NHK出版から2008年4月に創刊された思想誌。
東浩紀と北田暁大の共編で、論文を一般から募っていた。2010年までに5冊刊行された。
後に東浩紀はこれを引き継ぐ形で、新しい言論史「思想地図β」を2010年に創刊した。
NHKブックス別巻 思想地図 vol.5 特集・社会の批評
NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力
NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ
NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション
NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本
昔目を通していた、「現代思想×社会課題」をいくつかのトピック立てした好シリーズ「思想地図」別巻(NHKブックス)を再読することにした。 もっとも、当時は、4本(1日本、2ジェネレーション、3アーキテクチャ、4想像力)あるうち、前者2本のみを読んでいただけだが。 本格再読はこれからなのだが、今回は、自分が「ゼロ年代思想」に対して取っていた、極めて特殊な距離感について整理してみたい。 「ゼロ年代思想」と言っても、本格的な思想家・哲学者と言えるのは、東浩紀唯一人と言って差し支えないだろう。他の論客には少々失礼かもしれないが… 無論、東周辺にいた多くの学者や論客たちの面々や、彼らの取り組んでいた課題群…
高橋源一郎 震災の直後、作家たちはみんな「書きにくい」という話をしていました。なぜ書きにくいのかというと、自分の書いたものが読めないんです。日常生活の底に潜む危機とか夫婦の不安とか、存在の不安とか、バカバカしくて書けないし、読めない。つまり、いままでの書きかたでは危機に対応できない。ただ、これは震災以降に始まったことでもないという気がします。どういうことかと言うと、ちょうど一週間前に、同じ会場で古井由吉さんの作品集の刊行を記念してトークイベントがありました。僕も登壇したのですが、そこでおもしろいなと思ったのは、古井さんはいま七五歳で、震災以降も書き続けていて、日本文学の王道を行くような人にもか…
2024年12月1日(日) 9:00起床。居間に住人がいたから色々おしゃべり。「せっかくかけた目覚ましが鳴らないなあ」とか考えながらだらだらとしゃべっていたら、設定を1時間間違えていたことに気づいた。ということで急いで準備して駅に向かう。想定した電車に乗れたからセーフ。 11:00東京メトロ有楽町線で豊洲→ゆりかもめで東京ビッグサイトへ。コミケに来るときと同じ感覚だなあ。とはいえそれに比べればずいぶん規模は小さいが。 ゆりかもめからビッグサイトへ! 12時が開場だから割とゆったりとしたスタート。右隣のブースが現役の教員たちがいろいろ書いてKindleで出版しているサークルだったからいろいろおし…
11月28日発売の本 11月29日発売の本 11月30日発売の本 12月1日発売の本 12月2日発売の本 12月3日発売の本 12月4日発売の本 11月28日発売の本 読むだけコーチング作者:三宅俊輝,八木真理子白夜書房Amazon 画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会作者:水野英子玄光社Amazon 透明男と人間女~そのうち夫婦になるふたり~ : 6 【特典付き】 (アクションコミックス)作者:岩飛猫双葉社Amazon 狐面夫婦 : 2 【特典付き】 (ジュールコミックス)作者:岩飛猫双葉社Amazon 中学数学+αでわかる線形代数のエッセンス ~現代に必要不可欠な数学、そのわけ~作者:…
東浩紀先生にとって、 不謹慎 は次の意味で「正当化」される。 原発事故について正確な知識をもち、偏見もないひとばかりが被災地を訪れたとしても、状況はなにも改善されません。怖いもの見たさで来たはずの「軽薄」な観光客、とりわけ外国からの観光客が、数時間の滞在のあとで真剣な表情になり、原発やっぱりたいへんなんだな、でも福島はがんばってるなと呟きながら帰っていく、そのような小さな変化の積み重ねこそが、「フクシマ」のイメージを変え、被災地の復興に繋がるのではないでしょうか。ぼくたちは観光客の軽薄さを否定するべきではありません。彼らこそが啓蒙と共感を拡げるチャンスなのです。福島第一原発観光地化計画 思想地…
(UST録画から文字起こしされた会話) 東「知ってる?黒瀬が俺に言ったの。カオスラウンジのメンバーの一人は年収7000万なんですよ」宇野「名言ですね~w超名言ですね~。」東「つまり俺らの事はクズらしいよ。カオスラウンジ的には。」宇野「7000万ちょっと黒瀬君名言すぎるよそれはw」東「あと濱野君もそういう事言ってたわけじゃん。「日本技研でこれだけの金動かしてるんすよ」って。」宇野「まぁそれはいいじゃないっすかw」東「ああいうのお前ら俺のこと舐めてね?と思ったよ。思わなかった?」宇野「・・・。」東「じゃー年収5000万とかいきゃいいんでしょ?とりあえず。じゃー行こうぜって思ったよ。思わない?」宇野…
お盆で暑すぎて暇なので個人用メモ 宇野常寛の小説『AZM48』をめぐる議論 千葉雅也 Masaya Chiba@masayachiba 2010-09-03 0:59:21 『しそちず!』掲載の宇野さんの小説「AZM48 the after story」について率直な感想を言ってもいいですかね? 宇野さんに個人的に話せばいいのかなとも思ったんだけどねえ。言っちゃうかねえ。 まあ、冗談は冗談としてそれなりに分かりますよ。しかし事実として、半分、僕は冗談が分からない人間でもあるんですね。 宇野さんの小説ですが、男性批評家(ライダー)同士がケツをレイプし合って闘うという話は、宇野さんの武器であるヘテ…
