文学・古典
- 変人の悩み
僕はきっと変人の類いに入ると思います。 「出る杭は打たれる」とは良く言ったものだと思います。 僕は15年前から統合失調症を患っていて、性格診断テストのmbtiでもINFJ という珍しいタイプと出ました。これを喜んで受け入れるべきか否かは分かりません。 確かに僕は変わっています。俗世間と関わることが嫌で古典の『方丈記』とか『徒然草』『奥の細道』といった世界に憧れています。 「ふつう」の人だったら大学へ行って、自動車に乗って、良い企業へ入ってってなりますよね?ゲームとかスマホとか大好きですよね? ところが僕はそういったものを面白いと感じないんです だからドラクエとかFFとか、話題に付いていけませんし、古典とか好きな人も滅多にいないので話も合いません。 だから僕は最初に書いたように俗世間とあまり交渉せず、数学とか英検一級の勉強をしています。 多くの人が興味のあることファッション(流行)に関心がなく、多くの人が興味のないことに面白いと感じるんです。 どうしても多様性を尊重できるアメリカとかの方が優れていると感じます。皆と同じ、皆と同じ、協調性、ファッション、常識、固定観念etc. うんざりです。 何かアドバイスを下さい。
- 受付中
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数1
- シェークスピア作品の感想
授業でシェークスピアの作品の感想を問われたので、諦念という概念が皆無なので、物足りないと、返答したところ。即座に、不可を言い渡されました。そこで、質問ですが、シェークスピアの作品には、諦念という概念が含まれていないという考えは間違っていますか。また、諦念という概念が文学に不可欠とは考えていませんが、シェークスピアの作品群において、もし、諦念という概念が無いのであれば、それを、物足りないという感想は、変ですか?
- 受付中
- hurukame99
- 文学・古典
- 回答数1
- 比喩表現
読書に伝わりやすい比喩表現って、どんなことが書いてあれば伝わりますか?伝わりにくい比喩表現って多いですよね。伝わりにく比喩表現の特徴も教えてください。 例えば、「隣町の山田さんのように髪の毛が立った」だとわかりにくい比喩表現と認識しています。
- ベストアンサー
- sodaigomi3
- 文学・古典
- 回答数2
- 接客業が苦手です
僕は数学をしたり、英文を読んでいます。 数学は数Ⅲの内容を大体やったんですが、暫く遠ざかっており忘れている所を確認するために数Ⅱの微分法・積分法をやっています。 僕は地方に住んでいるのですが、周囲には立派な大学や企業はあまりないです。上京するつもりもありません。 父親も僕も一緒に暮らしている方が何かと都合が良いのです。 以前は法政大学の法学部を目指して新聞配達をやっていましたが、都会の喧騒に嫌気がさして、地元に戻り、文学とか数学に没頭しました。 文学は、まぁまぁ好きで三島由紀夫、夏目漱石、村上春樹、加藤周一など読んでいます。海外ではドストエフスキーやトルストイ、チェーホフなど。英語も英検一級の文章を読んでいます。「文で覚える単熟語」ってやつです。 精神疾患を患って、障害年金を受給しています。 さて話がずいぶん色々な方向へ行きましたが、僕は接客業というか商売自体が向いてないんです。以前、西友で鮮魚の仕事をやっていましたが3日でやめました。 まぁ障害年金を受給しているのだから、無理をして働かなくても良いんです。『方丈記』とか『徒然草』『奥の細道』を読んで影響を受けました。それは自然を味わうこと、人生は無常であるということ。そして競争しないでマイペースに生きることです。この影響か自動車とか自転車は使わず、歩いて移動しています。 長文読んで下さりありがとうございます。皆さんは、最近の調子はどうでしょうか?回答宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数2
- ジェーンオースティンの高慢と偏見に登場する社会階級
こんにちは。今度、プレゼンがあり、2〜3分程度で発表なのですがタイトルの通りで高慢と偏見に登場する、あるいはその時代の重要な社会階級を教えて欲しいです。出てくるキャラクターがどんな階級だったかも添えていただけると大いに助かります。お力をお貸しください。よろしくお願いします。
- 受付中
- yoppy150824
- 文学・古典
- 回答数2
- 坑夫(ネタばれ注意)
夏目漱石の書いた 「坑夫」という小説を読んだのですが、 内容が経営者側との労働争議もなく、 主人公が「自分は落ちぶれたな」とか、 坑夫に対して「何だ、こいつら?」と 自己の内面を語っているのみですし この作品はプロレタリア文学と言っていい物なんでしょうか?
