はてなキーワード: マニアとは
地方在住の親族から「クリスマスのディズニーに行きたい!」と連絡が入った。
上京の1週間前に。
パークチケットを人数分確保
レストランの予約。
ディズニーホテル内レストランは3カ月前、パーク内レストランは1カ月前に予約解禁となるため、すでに満席状態。
キャンセル拾い(満席の画面をひたすらリロードし続けるだけなのだが)をして、どうにか夕食は確保。
9:00
ホテル宿泊・バケーションパッケージ枠の解放を狙ってアクセスするも、依然満席のママ。
昼食はアドリブ決定。
9:05
9:20
10:00
ファンタジースプリングスはスタンバイパス(無料整理券)・DPA(有料ファストパス)ともに終了済み。
を確保。
なお、ビッグバンドビートは抽選漏れ。縮小版なのでDPAに課金するまでは至らず。
11:00
15分待ち。
11:30
入口眺めるだけ。
USJのニンテンドーワールドは権利が無いと入口すら拝めないのと比較して、こっちは記念写真撮れるだけ親切。
12:15
小腹を埋める
12:30
観光案内しつつケープコッド側からアメリカンウォーターフロントへ移動
12:45
歩いてるだけでも何か見られた感があるので有難い。
13:00
13:45
スタンバイ15分
14:00
お土産買う
14:15
14:30
水上ショー中は休止になるので再開時を狙うと空いてる。
14:45
お土産買う
15:45
スタンバイ40分と聞いて並んだが、結果60分かかった
16:15
17:00
退園
夕食
18:40
お土産買う
18:50
19:00
19:20
ビリーヴやってる中を移動。
19:25
DPA利用
20:00
DPA利用
20:30
20:50
退園
20:55
21:05
21:10
帰る
しかし混んでいた。
こちらは快適さを買いたいのだ。
O社の方針は、
・人数制限による混雑緩和
のはずなのだ。
金を払わせて欲しい。俺の客単価は倍になって良いから、快適を買わせてくれ。
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
イヤホンが好きで、専門店やイヤホンの展示会的なのに足を運んで安いのから高いのまでいろんなイヤホンを試聴したり買ったりしている。
という話をすると「おすすめは」とか「コスパがいいのは」とか聞かれるのだけど、正直これが一番難しい。というのもイヤホンの音質って単純な良し悪しの問題じゃないんだよね。
確かに1000円前後ぐらいのやっすいイヤホンは流石に音がガサガサの物が多いけど、中には2000円台~3000円前後ぐらいでも音の良さという面ではかなりしっかりしている(代わりにケーブルや筐体でコストダウンしてるみたいな)ものもあるし、1万円前後ぐらいになれば大抵はどれを選んでもマニアでもない限り音の良さという面では十分満足できるはず。
私がそうだが、特に主に通勤通学の電車内など外で音楽を聴くという人ならばそもそもとして周りの雑音もあるので繊細な部分の良し悪しは正直もうマスクされてしまう。10万円を超えるような高級イヤホンは家の中の静かな所で音楽を楽しむときじゃなければ真価を発揮できないだろう。
一定のラインを超えたら音の良さは十分だというのであれば何でお前はイヤホンをあれこれ試聴してるんだという事なんだけど、要は「良し悪し」じゃなくて「個性」という別の軸が出てくるんだよね。
分かりやすいのは周波数特性で、低音域が強くて迫力があるとか、中音域が盛り上がっていてボーカルが聞きとりやすいとか、高音域が強めで解像感が高いとか、そういう個性は実にバラエティに富んでいる。
またイヤホンによっては凄く広い所で聞いているような感覚になるものもあれば逆に目の前で演奏している(何なら自分も演奏者の一人)みたいに聞こえるものもあるし、1つ1つの音がどこで鳴っているのかを想像しやすいものもあればまとまってワッと届くものもある。
決して低音が強いわけではないけれどドラムを目の前で叩いているのが想像できるぐらい物凄い解像度で聞こえて度肝を抜かれたイヤホンもあった(40万円もする超高級品だが)。
こういう個性がイヤホンの魅力で、そしてそれに対して個々人の好みというのがどうしてもあるんだよね。ハードロックが好きな人とアニソンが好きな人では向いているイヤホンも違うし、例えば年齢によっても高音の聞こえ方が変わるからそこでも合う合わないはあるはず。
こういうことを言うとオーディオオタクにしか分からない些細な差なんでしょと思われそうだけど、スピーカーのシステムと比べるとイヤホンに関しては本当に全く違うのがどんな人でも分かるはず。それはちゃんと理由がある(頭部伝達関数とかターゲットカーブとかの話)のだが、そうやっていろいろな個性のイヤホンを出してくれているからその中から自分の耳と感覚にマッチするイヤホンを探すのが楽しい。
だからもし普段からイヤホンで音楽を聴いているのであれば、一度専門店や家電量販店で試聴をしてみて欲しいと思う。前述の通り今は2000円台からでも良い音のイヤホンはあるのでちょっとした投資で自分に合ったイヤホンを見つけられるはず。それで毎日の通勤通学の音楽試聴が楽しくなるならばかなりコスパの良い世界だと思うし、気軽に楽しめる良い趣味になると思う。
最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。
わたしは若い女で、比較的フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。
以前、似たような境遇の女の子の友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。
しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入りの帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。
この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入りの帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定の性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。
