17日に骨髄異形成症候群で亡くなった落語家の笑福亭仁鶴さん。「B&B」としてMANZAIブームで頂点を極めた島田洋七さん(71)はデビュー当時、仁鶴さんの高座を日々舞台袖から見て「徹底的に勉強して、笑いのパターンを盗ませてもらった」と話します。洋七さんが語る仁鶴さんのすごいところと“発明”。そして、仁鶴さんからもらった2枚の色紙に書かれていた言葉とは。 今の嫁さんと駆け落ちして九州を出て大阪にたどり着いたのが21歳の時。今からちょうど50年前ですわ。 大阪に住んでいた野球部の先輩から「せっかく大阪に来たのなら、漫才、落語、新喜劇を見た方がいい」と言われて、当時のなんば花月に行ったんです。 それまで、僕はお笑いなんてほとんど見たことがなかったし知識もなかったんやけど、トリで(演者の名前が書かれた)“めくり”に笑福亭仁鶴という文字が出た瞬間に、聞いたことないような歓声があがったんですよ。ほんで