- 漢詩の意味がわかりません
頭頭火是通章句不須尋尊命宮 商節花開天地心 と掛け軸に書かれているのですが意味がわかりません。どなたか教えて下さい。宜しくお願いします
- 確かに古典文学は仕事とかでは役に立たないです
僕は今はホメロスの『オデュッセイア』を半分くらい読みました。 呉茂一が翻訳してくれています。 僕は文学が好きで、これまでもドストエフスキーやトルストイ、スタンダールなど読んで来ました。 また日本の古典や漢文もまぁまぁ好きです。 しかし世間一般では、ひろゆきを始めプログラミングとか英語の方が実用的ではないか?となっているように感じます。 つまり古典文学への風当たりは強いのではないかと云うことです。 ここで冷静に考えてみて、確かに会社員とか運送業とか土建業、その他色々な仕事がありますが、古典の知識なんて使いはしないなと散歩をしているときに考えました。 でも工場とかの仕事は、こう言ってはなんですが、小学生でも出来ると弟が言っています。梱包とか仕分けとかみたいです。 それなら読み書きと四則演算だけ学んで、義務教育だけ学んで働いたら良いんじゃないですか? もちろん薬剤師とか弁護士などは専門的な知識は要るので、薬学部や法学部で学んで下さい。 でも古典文学は多くの人が仰るように、学校の先生くらいしか職業としては使い途がないです。 多くの人が会社員に就職するのならば、もう義務教育とかだけで良くないですか?現代文も微積分も物理も、化学も生物も、外国語も要らなくないですか?と言うか、職業訓練ならば、会社内で教育すれば効率的なのではないでしょうか? 僕は数学も好きですが、二次関数とか二次方程式など使う仕事は少ないと思います。 せいぜい商人はお金を勘定するために四則演算の意味を理解して、電卓?とか使うだけで良いのではないでしょうか? 皆さんの意見を宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数4
- 故人の加藤周一さんに関して
加藤周一さんは文学が本当は好きだったのに、どうして医学博士まで勉強したのでしょうか? 1942年の時、東大医学部生です。語学が得意で古典や英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語に精通していたようです。 やっぱり文系だと召集される可能性があったからですかね? 三島由紀夫とか太宰治も召集を免れています。 理系だと前線に送られない可能性が高いと読んだことがあります。 実際、大岡昇平とか武田泰淳などは高学歴ですが、召集されて戦場へ送られています。大岡昇平はその経験を元に『野火』や『レイテ戦記』を書きました。 僕は加藤周一を尊敬しています。この人は敗戦後間もない26歳の時、中村真一郎と福永武彦と『一九四六・文学的考察』を書いています。 僕は加藤周一の『読書術』と云うのを高校受験生の時に読んで、当時の自分を啓発しました。それだけ為になったと云うことです。 東大医学部卒なのでそこも凄いですが、この「東大医学部卒」って文人になる人も多いんです。安部公房や森鴎外など。 森鴎外は陸軍軍医総監まで行きましたが、安部公房は医師にならないことを条件に卒業を許したと読みました。 僕は以前に加藤周一の評伝も読んでいます。文学青年だったそうで、周囲の人も文学部に行くのかと思っていたら医学部に行ったそうです。 でも、フランス語の授業とかにも顔を出したり、『マチネ・ポエティク』と云う文学運動にも参加しています。父親は医者だったそうですが、あまり向いてなかったそうです。 また中年になって医業を廃しています。評論家として生活しました。やはり医学者の方が生活が安定しているなど家族などからアドバイスを受けていたと思いますか? そう言えば養老孟司さんも東大医学部の人ですが、やはり文学の話とかもしています。 なぜ、東大医学部の人は文学に関心を持つ人が多いのでしょうか?元クイズ・プレイヤーで精神科医の水上颯さんも、やはり文学好きです。 回答宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数1
- ホメロスの『オデュッセイア』を読んでいます
