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「地母神」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 地母神とは

2022-04-17

anond:20220417171408

インフラがある程度整って娯楽としてのセックスがある時代にも

宗教画以外では裸婦は描けないなんてことがあったのだから

仮にそうだったとしても別に驚かない

ただ、化石時代なんて下着無くて殆ど裸みたいな格好で過ごしてるのに

わざわざ埴輪見て性処理しようとした人がいるとは個人的には思えないけどね

そもそも地母神崇拝の偶像儀式の道具なのでそういう意図で作られたものじゃないし

もっと言えば村の仕事をしていた女性が作った可能性も高いんだけどな

 

で、なんでセックスを公に持ち出すヤツがNGだったかというと

インフラ整備されてないか子育て出来るタイミング野生動物並みに厳しいもあるけど

単純に近親相姦なっちゃうからです

 

船を使って旅をしたり、祭りで他集落若者出会うとかやってたそうです

 

2022-01-20

anond:20220120190718

からそれ。妊娠出産できない女(っつか子供)を普通とおもうなって話

地母神信仰にもどれよ

2020-12-26

anond:20201226000314

古代から行われてきた冬至祭をキリスト教が乗っ取ったのがクリスマス

冬至をさかいに日が長くなるので太陽信仰する素朴な土着宗教

太陽が力を取り戻す冬至タイミングでお祝いの祭りをしたんだよ

聖書根拠がなくても土着の信仰を潰すために教会が対抗馬を捏造をするってのは

強固な大地母神信仰を潰すために聖母マリアを担ぎ上げるみたいなところにも見られる

異教を容赦なく屈服させることで勢力を伸ばしてきたあいつらを私はあまり好きになれない

2018-05-21

グランディアIIIがクソってより初代が頑張りすぎたんじゃないかって話

ネタばれ注意※


初代が20周年なのに配信を終了されてしまったグランディアIIIちゃん

どうすれば許されたのかって考えるつもりで比較対象として初代を振り返ってたら思いの外ヤバい

いや、たぶん気づいてた人はプレイしてた当時から気づいてたんだろうけど俺はいさら理解した


テーマの一貫ぶりがすごい

物語が動き出すきっかけは冒険者である父親形見精霊石=これがキーになって古代文明遺跡に導かれる)

・「精霊石冒険者の魂」と主人公に語らせた後、「軍」が精霊石を狙う展開になる

 →軍は統制されたオトナ社会メタファーで、

  つまり自由vs規律暗喩子供vs大人暗喩をまとめてこなしてる

・「精霊石」が奪われた瞬間に主人公は死にかける。

・「精霊石」を奪うのはライバルキャラ父親

 しか古代文明調査をしてて呪われた将軍という立場

 →古代文明を探求する軍のトップ父親)、というキャラ立てで

 「探求心は悪にもなる」「大人からの抑圧」「偉大な父親からの抑圧」「探求心の喪失は死に繋がる」

 という暗喩をまとめてこなしてる。ナニコレ。

・「真理にたどり着いた者」だけに開かれる「精霊聖地」で主人公は「精霊石」を提示された後、それを否定して「精霊の剣」を受け取る。

・「精霊石」を「精霊の剣」で砕いて話が終わる

・「精霊の剣」はプロローグ直後のごっこ遊びで集める勇者の証として一度登場する

 →これ以上ない「子供」による「父親殺し」のメタファーやん


あえて説明するまでもないぐらいわかりやす暗喩だろうと笑われそうだけど

少年が男になる物語」がここまで丁寧にゲームで描かれてるのすごくね?



シナリオの置き方が丁寧

1.開幕は子供同士でごっこ遊びをしている

2.引退した冒険者の爺に認められる

3.母親が子離れして独り立ち

4.でも幼馴染はついてくる(=まだ子供)

5.ほぼ同い年の女の子に認められる

6.軍(大人)を出し抜く

7.閉鎖的な村の村長に認められる

8.巨大な壁を越える

9.勇者として認められる

10ヒロインを異性として認識する

11中年男(一人前の男)と幼馴染に認められる


ここでdisc1終了、先の精霊石メインの話=父親殺しの流れに。

認められる相手立場が徐々に上がっていってて

子供少年 の成長過程を描くのがめっちゃ丁寧でビビる



メタファーの置き方も丁寧

登場人物の見た目が東に行く(=主人公冒険が進む)ほど動物に近づいていき、自然も険しくなる。

 ラスボスの見た目は植物名前ガイア(=地母神/大地)

 力に目覚めたヒロイン背中に生えてくるのは羽ではなく翅。

 幼馴染がリボン代わりにつけてるのは主人公父親が見つけてきた「虫」とも「動物」ともつかない生き物。

 …あれ、てかガイアラストダンジョン攻略羽化しようとしてたよね?

  羽化しようとしたガイア精霊石破壊するとデカい樹(=世界樹)に。

  敵ボス将軍=仮置きの父親)が企てていたのは「ユグドラシル世界樹計画」。

  もしかしてこれ「母親離れ」も暗喩してる?

  ヒロインが虫ってことはそれよりデカい虫は母親しか考えられない気がする。

  名前地母神だし。

 父親殺しと母親殺しを同時にやって世界樹誕生…?

 つまり世界樹大人としての人格というメタファーになってるようにしか見えない。

 どうやらガイアは悪の象徴ではなく「制御できない感情」のメタファーらしい。

 もしかして「虫」=「童心」で二重のメタファーだったりする?

