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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (9)

  • 「餌だけ食うのは有り」とか言う人を、信用してはいけない。 - いつか電池がきれるまで

    www.hitode-festival.com どうしても書いておきたいので書きます。 このエントリ、内容的には、高額のセミナーの入口になる無料を試しに読んでみた、というもので、何度も「セミナーへの参加はおすすめしません」と強調もされています。 そんなに悪意はなさそうだし、こういう「ちょっと怪しい商売を(身体を張って)試してみました」というネタは、そんなに珍しいものではないですし、けっこうニーズもあるんですよね。 まあ、「自分で試してみる」のは、リスクが高いので、誰かが「人柱」になってくれればありがたい。 多田文明さんというライターは、このジャンルで長年活躍(?)されています。 fujipon.hatenadiary.com fujipon.hatenadiary.com ただ、個人的な見解を述べると、こういう「どんなものか興味位で覗いてみよう」というのは、かなり危険です。 僕の職場に

    「餌だけ食うのは有り」とか言う人を、信用してはいけない。 - いつか電池がきれるまで
  • 「EU離脱派」が勝利し、「『政治的に正しい(politically correct)』正論」が死んだ日 - いつか電池がきれるまで

    http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160624-00000039-ann-intheadlines.yahoo.co.jp bylines.news.yahoo.co.jp イギリスのEU離脱に関する国民投票の推移をみながら、ワーテルローの戦いのときのロスチャイルドのことを思い出している。これで、「離脱と思わせておいて、最後の最後に逆転残留」とかになって大儲けする人とかいたらすごいよな。というか、こんな歴史的な日に突然出くわすことになろうとは。— FUJIPON (@fujipon2) June 24, 2016 まさか、こんな歴史の転換点に、突然立ち会うことになろうとは。 「拮抗しているとか言うけれど、結局は『残留』ということで丸くおさまるんだろうな」と思っていたんですよ。 EUに残留するメリット・デメリットは、この記事がまとま

    「EU離脱派」が勝利し、「『政治的に正しい(politically correct)』正論」が死んだ日 - いつか電池がきれるまで
    RPM
    RPM 2016/06/25
    「人権だの融和だのは金持ちとエリートの道楽。今食えなくて危機に晒されている人間には、綺麗事は無価値」という現実をまざまざと見せつけられた一件だった。
  • 「素直に承諾したものが損をする」というシステムへの疑問 - いつか電池がきれるまで

    先週の『怒り新党』で、こんな投稿が紹介されていました(記憶に基づいて書いているので、ディテールは違っていると思います。ご容赦を) わたしは、家電量販店などの「店員さんと交渉すると安くなるシステム」が許せません。 あーだこーだと値引きを要求する人のほうが安く商品を買うことができ、何も言わずに店の言い値で買ってあげる善良な客は、表示価格で買って損をするというのは、おかしいと思います。 ああ、僕も「店員さんと価格交渉とかするのはめんどくさいし、それでも一応交渉はして、最初の条件提示くらいで引き下がってしまう」ので、この人の気持ち、わかります。 去年、車を買い替えたときも、「あんまりギリギリのところまで交渉して値引きさせようとして悪い印象を与えるよりは、『良い客』だというイメージを植え付けて、アフターサービスをしっかりしてもらったほうが良いのではないか」とか、自分に言い聞かせたりしていました。 ま

    「素直に承諾したものが損をする」というシステムへの疑問 - いつか電池がきれるまで
    RPM
    RPM 2014/07/01
  • もう一度、『なぜ今、ブログなのか』 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:『なぜ今、ブログなのか』(jkondoのはてなブログ 2011-11-19) まずは、この参考リンクを、まだ読んだことがない人はぜひ一度は、既読の人も、もう一度読んでみていただきたいと思います。 『はてな』の近藤社長のブログのこのエントリが世に出て、『はてなブログ』が格的にスタートしてから、もう2年以上になるんですね。 年のせいか、時間が経つのは早いなあ、と感慨にふけってしまいます。 このエントリが発表されたとき、実は、ブログというのは「斜陽(あるいは「オワコン」という言葉を使ったほうがわかりやすい人のほうが、いまは多いのかもしれませんね)」だという声がかなりありました。 SNSも、mixiは低迷気味で、より即時的なやりとりが短い文章でできるTwitterや、実生活とより地続きなツールとしてのFacebookが主体となりつつあった時期のことです。 あのとき、ここで近藤さんが、

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    RPM 2014/01/27
  • 「ガラケー」を知らない大人たち - いつか電池がきれるまで

    「ガラケーって、『ガラパゴス携帯』のことなんだね。今日はじめて聞いたんだけど」 夜、と話していて、こんな話が出てきて驚きました。 「えっ、知らないの、ガラケー」 「うん。習い事に行った先で、他の人たちが携帯電話の話をしていたんだけど、何だかわかんなかったんだよね。今使っているこれが、『スマホ』っていうのは知ってたんだけど。 『ガラパゴス』って、どういう携帯なの?スマホの前に使っていたような折りたたみみたいなやつ?」 もちろん僕は「ガラケー」を知っているのだけれども、高齢者や子どもならともかく、自分と同世代の人(というか、自分の)に「聞いたことない」と言われたのは、すごく意外でした。 ネット上では、「ガラケー」という言葉に解説がつけられていることは、もうほとんどありませんしね。 でも、「メールとAmazon旅行の予約くらいにしかネットを利用しない」僕のにとっては、「ガラケー」というの