文学は誰も読みませんね(笑) このカテゴリーなんか見ても閑散としていますもの。 まぁ、良いんですけど。却って殺到されるよりは、こうやって気長に読んでいる方が僕にとっては楽なんです。 『オデュッセイア』は紀元前8世紀くらいの古代ギリシアのホメロス作の長編叙事詩とされています。 長編叙事詩といってもドストエフスキーとかトルストイに較べたら1/6くらいです。 僕は早朝とお昼、夜に2時間ずつ読んでいて合計6時間くらい読んでいます。 しかし、文学って人気ないですよね?医学とか法学なんかは実生活に役に立つからか人気があるけども、文学って確かに役に立ってないかも知れない(笑) 僕はカミュかサルトルといった哲学的小説を読もうかと思っていましたが、図書館をうろついて前々から読みたかった『オデュッセイア』に決めました。 ギリシア神話のゼウスとか海神ポセイドーンとか出てきて、トロイア戦争に出征して10年帰って来ず、消息不明の英雄オデュッセウスの冒険物語といった感じです。また、その子供の賢い二十歳くらいの青年テレマコスの冒険の話です。このオデュッセウスはイタケー島の王で、テレマコスは王子です。テレマコスは母には内緒で父を探しに旅に出掛けます。ピュロスという国や、ラケダイモン(スパルタ)を訪問して父の消息を尋ねます。この国王達はオデュッセウスと供にトロイア戦争に出征した戦友でしたが、分からないと云うことでした。 まぁ、本当は色々話が続くんですが、なにせ長い物語なので全部は書けませんし、読むことも不可能でしょう。 皆さんはどんな本を読んでいるのでしょうか?そういえば僕の近所の図書館も閑散としていますが、僕にとっては、その方が都合が良いのです。独占して読めますから(笑) 皆さんは、どんな本を読んでいるか?また、その内容とかも大雑把にレビューみたいな感じで書いて下さい。 宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数1
- 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのですか?
青木繁は若いころ古事記を熱心に 読んだと記事に出ていました。 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのか 色々調べても出ていません。 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのですか お教え下さい。
- ベストアンサー
- kwm1933060
- 文学・古典
- 回答数1
- 昨日、ホメロスの『オデュッセイア』を借りました
長編叙事詩とされていて最初は難しいかなと思っていたんですが、以前から読みたい古代ギリシアの文学を読みたいという気持ちが強くて、カミュやサルトルよりも優先して図書館で借りてきました。 カミュやサルトルも全く読んでいないのですが、『オデュッセイア』を読みたかったんです。 この分野の権威だった呉茂一が翻訳しています。なかなか読みやすいです。 まぁ今どき、こんな異国の古典文学を読んでいる人なんて滅多にいないでしょうね(笑)それは重々理解しています。 今まで船木亨さんの『現代思想史入門』という500ページ以上はある本を読んでいました。 数学の微分法を復習するか迷っていましたが、結局『オデュッセイア』へと向かいました。古代ギリシアの精神を知りたかったのです。 普通の感覚の人なら「いや数学をやれよ」とか思うでしょうね。それは確かに数学をやりまくれば、物理学とかも進んでいきます。 しかし私ももう33歳です。人生には限りがあって、どんどん歳を取ってしまう。数学や物理に生涯をかけて、古典文学を楽しまないのは嫌だなと判断しました。今まで『複素数平面』とか色々やってきて、また国も数学の方を重んじていて、古典文学なんかは軽視している。そして世論もその影響も受けて、数学が出来る人の方を評価して、漢文とか古代ギリシア文学とか、そんなものは軽視しています。 でも私は古典文学をやりたい。手始めとしてホメロスを読みたい、東野圭吾とかアガサ・クリスティの推理小説より、ホメロスを読みたいという気持ちが先行しました。 まだ昨日借りてきたばかりなので、深くは読んでいません。全部で350ページくらいかなと思います。 皆さんは、毎日どうお過ごしでしょうか?何か文学作品とか読んでいますか?回答宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数1