 いやいやこえーよ書いた人何者だよ

・敵将軍(=野望に囚われた父親)は「ガイアの芽」によっておかしくなった。

・「霧の樹海」の中にある村も「未開の森」の中にある村も閉鎖的

 「石の森」の中に滅びた村が存在している

 (ちなみに、海のそばの村は開放的に描かれている)

・人から精霊が失われると石になる。

 意志のない守護ゴーレム石像

 光翼人に力を注がれると蘇って石ではないロボットのような姿になる。

 光翼人の力で制止されると石に戻る。

 ガイアが光翼人の力で制止されると石になる。


精霊意思 であり、意思がなくなる=石になる と表現されている。

人→動物植物→石の流れは意志の強弱も暗喩しているらしい。(街や村のあり方を見るに)

精霊石=眠っている意思とも受け取れるし、父の遺志=精霊石メタファー完璧

遺志=精霊石を割るで父親殺しのメタファーがより強固に。



深読み苦手な自分がここまで読み取れるってことは読解力高めな人はもっといろいろ読めるだろう。

いや、怖!

キャラクターの一人がヒロインを参考にしていると明言されているし、

深読みロボットアニメの影響は多少あるにしても十分冒険譚として独自性を構築できていると思う


グランディアめっちゃボコられてたけど

女の子も楽しめるように王道冒険活劇書きました」でここまで色々仕込める人の後釜、務めようと思うか?

てか一介のゲーム会社社員がこれに「原点回帰」できるのか??

