へイルメリーパスの(Hail Mary Pass)意味 アメリカンフットボールのヘイルメリーパスとは、試合終盤に、負けているチームが、一か八かの神頼みを込めて、タッチダウンによる逆転を狙って行うプレイである。 へイルメリーパスの語源 Hail Mary を直訳すると、「聖母マリアが降ってくる」という意味であり、最後の神頼みという局面を反映したネーミングといえる。ヘイルメリー、ヘルメリなどと略されることもある。
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河畑さん >筋を通すことを嫌う人なら、「理路整然としている」ことを、真面目腐っていて、病的であると考えて、蔑みをこめて「病膏肓に入る」という慣用句を使ったとしても不思議ではありませんね。 不思議ではありません。もう一つ、「筋の通った思考をする習慣も能力も無い」のだとも考えられます。 >小島先生の本を紹介されているのだから、悪い意味ではないはずだと思い込んだのが失敗でした。 F爺も、Facebookの個人ページに書評を書いて 〈本の売れ行きを良くしてやったぞ。俺様に感謝しろ〉 と言う人が悪い意味で「病膏肓・・・」と言うはずが無いと思い込んで失敗しました。ブログの記事は、何回でも追記も修正も出来ますから大事には至りませんが。 次の篇の掲載は、3月9日か10日の予定です。 「特にプロフィールとかの欄では張り詰めていてキリキリいたします」という文を改めてじっくり読んでみると・・・「特に」というのは
チョルスさん 「ヨハネ伝」の問題の箇所の五種類の日本語訳のお知らせ、誠にありがとうございます。 大同小異という言葉は、この五種類を形容するためにあるようですね。おっしゃる通り、揃いも揃って、同じ逐語訳を、誤訳を、並べています。 ■「一粒の麦」と「麦一粒」の違いが解っていない。 ■植物について「死ぬ」と訳して奇妙だと思っていない。 ■「死んで実を結ぶ種」など存在しないことに気付いていない。 (「実を結んでから枯れる草」ならありますが) これだけ並べてみると、恐るべき結論が出て来ます。 「ヨハネ伝」のこの箇所の日本語訳をした日本人翻訳者の誰一人、まともな日本語感覚を具えていない。 従って、日本語訳だけを読んだ人には、何も理解できるはずが無い。 別の恐るべき疑問も出て来ます。 「ヨハネ伝」だけでなく『新約聖書』全体がこんな擬似翻訳だとしたら、そして『旧約聖書』の翻訳も大同小異だとしたら、仮に翻訳
小淵沢の冷蔵庫(⬅クリックすると最新50件表示) このブログは”Internet Explorer”で閲覧しないことをお勧めします。 "Google Chrome" "Firefox"で最適化するよう編集しております。「小淵沢の冷蔵庫」というタイトルをクリックすると最新50件の日記が表示されます。 辞典を買ったのは40年ぶりだと思います。 40年前に買ったのは英英辞典でした。今でも時々使います。 今回買ったのは古語辞典です。きっかけは僕がいつも聞いている「東京ポッド許可局」というTBSラジオの番組です。この番組は、ポッドキャストでほそぼそと作られていた3名の会話が、ラジオ番組に昇格したという珍しい番組です。オフィス北野に所属する芸人、サンキュータツオ、マキタスポーツ、プチ鹿島の3名がパーソナリティ。様々な傑作コーナーがあります。不定期ですが「推薦図書コーナー」というのがあり、3名それぞれが
スペイン北部とフランス南西部にまたがるバスク地方では、バスク語と呼ばれる少数言語が話されています。そのバスク語から日本語に直接訳されたキルメン・ウリベ著『ムシェ 小さな英雄の物語』(2016年 白水社)が、今年、第2回日本翻訳大賞を受賞しました。日本では読める人がほとんどいない言語で書かれたこの小説を、美しい日本語に翻訳して私たちに紹介してくださった金子奈美さんにお話を伺いました。 未知の文化への憧れ 私は秋田の田舎で育ったのですが、母が海外文学の愛読者だったので、家にたくさん本があり、小さい頃から自然と翻訳ものに親しんでいました。よく読んだのは主に、いわゆる古典というか、英仏露独の小説ですね。ディケンズ、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、バルザック、モーパッサン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、ヘッセなどでしょうか。ただ、中学生ぐらいになるとだんだんそれでは物足りなくなり