話は変わる。新聞社の事件事故の欄を見ていると、盗撮や痴漢、路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせはもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。
そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害にあいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。
そもそも、表現というのは社会の情勢や価値観や規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現は社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現が社会や個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり、表現は社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現は社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。
フェミニストは二次元と三次元の区別がつかない。あるいは、自他境界が曖昧すぎてただの絵に自己を投影している。エロ表現を忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちでしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツの邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。
ポルノグラフィ(エロ絵や漫画、アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実の性犯罪を助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現が問題視されていることの妥当性を示したいと思う。
ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現は社会の外側には出られない事実である。つまり、エロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律や公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロをエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力をエロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたしの意見を述べておくと現実の被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力をエロの表現のひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり、表現は社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会でしか受けつけられないのだと思う。
また、そういうチャレンジングな表現で社会の価値観を問うたり挑発したりすることも表現の役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任が表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロいものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会の価値観は醸成されていない。
ちなみに。こういう話では必ず、殺人も現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたしの理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人の表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人をエンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人が絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会だからなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現をエンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうから、エロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すときの感覚の快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)
同じように、戦闘シーンを快として描く表現は暴力が基本的に日常の外にある社会だからこそ許容されるし、ヤのつく職業の社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会だから可能なのではないか。
つまり、エロ表現を自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通に認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現の自由戦士と呼ばれる人たちは表現と現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現は現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現と社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現と現実社会の区別〉をつけるべきではないか。
恐らく、フェミニストでエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現を無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ、規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか。
