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澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

これが、非文明国家・中国の刑事司法だ。

(2022年10月30日)
 文明とは、権力統御の達成度をいう。野蛮とは、統御されない権力が猛威を振るう時代状況の別名である。文明は、権力の横暴を防止して人権を擁護するために、権力統御の制度を整えてきた。法の支配、立憲主義、そして権力の分立、司法の独立…等々。

 人権が、最も厳しく権力とせめぎ合うのは、国家が刑罰権を発動する局面においてのことである。権力は、国民を逮捕し勾留し起訴し刑罰を科すことができる。場合によっては、生命さえ奪う。その手続は厳格に抑制的に定められなければならない。そのようなハンディを権力に課すことで、脆弱な人権はかろうじて守られる。適正手続の保障、弁護権の確立、黙秘権、裁判の公開、推定無罪の原則…、等々が文明社会の基本ルールである。文明は、このような制度を整え適切に運用して権力の暴走を抑制する。人権という究極の価値を守ろうとしてのことである。

 我が国の刑事司法制度やその運用が、十分に成熟した文明の域に達しているわけではない。「人質司法」、「調書裁判」と批判もされ揶揄もされる実態を嘆かざるを得ない。しかし、中国刑事司法と比較する限りにおいては、格段に「文明的」であると評し得よう。我が国の司法制度をあのようにしてはならないという反面教師として、中国の刑事司法をよく知ることが有益である。

 野蛮ないしは非文明国家の反人権的刑事司法制度とその運用による危険の典型を中国に見ることができるが、このほど、その渦中にあって苛酷な実体験をした日本人の詳細な報告が話題となっている。

 毎日新聞が、その当事者を取材して、本日まで3日連続の報告記事を掲載した。「邦人収監」というタイトルのルポ。意義のある貴重な記録である。

上 北京空港、白昼の拘束 高官との雑談「スパイ容疑」
https://mainichi.jp/articles/20221028/ddm/007/030/095000c

中 友好の現場まで監視 取調官「中国研究は不要」
https://mainichi.jp/articles/20221029/ddm/007/030/090000c

下 繰り返される「洗脳」 共産党礼賛の歌唱、歩行訓練も
https://mainichi.jp/articles/20221030/ddm/007/030/111000c

 ルポの対象となったのは、鈴木英司氏。「日中青年交流協会」という団体の理事長という立場の方だという。同氏は中国をたびたび訪れ植林活動に取り組み、中国側から表彰されたこともあり、共産党の対外交流部門、中央対外連絡部とも交流していたという。

 その彼が「スパイ活動」の嫌疑で拘束され「収監」されて苛酷な取り調べで自白を強要されて、起訴された。形式だけの裁判で有罪とされ、懲役6年の実刑判決を受けて収監された。今月11日刑期を終えて出所し日本に帰国している。彼が語る詳細で貴重な体験は、戦慄すべき内容である。

 時系列を整理すると、概略以下のようである。氏は、「居住監視」という名目の苛酷な監禁生活を7か月間強いられている。24時間、6時間交替の二人の見張り役から同室で監視されるという苛酷な状況。カーテンは閉ざされ、太陽光を見ることが許されたのは、この7か月の間に、15分間だけだったという。正式の逮捕と起訴は、この監禁のあとに行われている。

2016年7月15日 身柄拘束・「居住監視」での苛酷な取り調べ
2017年2月16日 逮捕手続
2017年5月   起訴
2017年7月   公判開始(非公開)
2019年5月   一審判決・懲役6年の実刑
2020年     控訴審判決・懲役6年の実刑確定 下獄
2022年10月11日 出所、帰国

以下、幾つかの苛酷な人権侵害の実態を抜き書きする。

「居住監視」という監禁の苛酷さ

 氏は、帰国直前、北京空港近くで屈強な男6名に取り押さえられ、目隠しをされたまま某所に強制連行される。
 そこは、「内装は古びたビジネスホテルのよう。洗面所、トイレ、シャワーがある。部屋の四方で監視カメラがレンズを光らせている。

 弁護人を依頼することは禁じられた。日本大使館に連絡を取るよう再三にわたり要請し、鈴木氏の記憶では7月27日になってようやく大使館員が訪ねてきた。だが、用意された面会室に向かうと、例の取調室の3人組がいるではないか。映像を撮影され、鈴木氏が拘束された容疑について少しでも触れると注意された。大使館員の話では、現在の身柄拘束は「居住監視」と呼ばれる中国の法に基づいた手続きだという。実態は監禁だ。大使館員はこう告げた。「長期戦になります」

