その前に君が潰れちゃうにゃあ
誰にでも「さん」付けが楽だし無難だと思ってたんだけど、とある事情で地方の田舎で働いたときは普通に下の名前で呼び捨てされていた。
最初は苗字(姓)+「くん」や「さん」付けで呼んでくれる人も、徐々に苗字呼び捨て等を経由したりして最終的に下の名前の「くん」付けか呼び捨てに落ち着いていた。
物凄く気分悪くて不快だったんだけど、文化の違いと考えて諦めてはいた。
しかし不思議というか面白いなと感じた部分もあって、会社以外の知人友人関係において、その地域の人たちは年齢が下手したら10~20も年上の人にも「くん」付けだった。
二十歳そこそこの若者(男女問わず)が30代、下手したら40代くらいの相手を「くん」付け呼びしているのはなんとも変わっているなと思った。
これは都会ではあまり観測できない独特の文化だと思い、いくつか理由は考えてみた。
この情報で地域を特定できる人がいたら面白いと思うので書いてしまうと、星、湯田、室井、渡部(渡辺や渡邊はほぼいない)あたりが多数を占める。
そしてその中の集落(集落のことを差別的な意味なく部落、と呼ぶのが普通だったがこれは別の話)ごとに偏りがあり、
通りがかりに墓地があったので目をやると、ほぼ全部「星家の墓」だったり、とある星さんの家を探して回ると周辺みな星でなかなか見つけられなかったりした。
なのでその地域の会社という会社において、苗字被りが必ず起こるので下の名前で呼ぶようになることは当然の流れといえる。
それだけだと下の名前で呼ぶ理由にはなるが、年齢関係なく知人レベルの年上を「くん」付けする理由にはならない。
これに関する考察は推測の域を出ないのだがおそらくこういうことだと考える。
一つは若者自体が少ないこと。それにより自然と関係性が深くなりやすい。
もう一つはその若者たちはほとんどが産まれてから同じ地域で過ごし同じ高校を出ていること。
後者によって生まれるであろう上下関係が年齢を重ねてもそのまま続いていることを見るに、年上相手には「さん」付けが浸透していきそうに感じるが、
中高生時代に序列が下位だった人間が会社・社会関係においては同等や上位になること自体は十分にありえるであろうから、
その辺の関係で自然と年齢関係なく「くん」付けが常態化していったのではないかと考えるが、上手く文章化できないし頭の中でも若干もやもやしている。
例えると、高校時代とかに赤木剛憲は桜木花道に対し年齢またはクラスや部活の序列が上位の存在であったので、呼び捨てしていたとする。
これが後に社会に出て立場が同等か逆転したとして、その時赤木は桜木に敬意こそ持つも呼び捨てのまま呼び続けたりするが、
桜木は立場が同等以上になったのだから自分も本来であれば赤木を呼び捨てしたいが、そこまではできないので「くん」呼びすることにした。
どうだろう。スラムダンクで例えたのは若干失敗しているかもしれないが、基本の流れはこんな感じなのかな、と思う。
ちなみに女性に対しては、4~50代同士とかの結構な年齢であっても、年下であれば下の名前+「ちゃん」付けが多かったように思う。
また、3~5歳程度上の女性に対しても「ちゃん」付けしている人たちも観測しており、なんだかなぁと思いつつも自分もそれに合わせていたりした。
【追記】
こんなにブクマ集まると思わなかったので嬉しいです。ありがとう。
特に昔の使い方が変化しなかった説と、栗生沢の湯田がユダから来てる話は知らなかったので衝撃。
前者は、単体だと何故この地域ばかりそうなったのかとなるけれど、苗字被りの多さと人間関係の固定化に合わせると説得力を増す気がします。
後者については確かに栗生沢は湯田ばっかりだったので栗生沢に近しい人探して詳しく調べてみたいと思う。
(ちなみに栗生沢は「くりゅうざわ」と読む。他にも地名や苗字で針生(はりゅう)、塩生(しおにゅう)、藤生(とうにゅう)、小塩(こしゅう)等あって、
これに関しても面白そうなので調べてみたいと思っている。)
