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やり投げ・北口榛花インタビュー チェコでの単身修業からパリ五輪へ、自然体の決意

執筆者:曽我太一 2024年8月3日
タグ: 日本
エリア: アジア ヨーロッパ
トレードマークの笑顔の裏に闘志を漲らせる(以下、写真はすべて筆者撮影)

 パリ・オリンピックで金メダルの有力候補とされる日本人選手の一人が、女子やり投げ世界王者北口榛花だ。指導者を求めてチェコの地方都市に移住し、五輪に向けてひたすら練習の日々を送る北口を、地元旭川で競技を始めた高校時代から知るジャーナリストが訪ねた。(北口選手の出場する陸上女子やり投げは、日本時間8月7日予選、11日決勝)

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 5月下旬、女子やり投げで世界の頂点に立つ北口榛花(26歳)の姿は、チェコの片田舎にあった。

「オリンピックでは、『金メダルが獲れたらいいな』くらいにしか思っていないです。獲りたいと思って獲れるものでもない。もちろん試合になったら『獲りたい』という気持ちになるので、そこまでの過程はある程度、余裕を持って『獲りたいな』くらいの気持ちで行きたいです」

 北口の名前を世界に知らしめたのは、去年8月にハンガリーのブダペストで行われた世界陸上選手権だった。自身の最終投擲をメダル圏外で迎えた北口は助走路に立ち、手拍子で会場全体を巻き込んだ。持ち前の柔軟性を生かし大きくしなった腕から放たれたやりは、65メートルの白線を超えた。会場の掲示板が66メートル73を示すと、北口は日本人女子選手として同種目で初の金メダルを確定させ、喜びを大爆発させた。9月のダイヤモンドリーグの最終戦でも金メダルを獲得し、文字通り世界の頂点に立った。

 オリンピックイヤーが始まってからも、昨年からの好調を維持。7月20日時点で、今シーズンは8大会に出場し、6大会で優勝、パリ・オリンピックでの金メダルも視野に入れる。その北口が、5月に筆者に語ったのが冒頭の言葉だ。謙虚な言葉に聞こえるかもしれないが、北口の自然体は高校時代から変わらない。

 

息抜きは行きつけのカフェ

 北口に初めて会ったのは、2014年。筆者がNHKの記者として北海道旭川市で勤務していた頃で、北口はまだ高校2年生だった。

 高校1年の時にやり投げを始めた北口は、水泳とバドミントンで鍛えた肩周りや上半身の柔軟性と、179センチという長身を生かし、一気に高校やり投げ界のスターダムを駆け上がった。衝撃だったのは高校2年のインターハイ。通常は10歩ほどの助走を行うところ、助走が苦手だった北口は極端に短縮し、走路のほぼ真ん中から5歩の助走でやりを投げ、全国優勝を果たした。3年時には世界ユースでも優勝、インターハイも2連覇を果たした。

 ユニークなのは競技を始めたいきさつだ。地元の進学校・旭川東に入学した当初は、水泳に打ち込むはずだったが、その恵まれた体格に目をつけた陸上部の顧問が北口に声をかけ、「掛け持ちで良いから」とやり投げを勧めたのがきっかけだった。最初は水泳を優先し、「最後まで陸上部の練習にいたことはなかった」と話すが、記録が向上するにつれて、やり投げを本格化させた。

 北口が現在、練習拠点としているのは、チェコの首都プラハから列車で南西へ3時間ほどのところにあるドマジュリツェだ。人口は1万人程度と、出身地の旭川(約32万人)よりも遥かに小さい。チェコといえばビールで、この町の地ビールも美味いが、お世辞にも都会とは言えない。

ドマジュリツェの中心部

 ドマジュリツェは1945年5月5日、プラハ蜂起に先立ちナチス・ドイツから解放され、町の中には解放に貢献したアメリカの国旗が施された記念碑が鎮座する。ドイツ国境まではわずか10キロで、多くの市民がドイツ語を解し、ドイツで働く人も少なくない。北口に会うため、この小さな町を訪れた筆者は、駅で家族を迎えにきていた地元の人に声をかけて中心部まで車に乗せてもらったが、その女性もドイツで働く一人だった。

町庁舎にはナチスからの解放とアメリカ軍の貢献を記念した碑があった

 北口がチェコを拠点にするきっかけとなる出来事は、大学時代に起きた。高校時代の輝かしい成績を引っ提げ、投擲に力を入れていた日本大学に鳴物入りで入学し将来を嘱望されたが、やり投げを専門にしていた指導者が不祥事によって不在となった。部のメンバーと力を合わせて技術力を磨いたが、さらなる競技力向上のため、半ば一方的にコーチングを頼み込んだのが、やり投げチェコ代表ジュニア部門のコーチを務めるデイビッド・セケラックだった。