先週、宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」を読み、宇野が東浩紀を批判しているのを興味深く思ったので、「ゼロ想」(2008)の翌年に出版され、宇野が編集協力している「思想地図ヴォリューム4」を読んでみることにした。 座談会「物語とアニメーションの未来」は、東・宇野を含む5人が業界的な視点を交えながらアニメ作品の現状を語るというもので、元々アニメには興味がない上に、東と宇野が解釈を巡って議論を戦わせるわけでもなく、ほとんど読むところのない内容だった。 せっかく「ゼロ想」であれだけ東を手厳しく批判しているのだから、直接「あなたの認識は時代遅れだ」と言えばいいのにと思うが、空気を読んで迎合的なことばかり言っ…
譜面絵画 vol.15 『良いキャンペーン』@小竹向原アトリエ春風舎 譜面絵画vol.15 『良いキャンペーン』@小竹向原アトリエ春風舎を観劇。譜面絵画という劇団名は以前から知ってはいたが、劇団の本公演を見たのは今回が初めて。作演出の三橋亮太の作品を見たのも今回が初めてだと思っていたのだが、このサイトの過去記事を検索してみると、昨年5月に同じアトリエ春風舎でやられた二本立て公演、綾門優季+三橋亮太 ダブルビル公演「おまおまいういう」で短編作品『え待って?他感作用あるん知らなくて草』を観劇していたことが、分かったが女優が何人か登場していた会話劇風の作品だったという以上に強い印象はなくて、実質的に…
ここ最近読んだものについて感想を書き留めておく(どんどん物忘れが酷くなって読んだものを片っ端から忘れてしまうので)。 * * * 東浩紀がやっていた『思想地図β』の2011年春号に掲載されている菊地成孔と佐々木敦と渋谷慶一郎の座談会「テクノロジーと消費のダンス」を読み返す。 菊地はこの中でポップアナリーゼの必要性とそれが音楽の聴き方にもたらす変革性みたいなことを熱心に主張しているのだが、佐々木と渋谷はどうも懐疑的なスタンスを保っている。東浩紀も途中で口をはさんできて、ポップアナリーゼは80~90年代に構造主義がもたらした袋小路を音楽批評で再生産するだけに終わるのではないかとの見解を表明している…
こんにちは。冨樫純です。 哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。 そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。 タイトル 原発事故を未来に伝えるための「観光地化」 2012年10月の28日と29日、福島県南相馬市に行ってきました。 現地でワークショップを開くためです。 ぼくが発行している『思想地図』は、次号で「福島第一原発観光地化計画」という特集を予定しています(のち2013年秋に発売)。 25年後の福島第原発跡地を観光地に変えてしまおうという計画です。 なぜ25年後かというと、チェルノブイリが関わっています。チェルノブイリは1986年に原…
1971年(昭和46年) 5.9 東京都三鷹市にて誕生。妹含め4人家族。父親はサラリーマンで母親は専業主婦。母方の祖父が赤坂で内装業の会社を経営していた。 1981年(昭和56年)10歳 近所のハンバーグ屋に置いてあった森村誠一『悪魔の飽食』を読み衝撃を受ける。 1982年(昭和57年)11歳 三鷹市中原から神奈川県横浜市青葉区に転居し、三鷹市立東台小学校から横浜市立みたけ台小学校に転校。 1983年(昭和58年)12歳 筑波大学付属駒場中学校入学。 1985年(昭和60年)14歳 『うる星やつら』の私設ファンクラブの創立メンバーとなる。放映再開の署名活動とデモ(20名くらいのラジカセのサウン…
良きギャンブラーは良き遊戯者の資格をそなえている・・・悪しきギャンブラーは何度も骰子をふることによって望みの目を出そうとする。そのことによって骰子ふりを未来の目的に従属させ、偶然性を蓋然性に変えてしまうのだ。それに反して、良きギャンブラーはただ一度の骰子ふりにすべてを賭ける。彼が知らなければならないのは、偶然性をツリー状に組織することによって広義の確定性の中に回収してしまうことでもなければ、大数を前提として統計的な規則性に訴えることでもなく、偶然性を偶然性として一挙に肯定することなのである。 浅田彰『構造と力』第6章 浅田彰『構造と力』の文庫本(中公文庫)を買って読む。 発刊当時(80年代)は…
* 雑役仕事と金が尽きて、もうしばらくになる。おかしなもので足りないときほどしたくなるものだ。創作や自涜、どちらも空想と実感を一致させてゆくという点でよく似ている。台所には甘味料、香辛料、油、肉などなし。あるのはしなびた野菜のいくつかと、わずかな麺類。そしてとうとうあいてしまった靴の孔――そこへ公園のベンチがこちらに近寄ってくる。 おかしなものであまっているときはこういった苦痛について、おそろしく鈍感で、まえにも遭った、経験済みの苦痛をまたしてもやらかしてしまう。反復また反復、おそらく精神医学じゃあ、とっくに名札のついた動きなのだろうが、こちらとしてはどうにもならない。それを知ったところで日雇…
* 人間の消滅とポスト・ヒューマニズム ポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーは『言葉と物』(1966)において「人間の消滅」という挑発的なテーゼを提示して一躍時代の寵児としての地位を確立しました。難解な専門書にもかかわらず「バゲットのように売れた」といわれる同書は中世以降の西洋における「エピステーメー」の変化を主題としています。ここでいう「エピステーメー」とは、ある時代や社会の思考システムの基本的な布置を指しています。そしてフーコーは西洋の歴史におけるエピステーメーはルネサンス期(16世紀以前)、古典主義時代(17〜18世紀)、近代(19世紀以降)という三つの段階の境界…