はてなキーワード: キツネとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
二日酔いや花粉症、健康診断といった体調に関する話題が多く、食事ではキツネどん兵衛、ラーメン、チョコレート、焼肉など、各種グルメや外食の情報交換が行われました。自転車のメンテナンスや洗濯機の調子、天候に関する話題もありました。
ブレイキン大会やパーカッションの公演についての感想、ニュースでの男女選手の扱いへの批判など、スポーツやライブパフォーマンスに関する意見が交わされました。また、バレンタインにまつわるチョコや食べ物の話題も盛り上がりました。
仕事の変化、起業、情報商材、保育士や公務員の労働環境、大学の学費・奨学金に関する議論が展開され、現代の働き方や経済状況への考察が見受けられました。さらに、市議会議員選挙や衆議院選挙、政治家に関する意見、家庭制度や日本会議など、社会や政治に関する深い議論もありました。
SNSマーケティングの難しさ、企業アカウントの運用問題、広告やコンテンツ制作についての意見交換が行われ、SNSが持つ影響力や課題が共有されました。また、AIの進化、NFTやDAOなどの最新技術についての情報や意見も飛び交いました。
洗濯機の故障、新潟の特産品、JR西日本の乗り放題パス、転売や万引きの話題、さらには未来の技術やユーモアを交えた冗談など、多岐にわたる日常の出来事やニュースも取り上げられました。
全体として、日常生活の細かい出来事から、最新のテクノロジー、政治・社会問題、エンターテインメントまで、非常に多様なテーマが活発に議論され、各メンバーの興味・関心の幅広さが感じられる1週間となりました。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
何か男と女がいつもの通り争ってるらしいよぐらいの知識量で動画見てきた感想を書いていく
・話題になるぐらいだから強いて上げるなら音立ててするるな、飲むなってあたりかなあ。昔おちゃづけでも言われてたよな
って感じ
根拠が
頬赤らめない
涙ぐまない
髪の毛掻きあげない
が主要な意見か
・頬赤い
→ 寒そうな雰囲気だし、温かいカップ麺食ったら頬赤くなるのは別に変な表現じゃなくね
・涙ぐまない
→ テレビの影響じゃん。まあ食べ物のシーンにいる表現かどうかは不明だが、性的にはみじんも感じない
・髪の毛掻きあげない
→ これも涙と一緒。食べるときに行う普通の動作だが、今回必要かどうかで言うと微妙。性的にはみじんも感じない
・おいしい食べ物の表現の方法として適切かどうかの判断は難しい
・作者や会社側の本当の意味は分からないが話題になればそれで成功的に思えなくはない
・少し前にみたどんべいだっけ?女性キツネにしてた方があざとくて駄目じゃねって思ったけど、当時全然叩かれてなかったように思う(増田が知らないだけかもしれないけど今ほどじゃないよね)
・少数派でも声を上げれば今回のように問題になる
バッドガイズのような謎リアリティライン(食物連鎖、大丈夫そ?)と
予想通りの画面が展開されているというのが4,5回あり
あれ、友達ゆうてましたけど実質内縁の夫みたいなもんじゃないですか?
オスメスにわかれがちな有機生命体との違いポイントと思ってたけど
しれっと「母」自称するしケア業務=女性という紐付けではないですか?