補足:Xではエロ表現の話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズムの文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。
「充電器レビュー45:新しい充電器が出てたので買ってしまいました!7000円でこのデザイン、充電速度も十分!いいですね!もう少し使ってみてよかったら1軍の充電器入りも夢じゃないかも!?」とか言ってて
志村の留置場にそんな現実はない。そこには、留置管理第一課が作った冊子が置いているだけで、何の役にも立たないし、法令マニアがそこにいてそれを読めるとしても
仮に警察署からの釈放段階に至ったときには、警察官からの釈放説明に対して、猜疑心100%で、はいはい、てめえ裏切りやがったな、という感情を抱えながら、
家路につこうとするのが、現実で、しかし、そうなると警察がくやしいので、そうならないように、微調整して釈放するし、釈放後は、それ以前にあった記憶に抹消に関しては
コロナとインフレで駅近辺の入れ替わりが活発になりカレー店が増えてきた
のでリスト入替
いつもの。平和通り再開発で他の店が引っ越ししたり廃業したりする中、火事で全焼から復活しても一切変わらない
ルフロン2Fフードコート内。スープカレーが比較的安価(豚角煮入れて1200ぐらい)
地下街アゼリア。昔はスタンドカレー屋なんてここしかなかったので、みんなここでカレー補充してた
以前は立ち食いソバ屋並みの価格だったのがメニュー変更とインフレで否応なく値上がりし
また駅ホームからバス停への導線が地下街を経由しなくなったのもあり
魔法が解けてしまうと、あえて立ち寄ろうという気がしなくなるぐらいの普通な味
ミューザの裏通りエリア。オサレ・こだわり系。他との違いはよくわからん
かつてヨドバシ奥にあったカフェハイチのカレーが食えなくなったので、そういう気分のときはフラッと行きたくなる
怪獣酒場の向かいのタイ料理屋。ビル地下だが地下街から行ける。猛暑でタイカレーに頼りたくなったときの駆け込み寺
砂子通り入口。松屋が移転してマイカリー食堂併設になり松屋カレーをいつでも食いたいときに食えるようになったが
いざ食えるとなると足が遠のきがち
砂子通り八丁畷方面。以前は激狭クラブだかスナックだか間借りの昼営業に行列の店だったのが移転
カツが売りのカツカレーの店だがカツをカレールーで食わないように注意書きがそこかしこに書かれてる
国道15号沿いに新店開店で駅から徒歩圏内についに。なのだが今一つ寄れてない
思えば浅田店に寄るときは外仕事でそこそこ消耗した帰り道ストレスをカロリーの暴力で吹き飛ばす目的だったので、
駅近辺を歩くようなタイミングだと気分的に入りにくいのだろう
仲見世通りのビル3階エレベーターなし階段のみ。バングラデシュの方だが日本語上手い。暇なら話もいろいろできる
テーブル席メインの店なのだが平日の夜に行くと男一人客が入れ替わり立ち代わり酒も頼まず黙々とビリヤニやカレー食ってく
ラーメンマニアがマニアックな店でラーメン食うってこんな感じだろうか
トランスが女子スポーツに進出して女子選手たちに怪我をさせたり様々な栄誉奪い取ったり、女性スペースに男のまま入れろと騒いだり、男と一緒に女子トイレや女湯使うのは怖いって強姦被害者に精神病院いけとなじったり、乳がん患者を何かにつけて男の引き合いに出したり、トランス女性の性器は女根なので受け入れないレズビアンはヴァギナマニアまんこラバーズの差別主義者とか騒いだりするからでしょ。
1972年、愛知県生まれ。97年、三星食品(現モンデリーズ・ジャパン)に入社。2008年にキャドバリー・ジャパンへ転籍、11年に日本クラフトフーズへ転籍し、流通菓子の分野でヒット商品を生み出す。培った企画力を武器に13年に 洋菓子「ザ・メープルマニア」などを手掛けるシュクレイに転職し、エキナカで人気スイーツをプロデュースした後、2年で退職。独立して商品開発などのコンサルティング業に携わる。16年にシュゼット・ホールディングス(兵庫県西宮市)に入社し、洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」の商品企画を担当する。18年にアサヒコ(東京・新宿)に入社、20年に「豆腐バー」を販売して業界に新風を吹き込み、23年5月に同社代表取締役に就任(写真:陶山勉)
池田未央代表取締役(以下、池田氏):豆腐バーは究極のタイパ飯としてビジネスパーソンに人気があります。2023年9月時点で累計販売数5100万本を突破し、まだまだ伸び続けています。豆腐バーは20年11月に発売し、半年で売上数が300万本を突破。1年で1000万本を超えるなど滑り出しも好調でした。生産ラインが不足したため新たに設備投資をし、月250万本ペースで出荷が可能となりました。当初は月50万本ペースの出荷にとどまっていました。その結果、今期のアサヒコの業績は、昨年より数億円も利益が改善しました。
すごいキャリアだな
一貫性がある
マーティフリードマンさんがBoAさんの「メリクリ」をカバーして歌っている曲が街に流れ出したらいよいよクリスマスね。
コーヒーフレッシュの謎の白いのは何かしらシリーズの長編小説を読み終わって
その読了感に浸っているの。
私は夕刻に事務所で独りいて差し入れでいただいたホットコーヒー。
いつもは格好をつけてブラックを大盛りでって頼むんだけど、
差し入れのホッツコーヒーはもちろん私のそんな好みを知らないまま使われないシュガーとフレッシュがちょうど私に向けたように置いてあったの。
まさに置いてあったコーヒーフレッシュの白いのの謎だわ。
あれって誰も謎なことを気にしないんだけど。
イキフンで雰囲気をブラックを色を変える茶色にするだけの効果しか無いと思うのよね。
ブラックコーヒーにフレッシュっていうのがちょうどいい色が変わるぐらいがちょうどいいのよ。
たぶん、
だれも味なんてフレッシュのこと味わってないと思うわ。
いや!今日のコーヒーフレッシュとびきりフレッシュだね!なんて搾りたて生ロイヤルコーヒーフレッシュなんてないもの。
それなのにだれもあんまりそのコーヒーフレッシュのことには気が付かないみたい。
コーヒーフレッシュの白いのを気にしている人か気にしていない人かの2種類。
常識的に考えて、
ならあの白いのは効果は色を黒から茶色に変える効果以外に何があるかとしたら、
味変?
