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肱川とは? わかりやすく解説

ひじ‐かわ〔ひぢかは〕【肱川】

読み方:ひじかわ

愛媛県西部流れる川。大洲(おおず)市南部の鳥坂(とさか)峠(標高460メートル付近に源を発して北流し、同市長浜町伊予灘に注ぐ。長さ103キロ流域林業発達し河岸段丘では酪農が盛ん。大小300超える支流がある県下最大河川


肱川

豊かな風土育み多く水害の歴史をもつ肱川
肱川は、愛媛県西予市にある鳥坂峠にその源を発し幾つも渓流合わせながら、大洲市大きく蛇行しながら北西流下し、山に挟まれ狭窄部を通り喜多郡長浜町で、伊予灘注いでます。途中支川含めると流域面積1,210km2流路延長103kmの愛媛県最大河川です。

大洲市を流れる肱川
大洲市流れる肱川

河川概要
水系肱川水系
河川名肱川
幹川流路延長103km
流域面積1,210km2
流域内人112,000
流域関係都県愛媛県

肱川流域図
○拡大図
1.肱川の歴史
"肱川は、河床勾配緩やかなどの特徴から、川の文化として「舟運」などが育てられ、「鵜飼い」として現在も残ってます。一方洪水吐けにくいという地形状況から水害多く古くから水位観測が行われ、「ナゲ」や「河畔林」など特有の治水対策残されています。"

独自の地形特有の歴史をもつ肱川

■肱川河口航空写真
■肱川河口航空写真
肱川は、その名が示すように中流部において「ひじ」のように大きく曲がっていることや、源流部が平坦な盆地地形をなしている一方河口部は山に挟まれ狭窄になっていること、流域大部分山地占め割には河床勾配が緩やかであることなどが特徴としてあげられ全国的にも珍しい形態河川となってます。

■肱川の舟運
■肱川の舟運
肱川特有の歴史として舟運歴史あります河床勾配が緩やかで水量が豊富であったため、道路鉄道整備される昭和初期までは、多くの筏や舟が往来し、「水のみち」といってよいほどに人々の生活支えました

一方、肱川は河口部が山に挟まれ狭窄になっていて、河床勾配が緩やかであるという特徴から、洪水中流盆地集中しやすい地形になってます。この地形状況から、大雨が降るたびに川が氾濫し水害発生していました
■大洲附近洪水表
大洲附近洪水
このため藩政時代から、堤防築堤河道内の掘削など河道整備進めとともに水番置いて肱川の水位観測するなどが行われました。その水位観測記録は今も残っており、貴重な資料となってます。

このような大きな水害受けた歴史をもつ肱川では、特有の治水対策として「ナゲ」と「河畔林」があります

■若宮のナゲ
若宮ナゲ
ナゲ」は、洪水時の水流を川の中心部導き土砂沈殿させたり、堤防決壊くいとめるための水制であり、現在も8箇所現存してます。
また、この水制川舟停泊地としての役割兼ね備えていました

■肱川沿いの河畔林
■肱川沿いの河畔林
河畔林」は、エノキ大木やマダケ・ハチク・ホテイチクなどの竹林であり、洪水時に氾濫する水の勢い減少させたり、護岸保護したりするために人工的に植林されたものです。
この河畔林は、肱川の流れ周囲山並み調和し美し景観示してます。

これらの先人残した治水対策は、堤防の整備進んでいる現在でも、衝を緩和するなど堤防河岸保護するとともに河道内の動植物生息生育環境多様化を保つ意味で重要な役割果たしています。
2.地域の中の肱川
"肱川の豊富な水量は、分水など周辺地域恩恵与え、その河川空間は「鵜飼い」など多くイベント利用されているなど地域と深いつながりをもってます。また、独自の河川美化活動として「肱川を美しくするお花はん」が取り組まれています。"

地域社会と深いつながりをもつ肱川

肱川の豊富な水量やその変化に富んだ河川環境は、流域住民だけでなく、流域外においても深いつながり持ってます。
■野村ダム
野村ダム
肱川の上流にある野村ダムでは、大きな河川がなく慢性的な水不足悩まされてきた流域外の南予地域に対して分水行ってます。また、地域イベントとしてダム祭り開催されています。

