はてなキーワード: タラとは
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
1840年出版のパガニーニによる超絶技巧練習曲の改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。
40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。
(追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
(再追記)ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM)配信もあるのかな。
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
どれくらいブスかというと子どもの頃から散々な目に遭った日は数知れず…
幼稚園や小学校の頃虐げられまくっていたのは言うまでもなく(小さい子どもって残酷ですね)、周りもまあまあ成熟してきているはずの中学生になっても「こんなにブスなやつ見たことない」と言われたり、後ろの席の男子に椅子を蹴られまくり、椅子と机との間に挟まって苦しくて悔しくてその場で涙がこぼれたこともありました。
心機一転、高校は女子高だったから天国だった…とはならず、卒業式の日にクラスのイケてる子数名から「美優(仮名)はほんまに面白かった!ブスやけど笑」としっかりトドメを刺される始末。
ただ、吹奏楽部だったこともあり、穏やかで優しい友達にも恵まれ、テスト明けにいつも数名のグループでお買い物やカラオケに行って楽しかった思い出もたくさんあります。
(吹奏楽部は気が強い子もいるけど、純粋に楽器や音楽が好きな子も多いので)
問題はそのグループの中に、めっちゃくちゃ上品でいい子なんだけど「この人私のことバカにしてない…?」と思うことがある子が一人いて、ここでは愛理ちゃんと仮に呼ばせてもらいます。
愛理ちゃんは才女で、他の生徒からも先生からもおぼえがめでたいような子でした。話したら大人しいのに会話に機転を感じてすごく面白くて、実際同性だけでなく異性からもひそかに人気だったことは知っています。
ただ、私に対する態度が「ん…?」となった最初の出来事は、高校時代、周囲が恋バナで盛り上がってたとき空気と化していた私に、「美優は外国人からモテそうかも~」と言ってきたことでした。
正直全く恋愛しそう(できそう)にない私がその場で半透明になっていたのを見かねて振ってくれたのかもしれないけど、暗に普通のその辺の日本人からは相手にされないってことか?と、勘ぐって地味に傷ついたのがこの卑屈ブスでした(周りの「あ~…」って反応が紙やすりのようにブスのハートを包み込んだのもある)。
そして時は流れ十年、結婚したのをひっそりLINEのプロフィール画像で公開していた私に、愛理ちゃんから「おめでとう!」のメッセージが。
(アイコンの後ろに設定できる画像を、ウエディングドレス姿のシルバニアのペルシャ猫ちゃんと婚約指輪の写真に変えていた)
同窓会が近づいて見返してたら見つけたらしいんだけど、会話の流れで「びっくりした!」とのこと。
まあ確かに近況報告なしで突然誰かが結婚してたら驚かないことはないかもしれないけど、愛理ちゃんが結婚したと聞いて「びっくり!」なんて言うやついないんだろうな……と思ったのがトリガーで、学生時代の思い出が無駄に鮮明に蘇った。
高校時代、書店で女性ファッション誌を見て「メイクはもとがカワイイ人がやるから意味を成すんだよねえ…見た目磨くことなんかより勉強して長所つくらなきゃね」と言ったこととか。
自分の中で、書店の発言は赤本買いに行った日だったから単に勉強しなきゃという意味なのではと思おうとしたり、いやブスいじりされまくってる私の前でわざわざ言わないでよと感じてしまったり。
蹴り事件のときも、愛理ちゃんが男子を止める義理はないし愛理ちゃんだって怖かっただろうし、でも尊敬されてて発言力ある友達に間に入ってもらえたらどんなに助かったことだろうか…とタラレバを妄想したり。
矛盾した気持ちをぐるぐる回ってしまいつつ、卑屈になってはいかん!と、一応自分に都合のいい解釈の方を信じるようにしてるけど。
あ~やっぱブスってつらいねー。
今日は金曜ロードショーでディズニーの「モアナと伝説の海」が放送される。
これは南太平洋の神話をモチーフにした作品であると同時に、「モアナを主人公とした神話」が生まれるまでの物語でもある。
というのも、今作は、かのスター・ウォーズが参考にしたことでお馴染み(?)のキャンベル神話論(ヒーローズ・ジャーニー)(正確には、それを作劇理論にアレンジしたヴォグラーの「キャンベルの12ステージ」)にかなり忠実に作られており、まさに1つの英雄神話と呼べるものだからだ。