この織り込みに織り込まれた上でほどほどに読み取りやすメタファーの数々、

これを「16歳の飛行機乗り」「空」ベースにして再構築できるかって言われてホイホイできちゃうひとはどれぐらいいるんだろうか。

しかもここまでメタファーてんこ盛りなのにパッと見ただの冒険活劇を装うとか


出来上がってきたIIIはひどすぎたけどこの初代を踏襲したうえでパクリにならないような王道冒険活劇って、

ゲームシナリオ界にオリンピックがあったら確実に金メダル級の超難易度だと思う

話づくりに自信がある人、「俺が作るグランディアIII」にチャレンジしてみてほしい

「空」飛行機」「(ヒロインが空から)落ち(てくる)物」ベース

「16歳の少年が親離れして一人の男になる」話を「ただの冒険活劇」に見せかけて

初代相当のクオリティでかつ初代化とラピュタ化を回避しつつ完成させる。

初代のシナリオ作った人たちはすごいし

個人的にはIIIのシナリオチャレンジした人々も十分敢闘賞もらっていいんじゃなかろうかと思ったりする

20年前のゲームにここまで感心させられるとは。いやはや。



IIIのシナリオを見るに、おそらく思いついたシーンを組み合わせるだけで精一杯だったんだろう

メタファー仕込む余裕なんかなく、「青年主人公が長旅を経て強敵を倒す」話を構築するのがやっとだったように見える


ミランダユウキバックボーンから父親殺し(母親殺し)」を実現するにはエメリウスでは役者不足もいいところ、

子供をほぼ捨てたユウキ父親と妹を守ろうとするエメリウスではシンクロするところがほぼなく

仮にエメリウスの行動原理完璧ゲーム内で表現されていたとしても何の暗喩にもなっていない。

暗喩の有無は別にどうでもいいっちゃいいけど、問題は「父親殺し」が行われていないといけないのに

それをユウキが成し遂げていないところ。


暗喩はあるとカッコいいとか文章表現的な技巧を披露して俺つえーするとかそういう余剰ではなく、

本来物語の外にいる読み手に己との共通点無意識物語から見出してもらい、より感情移入してもらうための道具だろうと思う。

手だけでも布を縫い合わせることはできるが、ミシンを使えばもっとれいに縫製できると言う話だ。



血縁のない飛行王シュミットを「父親」に仕立てるために実の父親物語から消し、アロンソを途中退場させたのだということはさすがに読み取れる。

そういう小細工で作り上げた「父親」をいくら「腰抜け」と罵ってもその「父親」が作った飛行機に乗って空を飛んでしまっては何の意味もない。

それは父親の敷いた線路を辿っているだけであり、まだ子供のままであることの証左になってしまう。

しろこの状況での「腰抜け」呼ばわりは

「何故お前は父親を全うしていないのだ」という糾弾になっている。

まりグランディアIIIには「殺すべき父親」が存在していないのだ。

父親精神的に「殺し」て、別個の人間大人になっていく成長物語のはずなのに。

これではラスボスがどこにもいないのと一緒だ。


そもそも受難「空」は「III」にとって何なのか、

それを見定めずにシナリオ作りに移行してしまたことなのではなかろうか。

テーマソングを聞いてもわかるが「見果てぬ夢」なのか「素晴らしい場所」なのか「行き着く先」なのか定まっていない。

初代が「死にゆく先、生まれくる源」を「大地(地母神)」と定義したこと

芋づる式に様々なもの定義付けすることに成功し、植物の根が土を抱き込むように物語を包括したのとは対照的に映る。

また、成長とは生から死の一過程であり、生と死の描写から逃げては成長を描き出すことはできないのだと逆接的に証明しているようにも感じられる。


しかすると、初代を見上げたまま物語模索した結果、「初代=空」になってしまったのかもしれない。

ユウキ映画の中で活躍するシュミットの姿に憧れを抱いたようだが、

この「映画」こそが「初代」であり「空」なんだろう。

言うまでもなく、何のメタファーも仮託されていない空はただの背景であり景色である

景色は人を動かしたりしない。


結果的グランディアシリーズは終わりを迎えてしまったが、

これは続編がふがいなかったというよりは初代が「偉大な父」になりすぎてしまったんだろう。

ジャスティンが大変な苦労を伴って「父殺し」を成し遂げたように、

「偉大な父」を乗り越えるのはそれだけ困難だということなのかもしれない。

グランディアシリーズはそれを身をもって教えてくれた。

シリーズ20周年を迎え、改めて製作陣に感謝しようと思う。

2018-02-19

現代の女の人はかわいそう

肉体美的な面で。

古代から現代まで男性肉体美シンプルに言えば「筋骨隆々」だと思う。

細かな好みの差などはあると思うが、大筋はこれで問題ないだろう。

狩猟などを行い、家族を守る。目的機能が一致している。

ところが女性場合はどうだ。やれダイエットだ、やれ部分やせだなんだと、痩せることを良しとした風潮がある。

古代では地母神の像なんかでもわかるが、ふくよかな女性ほど尊重されたし、現代でも部族によってはふくよかな女性がもてるが、

一般的に痩せてておっぱいなどが出てる者がもてはやされる風潮にある。

これは良くない。女性の肉体的な機能面と反する部分が大きいんのだ。

本来の肉体がもつ機能性をあえてそぎ落とすことで美を追求している。

おそらく男性筋骨隆々を目指すより困難が大きいはずだ。

女性らしく」なんて言葉があるが、肉体的な"本来女性らしく"を認めてあげるほうが

よっぽど女性たちは生きるのが楽になるんじゃなかろうか。

2017-09-17

ジーコ(18禁同人ゲーム)の用語隠語集(自己保存用)

ジーコとは

ジーコとは同人エロゲー総称である

なぜジーコなのか

SFC時代ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)

ジーコサッカーワゴン常連と化し極めて安価カードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。

時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲーム代名詞ともなった。

そしてネット掲示板おすすめ18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。

そこからあらゆる用語サッカー用語と置き換えられ、現在に至る。

本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスアルテミス(現在テキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。

聖少女に選ばれたジーコ学院長オシムの策略により

悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される

一方ジーコのよきライバルであったペレオシムの行動に疑問を抱き

ジーコの居場所を探し始めるが――

ジーコ用語一覧

FIFA

18禁同人ゲーム配信大手DLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。

FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。

もう一つの大手でありDLSiteライバルDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。

監督

ゲーム製作者、制作グループのこと。

個人製作から中小エロゲーメーカーまで規模は多彩。

選手

キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。

練習試合

無料体験版のこと。トレーニングと呼ばれることもある。

まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)

ジーコ業界では練習試合CG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪監督存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。

フットサル

フリー18禁ゲームのこと。基本的にはジーコ扱いされない。

例外的プリンセスティアーズやVHゲームジーコ扱いされることがある。

なお、多数の派生バリエーション存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。

ドリブル

通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブル冗長さによって評価を落としてしまジーコも少なくない。

シュート

射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合シュートシーンなどとすることが多い。

フーリガン

荒らし監督モチベーションを下げる困った人のこと。

サポーター

作品監督ファンのこと。発売の延期が続くとサポーターフーリガンとなることもある。

ゲーム隠語例と簡易紹介

ペレウル→ハルウル

ジーコ金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手身体を駆使して冒険するゲーム

冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。

ビタミンジーコ→びたみんクエスト

ジーコ金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在無料配布されている。

誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公ミカ選手地母神として有名。

お嬢様汚嬢様田舎生活サバイバルRPG~そのひぐらし

食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様実家までの交通費を稼ぐために田舎廃品回収住居侵入警察署の襲撃などを行うゲーム

GTAウンコ要素が加わったようなものと考えると良い。

お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。

ダンジョンジーコダンジョンタウン~遺跡の森と夢魔の薬~

東方の全年齢向け同人ゲーム頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作

選手地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。

ゲームのものクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。

奴隷ジーコ奴隷奴隷との生活 -TeachingFeeling-

近年最も売れたジーコであると言われる。

虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。

また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしま仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。

韓国では違法に配布された挙句違法児童ポルノゲームとして当局規制された。

プリンセスジーコプリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナ冒険~、プリンセスティアーズ

先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである

前者はタイトルから球技FIFA冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム

戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。

後者フリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。

主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。

そのほか隠語

隠語 本名

芝浦サッカースタジアム 苗床ダンジョンクロニクル

ジーコアルシンド エリスアルテミス

蹴球少女ペレ 魔法少女テト

追記

外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコアルシンド本名)増田に書きました。

偉大なる元増田様(お隠れ済) https://anond.hatelabo.jp/20170916083417

アーカイブ http://archive.is/GiwrP http://archive.is/g9Zki

体裁の細かい修正ほとぼりが冷めてからやります

2017-09-16

ジーコ(18禁同人ゲーム)の用語隠語

ジーコ(18禁同人ゲーム)の用語隠語

ジーコとは

ジーコとは同人エロゲー総称である

なぜジーコなのか

SFC時代ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)

ジーコサッカーワゴン常連と化し極めて安価カードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。

時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲーム代名詞ともなった。

そしてネット掲示板おすすめ18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。

そこからあらゆる用語サッカー用語と置き換えられ、現在に至る。

本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスアルテミス(現在テキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。

聖少女に選ばれたジーコ学院長オシムの策略により

悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される

一方ジーコのよきライバルであったペレオシムの行動に疑問を抱き

ジーコの居場所を探し始めるが――

ジーコ用語一覧

FIFA

18禁同人ゲーム配信大手DLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。

FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。

もう一つの大手でありDLSiteライバルDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。

監督

ゲーム製作者、制作グループのこと。

個人製作から中小エロゲーメーカーまで規模は多彩。

選手

キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。

練習試合

無料体験版のこと。トレーニングと呼ばれることもある。

まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)

ジーコ業界では練習試合CG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪監督存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。

フットサル

フリー18禁ゲームのこと。基本的にはジーコ扱いされない。

例外的プリンセスティアーズやVHゲームジーコ扱いされることがある。

なお、多数の派生バリエーション存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。

ドリブル

通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブル冗長さによって評価を落としてしまジーコも少なくない。

