拡がる江戸 たしかに、よく「大江戸八百八町」という言葉を聞きますが、これは江戸の実際の町数ではありません。江戸という都市空間に多数の町が存在していたことを示す、一種の慣用表現として使われています。 天正18年(1590)、徳川家康が入ってきた頃の江戸は、まだまだ広大な武蔵野の一寒村にすぎませんでした。入り江が深く入りこみ、低湿地がひろがる江戸。現在からはちょっと想像しがたい光景がひろがっていたようです。 そんな江戸も長期間にわたって大がかりな工事が行われ、将軍様のお膝元として整えられて行きました。丘陵地を切り崩し、入り江を埋め立てることによって宅地が造成され、多くの町が生まれたのです。 以下の表に、年代をおって江戸の町が拡大して行く過程を示しました。それによると、江戸の総町数は延享年間(1744~1748)に1678町となります。実に、八百八町の倍以上です。