「アセティック・シルバー」の『魔法先生ネギま!』の記事から。 それにしても、「ぶっ殺せ系」の人って何を求めて「ぶっ殺せ!」と叫ぶんでしょうか。 ぼくは「物語のダイナミズムの触れ幅が大きければ、それでOK」なひとで、ダイナミズムを生み出す手段として「登場人物の死」があるのは構いませんよというスタンス。物語においての「死」とは、もっとも大きなエネルギーを生み出す手段(のひとつ)だとぼくは思っています。使いかた一つという所でしょうか。ただし物語における「死」は、果たす役割がその時々によって変化するものだと思っています。 この「物語のダイナミズムのふり幅」という概念はおもしろいですね。 はしさんの言いたいことは、まあ、わかる。先日読み上げたカート・ヴォネガットの『国のない男』に似たようなことが書かれていた。 国のない男 作者: カートヴォネガット,Kurt Vonnegut,金原瑞人出版社/メーカ