シュート

射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合シュートシーンなどとすることが多い。

フーリガン

荒らし監督モチベーションを下げる困った人のこと。

サポーター

作品監督ファンのこと。発売の延期が続くとサポーターフーリガンとなることもある。

ゲーム隠語例と簡易紹介

ペレウル→ハルウル

ジーコ金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手身体を駆使して冒険するゲーム

冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。

ビタミンジーコ→びたみんクエスト

ジーコ金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在無料配布されている。

誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公ミカ選手地母神として有名。

お嬢様汚嬢様田舎生活サバイバルRPG~そのひぐらし

食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様実家までの交通費を稼ぐために田舎廃品回収住居侵入警察署の襲撃などを行うゲーム

GTAウンコ要素が加わったようなものと考えると良い。

お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。

ダンジョンジーコダンジョンタウン~遺跡の森と夢魔の薬~

東方の全年齢向け同人ゲーム頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作

選手地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。

ゲームのものクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。

奴隷ジーコ奴隷奴隷との生活 -TeachingFeeling-

近年最も売れたジーコであると言われる。

虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。

また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしま仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。

韓国では違法に配布された挙句違法児童ポルノゲームとして当局規制された。

プリンセスジーコプリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナ冒険~、プリンセスティアーズ

先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである

前者はタイトルから球技FIFA冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム

戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。

後者フリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。

主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。

そのほか隠語

隠語 本名

芝浦サッカースタジアム 苗床ダンジョンクロニクル

ジーコアルシンド エリスアルテミス

蹴球少女ペレ 魔法少女テト

追記

外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコアルシンド本名)増田に書きました。

2017-03-17

オタク映画館SAOを見るよりモアナを見ろ

モアナ伝説の海、とにかく凄かった。

まりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。

もう本当に凄い。

クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。

もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。

何故ならこの映画普段ディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから

そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフル気持ちにもなれるという普段ディズニー看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである

しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。

何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。

なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナ伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。


1.ストーリーがいい

すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。

確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである

そういう面がモアナのわかりやすキャッチー面白であることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽描写を単なるパロディギャグで終わらせない骨太ストーリー展開にある。

序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。

村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女モアナ

しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。

ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。

しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。

・島の命が涸れていく――。

異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。

伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女真実を語る。

・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分運命

・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!

これである。これがモアナの真の姿なのである

そう、もう完全に少年漫画なのだジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである

何だったら船をロボットに置き換えても通じる。

飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋運命。島に封印された兵器世界を救う旅に出る少女

まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。

俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである

そう、冒険活劇。まさしくモアナとはそれである

この時代ガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることな王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。

それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。


2.ラブストーリーじゃないバディものである

そして二つ目ポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。

そうは言ってもディズニーで、一応プリンセス主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。

しかし、安心して欲しい。

自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまファンの受け取り方次第である)

前年度のディズニー映画ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。

一応に一応を重ねて今作のプリンス立ち位置であるマウイというキャラクター存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流存在しない。

しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。

そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである

恋愛感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。

そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプル恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれキャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。

独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点である個人的には考えている。


3.単純な悪役のいる物語ではない

これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイント独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。

さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である

時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様ヴィランディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語最後には主人公達に打倒されるものでもある。

単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。

それをして作品に奥行きと考察余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。

それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。

しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。

単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというもの存在しないのである

確かにモアナ冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。

しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。

そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。

からと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。

作品テーマ最後まで一本筋の通ったもの存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである

モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。

そして、この世界におけるこれまでのようなヴィラン体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。

モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。

からこそ、明確なヴィラン存在しない物語というもの存在し得るのである

そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。

何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである

単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品大事だし、素晴らしいこともわかる。

しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか

さらに加えてこの作品プリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。

物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなである

からこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。

そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。

そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。

作為的な悪というもの存在しない点。それもまたこの作品における重要オススメポイントとさせていただきたい。


4.ディズニー渾身の映像

これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。

南洋の島々の楽園のような景色雰囲気

そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーション可能なのかと驚愕しきりの海の表現

愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。

そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻美術設定によって作られた変態改造船舶

もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョモアナ世界スクリーンの向こうには広がっているのだ。

なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。

そのマッチョマッハアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。

特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対劇場で見て欲しい。

そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。


5.挿入歌の使い方が最高

これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。

とにかくこのモアナという作品劇中歌が強い。

劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。

その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。

アナ雪で一番有名かつ作品テーマソングともなっている「Let It Goであるが、実は劇中での使用は一度のみなのである

それもエルサが城から逃げ出して自身能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。

対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。

そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。

この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。

そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。

作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。

そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。

切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。

更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。

そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。

特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。

とまあ、とにかくモアナ劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。

そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。


さて、以上が自分モアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである

いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品面白かったのだ。

なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。

というか今すぐ観よう、今日レイトショーで観よう、明日レイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。

自分もあと三回くらいは観るつもりである

誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。

ただただあの優しくも熱い冒険世界をまた味わいに行きたいかである

そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。

純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。

いや、やはり最後にもう一度。

オタクよ、モアナを観よう。絶対にハマるから



……

………

…………

……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。




6.特殊性

それは巨女巨女だ。

ディズニー渾身の映像クオリティで作られた巨女

巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!

これこそまさしく地母神信仰の姿!!!

この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。

そう、巨女一般性癖!

みんなでモアナを観て巨女の素晴らしさを知ろう!

