ICC(国際刑事裁判所)が11月21日、ハマスの軍事部門を率いるムハンマド・デイフ司令官とともに、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアブ・ガラント前国防相に逮捕状を発行した。ネタニヤフ首相は7月にアメリカ議会で演説した際、ハマスとの戦いについて、「これは文明の衝突ではない。バーバリズムと文明国家の衝突だ」と訴えた。その文明国家を自負し、中東唯一の「民主主義国家」だと主張するイスラエルの首脳に戦争犯罪等の疑いで逮捕状が出されたのは、前代未聞の事態と言える。
ただ、ネタニヤフ首相が「法廷」を騒がせているのは、国際的な場だけではない。ネタニヤフ首相はすでに、国内で汚職や詐欺などの疑いで起訴されている。12月10日には首相本人への証人尋問が行われる予定だが、首相側は、戦争やシリア情勢の急変を理由に最後まで日程を遅らせるよう求めてきた。これだけでも大きなニュースだろうが、11月、ネタニヤフ首相の政治生命をさらに脅かしかねないスキャンダルが明らかになった。首相府の関係者ら5人が、国家安全保障を脅かしたなどとして逮捕されていたことがわかったのだ。
逮捕されたのは、首相府の関係者やイスラエル軍の予備役兵士など合わせて5人だ。なかでも事件の鍵を握るのが、ネタニヤフ首相の報道官を務めていたエリ・フェルトシュタイン氏だ。フェルトシュタイン氏は、去年10月のハマスの奇襲攻撃以降、ネタニヤフ首相の報道官に就任した。しかし、「報道官」を務めていたものの、首相府での登用にあたっては身辺調査をクリアできなかったため、いわば首相の私設報道官のようなステータスであり、肩書き上は「市民」となっている。
内容は後述するが、人質解放をめぐる国民世論に影響を与えようとした疑いが持たれており、このスキャンダルを受けて、ネタニヤフ首相に対する市民の抗議活動は再燃。一方、今回逮捕に乗り出したのが、軍や諜報機関シンベトだったことから、様々な問題が伝えられているネタニヤフ首相の息子ヤイール氏は、「60年代に南米で起きたようなシンベトによるクーデターだ」と批判した。ネタニヤフ政権、ひいてはイスラエルの「民主主義」をさらに揺るがしかねない事態となり、ネタニヤフ首相のニックネームと併せ、「ビビ・リークス」とも呼ばれている。
イスラエル世論に衝撃を与えた人質の遺体発見
イスラエル第4の都市リション・レツィオンの治安判事裁判所が明らかにした情報によると、逮捕された予備役兵士は、軍の機密情報を違法に入手し、首相報道官のフェルトシュタイン氏に提供。フェルトシュタイン氏は、その機密情報を外国メディアにリークした疑いが持たれている。11月21日、検察当局は、フェルトシュタイン氏と予備役兵士の2人を、国家安全保障を脅かしたり、機密情報を譲渡した罪で起訴した。
事件が大きな注目を浴びるのは、この事案が起きた時期と関係がある。
2024年8月31日にガザ地区で6人のイスラエル人の人質が遺体で見つかった。この6人の人質の発見は、軍事衝突が始まって以来、最も象徴的な出来事の一つだった。イスラエル側は司法解剖などの結果、6人は、イスラエル軍が到達する直前に、人質を拘束していたガザ地区の武装勢力によって殺害されたとみられると発表した。つまり、人質たちは約1年に及ぶ人質生活に耐え、発見直前まで生きていたとみられているのだ。
殺害された人質の中には、アメリカ系イスラエル人のハーシュ・ゴールドバーグ=ポーリンさんが含まれていた。大のサッカーファンとして知られるハーシュさんは、エルサレムなどの各地に似顔絵と共に「Bring Hersh Home」と書かれ、人質解放を求める市民のシンボルとなっていた。人質解放を求めてきたイスラエル市民は、「人質は約1年にわたる人質生活に耐え、助けを待っていた。その人質たちを救えなかったのは政府の責任だ」と、ハマスとの停戦・人質解放交渉を進めようとしてこなかった政府への怒りを爆発させ、各地で大規模な抗議が起きた。これは、1年にわたる軍事衝突の中で、市民による抗議の声が最も高まった瞬間の一つだった。
問題となっている機密情報のリークは、まさにこのタイミングで起きたのだ。
ドイツ紙経由で「ハマスの心理戦」をリーク
Haaretzによると、フェルトシュタイン氏は捜査機関による聴取に対し、人質解放を求める抗議デモの盛り上がりを受けて、それに対抗して戦闘継続を支持する世論を動かすため、機密情報を外国メディアにリークすることにした、と説明したという。
ドイツのタブロイド・メディア「Bild」は9月6日、フェルトシュタイン氏からリークされた「イスラエル軍からの情報」を元に、ハマスがイスラエルを分断させるための「心理戦を仕掛けている」などと伝えた。イスラエル・メディアによると、フェルトシュタイン氏は、この報道の元になった機密情報について、すでに6月ごろには入手していたとみられており、死亡した人質が見つかった直後にBildにリークした。
Bildは、筆者が過去の記事でも指摘したように、親イスラエルで知られるドイツのメディア企業アクセル・シュプリンガーの傘下にある。フェルトシュタイン氏は当初、イスラエルのテレビ局の記者にリークしたが、軍の検閲により、報道することを禁止された。このため、Bildをリーク先に選んだとされる。
イスラエルのメディアは、治安や国家安全保障などに関わる情報について、軍の検閲を受けなければならないが、検閲の結果、報道が禁止されたとしても、海外メディアを引用する形であれば報道することが可能となっている。このため、当時も、イスラエルのメディアはBildの報道を引用して同内容を伝えた。
一方、ネタニヤフ首相はこの報道を軍事作戦の正当化に利用したとみられている。首相は報道直後の閣議で、「先週末、ドイツのBild紙が、ハマスの行動計画を明らかにした公的文書を報道した。ハマスは、われわれの間に不和をまき散らし、人質の家族に心理戦を仕掛け、イスラエル政府に内外の政治的圧力をかけ、われわれを内部から引き離し、イスラエルが敗北するまで、戦争を続けるつもりだ。イスラエル国民は、このハマスの罠にはまることはない」などと、軍事作戦を続ける考えを改めて強調したのだ。
ネタニヤフはリークを知っていたのか
最大の焦点は、Bildに情報がリークされること、または意図的にリークされたことをネタニヤフ首相が認識していたかどうかだ。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。