いやあの程度のフレッシュでは味は変わらないわ。
それだったら、
ソイラテにするもんね。
うーん、
謎が深まるばかりだわ。
秋に読み始めて秋が深まったと思ったら冬の始まりになっちゃったぐらい。
それ以外使い道のないコーヒーフレッシュは、
フレッシュはなにかの料理の材料には到底使うってこと私は聞いたことないわ。
謎ね。
また謎が深まるわ。
確かに、
ダイレクトのコーヒーの味の黒いのを多少のまろやかさにすることは可能かも知れない。
ただそれだけの効果。
あれを好んで使う人はいるのかしら?
日頃使わないので私はその白いのを目にすることがないけれど、
たまにそうやって目にしてしまうと
謎の白いのって思ってしまうわ。
あまりにも
もしかしたらだれもその白いのに気が付いていないかも知れない。
逆に言うと
こだわり抜いたこだわりの真のコーヒーフレッシュってのがあったら、
その本気度を誰かが気付いてくれるかも知れない。
多分この瞬間今一番このフレッシュのことを考えているのは世の中で私だけかも知れないという感じ。
結局その白い謎は解けないままその長編小説は読み終わったけれど、
私はその持て余した
白いコーヒーフレッシュを残りのホットコーヒーに入れてみてくるくると掻き混ぜて、
カップの中で溶けていくの。
私はハッと思ったわ!
小説の中ではその白いのの謎は解けなかったけど
コーヒーに入れたこのフレッシュは美事にコーヒーに溶けたわ!って
そういうことなのね!
そういうことか!ってことにしておくことにしたわ。
あれをフレッシュを人智の限界を超えた量をコーヒーに入れるチャレンジだって挑戦した人類はまだいないかも知れない。
やっぱり謎だわ。
やがて白い気配もまったくなくなって
茶色になってしまったコーヒーはもうすっかり冷めてしまったわ。
うふふ。
豆乳とポタージュスープをミックスしていただくゴクゴクと飲んできたわ。
さすがにこれだとお腹がお昼にランチ頃になるとめちゃ空くのよね。
電気ポットの70℃のお湯。
大根をピーラーでしゅっとスライスしたものにプラスして昆布投入の
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元増田にわりと近い?年代で共産党推薦の尾形氏に投票したので書いてみる。元増田のようにさっくり上手い文章書けなかったらごめんね。
名古屋市民歴は25年くらい、奥さん子持ち(小学生1人)で前回の衆院選比例では国民民主、今回は尾形氏に投票したよ。
悩んだ際の選択肢は2つ、元国民民主の大塚氏か共産党推薦の尾形氏か。
当日、大塚氏に勝ち目がありそうなら大塚氏に、そうでないなら意思表示として尾形氏に入れるかと考えていてまぁだいたい予想通りの結果になった。
もともとの課税に対する考えはほぼ元増田に近かったんだけど子どもに知的ではない発達障害の傾向があって公的扶助を受けていてちょっと変わってきたよ。
他の多くの支援と同じで子育て支援も多くの場合、年収制限がある。
知的障害ではないというのと増田がそこそこ稼いでいる(かといって富裕層というわけでもない)のが合わさっているとそれがなかなか厳しい。
うちの子のように「支援さえあれば人並みにいろいろできるだろうなぁ(願望)」という場合では公的な支援は受けられないことが多く、その場合は自腹、マンパワーと技術がいるのもあって教育費高い。
でも自分ですべてを教えるのは無理だし自分の子どものことだからがんばって払うけどさ。
という前提があったので各種支援から所得制限を外そうと動いてくれている国民民主党と大塚氏のことは市長選前から気にかけていた。
https://x.com/DPFPnews/status/1620258237902893056
国民民主党は中間層の手取りを増やす政策の優先度は高いが減税はそのオプションの1つで税金を集めて再分配をするのは認めているし小さな政府を目指しているわけではないという認識。
あとは子どもの支援によく動いてくれているのは住んでいる地域は共産党市議の方、もう少し広い範囲では立憲の方になる。国民民主党の方はみたことない気がするけど市内では民主党会派の一部で希少価値高いので仕方ないのかも。というわけで共産党には恩義を感じている。前提ここまで。
という流れで今回の大塚氏の公約で子どもに関する政策2つは給食無償化、子どもパス共に所得制限なし。言行一致で増田的には問題ないかな、というところ。
元増田にも書かれていたけど広沢氏の案では世代年収700万で制限となっているので奥さんも働いているわが家には関係なく…あと子どもの発達障害の関係で知り合った人たちには親にも特性ある場合が多く、こういった書類を学校などから受け取ってきても最初からもらうことを諦めているケースが多い。「いやいやこの紙持って区役所行って聞いてみようよ、もらえたらラッキーと思ってさ」といって連れていったこともあるので名古屋市に限らずできる限り子どもの支援は親を通さずとも受けられるようにしてほしい。
現在、国会では基礎控除、〇万の壁を壊す話がブームだが広沢氏の案が成立すると世帯年収700万に巨大な壁ができるのもなーというところ。
下のリンクは選挙期間内にはてブでみた資料。ほかに名古屋市が公開している資料はみつからなかった
https://www.city.nagoya.jp/zaisei/page/0000099733.html
年100億近くの税収の減収と市内総生産は減少~やや増、とやる価値あるんかなぁくらいの感じなんだけどこれ、調査の仕方おかしくないか?