- 日本人の知的レベルが低下しているように感じる
タイトルの通りなんですが、原因は読書離れが大きいと思います。 特に大人に顕著だと思います。 世界的な評価として日本人の中学生・高校生の学力は高いのですが、大人になるとレベルが下がっていきます。 大人は6割が月に1冊も本を読まない。 ホリエモンも言ってますが、本は読めるけども、内容が理解できず、誤解をすることが多いそうです。 僕は三島由紀夫とか川端康成、夏目漱石とかトルストイなど名作は結構読みましたし、古典も好きな方です。しかし文学や古典のことが嫌いな人が何と多いことか。残念な傾向だと思います。 科学や医学、経済や政治などは確かに英語で読んだ方が良いかも知れません。しかし、文学や古典が嫌いな人が多いと活字文化が廃れ、小説とか評論みたいのも読めなくなる、つまり国語が出来なくなると思います。 本が好きな人は「勉強」なんかしなくても国語の成績も良いです。 国語が出来ずに、英語教育ばかり重視していて良いものなのでしょうか? 僕は20代の時は色んな本を読んでいて、それが今の自分の価値観とかに生きていて血肉となっていると思います。 いつも決まって返って来るのが「文学や古典なんてやっても役に立たない」とか「コスパが悪い」といったものです。 最近、何かにつけて「コスパが悪い」とか言って一刀両断する傾向がありますが、残念な風潮だと思います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数2
- 仕事で使う知識しか要らないのか?
僕は今日、菅原道真の『門を出でず』というのを読んでいました。 数Ⅲの微分法を復習しようかと迷いましたが、結局漢文の勉強をしました。 僕は数Ⅲの微分法・積分法は一回一通りやったのですが、暫くやっていないと忘れてしまうので復習しようと考えた次第です。 高校数学は数Ⅲまで大体やりました。『二次曲線』『複素数平面』『関数と極限』『微分法』『積分法』ですよね? 僕は数学も好きな方なんですが、漢文とかも好きなんです。 しかし漢文は軽視され、英語を重視する風潮に違和感を感じます。 やっぱり古文や漢文が嫌いな人は感性に乏しいのではないかと思います。 感性とは四季の移り変わりや、自然を愛することです。花鳥風月と言っても良いでしょう。 昨日は『夏目漱石の伊予に之くを送る(正岡子規)』や『守株(韓非子)』を読んでいました。本当にこういった文章を読むことは役に立たないのでしょうか? 漢文とか『方丈記』や『徒然草』『奥の細道』などは色々な教訓を含み、また自然とか人生、社会に関する考え方を教えてくれると思います。 正直、そんなことも分からないなんて馬鹿なんじゃないかと思います。 それではゲームとかパチンコの方が役に立つのでしょうか?パチンコで稼げれば、みんなパチンコをするでしょう。 僕は古典によって四季の移り変わりや花鳥風月とかの感性、素朴な自然について理解出来たと思います。 たまに「他人と比較しない方が幸せになれる」とか聞きますが、そういったことは古典を読んでいれば自然と理解出来るのです。 確かに大学受験生としては和歌や俳句よりは、英語や数学といった勉強に時間を割いた方が良いとは思います。 しかし数学ばかりやっていても、確かに微積とかはやっていて面白いですが、所詮は数学の技能しか身に付かないと思うのです。やっぱり「感性」とでも言うのかな。それは漢文の杜甫とか李白の漢詩とか、項羽と劉邦の話や故事成語などです。こういった知識はおそらく役に立ちます。 皆さんはどう思うでしょうか。仕事でそういったことは使わないと排除してしまうと、人生が勿体ないと僕は思います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数3
- 村上春樹の作品で佐々木すぐる?という人はいますか
村上春樹の作品で、ささき?すぐる?といった名前の登場人物が出てくる作品はありますか?海外の友人が、昔にそういう名前の人物が出てくる、短編の小説を読んだと言っているのですが、タイトルが分かりません。
- 書物を読むことは良いことと言えるのか?
