自分の中では、「哲学」「歴史」が「不可分の2本柱」として機能している。
一方で、この数年ほどは、特に「歴史」を棚上げしていた。
実務的にタッチできないという時間的事情が大きかったが、恐らく動機面でも削がれている面も大きかったと言っていい。
が、去年今年の旅行と、若干の読書を契機に、少しずつカンを取り戻そうとしている。
ただ、前に書いたが、「アジア史」に関しては、そもそも「目的」も「対象」も事実上見失っていたという、かなり自分のアイデンティティに関わる根幹的な課題が横たわっていたため、進もうにも進めない、もどかしい行詰り地点で停まっていたと言える。
学生時代以来、「アジア史」は自らの、「歴史」総体の中でも中核に位置付けてきており、「動機」自体はなくなった訳ではない。
しかし、現実の世界政治の変動が大きくなり過ぎた中で、次第に「目的」も「対象」も不鮮明になっていったのである。
既に開始されてしまった戦争(ウクライナ、中東)、そしてこれから開始されようとしている戦争(台湾海峡)と、また気候変動と資源・食糧危機に起因している。
当然、両者は重ね合わさっている。
しかし、これらの危機の深まりの中で、自分のやってきた「歴史=アジア史」は何の意味があるのか?展望はあり得るのか?といった「存在意義」そのものを深く問い返さなくてはならなくなった、ということである。
結論を言うと、「意義自体はなくなったのではないが、目的・対象・方法の再編成を迫られるに至った」ということである。
学生時代時点の動機に即して言うと、自分は「アジアの融和」に強い意欲を持ってきたため、その「統合のための歴史」を書けたらいい、と思ってきた。
(それとは独立かつ重なり合った領域として、「アジア経済史の執筆」という野心もあるが、ここでは差当り分けて考える)
「アジアの融和」も完全に捨てられた目標でもないが、現実問題として、自分がタッチできる領域としての関心は、事実上失われた状況、として整理がついている。
自分の中では、「目的・目標の再定位」をどこに向けるべきか?が長く判断がつきかねてきたが、当面のその整理がついた。
これは、自らの「実存=実生活」的課題とちょうど重なり合っている。
基本的には、以下2つに収約される。
1気候変動、資源・食糧危機への対応
2権威主義とどう向き合うか
1の視点は、学生時代時点では全く見られなかった(そもそも現代ほど危機が認識されず、深まってもいなかった状況だった)。
2は、学生時代以来の課題を引き継いでいる。
「戦争」は1,2に含み込まれる事象として位置付けていい。
こうして「アジア史」といっても、極めて「自分自身に即して」アクチュアルな性質の営みへと、良くも悪くも「再編成」されてしまった。
なぜか?
先述の通り、自分のやってきた「歴史=アジア史」の無力感とともに、「贅沢感」も実感するようにもなった。
「そんなことをしている場合ではないのでは?」という。
「動機と目的の喪失」というのは、「自分自身と、そのテーマの持続可能性」を信じられなくなったことに由来している。
特に、「アジアの融和」の道は既に断たれたということと、戦争と同時に深まる「資源・食糧危機」と、各国で分断とともに強力に深まる「権威主義」とどう向き合うのか?が(連動しての)最大の課題として定位されなくてはならぬ、と再定位したのである。
「現実的判断」であるとは思うが、「理想性」はない。
それ故に、長く苦悩を抱えていた訳である。
では、「完全な妥協」なのだろうか?「妥協」的側面もなくはないが、その分「現実的選択肢からの可能性」も柔軟かつ強靭に探れる余地も生じてきた。
即ち、単純に「大人になった」ということである。
自分は「気候変動、資源・食糧危機」を重視しているが、それ故にこそ「理想主義」ではない。
確実に、徐々に、かつ時に急速かつ大規模に、「選択淘汰」が成されていくだろう、と見ている。
(現在既に、強力な物価高という形で、日本社会と大衆も直撃する「現在進行形」である)
繰返しだが、超長期的な「持続可能性」を、自分は信じていない。
「行き詰り」は今後さらに(戦争・戦況深刻化と並行しつつ)スパイラルで深化する。
その「選択淘汰」と、世界の「権威主義」は、言うまでもなく手を携える関係にある。
その「権威主義」とどう向き合っていくのか?
自分の「アジア史」はそこへの「解」を示せるものでなくてはならぬ。
現実的な解としては、「権威主義」を突き崩すことは困難と見ざるを得ない。
なぜなら、「大衆も世界政治も」さらには上述の「資源・食糧危機も」、「強権的リーダーシップ」を要請しているからである。
「危機と、危ういリーダー(強権的リーダー)」とは、スパイラルでまた要請し合い、深まっていく特性を持っている。
「強権的リーダー」を排除すれば、ますます(見せかけの「民主制」は担保される部分はあるかもしれないが)「危機の解決」からは遠ざかる。しかし「強権的リーダー」を要請すれば、より危機自体も深まってしまう。そうしたジレンマに世界全体が陥ってもいる。
ではどうするか?
「歴史」においては、「民」の視点に立脚したいという動機はあった。それは「無効」になっていくのだろうか?
そうとも言い切れない。ただし、「民」は「掬われない」部分が大きくなり、「無効化される視点」も広範化するのは事実だ。
しかし、「資源・食糧危機」と「戦争」により深まる「権威主義」への「批判力」としては依然有効である。
もう一つは、「民自身の」「資源・食糧危機への対応力」を高めるよりない、ということである。しかし自分は、そこで自ら高められない人々は、やはり「選択淘汰」されていくだろう、という冷徹な見通しは立てている。
自分の「アジア史」は、そこに賭けたい。
もう一つ再編成を促されているのは、「方法論」の部分だ。
「神道」「民俗学」という「自らの内へ、かつまた外へ」と掘り下げる視点が、一挙に深化した。
そしてそれ故の前人未踏の潜在性を感じてもいる。
これらは特に「アクチュアル」な性質が強い。「自分の身体を用いて、体感しつつ探索」しに行かなくてはならぬ。
本来これらは、もう少し年齢がいってからだと思っていた。
そのタイミングが早まったのは、「意外な戸惑いも含んだ喜び」といった心境が正直なところ。
これらは「歴史学」的探究とは一線を画するが、それと部分的には重なり合いつつ、むしろ「実存哲学」としての色合いを深めることとなる。
今後最低2-3年ほどは、それらの「実践」的ステップを深めつつ、徐々に「アジア史」を固めるだろう、という見通しでいる。