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今年のCESの基調講演でMicrosoftは次世代のWindowsをARMプロセッサにも対応させることを発表した。その影響はいろいろとあるだろうが、ここでは、ここに至る道を考えてみたい。 デモが行われたARM版Windows。Qualcom、TI、NVIDIAの各社の開発ボード上でWindowsを動作させた。 ARMバイナリのOfficeを動かすデモも行われた。Microsoftは、ARM版Windowsに対してもOfficeを提供する予定があるという。 元々複数CPUアーキテクチャに対応していたWindows NT 現在のWindows 7などに使われているカーネルは、Windows NT由来のもので、NT 5.0がWindows 2000として登場し、Windows XPで従来のWindows 95系のカーネルを置き換えた。 そのWindows NTは、移植性の高いオペレーティングシス
明けましておめでとうございます。本コラムは辛口と位置付けられている。しかし,委縮した日本に辛口では先細り。委縮時は甘口が適当かもしれない。実際,甘口論評が散見されるようになってきた。それに天邪鬼(あまのじゃく)を自任する身には辛口ばかりでは飽きが来る。少し甘口を味わってみよう。そんな訳で,今回は新年,甘口の言い訳に初夢語り。 まずは,現実。先月,シンガポールの学会に参加した。旧知の教授に学生ともども大変お世話になった。夜はオーチャード通りの高島屋の地下で横浜カレーをご馳走になった。その後,紀伊国屋に連れていかれてジブリのDVDを薦められた。そして,ソニーショップで最新ビデオカメラに関する蘊蓄(うんちく)をお聞きした。最後はマツダのアテンザに乗せられてオーチャード通りのクリスマスイルミネーションを見た。このイルミネーションは観光誘致のために政府が費用を出しているそうである。もっとも,そのイル
富士通のソフトウェア開発拠点である静岡県沼津市の富士通沼津工場は、富士通のコンピュータ事業における歴史的拠点である。 富士通沼津工場 富士通沼津工場は、1976年8月に、メインフレームの生産拠点として設立。1982年には、基本ソフトウェアおよびミドルウェアの開発部門が移管し、ハード、ソフトを集約したコンピュータ生産の一大拠点へと拡大。コンピュータ事業でIBMを追随する戦略的拠点と位置づけられた。 当時、東海道新幹線と東名高速道路の沿線には、富士通の看板が次々と立てられ、東京から三島、沼津に至る区間では、まさに富士通のコンピュータ事業の繁栄を象徴したほか、沼津インターチェンジから富士通沼津工場に至る道路は、高速道路工事用に作られた脇道を拡張し、トラックを通りやすくするなどの取り組みも行われたほどだ。 その後、ハードウェアの生産は、石川県宇ノ気の富士通ITプロダクツに移管され、現在、沼津工場で
日立製作所(日立)は今年、創業100周年を迎えている。7月22日、23日の2日間、東京有楽町の東京国際フォーラムで開催した「日立uVALUEコンベンション2010」では、創業100周年を記念した特別展示コーナーが設けられ、創業製品である「5馬力モーター(誘導電動機)」など、同社の歴史を支えた数々の製品が展示されたほか、中西宏明社長の基調講演をはじめとする講演会やセミナー、事前登録が必要な展示会場においても、創業100周年を意識したコメントや展示が目白押しとなり、日立が日本の社会発展に大きく寄与してきたことを示す内容となった。 日立の創業は、1910年に作られた5馬力モーターだとされている。日立鉱山 工作課の修理工場(茨城県・大雄院)において、修理の経験をもとに生産された3台のモーターがはじまりだ。その後、創業者である小平浪平氏が、大雄院を下った地に工場を建設。電機機械の製作を開始して、そこ
物事が決まったら、組織一丸となってその目標達成に挑み、その力を発揮する。日本の特徴であり強みであると言われた。しかし、この特徴は一面強い、けれど反面危うい。変化に弱い、と言うことも覚えておかなくてはならない。ある強力な指導原理があり、それに則って技術改良を進めていけば良いような状況も、日本にとっては強みの出せる状況であろう。事業運営的には望ましいし、技術選択のリスクがないからエンジニアにとっても心地良い。技術改良における評価指標は、「半分」とか「2倍」といった量的なものとなる。従って、分かりやすく皆でまとまりやすい。日本の半導体ではこういう状況が1980年代から1990年代の20年に及ぶ期間存在した。その時の主力製品はDRAM(Dynamic Random Access Memory)であった。日本はその組織力で優位に立ち、普段の技術改善に邁進し、世界シェアの大半を押さえることができた。
会社の後輩が嬉しそうな顔をして一冊の本を持ってきた。表紙を見ると、古風なTTLロジック基板の写真に『超マシン誕生[新訳・新装版]』と印刷してある。「もしかして・・・」と筆者。「そう、とっくに絶版のあの本ですよ。新訳がうちの会社から出たんですよ!」と後輩。おぼろげに若き日の思い出がよみがえってきた。まだ多感だったそのころ、本書を読んで泣いてしまったのである。 Bell研も知らない若者にDGやDECと言って分かるのか この本の原題は、The Soul of a New Machine。作家のトレイシー・キダー氏が今は亡き米Data General(DG)社のスーパーミニコンピュータ「Eclipse MV/8000」の開発チームに約2年半密着して執筆したドキュメンタリである。米国で1981年に出版され、情報処理関連では珍しくピューリッツア賞を受賞した。 当時、ニューヨーク・タイムズ紙は、「ハード
多くの新製品が世に送り出されるプロセッサーの世界。テクニカルライターの大原雄介氏による本連載では、CPUやGPUなどコンピューターの中核となるプロセッサーのロードマップを軸に、その変遷を解説していく。 2024年12月16日 12時00分 PC 第802回 16年間に渡り不可欠な存在であったISA Bus 消え去ったI/F史 しばらく中断が入った「消え去ったI/F史」だが、久しぶりに復活。今回はISA Busの話をしよう。 2024年12月09日 12時00分 PC 第801回 光インターコネクトで信号伝送の高速化を狙うインテル Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU Hot Chipsの話題も今回が最後。インテルの"4 Tb/s Optical Compute Interconnect Chiplet for XPU-to-XPU Connectivity"の話をご紹介