僕は今まで色々な本を読んで来ました。 今日、気晴らしに外出して20分くらいか散歩していました。 すると気温も良く暑くも寒くもなくて、ちょうど良かったです。 僕は古代人について想いを馳せました。古代人は確かに現代人のように微積分も出来ないし、文字が読めなかったり、科学や医学が進歩していなかったかもしれない。でも古代人と現代人では相対的にどちらが幸福と言えるのか?例えば第二次世界大戦の時の若者たちは幸福と言えるのか?独ソ戦でソ連軍は2700万人という膨大な死者を出しています。これで幸福と言えるのか? 僕は古代人と言うと牧歌的なファンタジーみたいな世界を連想します。天動説を信じ、世界は平らで、ギリシア神話を信じていたアテナイの人達。 現代人からすると馬鹿かと思うかも知れません。アリストテレスは「鰻は地中から自然に発生する」とか「重いものの方が軽いものよりも速く落下する」とか真面目に言っていました。 ただ、科学的には間違っていても、幸福とかに関してはやはり古代人と現代人で、哲学・宗教・思想などを考えてもそんなに変わらないのではないかと思うのです。 タイトルは「書物を読むことは良いことと言えるのか」でしたね。 僕の部屋は書物やら小説、参考書も多く、また図書館で色々借りて読んだりもしています。最近はヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』とか読みました。しかし、書物を読んでいると疲れてきます。今は『現代思想史入門』というのを読んでいます。 僕は最初に書いたように勉強とか読書に疲れたら外出して20分くらい散歩をします。すると爽やかな気分になります。 現代の子供たちは勉強をしている人も多いと思います。中学受験、高校受験など、都会の人は算数とか英語とかやっていると思います。僕は地方の人間なので中学は普通の市立に行きました。 最近は不景気のせいか、真面目な生徒が多いようで嬉しいです。ただ、勉強のし過ぎは身体に悪いと思うんです。睡眠時間を削ったり、1日に何時間も勉強をしているのもどうかなと思います。 まぁ、それぞれの家庭で親子の考えもあると思いますので、よくは分かりません。 また話が脇道を逸れましたね(笑)済みません。 勉強とか読書は普通良いこととされています。確かに読書は色々な知識を得ることが出来るし、漢字や表現も学べます。中学生ならば、本さえ読む習慣があれば高校入試に有利です。 ただここで考えたいのは「人生」というスケールにまで拡張することです。そうなると却って読書ばかりしていると首とか肩は痛くなるし、血流にも悪く害なのではと思うこともあるのです。 長文大変失礼しました。この辺までにしておきます。 皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数4
- カミュとサルトルについて
アルベール・カミュとジャン=ポール・サルトルに関心があります。 両者とも文学者・哲学者みたいな感じですよね? カミュは『異邦人』『ペスト』、サルトルは『嘔吐』に関心があります。 カミュはノーベル賞を受賞、サルトルはノーベル賞を辞退しています。 この2人は考え方の違いから訣別したようです。 僕は未だ、カミュもサルトルも全く読んだことがないです。 『異邦人』や『ペスト』は難しいですか? 読んで最後まで読みきった人、ネタバレはなしで読む価値はあるか教えて下さい。
- ベストアンサー
- ammgpattg2
- 文学・古典
- 回答数1