2016-03-19

伊東ライフックスその後(音読した話)

実際に(行為中に)「がんばれ♥がんばれ♥」してみたこと
 http://anond.hatelabo.jp/20160317102919

つづき。

気づきの方はお気づきかもしれない、先日ホットエントリ入りした彼氏さんのほうのエントリー現在137B!なわけですが、「技術記事ですらこんなにブクマされたことない、しかも知人が食いついてたけど書いたのが自分だなんて言えない、辛い」だそうな。その後の記事はさっき読みました。感想はとくにない。興味があるひとは適当に探してみるとよいと思う。

先日以降、彼氏が完全な伊東ライフックスをしたいしたい言っていて、台詞だけ読んでみる?みたいな提案をしたわけです。
 思いついた理由はよく覚えていない。前回も書いたけど、わたしそこまで経験豊富じゃないんだよ。なんで最中にやれる自信はないけど、取りあえず声だけ出してみればよいのでは?と思ったんだった気がする。

そういうわけで。

何故に自分のほうが東方同人に詳しいのかあたりの話をすると、双方のパーソナルデータに突っ込んで解説せねばならなくなるので割愛させていただきたい。
 それはそうとして、どのお嬢さんの話がいいかなぁというのでざっくり彼氏に尋ねてみたんだけど、特に希望はない、というか誰が誰だかよくわからないとの返答。彼氏は常日頃からショタ同人ストライクだと主張しているあたりを踏まえて、東方projectで数少ない性別不詳キャラクターであるところのリグル・ナイトバグサジェストしてみたけれど、食いつきがあまり宜しくない。「伊東ライフリグル巨乳」だという点だけは把握しているので、若干あちらの趣味からズレる気もする。いやでもショタ声ならそっちがいいのか?

そんな感じでぱらぱら読んで、何となく(むしろ自分趣味で)「カノジョになったこ○しちゃん」をチョイス。
 古明地こ○しちゃん。わかる人にはわかると思うんで、わからない人は適宜調べると良い。

「○○君ってなってるとこどうする?××君でいってみる?」
 訊いてみる。名前を入れてね、的なアレだと思われる。
 彼氏からは、俺に新たな業を背負わせないでくれ、これ以上は耐え切れない、との返答。
 ここまでやっといて、業を背負うも何も。

時に伊東ライフ、話の種にサラっと読んだことしかなかったのだけれど、いまさらながら感銘を受けたので感想を書いておく。
 こいしちゃんのエッチな子でごめんねってすごい良いですね。こいしちゃんという子がよくわかっている。あと、この子俯瞰の構図で肩を出させるのもよくわかっていらっしゃるかわいいこいしちゃんかわいい。上目づかい可愛い自分可愛いってわかってるモーション可愛いこいしちゃんのトロ顔がめたくた可愛い。この作家さんのポテンシャルを把握しきれていなかったようだ。これは使える。どこに向かって謝ればいいのかよくわからないけど音読しながら土下座したい気持ちになったことは書いておきたい。これは良いものだ。
 あと、伊東ライフ同人作品を読む度に思うんだけど、どの子でも射精終盤で「まだまだ出せるだろ?」的フレーズを入れてくるの、あれは男性的に良い(性的な意味で)んスかね。辛そうだ……と思ってしまう。以前、あるひとが「彼女たちは精液を搾り取る厳しさ激しさと底なし包容力を併せ持つ地母神なのだ」みたいなことを書いてたのを読んだ記憶があるんだけど。や、言うのはちょっと楽しそうだなと思ってしまうんだけれどそこまで積極的にはなれねーなというのも無くはない。

同人誌への個人的感想はさておき、ところどころ地に戻りつつ(恥ずかしすぎて我慢できなかった)、
 喘いでるところは適当にスっ飛ばしながら数ページほど読む。
はい、こんなんでよいでしょうか」
 沈黙。へんじがない。しかばねのようだ。
しばらくしてから「素晴らしかった」的な返答が返ってくる。

続けて、なんか二言三言うまいことを言ってはったような記憶があるんだけど、それより気になったポイントとしては、
(この短時間で抜いたのかこいつ…)
 っていう。あの沈黙中に抜いてたんだろうか。実際どうなんだ。
 そのへん、男性生理ってよくわからないので地味に気になる。

いやーよかったよかった本当に良かった、と満足げな感想と大絶賛をfacebookメッセンジャー向こうに聞きつつ就寝した。
 これはこれでバカップルだと思う。心底馬鹿だと思う。
 つきあってて思うのは、こういうエロマンガみたいな話って実際にあるんだな、ということだ。二人ともいい歳だけれど、人生にこんな予定なかった。
 あちらさんも同様だろう、たぶん。

2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150905015228

最初アイヌ人の羆神のような擬人化された動物が出るんだろう。

毎年食べられてくれてありがとう、と動物感謝する習慣から果樹神が生まれて、

果樹を育てる天空神地母神も出てくる。

そんな感じだと思う。

2015-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20150612021345

論点がずれてるな。

俺が言っているのは、ヒトは出産にかかわる個体のほうがマジョリティであり、

その意味元増田の「繁殖しない個体エラーである」は間違っているわけではない、ということ。

ヒトは数産めないというけれど、少産少死の現代次世代へのリソース配分が原因の主で、

本来生物としては、産める人はバンバン産める。古代豊満健康体の地母神崇拝もあったし、

事実多産多死だったわけで、どこぞの16世紀18世紀とか子供10人とか普通だったわけで

1つがいから10人ってのは、人間社会では多いほうでも生物としては決して多いとは言えないよ。

人間ウミガメみたいに一回で100以上のタマゴを産めるならば、

人間社会は産む1%の人間100人以上産んで、残り99人は出産しない。つまり産まない個体エラーではない」

ということがあり得るかもしれないけど、我々の常識から考えて、それはあり得ない。

おそらく人間はその大半がつがい形成し、おそらく2~8人程度子供を生んできたわけじゃん。

そのマジョリティ層を「正常」とするならば、繁殖しない個体を「エラー」と呼ぶことに無理はないだろうという話。

2013-05-18

惡の華についての戯言

 アニメ原作絵と違って気持ち悪いと評判の惡の華1話を見て興味を持ち、ネットであらすじを探って、原作本を全巻購入し、幾度と無く読み返してもまだ飽き足らない。子どもじみた中学生らしい登場人物が、思春期特有の心理状況を抱えながら、自己を萌芽させ、徐々に顔つきも大人びてくる。当初はギャグテイストの悩みや災難も、次第に力を帯び、心をえぐり、魂をすりつぶすほどの痛みになる。登場人物は傷つきながらも正気を失わず自分の心が発するの声にしっかりと耳を傾け、美しくも悲しい物語を紡いでいく。マンガアニメの主要な購買層が求めている作品ではない。思春期で思い悩む少年少女とってのバイブル恋愛社会との関わりの中でひどく傷を負い、いまも人知れぬ痛みを抱える人々にとっては、癒し物語となるだろう。