■ドラゴンボート大会(鹿野川ダム湖)
ドラゴンボート大会鹿野川ダム湖)
肱川の中流にある鹿野川ダム湖は、愛媛県唯一の漕艇コースがあり、イベントとしてドラゴンボート大会開催されるなど湖面盛んに利用されています。
また、オシドリ飛来地としても有名です。

肱川本川下流部高水敷では、運動場多目的広場教育実習などに利用され、その他、中流部では鵜飼いいもたき花火大会など多く観光客訪れてます。また、下流部では、潮干狩りやスジアオノリ採りなども行われてます。
■鵜飼い ■スジアオノリ採り
鵜飼い■スジアオノリ採り


■御幸の橋
御幸
支川域の水辺利用としては、筏流しの里で知られる小田川や、主要な道路網と並行して流れ中山川稲生川黒瀬川河辺川などの親水性の高い整備また、地域整備である「道の駅整備事業渓流沿いの宿泊施設などと一体となった水辺の整備、さらに、生活の知恵生み出した屋根付き橋などが見られ水辺は生活の中に溶け込んでます。

このようなことから、今後の川づくりは地域が一体となって肱川の協働管理を行うことが重要と考えて、肱川では独自の活動として「肱川を美しくするお花はん」活動取り組んでます。
この活動は、地域住民から肱川の美化活動関心のある方々募り地域方々団体学校NPO行政など様々な人々が一体となって河川清掃活動河川区域における花木植栽育成等に取り組むものであり、平成16年4月現在において約300人が登録し河川清掃活動等を行ってます。
■「肱川を美しくするお花はん」活動状況
■「肱川を美しくするお花はん」活動状況
3.肱川の自然環境
"肱川は、豊かな自然が多く残されて、数々景勝地があり、河口においては特有の肱川あらし」が見られます。しかし、近年水質悪化傾向があり、流域が一体となった「肱川流域清流保全推進協議会」を発足し水環境改善取り組んでます。"


■肱川あらし
肱川あらし
肱川流域は、豊かな自然が多く残されているばかりか肱川県立自然公園四国カルスト県立自然公園など数々景勝地点在し多く人々親しまれています。
中でも、肱川で特筆すべき気象現象に「肱川あらし」があります。これは、寒冷多湿強風が肱川に沿って伊予灘吹き出す現象です。

■河畔林と捨石の状況
河畔林捨石状況
肱川は、流域地域特性から屈曲の多い河川で、さらに、瀬や淵など変化に富んだ河道形成していることから、多様な河川環境となってます。また、下流大洲市近辺では広い河原高水敷河畔林見られるなど、沿川の豊かな自然とあいまって良好な河川景観演出しています。

中下においては水際ツルヨシ群落河畔林として植林されホテイチクメダケエノキなどの高木繁茂しているなど豊かな自然環境形成されており、メダカイシドジョウなどの魚類90種、タコノアシミゾコウジュなどの植物約1,300種など多数動植物生息確認されています。
メダカ イシドジョウ
ミゾコウジュ タコノアシ
■肱川の動植物
4.肱川の主な災害

"肱川は、河床勾配が緩やかで河口狭窄部であるという地形的特性から多く水害受けてきました近年洪水としては、平成7年7月梅雨前線よるもので、東大洲地区において大規模な浸水被害発生しました。"


肱川は、流域の地形特性から多く水害受けてきました過去の主要洪水下記の通りです。大洲地点で最も流量大きかった昭和18年7月洪水では、死傷者131人にも及びました。

過去の主要洪水一覧表大洲地点
年月日流量
(m3/s)
降雨原因
昭和18年7月24日5,400 ※1低気圧
昭和20年9月18日5,000 ※2枕崎台風
昭和38年8月10日2,200台風9号
昭和40年9月17日2,900台風24号
昭和45年8月21日3,200台風10号
昭和51年9月11日2,200台風17号
昭和55年7月2日2,200梅雨前線
昭和57年7月24日2,000梅雨前線
昭和57年8月27日2,800台風13号
昭和62年7月18日2,500梅雨前線
昭和63年6月25日2,400梅雨前線台風4号
平成元年9月19日2,200台風22号
平成5年7月28日2,500台風5号
平成5年9月4日2,400台風13号
平成7年7月4日2,900梅雨前線
平成10年10月18日2,400台風10号