ここでは、劇場公開当時にメモした、ヒーローズ・ジャーニー(キャンベルの12ステージ)と「モアナ」のあらすじの比較を再掲する。
当然ネタバレしかないので、未視聴の方は本編を見てから読んでほしい。
(はてな記法がうまく使えないので折りたためなくてすみません、薄目で見逃してください)
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→冒頭シーン。幼モアナは村でタラおばあちゃんから伝承を聴いている。
Stage 2:冒険への誘い。
Stage 3:英雄は、冒険に気乗りしない。もしくは、「冒険の拒絶」をする。
→モアナ自身は海に行きたがっているが、父に禁じられて冒険に行けない。また、プアと海に出るも失敗する。
→モアナはおばあちゃんに導かれ、村の過去を知る。そして村の危機を救うために旅立つようおばあちゃんに託される。
Stage 5:第一関門(第一の試練)を突破(門番の撃退)。「特別な世界」へと一歩踏み出す。
→モアナは高波(門番)を越え、珊瑚礁の内側から外洋(特別な世界)へと漕ぎ出す。
Stage 6:「特別な世界」で、「試練」「仲間」「敵対者」に次々と遭遇する。
→モアナは外洋で、舟の転覆などの「試練」、マウイという「仲間」、カカモラやタマトアなどの「敵対者」に遭遇する。
→モアナたちはテ・カァの元へたどり着くが敗北する。
Stage 8:「最大の試練(オーディール)」=「第二の関門」の突破。
→マウイはモアナの元を去り、モアナは自信を失い(第二の関門)一度はティ・フィティの心を海へ返す。おばあちゃんや先祖の霊(?)に励まされ、再び立ち向かう勇気を得る。
→モアナはテ・カァがティ・フィティ(帰路への鍵)であることに気づく。
Stage 11:「第三の関門」を通りぬけ、「復活」を経験する。
→モアナは海の道(第三の関門)を通ってテ・カァと対峙し、ティ・フィティの心を返す。するとテ・カァはティ・フィティとして復活し、マウイの釣り針とモアナの舟を直す。
Stage 12:「宝を持っての帰還」。日常世界へと帰着する。
→島の生命を蘇らせ航海技術も身につけた(宝)モアナは村に帰還し、次期村長としての日常へと戻る。
こうして見てみると、面白いほど当てはまっているように見える。上映当時「モアナはマジで『神話』だから」とツイートした覚えがある。
30歳になった年に、母は自ら命を絶った。
それまで、ずっと二人きりで生きてきた。
母はずっとそばにいてくるって何の疑いもなかった。
つもりだった。
だけど正直なところ、亡くなる最後の数年は、こういう最悪の事態が起こったらどうしよう…って怖かった。
ものすごく怖かった。だけど考えないようにしていた。
なんで病院連れて行かなかったの?って言われた。
責められた気持ちになった。
無理やり病院に行かせるなんてできなかったんだよ。
母の気分にはムラがあって
だけど私も非力だったから。
どうしたらいいのかもわからなくて
どう助けを求めたらいいのかもわからなくて
せめてもっとがむしゃらに働くべきだった。
家にいて母とぶつかってふさぎ込む時間、もっとお金を稼ぐことに使えばよかった。
そしたら何か変わったかもしれないのに。
全部タラレバなんだけど。
ひとりになると「今」だけで言うと経済的にはかなり余裕ができて。
できることの範囲が広がって。
やっぱりお金がないっていろんなことに制限をかけるんだなぁ…って改めて実感して。
そしたらなおさら、自分の稼ぎが少ないせいでお母さんを病ませてしまったのかなって
やっぱり自分のせいなんだなって
もっとやれることあったのにって
苦しくなる。
前に進めない。
失敗を糧に、なんて強くなれない。
だってもう何を頑張ってもお母さんの喜ぶ顔は見られない。
心を病んでいくお母さんとは年々ケンカばっかりになっていった。
酷い言葉を浴びせて浴びせられて、お互い傷つけあって。
色々忘れてしまっていた。
今思い返すと、自分の何を犠牲にしてでも私のこと大事に育ててくれたのに。
あれから数年たって
思い返されるのはお母さんと楽しく過ごした時間ばっかり。
いろいろ記憶が薄れてる。
脳が嫌な記憶を消そうとしてるのかな
どうやって一人で生きていけばいいんだろう
もういい歳だけど、もっとさらに年齢を重ねたとき自分はどんなふうに生きてるのかな。
こわい。
だけどこんな自分重たすぎると思う。無理だよね
でも本当は、母とのことも含めて私のことを受け入れてくれる人に出会いたい。
ひとりぼっち、辛すぎる。
別に日帰りで旅行イケてんなら良いんじゃね。てか書いてないけどぶっちゃけセックスしてんでしょ?