高校生編はまだ途上なので評価は避けたい。蛇足にならないよう願いたい。常盤さんと付き合うことになったが、仲村さんが登場するならば春日には破滅しかない。常盤さんという人物が、高校生となりある程度社会性を身につけた仲村さんとしての役割を担うならば、仲村さんは永遠に登場してこないだろう。

 中学生編は、3巻の峠を境に前半と後半に分かれる。前半は主人公が、あこがれの娘の体操着という、無意識の海に落とし込んだ財宝とも言うべきものを盗むことから始まる。思春期は幼い子供だった時代と別れ、自我覚醒する時期。親や学校、友人らと同一の存在であり、他とは異なる自分というものがなかった幼い自分に別れを告げる時期。未知の財宝を奪うという行為は、通常の意識よりも深いレベル無意識から発せられる。さらに、住み慣れた世界から自己を引きはがす未知のモンスターが登場。深淵からの使者、仲村佐和秘密を握られ、否応なしに「自己覚醒」へと突き動かされる。すべての出来事は現実と同じく、良い結果と悪い結果の両方をもたらす。そして自己表現とは属する社会道徳とは相反するものになる。すべての結末は死、解体別離。カミソリの刃先のような危険で細い一本道を命がけで渡る春日の姿は、一種の英雄譚のようだ。

自己表現すなわち仲村の呼ぶ「変態」が本作のテーマか。分かりもしないボードレールをこれみよがしに見せつけて俺は他の奴らとは違うんだと悦に入る気持ち悪いネクラうじうじ男、春日。彼が未知から召喚に応じ、キリスト受難のような試練を受ける。思わずあこがれの佐伯体操着を盗み、思わず嫌われ者仲村をかばい、思わず佐伯デートに誘って思わず告白する。仲村に本当の自分を黒板に書けと言われ、一度は断るものの、仲村が溜め込んできた周りの世界への鬱憤を知り、さよならを告げる仲村を思わず引き止める。自身のカミングアウトだけでなく、芸術作品のように自分存在の全て教室にぶちまけて仲村の言う「クソムシの海」を創り上げる。完全なる自己覚醒は住み慣れた世界との別れ。仲村とともに「向こう側」を目指すも、愛すべき社会体現した佐伯が立ちはだかる。唾棄すべきもの社会から忌み嫌われるものだったはずの「ありのまま自分」が佐伯から受け入れられ涙を流す。だが、一人で「向こう側」に向かおうとする仲村を思わず引き止める。引き止めたことに驚いたのは春日自身。言葉が出てこない。行くか戻るか2人から選択を迫られ引き裂かれる春日普通に佐伯と「付き合う」ことができず、仲村の求める「変態」にもなれない、自分空っぽであまりにも無力な存在であることを思い知らされる。

後半も「変態行為自己表現だが、その行為には一切の欲望や情念は込められていない。愛の表現のものだ。愛は自己表現であり、社会価値観とは反するもの。峠の心理状態のまま時間が止まり、仲村にも佐伯にも歩み寄れない春日。3者は峠の出来事で自分存在をズタズタに引き裂かれている。社会性の権化だった佐伯親友木下に付き添われることで辛うじて社会生活を送り続ける。春日と仲村は以前にもまして社会とは関係を持てない。木下佐伯春日関係修復を試みる。互いに相手から好きだと言われたいとの思いはあるものの、これ以上傷つきたくないというのが本音だ。もう引き裂かれる痛みに耐えられない。双方とも無表情を装い、相手を拒絶する言葉を放つ。佐伯と別れ、残るは干からびて死んでいくだけの日々。夢のなかで、それまで気づいていなかった仲村へのいとおしさに気づく。仲村への気持ち以外の他の全ては意味のない空虚存在自分の「向こう側」は仲村の中にある。仲村を笑わせるためならば、社会自分自身さえも捨ててしまおう。愛の巣そのもの秘密基地を作り、佐伯を除くクラス女子全員のパンツを盗む。変態行為は仲村への愛のメッセージであるとともに、佐伯には決別のメッセージ佐伯への決別の決意を知った仲村はようやく春日の思いを受け入れ、世界で2人にしかからない特別な関係、すなわち「契約」を結ぶ。

 一方、決別のメッセージを受け取った佐伯は、自分の抑えこんできた欲望、自分のものの萌芽を迎える。社会性の象徴である木下を伴いながら、春日と仲村が創りだす2人だけの世界を探求する。それは木下にとってはただ変態犯罪者の異様な空間。だが、佐伯にとって、自分には絶対にたどり着けなかった世界嫉妬と羨望と欲望の対象、世界の求める姿を演じることなく自分の好きなことを自分の思いで自ら創造する世界彼女の求めたすべてがあった。悪行を社会に知らしめることは、春日と仲村の2人だけの絆をさらに深いものにしてしまうだけ。木下と決別し、麦わら帽子と共に自らの演じてきた仮面を脱ぎ捨てる。春日が仲村のために創り上げた世界を燃やし尽くし、春日セックスで取り込むことで仲村から奪い、自分のものにするという欲望をさらけだすも、春日に拒絶され、仲村との対決にも敗北する。