本文に書いた苗字四つをググれば四天王と出てくるので特定は容易いとは思ったけどいろんな人の意見が聞けるのは非常にありがたい。
個人的に軽く調べたり聞いたりして考えていた程度のことだったけれど、興味のある人が結構いそうなので
今後現地の人たちに対して調査して何かわかったことがあれば報告したいと思います。
それと他所の地域ではどうなのか、これだけブクマあって言及がないのでやはりかなり珍しいのかな。
そこも非常に気になるので今後調べていきたいです。
自分が他人のネタを平然とパクる人間だからこそ逆に代官山飯のときにも勇み足で「パクられた!」と思い込んで大騒ぎしたと考えるんだ。
少なくとも大騒ぎする前に確認したりする。
そういうことをしない人だからこそ大騒ぎするし、
バカとは違うんだけど、ちょっと普通と感覚がずれてる人だと考えるんだ。
そう思えば何もおかしくない。
芸能人やサブカルの人なんて普通からちょっとズレてる人ばっかりでしょ。
たまたまパクリ飯の人は自分のズレ方ブーメランの形をしていただけだよ。
あるいはこんなのはどうだろう。
私ね、はっきり言って代官山飯の時のパクリ飯さんの行動って、「ふつう」「常識的」な対応だったと思うわけ。「らしくない」っていうかね。
闇金さんが言い出したのでなければパクリ飯さんはもうちょっと理知的に行動したかもしれないんだよね。
パクリ飯さんにとっての闇金さんがどういう存在なのかは知らないけれどヤンキー漫画に出てくるツッパリ社会でそれぞれお山の大将やってるような関係だと思うんよね。
だから、なめられるような態度を取ってはいけない。一方で機嫌を損ねて戦争になってもいけない。そういう状態になるように闇金さんがしかけたんだと思うんよ。
闇金さんはパクリ飯さんを試してたわけよ。「ほらほら、ボールをパスしたよ。オマエはこのネタにたいしてどういう振る舞いを私に見せてくるの?」ってね。
で、パクリ飯さんはそのプレッシャーに負けてしまったんじゃないかなと。
パクリ飯さんが普通とずれてるとはいってもバカではありえない。
他人にけしかけられたんじゃなければもっと自分がうまく主導権握って上手に立ち回れたはずなんだよね。
それこそ、編集者の人は怒ってるけど私は別に問題だと思ってないよ、みたいに編集におっかぶせる形を取れたりしたはず。
だって、そのほうが「らしい」じゃん?
パクリ飯さんにとって常識的な人間をしたって何にも美味しくない。
それよりかはパクリ上等!私のほうが面白い!みたいに本人がスタートだったらできたと思うんよ。
だけどあの時は、闇金さんがけしかけてきて、もうこれはパクリだ!許せん!って流れが闇金さんによって作られてたわけ。
そういう止めることができない状態まで騒ぎになったあとで神輿に渡された時になすがママになってしまった。
闇金さんへの作った流れに逆らえずにごくごく常識的な対応になった。つまらない対応をしてしまった。
そしてそのツケが回ってきて最悪の形で払わされる形になったと。
今回の件、編集部が謝るだけで許されていいのか?って言ってる人いるけど逆でしょ? パクリ飯さんにとっては最悪の展開じゃん。
パクったこと自体は全然問題じゃなくて、「ダサい」って思われてしまったのが致命的だよね。
信者はパクリであろうが反社会的であろうがなんだろうが格好いい、あこがれ、で有る間は無条件でヨイショするわけよ。
でも今回の対応って、そういうファンからみるとすごく「ダサい」はずなんだよね。
自分はだんまりで編集部の人が代わりに頭下げるなんてさ。戦闘派のイメージ丸つぶれじゃん?おいたの後始末を親にお願いするガキだよ?
パクリで訴えられたり、謝らないまま打ち切りになるよりはるかに痛いよ。
俺だって、今回の件でもまだパクリ飯さんのファンやってる人見たら、もうだせえとしか思わないもん。
一番大事な求心力の部分を今回の件でパクリ飯さんは失うことに成るよね。
さて、ここで考えてみようよ。
今回の件でまったく傷ついてないしむしろ目障りなパクリ飯が消えて得するのって誰?
代官山飯をまっさきにtogetterまとめまで作ってまでけしかけたのは誰?