英語一強時代、日本語は生き残るか(『中央公論』8月号) ■ 作家 水村 美苗 「言語の植民地化に、日本ほど無自覚な国はない」 作家の水村美苗氏はインタビューで、世界的に「英語覇権」が強まる中、日本ほど「言語の植民地化」に対して無自覚な国はない、と警鐘を鳴らした。水村氏は2008年に『日本語が亡びるとき』を出版し、日本語が将来「国語」の地位から転落し〝英語の世紀″における一つの「現地語」と化すのではないかと問題を投げかけて、大きな反響を呼んだ。 水村氏は今回のインタビューでも、日本語について「非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しい」としながらも、「自国語が植民地化を免れたことに日本ほど自覚を持たない国も、自国語が滅びることに危機感を持たない国も珍しい」と改めて強調した。水村氏は、自国の言語は国家政策に大きく影響されると指摘し、千年以上も前に現地語(日本語)で
見開き2頁で100の外国語について綴ったエッセイ集『世界のことばアイウエオ』(黒田龍之助著)。解説は外国語への愛情あふれる高野秀行さんに書いていただきました。言葉への惜しみない愛情を描いた解説を公開しますので、ぜひご覧くださいませ。 本書の「目次」を見た途端、頭と体がカーッと熱くなった。 アムハラ語、アラビア語、アルバニア語、インドネシア語、ウォロフ語、ウルドゥー語……。ア行だけでも、私がこれまでに出会った言語が六つもある。もちろん、その後も、わりと熱心に学んだ言語から、現地に行ったときに片言を習っただけの言語まで、次々と登場する。夢中で本文を読み始め、気づいたら半分ほど一気読みしていた。懐メロのように、過去に出会った言語とそれにまつわる記憶が甘く切なくぐるぐる回っていた─。 (以下、本書に登場する言語には目次の番号が振ってあります) 私は、黒田さんのレベルには到底及ばないものの、同じよう
絵巻で見る 平安時代の暮らし 連載終了と書籍のお知らせ 長らく「絵巻で見る平安時代の暮らし」(以下、当連載)をご愛読くださいましてありがとうございました。 休載しておりました当連載は、諸般の事情により、第79回をもちまして終了とさせていただきます。 この間のご支援に、心から感 […] 2024年11月26日 三省堂の辞典・書籍にまつわるコラム ニュースを読む 新四字熟語辞典 第63回【泊食分離】はくしょくぶんり [意味] 旅館で、宿泊料金と食事料金を別建てにすること。料金体系が明確になると同時に、客は「宿泊のみ」「一泊朝食付」「一泊二食付」など、さまざまな選択ができる。(大辞林第四版〈データ版〉から) * 日本旅館といえば朝 […] 2024年11月25日 漢字
タヤップ語。それは、パプアニューギニアの熱帯雨林の奥深くにある小さな村で話されている言語である。そして、その言語はいままさにこの世界から消え去ろうとしている。 「言語はなぜ消滅してしまうのか」。1980年代、当時大学院生だった本書の著者は、その謎を明らかにしたいと切望し、単身で熱帯雨林の奥地に潜り込む。当時、どんな地図にも載っておらず、そこを訪れた白人もほとんどいなかった、湿地の村ガプン。その村では、非常に古い歴史を有した言語が、ごくわずかな村人たちによって話されていた。本書は、その言語と村人たちの行く末を30年にわたって追跡した研究書であり、ルポルタージュである。 先に明かしてしまうと、本書のおもしろさは次の2点にある。まずひとつは、言語研究の本来的な務めとして、ひとつの言語の消滅過程をしっかり記録していること。そしてもうひとつは、奥地での仰天話あり、九死に一生のエピソードありで、全体と
公共圏(こうきょうけん、ドイツ語: Öffentlichkeit、英語: Public sphere)は、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマス、フランスの哲学者ルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコーなどヨーロッパ大陸の哲学や批評において盛んに使われる概念で、私圏(または私領域)の対語。人間の生活の中で、他人や社会と相互に関わりあいを持つ時間や空間、または制度的な空間と私的な空間の間に介在する領域のこと。公共性と訳すこともある。 公共性概念の発現される社会的空間をさして使われるのが一般的である。アイデンティティーや、アイデンティティー・ポリティクスとのかかわりの中で論じられることが多い。 マルティン・ハイデッガーは、現存在(Dasein、存在する人間)は、公共圏においてはその私的な振る舞い・本来の振る舞いと制度的なものとのバランスをとらねばならないとしたが、公共圏でのかかわりこそが現存在を
