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澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

香港の若者よ、若者であることの特権を徹底して謳歌せよ

反体制であることは、しがらみからの束縛に自由な若者の特権である。
齢を重ね、生活のしがらみや、社会とのしがらみが複雑に絡みついてくると、人は生きるために右顧左眄せざるを得なくなる。心ならずも体制に屈し迎合し、理想や理念とは異なる行動をするうちに、やがては本心までが変わってしまうのだ。かつての理想や理念を「若気の至り」として、保守化した自分を合理化してしまう。「それが大人になるということなのだ」などと自分に言い訳もする。

香港の若者よ、若者であることの特権を徹底して謳歌せよ。怪我をせぬよう心しつつ、粘り強く闘え。あきらかに正義は君たちの側にある。

「一国二制度」下にある香港では、中国の全国人民代表大会が、2017年の長官選挙から「普通選挙」導入を認める一方で、民主派の立候補を事実上排除する決定をした。「行政長官選の候補者は指名委員会を構成する1200人の半数以上の推薦が必要だと定めた。この委員会のメンバーは親中派が多くを占めるとみられている。この決定に従えば、中国政府に逆らう候補者は選挙から除外される。『中国を愛する』候補者だけが立候補を申請できる」(日経)と報じられている。

被選挙権の剥奪である。民主々義の根幹にある選挙を選挙でなくしてしまおうというのだ。かくして選挙は、権力が正当性獲得するためのカムフラージュ手段と化する。若者ならずとも、怒るのは当然である。

中国外務省の報道官は今日(9月29日)、「香港での民主派団体による抗議デモのような『違法行為』を支持する国外の一切の動きに反対する」と表明し、「中国国内の問題に外国が介入すべきでないとの見解を示した」(ロイター)とそうだ。民主々義を求める集団行動が、彼の国では「違法行為」なのだ。体制に反するものを「違法」というのだろう。人権も民主々義も、体制の枠組みを逸脱すれば、「違法」となるのだ。この私のブログも、「違法行為を支持する国外の動き」なのだろうか。

体制も権力も醜悪だ。選挙制度すら、公正・公平なものにしようとせず、体制に奉仕するシステムにしようとする。民意にしたがって権力を形成し運営しようというのではない。権力の側が民主々義をも押さえ込み、選挙をも体制を維持するための道具にしてしまおうというのだ。

中国だけはない。日本も五十歩百歩。同罪といってもよい。政権の維持に好都合な小選挙区制の選挙制度導入強行によって、底上げの議席を積み重ねて「安定政権」を作っているのが自民党政権ではないか。憲法の平和主義が不都合として、閣議決定で解釈を変えることで、事実上憲法を変えてしまっているのが安倍内閣ではないか。

香港と違うところは、反政府デモの規模の圧倒的な格差である。香港の人口は700万余だという。その国で今回の街頭デモにはピーク時8万人が参加したという。7月1日以来の運動参加者は延べ50万人に及ぶという。これはすごい数字だ。なるほど中国がまっとうな選挙を押さえ込もうというわけだ。

体制の権力に無批判に迎合する姿勢も醜悪だ。私は、もう若くはないが、せめて批判を続けることで、老醜を避けたいと思う。
(2014年9月29日)

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Published in 月曜日, 9月 29th, 2014, at 23:26, and filed under 雑記.

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