    「ガラケー」を知らない大人たち - いつか電池がきれるまで
    RPM
    RPM 2014/01/17
    ネット方面では「ガラケーwww」という感じで使ってたんだけど、気がつけば事実上絶滅していて、ほぼスマートフォンに取って代わられていたという。まあ、そういう意味では必要性があまりなくなってきた言葉か。
  • mixiの衰退の原因は、サービスの内容の問題というより、「寿命がきた」だけ - いつか電池がきれるまで

    「mixiはなぜ、衰退したのか?」が話題になっているようだけれども、比較的初期からmixiを使っている僕からすると、衰退したというより、適正化したというほうが的確なんじゃないかと思う。 『美味しんぼ』の「サラダ勝負」で、海原雄山が「人間は質的に生野菜が好きじゃない」というようなことを言っていたけれども、mixiの最盛期っていうのは、それこそ「生野菜嫌いの人でも、健康のためには生野菜をべなければならない」というような強迫観念に駆られ、みんなmixiに登録していたように思われるのだ。 これはfacebookでもそうなのだけれども、一部のヘビーユーザーがどんどん「見てほしい私」を投稿し、それに「イイネ!」とつけないと居心地が悪くなる、という雰囲気は、多くの「そんなに他人と繋がることが好きじゃなく、価値も見いだせない人」にとっては、「めんどくさい世界」でしかなかったはずだ。 「足あと機能」がな

    mixiの衰退の原因は、サービスの内容の問題というより、「寿命がきた」だけ - いつか電池がきれるまで
    RPM
    RPM 2013/10/09
    SNSが通常のWebサービスと違うのは、どこまでいっても根本的にコンテンツは「人間(関係)」で、ほかのものはおまけでしかないという点。これは強みでもあるし、記事にあるようにどうしようもない足かせにもなる。
  • ガソリンスタンドの「現金歓迎」の読みかた - いつか電池がきれるまで

    ガソリンスタンドに入ると、よく大きく表示されているじゃないですか「現金歓迎」って。 僕が車を運転するようになったのは、もう20年以上前なのですが、ずっと気になっていたんですよ、あれが。 「現金歓迎」って、わざわざ書いてあるっていうことは「当はスタンド側としては現金払いは望んでいないのではないか?」あるいは「現金払いをする客は、少数派なのか?」 そんなことを考えてしまって、現金で払うときに(というか、あんまりカードって使わないようにしているんです。どうしても使い過ぎてしまいそうなので)、ちょっと緊張していました。 「ああ、嫌がられているのかな、現金だと」って。 最近、ガソリンスタンドを経営している人と話をする機会があって、ちょっと聞いてみたんですよ。 「やっぱり、現金って当はイヤなんですか?」って。 すると、その人はちょっと唖然としながら、教えてくれました。 「いや、あれは当に現金のほ

    ガソリンスタンドの「現金歓迎」の読みかた - いつか電池がきれるまで
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    RPM 2012/11/02
  • 個人ブログとSNSと「弱虫な表現者」 - いつか電池がきれるまで

    Twitterやfacebook、mixiなどのSNSが一般化するにつれ、もう、個人ブログは役割を終えたのではないか、と考えることがある。 ネットにはたくさんの情報があって、専門家が書いたものも「まとめブログ」みたいな集合知も、ほとんど無料で読むことができるし。 この10年くらい、ずっと個人サイトやブログ、SNSをやっていて痛感するのは、「ネットの世界と現実の世界がボーダレスになった」ということだ。 「そんなの、昔からそうだったんじゃない?」 そう思う人も多いのではないだろうか。 それはたしかにその通りで、ネット上に何かを書けば、誰にでも読まれる可能性はあったのだけれども、少なくとも、書いている側には、それが理屈でわかっていても、「まあ、知り合いに読まれる機会なんて、そうそうあるもんじゃない」という気持ちもあったのだ。 10年前のネットで個人サイト、あるいはブログを書いていた人には大まかに

    個人ブログとSNSと「弱虫な表現者」 - いつか電池がきれるまで
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    RPM 2012/09/11
  • 「デジタルの永続性」の噓 - いつか電池がきれるまで

    最近僕が考えていること。 みんな「電子化」=「便利」だというイメージを持っているけれど、それって、当に事実なのだろうか? 僕自身、古くなって、動かなくなったパソコンの中にたくさんデータを置きっぱなしにしているし、もう見ることができない大量のVHSテープを所有しています。 「デジタルの永続性」というのは、デバイス(使用する機器)の変化によって、けっこう失われてしまうのです。 それに比べると、物質としてのとか写真というのは、捨てないかぎり、そこに存在し続けている。 人類全体で考えれば、デジタル化されたもののほうが「どこかにある」可能性は高いでしょう。 でも、プライベートなものに関しては、電子データをそんなに信頼しないほうが良いんじゃないか、とも思うのです。

    「デジタルの永続性」の噓 - いつか電池がきれるまで
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    RPM 2012/06/27
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