 当時まだ世界的には無名だった北口は滞在ビザを取得できず、最初は観光ビザで認められる滞在日数の範囲内で調整しながら渡航し、練習した。チェコに渡ってしばらくは精神的な苦労もあったと言う。

「自分の名前が、仲間たちの会話の中に出るんです。チェコ語でみんなが話している中に私の名前が出てくるけど、良いことを言われているのか、悪口を言われているのかもわからなくて。それは結構ストレスというか、何言われているのかなって、ずっと気になっていました」

 その後、チェコ語も勉強。今ではコーチとチェコ語だけで会話できるようになり、日本を含む国外への遠征以外は1年の半分近くをドマジュリツェで過ごす。

 五輪でのメダルが期待される立場となっても、時折25歳の若者らしさをのぞかせる。町の中心部はヨーロッパの風情があふれるものの、若者向けのショッピングモールや、緑のロゴが有名なコーヒーチェーンなどもなく、北口が行くのはいつも同じカフェ。

「ずっと同じ空間で同じ生活だから、遠征でどこかに行っている時の方が気が紛れます。買い物とか、もうちょっと楽しめるところがあったらいいのになと思います。買い物はいつも、遠征から帰る時の免税店でしています」

コーチのセケラック氏(右)と二人三脚で頂点を目指す

柔軟性を活かしながら、筋力と走力アップに挑む

 ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはかつて、「外国語を知らないものは、母国語を知らない」と言った。これは何も言語だけに限ったことではない。北口も海外での挑戦を続けたからこそ認識できた自分の強みがある。それは「柔軟性」だ。

 北口は肩の可動域が広いため、助走で勢いをつけた後、腕をより後ろ側に残した状態から投擲動作を始めることができ、やりに力を伝える時間を最大化できる。この上半身の柔軟性は、世界でも自分にしかない強みだと気づいたという。

上半身の柔軟性が北口の武器

 しかし、今シーズン序盤、4月や5月の大会では、冬場のトレーニングで筋力がついたことによって、その柔軟性を最大限に発揮できていないと感じていた。今回の取材時も、現地に付き添っていたトレーナーは、「もっと後ろに腕を残すことができるはず」と話していた。現在、練習は週に6日程度だが、やりを投げるのは週に1回程度。多くの時間を柔軟性の回復や、俊敏性などの強化に使っている。

「世界の試合で色々な選手の投擲を近くで見ると、結構みんな投げ方が異なり、その中でも、私は他の選手とはちょっとバランスが違うのかなというのは感じます。欧米の選手は筋力トレーニングをした分、その筋肉を使いこなしてパワーをやり投げに結びつけているような気がするんですけど、 私は筋力トレーニングでついたパワーをやり投げにどう生かすのかっていうのが、いまいちわからないんです」

 さらに、助走の強化も課題だ。やり投げは、前を向いた助走、体を横に向け勢いを維持しながら投擲準備をする「クロス」と呼ばれるステップ、そして投擲という3つの動作に分かれる。3つの動作の繊細なバランスが求められ、柔軟性を活かした投擲動作を妨げない程度に、走力を強化する必要がある。

五輪に向けて下半身の強化に取り組む

 北口は高校時代からずっと「助走」が課題だと言われてきた。恵まれた上半身をもつ一方、その体を活かすための下半身が出来上がっていなかったのだ。しかも、速く走れば良いというものでもない。例えば、前日本記録保持者の海老原有希選手は、長い助走から一気に加速し、その勢いをやりに伝えるタイプだが、北口は全く違う。かつて陸上関係者に北口が海老原選手のようにやりを投げたらどうなるかと聞いたことがあるが、「すぐにケガするでしょうね」と言っていた。北口としては、基礎的な走力を上げつつ、強みの上半身を活かすことができる適度なスピードを模索している。

「全体的な走力アップを図っているので、スピードが出やすい状態にはなっていると思います。でもスピードが上がったからといっても、全力で走ったままやりは投げられない。足が動いている速さと自分が進むスピードが合わなかったりするので、自分が投げられるギリギリのスピードを探ったり、そこの調整が課題だと思っています」