自社製K6に見切りを付けてNexGenを買収 前回の最後で触れたように、AMDは1996年に「AMD K5」を投入した。しかし、K5の性能があまり伸びないことは早くからわかっていたが、さりとてその次の「K6」も、開発が難航していた。 そこでAMDは、「Nx586」をリリースして市場の評判もよく、後継製品の「Nx686」を開発中だった米NexGen社を1996年に買収。自社で開発中だったK6を捨てて、Nx686をベースとした製品を改めて「AMD-K6」として発売することにした。 前モデルのNx586は、同一周波数のPentiumを上回る性能を叩き出しており、「Nx686は、ほぼPentium Proに比肩しうる性能を発揮する」と言われていた。Nx686の最初のサンプルは1995年にリリースされており、1996年中旬に出荷を予定していた。ただし、独自パッケージと独自インターフェースを採用してい
台湾のVIA TechnologiesがCPUメーカーであることを覚えている人は、どのくらいいるだろうか。同社はすでにリテール向けCPU市場からは撤退しており、その意味ではあまり自作ユーザーには関係ないといえば関係ない。 しかし、同社はCPUビジネスそのものをあきらめた訳ではなく、組み込み市場向けとして、むしろラインナップを拡充する方向にある。また、同社のCPUを搭載したMini-ITXの「Edenプラットフォーム」は比較的容易に入手でき、ちゃんとWindowsやLinuxが動作するとあって、特にコンパクトサイズや静音向けを重視するユーザーには好まれる傾向がある。そんなわけで今回は、VIAのロードマップをご紹介したいと思う。 VIAはもともと、互換チップセットを販売していたベンダーである。それが2000年に、米National Semiconductor社(以下NS)から「Cyrix」、米
インテル、AMD、VIA、Transmetaという4大プロセッサーベンダーを紹介したが、実はほかにもx86互換プロセッサーを手がけたベンダーはある。今回はそうしたベンダーの製品を紹介したい。 マイナーなx86ベンダーはたくさんあった ただし、今回触れていないベンダーも結構ある。例えば、米Chips&Technologiesは386互換の製品をクリーンルーム方式で製造し、これを「Super386」なんて名前で発売していた。いくつかの命令はインテルの80386よりも高速だったが、同社がインテルに買収されたため、これらの製品はいずれも廃番になって終わった。 またファウンダリー(半導体製造事業者)の台湾UMCは、Intel 486のマイクロコードをそのままデッドコピーしたものを「UMC U5S」(80486SX相当)や「UMC U5SD」(80486DX相当)などという型番で1994年に発売してい
動作周波数の向上で性能を稼ぐ Netburst Architecture 前回紹介したとおり、インテルはPentium III世代の最後で、AMDの「Athlon」(K7)にやや後れを取ることになる。それは単に動作周波数のみならず、性能という観点でもそうだった。 AMDの場合、K6世代は整数演算性能はともかく、浮動小数点演算性能が低く、この点でインテルの敵ではなかった。ところがK7ではこうした弱点をすべて潰してきた。しかも、パイプライン段数が若干多いこともあって、同じプロセス同士ならPentium IIIアーキテクチャーはやや分が悪い勝負になることが明白だった。 傍から見ている分には、新しく登場した製品が前から存在する競合製品に負けていたら話にならないわけで、その意味ではK7は妥当な競合製品だったと言える。だがインテルとしては、当然方向性を変えざるをえない。 そこで登場したのがNetbur
モバイルにはもともと向かなかった Netburst Microarchitecture 前回取り上げたPentium 4世代の「Netburst Microarchitecture」は、90nmプロセス以降でリーク電流と発熱量の増大に直面し、動作周波数を上げられず性能が頭打ちになっていた。その苦境を救ったのが「Pentium M」である。 開発を開始したのは1999年前後だったそうだから、Pentium 4の投入直前あたりからスタートしたことになる。元々の発想は、まだ実際に製品ができる前から、「Netburst Microarchitectureはモバイル向けにはまるで向かないことがほぼわっていたため」ということらしい。 実際、Northwood世代では何とかPentium 4をモバイル向けに提供できないかといろいろ苦労していた。Mobile Pentium 4-MとかMobile Pen
前回まではインテルの昔の製品を御紹介したが、これに負けないほどやはり製品が多いのがAMDである。こちらもx86系に絞った形で、「K8」以前の製品を解説していきたい。 限られた供給能力が広げた インテルCPUのセカンドソース 元々AMDが躍進を遂げた一因は、インテルとのセカンドソース契約にある。昨今では考えにくい話であるが、1980年代の半導体メーカーの多くは、製品供給能力が限られていた。また製造プロセスそのものが安定しないから、大口顧客は特定のメーカーに依存するのは余程の場合のみ。通常はセカンドソース供給を求めた。先月までは普通に製造できたが、今月は「何かわからない理由で生産量が半減しました」なんて話が本当にあった時代である。 例えば8086の場合、インテルだけから買うのではなく、インテルとセカンドソース契約を結んだ何社かから、同じスペックの8086互換品を購入できるような体制を求めたわけ
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