・鳥が可愛くねえ
そもそもちいこきよちよち舌っ足らずこども声優のバード可愛い🩷という
感性をもってねえからFLYの末っ子鳥思い出しつつ「ハイハイ可愛いっすね〜」してた
でも首筋に鳥さんが擦り寄って身を預けてくれる時の温もりの尊さと
感動はわかるのでそこはわかる…ってなった
胸熱ではあるが見飽きた感と見飽きるほどフィクションに存在するのに
現実では滅多に起こり得ないということを実感して逆に虚しくなるので
結局は普通がナンバーワンなんや…みんなと違うからこそいいだなんて
優しい嘘なんや…
・アニメーションはさすがすぎた
ロズのモーション(腕を軸鉄棒の容量で下半身をぶん回すとか)が
動物の身体の動きの流れがすごい実物を観察して作られてるんだなあ
という感じがしたしすごかった
・やっぱアニメとしてはバッドガイズのビジュでいく方がええなあ
と思った やたらリアルさにこだわるんじゃなくてリアルにする部分と
カートゥーンみたく表現する部分をリミックスするスパイダーバースから
バッドガイズの流れのあの流れで行くで決定なんやね…!いいと思う〜!ってなった
めちゃくちゃ刺さりそ〜〜ってなった
追記:言っとくが該当動画では一回も噛まれてないからな。なんなら迷い犬のシーズーすら射殺してたり、私有地に勝手に入ってきて勝手に射殺してる。適当言ってんじゃねーぞ。
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アメリカの警察は犬に襲われたと思うとすぐ撃つらしい、度々問題になっているとのこと
・向かってこられたら撃たれて当然
・飼い主が悪い
全体の1/3くらいかな?こういう主張だった
これYoutubeだからこうなのか?ネット民の頭の悪さにはたまにびっくりするんだが
こういう人らって女性が襲われたら襲われた女性が悪いとか言い出しそうだよな
どういう思考回路なんだろう?
腹が立ったのでpuppycideについて調べた
・アメリカでのみ警察による犬殺し(puppycide:子犬殺し)が発生している
・他国ではほぼ発生していない、もちろん日本でも発生していない
・アメリカの狂犬病は現在「犬以外からのもの」の感染が主であり、犬=狂犬病のイメージはあまりない(犬については2004年に撲滅)
・そもそも英語で狂犬病はRabiesであり、現在は犬というよりアライグマ・コウモリ・スカンク・キツネ・コヨーテのイメージが一般的
・狂犬病が根絶されていない地域かつ銃社会の国(カナダ・ロシア・トルコ・メキシコ・ブラジル・インドネシア)ですら、puppycideは発生していない
考えられる原因(ChatGPT)
・アメリカの警察官の発砲に対する心理的ハードルの低さがある、他国は制圧が主だが、アメリカはすぐ撃つ、じゃないと撃たれるから
・犬への対処法の訓練が甘い
・庭が広いため、犬が放し飼いの傾向がある、日本やヨーロッパでは室内飼いが多い
・アメリカでは番犬・ガードドッグとして犬を買う文化がある、攻撃的な犬が多い(ただし小型犬に対してもpuppycideは行われている)
まとめとしては
アメリカ警察はまじ狂ってるし世紀末に生きてる、それはしょうがない
「狂犬病があるからしょうがない」とか言ってる奴はただの無知、一番恥ずかしい
「飼い主が悪い」の主張は、名前なんていうのこういうの?被害者非難?怖いから直して欲しい
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https://www.youtube.com/watch?v=lB5NIT9rJxk
たまにびっくりするコメント欄ってあるよな
まあはてなでもびっくりするブコメ一覧もあるから、自分が世間とズレてる可能性も全然あるんだけど
でもそういうのを知り合いに聞いてみるとズレてるのがブコメってこともあるからムズいんだよね
Youtubeコメント欄って見てるそうを考えるとはてなや2chよりもリアルに近そうではあるが、ネット民特有の思考もあるからちょっとズレてるんだろうか
TikTokのコメント欄はキッズ中心で治安が悪い印象、会話が成立しない
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年間3000件とか15000件みたいな話あるけど
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最終的にはてなで警察支持者は1.5〜2.5割くらいかなあ、数えてないけど
Youtubeは今2〜3割くらい?
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:そば。おにぎり。夜:キツネワカメうどん。目玉焼き。人参とギョニソと玉ねぎとエノキのスープ。キュウリ。りんご。ヨーグルト。間食:ポテチ。たべっ子どうぶつ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、ため息多め。
火マグナ終末を220にした。
○ポケットモンスター銀(あくタイプ旅)
・超巡
エロガキ回。
名実共にエッチでスケベば回だが、婦警さん、JK、ロボときて女装青年男性が一番エッチなのは流石の画力。
・ひまてん
3人目回の後編。
筆がノリノリなのが伝わってきて面白い。特にジェットコースターで角度がついたおっぱいが素晴らしかった。
・しのびごと
新ヒロインと設定の開示回。
新ヒロインは男前のイケメン女子! 異性装はしたりしなかったりなのかな、女子の制服も似合うンゴね。ジャンプ好き!