笑顔の裏の挫折と悔し涙

 数あるオリンピックの競技の中でも、陸上は花形競技の一つだ。100メートル走や200メートル走、マラソンやリレーなどは、大会随一の最高潮の盛り上がりを見せる。ただ、日本勢は、五輪陸上競技の金メダルからは遠ざかっている。2004年のアテネ大会で、女子マラソンの野口みずきと男子ハンマー投げの室伏広治が獲得したのが最後で、北口がパリ大会で金メダルを獲得すれば、実に20年ぶりとなる。

 北口は、去年の世界選手権での金メダル、今シーズンの連戦連勝を考えれば、パリ・オリンピックでも金メダルの最有力候補と言える。しかし、本人に周囲からの期待を聞くと、満面の笑みを浮かべながら、言い放った。

「やっぱり周りの人は、『(金メダル)獲るだろう』みたいな感じですよね。『そんな簡単じゃないから』って私は思っていますよ。今までこんなに陸上のやり投げという種目を応援してくれる人は多くなかったと思うので、見てくれる人が増えるというのはすごく嬉しいですけど、メダルは簡単じゃないです」

 北口にはオリンピックにまつわる苦い思い出がある。2016年のリオ五輪前、大学生になってさっそく日本歴代2位となる記録を叩き出した北口は、五輪出場も目指せる位置にいた。しかし、焦りによる無理が祟って故障を抱えることになり、出場を逃した。華々しく行われたオリンピックは地元の旭川で観戦した。

 当時のインタビューでは、「ひとりで練習していて寂しい気持ちもあるけど、自由にできるんだから、こういう時に自分の足りないところを強化しなきゃと思っている」と話し、将来を見据えてひとり、旭川にある小さな陸上競技場で黙々とトレーニングに励んだ。

 それから5年後、新型コロナウイルスの影響により1年遅れで迎えた2021年の東京オリンピック。念願の初出場を果たし、日本人として57年ぶりに女子やり投げの決勝に残った。競技場では、トレードマークとも言える「笑顔」を浮かべていたように見えたが、実は北口本人はいつもとは違う自分を感じていた。

 結果は、前半3本の投擲で自己ベストに遠く及ばない53メートルから55メートル台の記録で、トップ8(前半の3投で上位8人が後半の3投に進む)に残れず、12位で大会を終え、悔し涙を浮かべた。

 直前に迫ったパリ大会について、「とりあえず健康に元気に、『空笑い』じゃなく、自然に笑ってオリンピックを終えたいなと思います。東京では予選が終わってから決勝まで、元気を振りまきまくっていたので。そうではなく、オリンピック全体を通して元気に終えたい 」と話す。

「メダルは簡単じゃない」と語る北口

柔らかさの奥に秘めた闘志

「自然体」を貫くように見える北口だが、実はその心の奥底には大きな闘志を秘めている。高校3年時のインターハイ。前年王者として、さらに直前の世界ユースで優勝した世界王者として臨んだ大会で、北口は高校記録の更新を狙っ た。結果的には優勝し2連覇を成し遂げたが、高校記録を更新できず、目には涙を浮かべた。当時の北口の指導者ですら、「他の選手に失礼だ……」と漏らしたほどだが、普段の笑顔や柔らかい言葉づかいの裏に確固たる決意があるのを感じた。

「この先も頑張ればあと2回ぐらいはオリンピックには出られそうですけど、年齢的にメダルを目指せるオリンピックというのはあまりないと思うので、それなりに意識して臨みます。(チェコのバルボラ・)シュポタコバ選手が72メートルを投げた年が28歳(※筆者注:現在の女子やり投げ世界記録、実際には27歳)なので、そこには自分もある程度近づきたいなという気持ちもあるので、その辺を少し意識しながら、でも自分のペースは乱さないようにやろうと思っています」

 北口は高校時代から、“ふんわり”した言葉の中に明確な目標を掲げ続け、それを一つ一つ実現するための努力を重ねてきた。涙のインターハイの後には日本ジュニア選手権で目標としていた高校新記録を打ち立てた。リオを目指した失敗の後には東京でオリンピック出場を実現し、決勝に進出した。去年9月には67メートル38という前人未到の日本記録も打ち立てた。

 女子やり投げの世界王者として、パリ・オリンピックに自然体で臨む北口の言葉には、着実な歩みと努力を重ねてきたからこその自信が込められている。

「自然に笑ってオリンピックを終えたい」と意気込みを語ってくれた

 

カテゴリ: スポーツ
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執筆者プロフィール
曽我太一(そがたいち) エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。
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