上川陽子法相は今月、オウム真理教を巡る一連の事件の裁判記録を永久保存するよう指示した。それ以外の刑事裁判記録はきちんと保存、活用されているのか。戦時下に新潟県のキリスト教徒が弾圧された事件の場合、検察が被告とされた神父(故人)の73年前の判決書などを保管しているが、関係者が求めても開示しない。このため判決の時期・内容が確定できず、地元自治体や教会の歴史に正確な記載ができないままになっている。【青島顕】
終戦まであと2日に迫った1945年8月13日、新潟市はゴーストタウンのような状態になっていた。市街地はもぬけの殻で、人影は全くなかった。「次に原爆が落ちるのは新潟」と判断した県が知事布告を発令し、新潟市民の強制疎開を命じたからだ。一体、何が起きたのか。 8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下された。「新型爆弾で全滅した。次は新潟だ」という恐怖が市民に広がっていた。当時の新潟市の人口は約17万人。新潟港は朝鮮半島から物資を輸送する拠点港だった。戦争末期には太平洋側の航路が保てなくなるため、日本列島への物資受け入れ窓口として重要性が高まっていた。しかし、8月1日に近隣の長岡市がB29の大空襲で市街地の80%が焼失したのは対照的に、新潟市は大規模な空襲をほとんど受けていなかった。
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