみにT4作戦は精神障碍者だけでなく身体障碍者も殺したので、あなたは今は健康体かも知れないけど、加齢や病気や事故で体が不自由になった時に、
もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。
この家に育って何が起きたか。
それは認めるし、親としては感謝している。
だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。
少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。
また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。
自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。
私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。
大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。
私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。
食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。
母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。
別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。
こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。
極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。
ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。
私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。
それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。
しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。
母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。
私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。
なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。
そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。
両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。
両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。
だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。
「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。
だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。
そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。
私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。
場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。
SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。
人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
オナニーのときしか言われない印象だけど、普通にセックス後も賢者タイムあるよね?
うわーなんでこの人とセックスしたんだろうとか、性欲で盛り上がってるだけだったなー、とか思うよね?
社会通念の使い方合ってる?