誰か知らないけどその人は今頃漁夫の利飯うめえうめえって感じなんじゃないかな。
女の戦い、おそろしい恐ろしい。
そうすると新着エントリにおれのちんこが並ぶ。「生活」カテゴリ。
まるで虚空に虹を描くかのようだ。
更に行けばバイラルメディアに俺のちんこが取り上げてもらえる。
ちんこが独り歩きしている。まるで古典に出てくる犀の角のようだ。
本当にうまく行ったときは、サンデージャポンとあっこにお任せ! に登場しすらする。おれのち○こが。
まるで虚空に弧を描くかのようだ。メディアずっと続いている。
大多数は深く考えていないし残りの半数くらいも考えてる気になってるだけだ
匿名でインタグラムをやっているのだが、それなりにフォロワーさんもできて楽しくやっていた。
だけど、最近アラビア語で書かれた方から投稿写真にコメントが寄せられるようになった。
アラビア語で書かれていて正確な内容はわからないが、自動翻訳をかけてみるとどうやらイスラム教の布教?のコメントらしい。宣教師の名前だけは、自動翻訳から分かった。
パリのテロとなにか関係があるのかな。イスラム国のせいで世界的にイスラム教へのバッシング激しいしね。
とりあえず、今はコメントを消していいのか、それとも放置すべきかどうか迷ってる。
返信は、今のところやめておこう。アラビア語書けないし。
バウムクーヘンエンドおいしい。
あと、もとは恋愛感情だったものが10年とかかけて、かわいた穏やかな友愛になってくのもおいしい。
俺は日本の就活面接とかエントリーシートとかいう制度が大っきらいだが、
たまたま今暇で、たまたま反論を思いついてしまったので、暇つぶしに書きなぐる。
人事側だって、別に派手な挫折エピソードを期待しているわけではないと思うが。
こういう質問って、
を書けるとベターで
まで書けるとモアベターなんじゃないかな。
だからネタとしては恋愛でも受験でも、バイトの失敗でもしょーもないことでもいいんじゃないの?
バウムクーヘンエンドってやつ?
そっか…。その後、どうなるの?
返信あざます!
青軸方向に直線状になっているので、つまり値が定まらない。
あと, Google 検索でグラフ化した際の定義域を工夫して x ≧ 0, y ≧ 0, z ≧ 0 にしてやることでようやく具体的に構造が把握できました. 感謝です.
せっかくトラバをいただいたので「私の場合」を回答したいと思いますが、
正直、この点において私自身は腐女子の中でも更なるマイノリティと自覚しているので
あまり「BL愛好者一般」としての普遍性はないことを先にお断りさせていただければと思います(ブコメのほうが正直面白いと思います)。
で、これを腐女子風に言うと「推しカプに彼女(候補)がいる場合」となります。
そういう場合、私個人としては、
「主人公は彼女のことが好きだけど、同時にカップリング相手のことを(気の迷いで恋愛として/弱さをみせる存在として/恋愛ではないけれど、それと同等に)大事な存在と思っている」
というような読み方をすることが多いです。
私個人は、「二人の関係が恋愛であること」よりも、「その周辺の感情の揺らぎ」を読み込むことを二次創作の醍醐味としているのでこんな感じです。
「恋愛ではない関係に、恋愛の相似形を見る」こと自体が喜びなので、彼女のキャラクターの魅力の有無とは無関係です。
過去似たような状況で似たようなカップリングにはまっていた頃、原作内で主人公と彼女が成就した際は、それを心から喜び祝いました。
二次創作をするほど入れ込んでいる作品は、もちろん一読者としても好きな作品です。
彼女と主人公との関係の積み重ねはとても丁寧で読者として面白かったですし、好きな作品の主人公が納得行く形で思いを遂げたなら、それは喜ばしいことです。
なんだか我ながら、「好きな芸能人が結婚しても祝福しよう」みたいなイイコちゃん回答で気が引けるのですが、とくに粉飾なくそう思っています。
ついでですので、「彼女死んでほしい」というような心ないコメントについての個人的な、妄想交じりの見解を書きます。
たいていの場合、そういった発言はそう重く受け止める必要のないものだとわたしは思っています。
と、いうのも、
腐女子というのは、同じ作品が好きで同じカップリングが好き、みたいな狭い狭い「同好の士」コミュニティの中で発言していることが多いからです。
これは腐女子だけではなくて、大体いろんな集団に言えることだと思うのですが、
だいたい似たような思想と趣味の人ばかりコミュニティにいると、発言は次第に先鋭化し、過激になっていく傾向があります。
「死んでほしい」というような過激な言葉も、そういう「お仲間内の過激化したノリ」のなかで、あるいはそれを引きずって飛び出した可能性が高いように思えます。
それは一種の熱病のようなものであり、仲間内での内輪受けを狙ったものでもあり、子供のいう「担任しねばいいのにー」と同等の重みしかありません。
(だからといって擁護したいわけじゃないです。そんなこというなよバーカと思います)
「死んでほしい」などという発言をした人が、冷静にいちファンとして作品を見たときに、もう一度それを言えるかは怪しいものだと、わたしは思っています。
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追記。ブコメ返信。
たまに腐女子内でもそれ言われるんで勘弁してほしい(だからマイノリティである旨断ってる)。でも腐女子だよ。