※1氾濫計算による推計値
※2実績水位からの推計値 その他は観測実績値(ダム調節後流量)

■昭和18年7月洪水 ■平成7年7月洪水
昭和18年7月洪水平成7年7月洪水

(注:この情報2008年2月現在のものです)

肱川

読み方:ヒジガワ(hijigawa)

所在 愛媛県

水系 肱川水系

等級 1級


肱川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 23:33 UTC 版)

肱川
大洲市街を流れる肱川。大洲城を望む。
水系 一級水系 肱川
種別 一級河川
延長 103 km
平均流量 38.62 m³/s
(大洲第一観測所35ヶ年平均)
流域面積 1210 km²
水源 鳥坂峠愛媛県西予市宇和町久保)
水源の標高 460 m
河口・合流先 伊予灘(愛媛県)
流域 日本 愛媛県

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肱川(ひじかわ)は、四国南予地方を流れる肱川水系の本流で、一級河川である。流路の全域が愛媛県内を流れている。

概要

肱川(愛媛県大洲市)
臥龍淵。ここには臥龍山荘の不老庵が建つ。

肱川に流れ込む支流は474本と多い上に、中流域に大洲盆地がある一方で、下流域は狭窄している。大洲盆地の北端である五郎(地名)から河口の長浜までの区間は、高低差が極めて小さく、両岸に山脚が迫り渓谷的な地形である。加えて大洲盆地の北東部、東大洲地区に矢落川への合流点がある。

肱川の中上流域では川沿いに点在する盆地に市街地が形成されていることから貯留型の氾濫が起こりやすい[1]。また、下流域では大洲盆地に流入する肱川の支川が多い一方で、河川勾配が緩やかで水位が下がりにくい地形になっていることから貯留型や拡散型の氾濫が起こりやすくなっている[1](災害史は後述)。

肱川の水は流域だけでなく、他の場所へも導水されている。野村ダムによって堰き止められた水は、南予用水を通じて北は佐田岬半島から南は宇和島市までの南予地方一帯を潤している。特に柑橘類果樹園にとっては欠かせない水として利用されている。一方で、流域では豪雨時に行われたダムの緊急放流によって死者が出たこともある。また、ダムの影響で、下流域の流量は人為的な変動が見られるようになった。

地理

肱川は西予市宇和町久保の鳥坂峠(とさかとうげ)付近に源流を発し、そこから南流して、西予市の南部で東に向きを変え、西予市野村町坂石で黒瀬川、船戸川と合流し北へと向きを変える。その後は河辺川、小田川等の支流を集め、蛇行しつつ四国山地を横断する。中流域には大洲盆地が存在する。ここで一気に開け、流れは緩やかになり、大洲市街を貫流して矢落川などと合流する。下流域は、大洲市北部にて、両岸の山が迫る渓谷状の地形から一気に瀬戸内海(伊予灘)へと流れ込んでおり、河口には水面上の三角州は形成されていない。ただし、海中には膨大な川砂が流れ込んでいる。ここまでの流路延長は103キロメートルと、四国の中では比較的長大な河川であるにもかかわらず、源流部と河口との直線距離が約6分の1の18キロメートルと、その屈曲振りが窺える。

このような場所を流れる肱川は、流域面積の約9割が山地で占められ、さらに、下流部に大規模な平野部が見られず、流域において目立つ平野部は中流域よりも上流側に存在する盆地に限られるという特異な流域像を持つ[2]。また、肱川の河口部は比較的水深が深い上に、河川勾配も緩いため、比較的河川流量の少ない時期には河口から約12 kmの地点まで海水の流入が起こり、この付近では海棲の魚類なども観察される[2]。一方で、肱川の下流部は、流域に建設されたダムが放流を行う際に流量が急増し、ダムが貯水している際には流量が急減など、人為的な流量の変動が目立つ場所でもある[2]