毎年やってもいいと思うんだけど。これをみてすぐ辞めようではなく就任後に調査・検討いるって言える大塚さんえらいわ、と思ったけどそれを逃げだと思う人がいるのもわかる。でも減税したから大幅に税収増えたっていうのは言いすぎだよね。
減税の影響かとにかく公教育に金がなくて貧弱。
うちの子のように支援がいるのとは別に学校が雑巾の寄付を募る、校内の防火シャッターが壊れても予算がないので修理は来年度、避難所にもなる小学校の体育館にエアコンついてない(これは26年度までに小学校には整備される。中学校はそのあと)とか言い出すときりがない。最近では運動会で綱引きやるのにロープが足りないとか聞いたっけ。
少し前に市の小学校がPTAからお金受け取って問題になっていたけどテレビとか備品買う予算がないのが原因だからさぁ…
このあたりが自分の中ではウェイト大きくて河村氏後継の広沢氏は支持できなかった。
氷河期世代のはしくれで子どもの特性もあり河村さんの政策の中で良かったのは全国に先駆けてスクールカウンセラー(小学校はかけもちで週複数回訪問、中学は常駐で正規雇用)を設置したことなんだけど今回の選挙では話題にものぼっていなかったので自分と子どもはマイノリティなんだなぁと感じられたのもけっこうつらい。
選挙公報の内容はそう。QRコード読んでまでみてくれるのはよっぽどのファンかマニアだけ。
あと増田の行動範囲では大塚氏の選挙カーはみなかったが広沢氏の選挙カーは何度かみた。大塚氏のXでは繁華街を中心に回っていたようだけど市内全域すべて回る勢いで行かないとダメだったように思う。名古屋市民で大塚さんを知らない人はいても河村さんを知らない人はいない。こどもでも知ってる。この状況だとスタートにも立ててないよ。。
任期のほとんどは今の市議会で少数会派継続なのでたいしてなにもできない気がする。
10%減税は河村さんが強硬に反対していたマイナンバー利用とデジタル化で行革が進められて100億捻出できれば議会が説得できるかも?活用したいよねマイナカード
ただ1つ、元増田の身銭を切って~は賛同しかねる。これは誰も得しない。政治信条はともかく立憲米山さんのような頭脳はまれで政治家の多くは活動にプロのアドバイスが必要になるが年800万ではその依頼は不可能に近い。公約にした以上、広沢氏はやめられないだろうが河村氏が支給されている経費が議員より多い立場で給与削減に反対する議員を攻撃する材料にしていたのはよくないと思っていた。
後継者が企業創業者である広沢氏であるのも象徴的で資産家でないと市長選の対抗馬になれないようにしている。共産会派も一緒になってやってるので顔見知りの共産議員に言っても「そうはいってもねー」と流されてしまうが。
http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/1144863.html
(追記)
読んでくれた人、元増田氏、ブクマコメントくれた方々ありがとう
(共産党に入れたって書いたらもっとボコボコに叩かれるのを心配していた)
ここに書いても伝わらないかもしれないけど以下、目についたとこだけですがレスします
うまく伝えられなくてすいません、大塚氏が勝てない状況で尾形氏が勝てると思っていたわけではないです。
実際のところ、市長が広沢氏でも大塚氏でも私が元気で働けているならさほど日々の生活には影響がなく大塚氏のほうがやや楽になるかな、子どもによい体験を積ませてあげられるかな、という程度です。
でも私が病気等で働けなくなった場合に今後の市長選や市議会選で共産党候補が泡沫候補として見えない存在とされてしまい会派が縮小してしまうと、子どもの生きづらさが格段に上がる可能性があるということです。
市内で国民民主は強い勢力とは言えないので協力とはいえ他の党にお願いして回るのはやりづらさがあったのかな、と思います。それでもやるべきだったとも。