 仲村は勝利したものの深い傷を負う。後半の仲村は未知のモンスターではない。攻撃的な性質は持ち続けているものの、春日を受け入れるまでは、いばらに閉ざされた眠りの森の美女。春日を受け入れてからは愛の対象者として存在する。変態行為を求めることはない。ただ自分を喜ばせるためだけに、他のすべてを捨てて一生懸命になってくれる男の子春日存在を嬉しく思う一人の女の子だ。2人の間に割り込んできた佐伯存在により、自分春日関係は誰からも祝福されないもの自分存在は周りを不幸にするだけのものだと思い知らされる。行き着く先は死か破滅しかない。だけど私は死にたくない。

 春日の隠し事が徐々に露見し外出禁止となる。春日を閉じ込める家は地母神の胎内そのもの放火懺悔を決意した佐伯春日の元を訪れ、2人で罪を告白し元の世界で生きる道を提示する。佐伯に心を引かれそうになるが、仲村を信じ想い続け、佐伯を拒絶する春日。行き着く先は破滅のみだと分かりつつも。佐伯自白とともに、佐伯の分身とも言える木下の手で、すべての出来事が世界に露見される。誰一人幸せにできなかった。何一つできなかった春日。閉じ込められた檻を力づくで破壊し、閉塞した社会の胎内から春日を引きずり出したのは仲村だった。社会から拒絶されるならば、社会のものを拒絶し、春日を殺し、自ら死ぬ覚悟をしていた。仲村にとって、自分の知らない自分を引き出してくれたのはいつでも春日自己表現の爆発だった。春日がかぶっている皮を一枚一枚はがす度に、仲村は自分自身を発見していた。運命夏祭り明日。すべてが終わるのは明日。もう時間がない。向こう側を、自分自身を見つけなければ。全裸にし、皮膚をめくっても出てこない。バット脳みそを叩き割れば出てくるのか。殺す気だった。だが、できなかった。私は春日くんを失いたくない。刺のある言葉を周囲に発して、無関心無表情を装って、硬い殻で閉じ込めて、ずっと守ってきた本当の自分、見たくなかった裸の自分自身。弱々しくて、壊れそうで、大嫌いな自分世界クソムシじゃない。私がクソムシ。私がいるから、こんなにも世界は生きづらくて苦しい。決して消えることのない自分ありのままの姿をさらけ出した仲村を春日は魂の咆哮とともに抱きしめる。2人は心中することで、周りの世界のすべてを拒絶し、魂の永遠なる結合を図る。夏祭り、2人は世界に向けてありのまま自己、この世に生きた自分という存在のものを叫ぶ。仲村は春日を愛していた。そして愛する春日が、両親や佐伯社会から愛されるべき存在であることも知っていた。世界から拒絶され、孤独深淵で苦しむのは私一人でいい。あなたは生きて。春日を突き飛ばし、一人で死へと突き進む。だが、その仲村自身も世界から愛されるべき存在。死から拒絶され、2人、いや佐伯を含む3人は、桐生市という地母神の胎内から外の世界へ排出される。そこで中学生編は終わり。

主人公春日くんの心理描写はあるものの、仲村や佐伯についてはどのような心理状態でいるのかあまり描写がない。だが、2人とも自分しかからない悩みを抱え、自分の信念に基づいて行動している。物語の都合や作者の都合で動かされる人物ではなく、自らの意志で動く生きた人間だ。春日自分の心の奥底に秘めた何かを求めてしまった2人の少女が作者の意図範疇を超えて動きまわる。自らの意思で動く登場人物が自然と創り上げてしまった物語惡の華中学生編ではないか。仲村が、佐伯がどんな気持ちを抱えてその場にいたのか、想像を膨らませながら読むと深い、深すぎる物語。まるで恋人の心を探るような、自分を拒絶した異性の心を探るような、そんな作業にも感じられる。

面白いおもしろすぎる物語エンターテイメントではない。現実の人々は、自分自身との関わり、愛すべき存在との関わり、社会との関わりの中で、必ず傷つき、苦しむ。この物語は生きる糧となる物語。魂に必要食べ物。癒えることのない痛みを和らげる物語。閉じ込めて見ないようにしていた心の古傷を思い出させ、生きる歓びに涙を流させる物語世界は悪意と欲望で満たされている。常に腐敗し悪臭を放ち続けている。自分自身も、かつては不滅の存在に思えていた社会のものも、実は有限で不完全な存在に過ぎない。すべての欲望、情念、怒り、迷妄を捨て去った後、哀れみの心が生まれる。法隆寺、玉虫厨子の捨身飼虎の図で描かれるように、愛する人のため、社会のため、神に捧げる供物のように我が身を捧げることで、初めて完全無欠、永遠存在を感じることができる。世界の中心はここにある。永遠は今この瞬間にある。神は常にあなたとともにある。

2013-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20130403172958

住吉さんの豊穣祭って踏歌神事ってやつかな?

中国の唐から伝わった宮廷行事」らしいけど? これを古神道日本独自の文化と捉えていいものだろうか。

またある一部の神社処女信仰があったとしても、日本全体、全ての神社で共通の認識があったとは言えないよね。あくまでも「一部にはそういう信仰もあった」というレベルじゃない?