なお、肱川の河口の長浜には、冬期に肱川の上流の大洲盆地から吹き下ろしてくる、肱川あらしと呼ばれる局地風が吹く[2]。しばしば大洲盆地では朝霧が発生し、この霧が風と共に長浜へと吹き降るという現象も起こる。この霧が動く様子が見える、肱川の河口部の東側の小高い場所に「肱川あらし展望公園」も整備された。

名称の由来

肱川と呼ばれるようになった理由については諸説があり、定かではない[3]

  • 流路がのように屈曲しているからという。
  • 泥土やぬかるみを「ひじ」と呼び、「比治」などの字を当てていた。「土方」(ひじかた)などもこれに由来するといわれる。こうした「ひじ」の多い川で「ひじかわ」ともいわれる。肱川は古くは、「比志川」あるいは「比治川」とも表記されていたこともこれを裏付ける(堀内統義『愛媛の地名』(2000年)から)。
  • 伝説としては、1331年伊予守護職となった宇都宮氏が比志城(大洲城)を築いた際に、下手の石垣が何回も崩れて、石垣が築けなかったので、「おひじ」という乙女を人柱にしたところ、それ以後は石垣の崩れなくなったので、乙女の霊を慰めるために、城の下を流れる川を「比地川」(ひじかわ)と名付けたとのことである。この伝説に基づき、宇和島自動車バスガイドにより「昔、大水を鎮めるためお肱さんという娘が人柱になったことを弔うため」という観光説明がなされている。

主な支流

  • 舟戸川 - 西予市
  • 河辺川 - 大洲市
  • 小田川 - 喜多郡内子町から大洲市へ
    • 田渡川 - 喜多郡内子町から小田川へ合流
    • 中山川 - 伊予市から喜多郡内子町をへて小田川へ合流
  • 久米川 - 大洲市
  • 矢落川 - 伊予市から大洲市へ
  • 大和川 - 大洲市

主な橋梁

  • 新冨士橋(273m)[4]

大洲市には肱川にかかる唯一の沈下橋の冨士橋(長さ約48m)があったが、洪水時に水位上昇の原因になることから2023年11月から撤去工事が行われることになった[4]

利水施設

主なダム

ダムの放流

流域のダムが間欠的な放流を行うため、肱川の下流域で人為的に流量が大きく変動する[2]。また2018年7月の豪雨の際には、野村ダム・鹿野川ダムは満水に近づき、7月7日午前6時20分に異常洪水時防災操作を行った。これはダムへの河川水の流入量をそのまま放流する操作で、いわゆる「緊急放流」とも呼ばれる。放流直前に西予大洲両市は避難指示を出し、サイレン等による警告も行われたものの、西予市野村地区で約650戸が浸水し、5人が死亡した。この件について、国土交通省は情報伝達に課題があったことを認め、改善する方針を示した[5][6]

肱川流域の産業

流域で盛んだった養蚕で産み出された繭を保管するために、大洲市街に大洲商業銀行が繭を保管するために建てたレンガ造りの建物。観光施設「おおず赤煉瓦館」として活用されている。

肱川の流域に見られる平地は氾濫原であったため砂地が多く、水稲の栽培よりも野菜栽培に適しており、畑が作られてきた。この畑では、大洲名物であるいもたきの材料のサトイモなども栽培されてきたほか、保存食として漬物も作られてきた。ただ、肱川の氾濫のたびに畑の境界が不明になることを避けるために、東大洲地区などでは、畑の畦道に沿うように、畑の境界を示す樹木が植えられてきた[2]

肱川の氾濫による洪水被害を少なくするため、肱川流域に位置していた大洲藩は、河畔になどを植えることを推奨した。水防林として植えられた樹種としては、竹のほかに、ムクノキやエノキが挙げられる[7]。この中で竹を、建築資材として利用するほかに、竹工芸品が作られ、熊手、竹すだれ、竹刀物差しなどが製造され、この付近の伝統的な産業の1つになった。かつては、団扇の骨(丸亀方面に出荷)、和傘の骨(和歌山へ出荷)も製造していた。ほかに桑の木も洪水に強いとされ、推奨された。この関係で養蚕も行われ、大洲はの集散地であった。