28歳になる彼女が重症の味覚音痴というか、食に対する意識がひどい。
そもそも彼女のお母さん自身がほぼ料理をしない人らしく、子供の頃から食事といえば冷凍食品や買ってきた料理ばかりだったそうだ。それもある程度成長してからは、毎日お金だけ渡されて、あとはそれで自分で好きなものを買って食べるという状態だったとのこと。(つまり好きなものを好きなように食べてきた)
そのためか、味覚が恐ろしく幼稚な上に食の常識もない。
例えば塩辛のような珍味は「なにこれ、初めて見た!気持ち悪い」。トマトやキュウリは夏野菜だというと「嘘~一年中あるよ」。鰹節が出汁をとるものだということを知らなかった(冷ややっこなどの上に載せるものだとしか思っていなかった)。
和食は味が薄くて貧乏臭いから嫌いといい、白身の魚はみな味が同じといい、果ては茶葉から急須でお茶を入れるひとは「マニア」という。(ペットボトルしか飲まない)。
刺身はとろサーモン以外はほとんど食べず、白いご飯が大の苦手(必ずふりかけがいる)。
(追記)
マサカドのことすっかり忘れてた。そりゃもう文句なしにガブリエルoutでマサカドinですわ。
まあ要するに日本の神様と言いたいんだなコイツはって補完してほしい。
1. ロキ
「デジタル・デビル物語 女神転生」で最初に召喚された悪魔という意味ですべての始祖。
その後の作品でも重要な役からチョイ役まで幅広く様々な役回りを演じる。
仲魔やペルソナとしてのレベルはだいたい中の上から上の中あたり。
2. ルシファー
CHAOSサイドの首領。多くの作品でちょっかいかけてきたり意味深なことを言ったり、たまにラスボスになったりする。
暇つぶしやこちらの力量を測るという意図で戦うことも多く、負けてもまだ余力を残してる雰囲気で大物感をキープ。
ペルソナ以外で味方戦力となることは多くないが基本的に最上位。
3. ジャックフロスト
多くの作品に登場するアトラスのマスコット。ヒーホー。物語そのものに絡むことは少ない。
特殊会話や特殊合体、サブイベント等で目立つことが多く、キングフロストやジャアクフロスト等の派生が大量に存在する。
4. ピクシー
ほとんどの作品に登場する。最序盤で戦闘や勧誘のチュートリアルの相手になることが多い。
レベルは大抵ひと桁台前半。
5. リリス
多くの作品に登場し、いくつかの作品においては物語の本筋に絡む重要なサブキャラとなってる。特に真シリーズのナンバリングでは驚異の活躍度。
なのにメガテンと言えばリリスみたいな空気がないのはデザインがころころ変わるからだろうか。
6. YHVH
LAWサイドのトップなのだが名前つきでそのものが出ることは非常に少ない。
YHVHを思わせるようなそれっぽいのが、他の神々との闘争に打ち勝って支配を確立した神だったりする。
仲魔やペルソナにはならない。
7. イザナギ
「デジタル・デビル物語 女神転生」の主人公がイザナギの転生した姿だったのでロキに並ぶ始祖と言えるがその後の出番は多くない。
しかしP4の主人公ペルソナとしてあっちこっちに出まくって、親会社のごたごたに揺れるアトラスを支えた。
8. シヴァ
物語の本筋には一切関わらない最強クラスという立ち位置を堅持。ランダ⁺バロン=シヴァでお馴染み。
ラスボスより強い、いわゆる裏ボス的な感じで登場することもしばしば。
天使からも一体出したいと思いメタトロンと迷ったけどこちらを。
トウキョウの守護神として、真シリーズを中心に大きな存在感を誇る。
もとは真1のあるイベントで登場するだけのキャラだったのだが、人気が出たので常連アクマ/ペルソナになった。アトラスオリジナル。
レベルは中位帯から最上位まで幅広く、呪殺/呪怨等の闇属性のエキスパートな場合が多い。
サタン・メタトロン・ベルゼブブ・ギリメカラ・マーラ・トールあたりを入れろという声が予想されるが気にしない。
個人的な好みで選ぶならネコマタとリャナンシーとキュベレとマーメイド。