男根神、女淫神に仏教、というか密教さらに遡ればヒンドゥー教の影響があったことは想像にかたくないけど、全ての男根女淫信仰がそれに由来してるというのも乱暴じゃないかな。土偶などを見れば、かなり昔から地母神信仰があったことは想像できる。

あと脱線だけど、神事衣装や舞の白拍子が、その後遊女のものになった、ってのは皮肉は話だね。

2012-07-15

アニミズム信仰

日本生殖器崇拝は男根の方が多いらしい。生殖器にの形を模した造形物に、多産、豊穣をもたらす呪術的な力を認めて、崇め奉るのだそうだ。

愛知県小牧市にある田縣神社で毎年催されている豊年祭など、その最たるものだろう。男根神輿で担いで通りを練り歩く姿は、日本人であっても衝撃的な光景に映るに違いない。

まあ、そんなことはどうでもいい。男根の形をした飴を女の子がねぶっている画像とか、思うところはあるけれどそういう文化と捉えてしまえば受け入れられるものだと思う。

疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。

地母神の描写が世界各国の神話に現れているように、古来人は生命を肉体から生み出す女性性に、多産、肥沃、豊穣といった大地の母としての信仰をあてていた。

全然知識が足りないからもう気取って書くのは止めよう。

疑問は簡素で、どうして男根信仰が多いのかってことに尽きるんだよね。女陰信仰もあるにはあるみたいだけど、そんなに見聞きしたことがないし。

なんでなんだろうって思うわけで。日本で言えば、汚れの思想が理由に当たるのかしらんとは想像するのだけれど、まあわからないわな。

そもそも汚れなる思想が難しいし。なぜ血が汚れにあたるのか。血っていうのは、人間的な範疇に捉えられてしまうからなのかしらん。超越者に、血は似合わないからなのかしらん。

何にしろ、昔らから人ってばギャップが大好きだったんだなあって思う。矛盾なきギャップを有したキャラクターは、羨望の的だったのかもしれないなあ。嫉妬の間違いかな。

なんか面倒になってきた。やめる。

2010-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20100808184839

またその話題かw

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/1125000544.php

とりあえずこれでもよんどけ。

で、自分処女だが、処女厨だけはおことわりだし、そのためにそろそろ処女捨てたい気持ちもマジだ。

なぜなら収入は減ると困るが、処女じゃなくなっても何も困らないから。

さっきの地母神エントリーの流れじゃないが、処女じゃなくなることに、女が大きな影響を受けるはず、困るはず、って処女厨典型的幻想なんだよなぁ。

何も困らないし何も変わらないよ。

処女厨がよってこなくなるという、利点があるくらいで。

処女厨って、処女が嫌いなんじゃなかろうか

逆説的だが。

理由は、日本母権社会だから。

そもそも父権社会が生まれる前の、母権社会における処女というのは、今みたいな清らで優しいなイメージとはほど遠いものだったようだ。

処女神は地母神の対義的存在であり、まぁ端的に言えば、流血と死を好む、闘争的でヒステリック存在だ。

例えば偶然迷い込んで自分の裸を見ただけの男を、残酷な手口で殺す女神アルテミスだとか、

血と死にまみれた道を自分の領分として、平気で歩き進む娘だけが、処女神のよりしろとして選ばれるクマリだとか。

荒ぶる御霊のご機嫌をとって、味方に付けるというアニミズムの発想から、彼女たちは崇拝されるのだが、基本的にはとても残虐な、あらゆる男を自らの処女性を犯す穢れとして殺害しかねない存在。それが処女神だ。

これ、処女厨が忌み嫌い、思い描いているらしい「フェミニスト」の絵にぴったり嵌る。

で、彼女たちを優しく穏やかで、男達を包み込み、育む豊かな存在である「地母神」にする手段があると、昔の人々は信じた。

それが最初セックスだ。

処女セックスすることは、荒ぶる神である処女の怒りを買うことだから、彼女たちに対抗できる呪力が強い、呪い師や長みたいな人が、村の処女と一度セックスして、それから他の男とセックスしてもイイコトになる、みたいな風習もそこかしこにあったらしい。

要は、もう男を受け入れて、優しくしてくれる地母神になったので、セックスしても祟り殺されないよ、ということだ。

これが男根崇拝にも繋がるのだろう。すなわち男根には、女神達をコントロールできる呪力があるという信仰だ。

ところが現実の女はそうはいかない。

女にとっては最初セックスなど、他のセックスと同等以上の価値はない。別に特別でも何でもないという。

男根には、女をコントロールできる呪術など何も備わっておらず、ただの生殖器にすぎないのが現実だ。

セックスしてもセックスしても、地母神にはならず、処女性を失わない現実の女が、多分処女厨は恐ろしいのだ。

なぜなら、セックスに女を母に変える呪力がないことを、すなわち「自分だけを愛してくれるお母さん」を新たに獲得する術などないという事実をつきつけてくるからだ。

さらに不公平感も誘発する。

女の子宮は生命コントロールする力を持ち、男の男根はその女をコントロールする力がある、という幻想が、「男も女も生命の営み、流れに影響する呪力がある」という幻想の源だった。

だが、実際に男根に呪力がない現実がつきつけられているにもかかわらず、「女の子宮は生命コントロールする権限」だという幻想は、未だ効力を失っていない。

人工精子は作れても人工卵子は未だ作れないし、人工子宮は未だ夢のまた夢だ。

昨今は病院出産するため、嬰児殺しは簡単に出来ないし、そもそもそうしたいのなら堕胎するのが普通だが、その気になれば女は一人で産んで、その子供を捨てることも、完全に不可能ではない。すなわち、確実に出産に立ち会えるという保証から、生まれてくるべき生命とそうでない生命を決める原初からの権限を、未だ女達は失ってはいない。

母権社会であった日本では、生まれてくる赤子を育てるか否かの決定は、出産儀式のうちに組み込まれており、当然その判断は母親や義母などの、出産儀式に参加する女達で決められた)

少なくとも処女厨たちはそう思っているのではないだろうか。

2007-05-15

Re: http://anond.hatelabo.jp/20070515111347

マリア信仰はそもそも土着の地母神信仰キリスト教が吸収して生まれたものだからな。

そういう意味では「別の神に由来する」のかもしれん。

しかしマリア様に祈って神に祈らない、という状況はありえんだろ。

 
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