・逃げ若
あとつぎの話。
男の部下たちもちゃんと抱いてあげて欲しい。
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?
あるうどん屋に4歳の娘と行った時の話。
その店にはLINEオーダーが導入されていてスマホでオーダーするとテーブルに運ばれてくるシステム。
メニューの選択後オプションで麺の大盛り子盛りのオプションはあるのだけどそこにネギ抜きのオプションが無い。
なのでバイトっぽい子に口頭で子供のキツネうどんをネギ抜きにしてくれませんか?と直接お願いをすると「すみません、それは出来ないんです。ネギ用の取り皿をお付けするので皆さん自分ですくい取って頂いてるんです」と言われてしまう。
え?そうなんですか、、と一度はひいたのだけど、え?ネギを自分で取る?いや、そこの見えてる厨房でこれから調理するんだよね?と猛烈に気になってしまい今後は別の店長っぽい人に「すみません、うどんのネギ抜きって出来ないんですかね?」ってもう一度同じお願いをする。
すると店長っぽい人から「それは出来ないんです。取り皿つけるんでネギは自分で取ってください」と同じ回答を頂いてしまう。
先のバイトさんとのやり取りを見てたのかもしれないが、自分はもう納得出来ないモードなので、何で出来ないんですかね?ネギを多く入れてって言ってる訳じゃなくって、入れないでとお願いしてるのですが難しいですかね?と伝えると
「いや、プロセス的に無理なんです」と今度はイラッとした感じで言われる。
うん?ネギってそこのキッチンで調理の過程で入れてるんですよね?ネギが入ったものをまとめて下準備してるのななら分かるんですが最後にネギ入れるのをやめてくれるだけでいいんですがそれが出来ないんですか?と言うと、
「プロセス的に無理です、あと忙しいので厨房に伝えられないです」と今度はキレる寸前5秒前みたいな顔で言われてしまう。
座席は半分ぐらいしか埋まっておらず厨房に4人、ホールに2人とそこまで忙しいようには見えない店内。
うどんの量を一つずつ変えることはできるのにネギ抜きが出来ない?今入ったネギを自分で取る?プロセスってLINEオーダーのこと?混乱する自分。
この人には話が通じない、何を言ってもダメだと悟り帰ろうかと思ったのだけれど、娘が我慢ができないほどお腹が空いてたのでそのままオーダーすることに。
いやもういいです、ネギ入れるプロセスにしといてください、と嫌味を添えて伝える。
10分後に到着したネギ入りのキツネうどんにはそれをすくう為の取り皿とスプーンが添えられていた。
ネギを取り皿にすくいながら周りのお客さんから自分はクレーマーに見えてたのかな?自分っておかしい?と頭を抱えながら食べていたら隣の同じく子連れの男性が声をかけてくれる。
「いや、今の絶対意味わからないですよね?笑」と助け舟を出してくれその後少し会話が広がり気持ちが落ち着いた。
レギュレーション通りにしか動けない仕事を強要されてる人はそれで辛いのではと想像したが、ネギ抜きは1日に何度かは言われると思うのでそこを改善することに興味が無い、疑問を持たないタイプの人にはロボット人間状態が楽なのかもしれないとも思った。
1996年に廃止された優生保護法では、ストレスで後天性の筋緊張症になった場合も禁治産(心神喪失者)として不妊手術の対象になる可能性があったし、家事審判法の禁治産の宣告手続は、2011年まであったし、それに比べれば、非公式の決めつけなど気にする必要はないんだよね
ただ、そういう法律情報を持って、家族に決めつけられるとキツイ(お前は障害者、的な発言)
私の父親は博士号を持って仕事もちゃんとしていたが、母や弟から障害者扱いされていた(書類の片付けが下手だ、出世しないとかで)
暴言も傷害罪になればいいのにと思うが、どうしてか司法では犯罪者(資産家)の保護が大事だから、因果関係がウンタラカンタラ、先天性の疾患の可能性もあるなどといって、暴言による傷害など一切認めないだろう
かくして保険会社も、保険請求者に嫌がらせ三昧をするわけで、保険弁護士は「当事者ではない保険会社に損害拡大防止義務はない」と言い放つ