 取り調べは続いた。調べが終わっても、本は読めず、テレビもない。紙やペンの使用も禁止。話し相手はおらず、食事とシャワーの時間以外は暗闇でただ、じっと座っているだけ。頭がおかしくなりそうだった。拘束された日にうっとうしいくらいだった太陽が、ひたすら恋しい。一度でいいから見たい。拘束から約1カ月たったある日、その思いを老師(取調官の中心人物)に伝えると、「協議するから待て」と言われた。

 翌朝、老師が「15分だけならいい」と許可した。窓から約1メートル離れた場所に、椅子がぽつんと置かれていた。座ると太陽が視界に入った。「これが太陽かあ」。涙が出てきた。もっと近くで見たい。窓際に近寄ろうとすると、「ダメだ」と叱られた。窓の近くからは建物の周囲が見えるからだろう。すべてが秘密に包まれた場所だった。「終わり」。15分後、男の無情な声が廊下に響いた。

 監禁は長期にわたり続いた。室内にカレンダーや時計はなく、ペンや紙の使用も許可されなかったため日記をつけることもできない。だんだんと今日の日付さえ分からなくなってきた。室内は冷暖房がきいているため、季節を感じる機会もない。

抵抗しきれず署名

 新たな建物の地下にある取調室に入れられると、前日に取り調べをした制服の男とたばこの女がいた。スパイ容疑で正式に逮捕され、この日が17年2月16日だと知らされた。還暦の誕生日は既に数日前に過ぎていた。

 同室者はおおむね2、3人いた。久々の話し相手に心がおどった。ありがたいことに、窓にカーテンはかかっていない。空には冬の太陽が雲の隙間(すきま)から遠慮がちに顔をのぞかせていた。半年前に15分だけ太陽を見せてもらって以来の「再会」だ。

 スパイ容疑を認める内容の供述調書を見せられ、制服の男にこう要求された。「署名しなさい。拒否してはならない」。「基本的な人権もないのか」と抵抗したが無駄だった。しぶしぶ署名した。鈴木氏は17年5月、起訴された。

弁護をしない弁護人

1審の公判は17年8月に始まった。鈴木氏は無罪を主張したが、公選弁護人は「初犯で重い事件ではないので軽い刑にしてほしい」と述べた以外、ほとんど何もしてくれない。同室だった最高裁の元判事はこう言った。「中国の弁護士なんて皆、そんなもんだ」

 私選の弁護人を雇うことも考えたが、40万元(約820万円)を支払っても意味が無かった人がいるとの話を聞き、あきらめた。証人申請はすべて却下され、裁判はすべて非公開。19年5月に1審で懲役6年の実刑判決を言い渡された。

 中国は2審制だ。鈴木氏は上訴したが20年11月、懲役6年の実刑が確定した。判決は、鈴木氏が「中国の国家の安全に危害をもたらした」と指摘した。

刑務所では、洗脳教育

 鈴木氏は日本で言う刑務所に当たる「北京市第2監獄」に収容された。中には外国人用の施設があった。スパイ罪だけでなく、他の事件の囚人も収監されている。まず始まったのが「新人教育」だ。

 ♪没有共産党就没有新中国(共産党がなければ新しい中国はない) 共産党辛労為民族(共産党は民族のため懸命に働く)

 共産党の革命歌をいやというほど歌わされる。中国語が読めない人にはアルファベットで記した歌詞が配られた。

 約5週間の新人教育が終わった後も「洗脳」は続いた。毎日、中国国営中央テレビが制作する英語ニュースを見せられる。共産党史、日中戦争、朝鮮戦争などを描いた番組や映画では、共産党がいかに中国人民を救ったかが描かれていた。

 10月11日、出所の日が来た。早朝、身支度を整え、北京市第2監獄に別れを告げた。当局が用意した車で空港まで送られ、6年3カ月ぶりに北京を離れた。

 成田空港に着き、電車を乗り継いで住み慣れた実家までたどり着いた。拘束前は96キロあった体重。量ると、68キロまで落ちていた。

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 この貴重な記録。剥き出しの権力とはいかなるものであるかを教えるだけではない。勾留期間の制限、弁護人選任権、裁判の公開、裁判官の独立、調書裁判の排除…等々の手続の重要性を噛みしめなければならない。

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