親との関係が悪化すると実際色々と不都合があるだろうから現時点では親ルールに従うほうが楽でしょ。
そんなことはぶっちゃけ些末な問題というか惚気か!て感じだけどさ。
今の彼氏さんと結婚を考えているのか知らんが、今のうちにそのご両親にとって結婚というものがどういう手続きでされることになっているのかを確認しておく方が良い。
ひょっとして
「結納金は当然200万円くらいは包んで来い」
みたいな感じだったりするんじゃね。
普段テキトーっぽいご両親でも結婚となるといきなり煩く言い出すパターンはけっこうあるあるだが、普段からそんな感じだと猶更色々言いそうだぞ。
いざ結婚しようと思ったら親ハードルがいきなり出てきて結婚相手から「もうええわ」とされないように、今のうちに親に聞いておけ。
波平「ふむ…『AIへの異常な信仰、距離感の誤り方』、なんとも厳しい論調ですな。どうも、AIについての理解が乏しい人々に警鐘を鳴らしているように見えますな。」
サザエ「お父さん、そういう人ってやっぱりいるのよね。AIを魔法みたいに扱って、何でも解決してくれるって信じちゃってる人とか。」
カツオ「それって、AIの話題に首を突っ込んでるくせに、中身を全然わかってないってことか?まるで僕が算数の宿題に悩むときみたいな感じだな!」
ワカメ「カツオお兄ちゃん、それはちょっと違うんじゃない?この文章、AIが全能だって思い込んでるのが問題だって言ってるみたい。」
タラオ「専門的なことに首を突っ込むのはいいですが~、わからないとむずかしいですぅ~。」
マスオ「確かに、AIについて誤解があると、どんなに便利な技術でも使い方を間違えちゃいますよねぇ。でも、頭が悪いから救いようがないなんて、ちょっと言いすぎじゃないかな?」
フネ「そうですよね、頭が良いとか悪いとかではなく、きちんと学ぶ姿勢が大切なんじゃないかしら。AIだって、学ばないと正しい距離感はつかめないものですよ。」
波平「むぅ…それもそうだな。AIを魔法のように信じるのは、ただの無知だ。だが、どんな知識にも入り口はある。わからないことを学び、知る努力を惜しまぬことが大事だよ。諸君、わしもまだまだ学び直すぞ!」
選挙行かなかった
忙しかったワケでもないし、入れたいのがいないからとかでもない、政治に無関心なワケでもないし、投票の重要性もわかっている。
でも、どうしたって自分の中の「諦め」と「無気力」が邪魔をするんだよ。
裏金がどうとか、汚職でナンタラ、問題発言とかもうどうだっていい。未来に希望を持つことを、もう純粋に諦めた。選挙に行く人は現状を変えたいと考えるから行くのか、維持したいから行くのか、普通に常識だから行くのか知らないが、少なくとも未来を考えて行動をしている。それはとても素晴らしいことで、そういう人が選挙行かない人間に強めの言葉を吐いても、ごもっともです、と言うしかない。でも、もう私は諦めてしまった。日本がどうなろうとどうでもいい、それで将来の私が苦しんでも、それもどうだっていい。そんな諦めの状態でマニュフェストだとか、吟味しようとも思えないし、誰が何やってんのか、どこの情報が正しいのか、調べること考えること、全部にモチベーションがない。完全に無気力。そもそも掲げた目標がどうであれ、それを実現できるかどうか、それを実現するまでにどれくらいかかるか、色んな要因が絡み合ってるわけだし。だから別に某都知事が掲げてた満員電車ゼロが実現されなくったって怒りも何もない。明日もその満員電車に乗って、日々を過ごしていって、それで終わりだ。もう諦めた。もう何もしたくない。
海戦を入れると10選に収まらないので陸戦のみで…書いてみたら近代以降を入れるのも無理だった。攻城戦もなー
斜線陣の工夫によって兵の質量が劣る側が勝利した。意識的に場所によって攻撃と防御を使い分ける戦術が発展する(それ以前から右翼重視思想などはあったが)
アレクサンドロス大王ひきいるマケドニア軍がペルシア帝国の圧倒的大軍を相手に陣形と機動性、戦機を掴むセンスで勝利した。多民族大国ペルシア帝国の滅亡を決した。
少数・寄合所帯のカルタゴ軍側がハンニバルの巧みな両翼包囲戦術によって多数のローマ軍を包囲殲滅した
アエティウスひきいる西ローマ帝国と西ゴートの連合軍が命がけでフン族アッティラ王のヨーロッパ侵攻を停止させた
東ローマ軍が防御と投射武器によって東ゴート軍の騎兵突撃を撃退した(これがあるのでクレシー・アジャンクールの戦いは取り上げない)
フランク王国の宮宰カール・マルテルがイスラム勢力のピレネー山脈を東に越える西欧への拡大を阻止した。カール・マルテルの子孫がカロリング朝を興す
神聖ローマ皇帝オットー一世が要塞網も駆使して機動力に優れるマジャール人の侵攻を押し留めた
共に機動力の優れた軍隊の戦い。巧みな戦術でモンゴル軍がハンガリー軍を大敗させた(リーグニッツの戦いに優先した。さらに重要なのはアイン・ジャールートの戦いだが流石にヨーロッパの外)
スイス三州の同盟軍がパイク兵の密集陣形でハプスブルク軍に勝利を収める。規律と士気の高い歩兵なら重装騎兵に勝利しうることを示した
ポーランド・リトアニア連合軍がドイツ(チュートン)騎士団による領土拡張の野心を打ち砕いた
レウクトラの戦いの前にレカイオンの戦い(戦術的にはガリア戦争のアドゥアトゥカの戦いに似ている)も入れたかった。やるなら古代だけで10戦かな?ファルサルスの戦いなどで嵩増しはできる。
タギネーはやや場違いかも。でも、クレシーもけっきょく歴史の決定打になっていないし、それなら古いタギネーを出すべきかなと。