また、肱川の中下流域は水量もあり、それほど急流でなかったため、かつては河川舟運が発達し、河口の長浜は木材などの集散地として栄えた。この船の通行を妨げないように、河口部の長浜大橋は可動橋として建造された[7]

このほか、肱川では漁業も営まれ、アユの漁が行われてきた[8]

また、大洲の鵜飼いは日本三大鵜飼の1つに数えられ、鵜飼いは観光資源として残っている。「肱川の鵜飼」は、昭和62年度手づくり郷土賞(水辺の風物詩)受賞

平成16年度には愛媛県立大洲農業高等学校の取り組み「やすらきの水辺づくり」が、手づくり郷土賞(地域活動部門)受賞

災害史

水害

大洲盆地は肱川による水害の常襲地域として知られてきた[9]。大洲藩主の加藤家の年譜によると1688年から1860年までの173年間のうち3分の1にあたる62の年で出水の記録が残っている[9]

  • 1943年(昭和18年)9月19日 - 集中豪雨により6.8m増水。肱川の堤防が決壊して大洲町は全町浸水する被害[10]。死者・行方不明者45人[9]
  • 1945年(昭和20年)9月 - 枕崎台風。死傷者65人[9]
  • 2018年7月7日 - 平成30年7月豪雨。死者4人、全壊392棟、大規模半壊525棟、半壊1135棟[11]。大成橋の流失を確認[11][12](大成橋は従来よりも下流側に再建され2022年6月25日に開通した[12])。

渇水

2009年4月から6月にかけて肱川では渇水となった(平成21年渇水)[9]。記録的な少雨で4月から5月の鹿野川ダム地点の総雨量は81mmだった(ダム完成後50年間で最少)[9]。渇水は6月30日からの梅雨前線による降水でようやく解消された[9]

脚注

注釈

  1. ^ 日本の地体構造区分の1つの黒瀬川帯の由来である。

出典

  1. ^ a b 肱川水系流域治水対策プロジェクト【位置図】”. 国土交通省四国地方整備局大洲河川国道事務所. 2022年6月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 小倉 紀雄、島谷 幸宏、谷田 一三 編集 『図説 日本の河川』 p.128 朝倉書店 2010年1月30日発行 ISBN 978-4-254-18033-6
  3. ^ 国土交通省四国地方整備局 大洲河川国道事務所”. 国土交通省四国地方整備局. 2019年9月7日閲覧。
  4. ^ a b さようなら冨士橋 大洲で撤去控えイベント 肱川に唯一架かる沈下橋”. 愛媛新聞. 2023年8月21日閲覧。
  5. ^ ダム緊急放流、5人死亡 国交省、情報伝達の課題認める 朝日新聞DIGITAL
  6. ^ 5人死亡のダム放流「天災だが人災」 説明会で住民訴え 朝日新聞DIGITAL
  7. ^ a b 小倉 紀雄、島谷 幸宏、谷田 一三 編集 『図説 日本の河川』 p.129 朝倉書店 2010年1月30日発行 ISBN 978-4-254-18033-6
  8. ^ 小倉 紀雄、島谷 幸宏、谷田 一三 編集 『図説 日本の河川』 p.128、p.129 朝倉書店 2010年1月30日発行 ISBN 978-4-254-18033-6
  9. ^ a b c d e f g 肱川の主な災害”. 国土交通省. 2022年6月25日閲覧。
  10. ^ (昭和18年9月21日 毎日新聞(大阪・夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p224 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  11. ^ a b 平成30年7月豪雨災害の概要及び被害の状況”. 大洲市. 2022年6月25日閲覧。
  12. ^ a b 「大成橋」が開通 地元住民ら渡り初め 大洲・大川地区”. 愛媛新聞. 2022年6月25日閲覧。

参考文献

  • 小倉 紀雄、島谷 幸宏、谷田 一三(編集) 『図説 日本の河川』 朝倉書店 2010年1月30日発行 ISBN 978-4-254-18033-6
  • 横山昭市(編著)『肱川 人と暮らし』(財団法人愛媛県文化振興財団)
  • 大洲工事五十年史

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