1.はじめに(日本は何故変らないのか) 在日オランダ人ジャーナリスト、カレル.ウォルフレンはその著書、「日本権力構造の謎」「人間を幸福にしない日本というシステム」の中で、幾つかの鋭い問題提起を行なっている。 その中心となるのは、「日本には国家はなく、ただシステムがあるだけ」と言う主張である。ウォルフレンは、その理由として次の2点を挙げている。 1 アカウンタビリティ(説明責任)の不在 民主国家においては世論が究極の権威の源泉であり、この権威に対し説明責任を負うこ とを条件として、リーダーには強力な権限が与えられている。しかしながら日本には、権力を行使するものが当然負うべき、説明責任がない 2 権力の中枢の不在 日本の権力は、多数の組織に分散されていて、それらは主権者としての選挙民に責任を 明確にすることもない。どの組織も(政財官界、マスコミ、農協など)国の政策の最終責 任をとったり、緊急を
私は本を買って読む。なぜなら本は、買わなければ著者および翻訳者に1円の印税も入らない。古本で買ったり図書館で借りても、著者および翻訳者には印税収入が入らない。だから私は、可能な限り本を本屋で新刊で買う。 2009年11月~2010年5月末までの世界一周ネタもあるよ。 2011年09月~2011年10月までのフィリピン短期英語留学ネタもあるよ。 2015年3月のインドネシア・スラウェシ島・マナド10泊旅行記もあるよ。 LastUpdate 2019/1/6現在、投稿記事数2,708件(発見まで)、うち読書感想1,805件・映画等の感想71件・海外旅行460件・フィリピン旅行&留学18件。マナド旅行記17件。 カウンタア20051215から ブログランキングに参加しております。 バナーをちょこっと押していただけると恐悦至極なり。 ◆概要(紀伊國屋Bookwebより) 政府に弾圧され続けるトルコ
小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書)と『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房)を読む。小島は言語学と民族学の専門家。もう50年近くフランスに住んでいる。『トルコのもう一つの顔』は25年前の発行。トルコを研究するようになったのは、「多くの研究者の共同作業が進み、立派な方言地図もできているヨーロッパ諸国の言葉に比べ、トルコ共和国の諸言語は、方言学上ほぼ未開拓の分野であり、研究者にとっては文字通りの宝庫である」からだという。「外国語を介せずにトルコ国民との意思の疎通ができるように、まずトルコ語を習い覚える。やがて、各地の方言を研究する過程で、トルコ語とは無関係な別言語を話す少数民族の存在に気づき、その言語にも惹かれた」。「…フランスに住み続けたまま毎年数回トルコを訪れ、年間通算5、6ヶ月も滞在するということを繰り返して、ある日気づいてみれば17年という年月がたっていた」。 トルコで
ポルトガル語翻訳家。上智大学ポルトガル語学科卒業。訳書にジビア・ガスパレット『永遠の絆』、パウロ・コエーリョ『ブリーダ』『ザ・スパイ』など。2019年、ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』で第5回日本翻訳大賞受賞。
中国の学校では、漢字をどのように教えているのだろう? 日本なら小学校に入学するとまずひらがな、カタカナから勉強を始めて、徐々に漢字も教えるようになるのだが、中国では小学校に入るとすぐ、日本人の感覚ではとにかくハンパでない数の漢字を教え、ひたすら暗記させるらしい。 (中国語にもピンインがあるじゃないかと言われるかもしれないが、残念ながらピンインはあくまで漢字の振り仮名で、ひらがなカタカナのように単独または漢字と混ぜて使うことができない)。 「ハンパでない数」というのはどの程度なのか、気になったので調べてみた。 中国の教育部の定める『義務教育語文課程標準(2011年版)』によると、漢字の学習は低学年、中学年、高学年の三段階に分けて学習のめやすが定められていて、 1~2年 読める漢字約1600字、書ける漢字約800字。 3~4年 読める漢字累計約2500字(新出漢字約900字)、書ける漢字累計約
四国巡礼の目的としては弘法大師(空海)の修行の足跡をたどるためいうことがひとつ。 もうひとつは巡礼を通して「罪障消滅」と「生まれ変わりが可能になる」という信仰がある。 「生まれ変わり」とは山岳信仰で山に篭った修行者が「六根清浄となり神聖な岩穴という胎内から再生」 することと等しい。 その「再生」の物語として四国巡礼にも「衛門三郎伝説」がある。以下、あらすじ。 衛門三郎を訪問した旅の僧があり、弘法大師とは知らず、邪険に対応し托鉢の鉢を割ってしまう。 その後まもなく、衛門三郎の八人の子供が次々と急死する。 衛門三郎は旅の僧は弘法大師に違いないと悟り、赦しを請うため弘法大師を尋ねて四国巡礼に出る。 大師には出会えず彼は旅先で倒れてしまう。ところが彼の臨終まぎわ突然、大師が現れる。 「おまえは四国巡礼で罪をあがなったので来世も人として生まれて来るであろう。」と大師は予言する。 ほどなく「衛門三郎」
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