スウェーデンは、1999年に買春規制を、買春客に刑罰を与える一方で、売春婦は罰さない方式に変えた。東欧などから組織的に売春婦が流入するようになり、その中に人身売買取引の犠牲者が含まれていると危惧されるようになったのが、政策変更の一つの大きな要因だ*1。犯罪組織を潰すのは切りがないが、売春需要をなくせば人身売買取引を行なう誘因もなくなると言う発想。同様の問題が危惧されている欧州を中心に、国際的な広がりを見せている。
ところが、このスウェーデン方式による需要抑制アプローチはあまりよくないと言う話もある。私も2012年に理屈の上では(売春以外に仕事の無い)売春婦の労働負荷が増加する、顧客を選別する余裕がなくなるので売春婦のリスクが高まると言う指摘をしている。しかし、こと人身売買取引の削減目的であればスウェーデン方式は効果的と言う理論論文もある*2し、理屈から列挙された可能性と、実際にどうなったのかの結果は区別して捉えるべき。
実際にスウェーデンがどうなったのかだが、
- 1998年と2003年を比較すると街娼の数は4割ぐらい減少。しかし、ストリートからアパートやホテルを使った隠れ買春宿に移行している*3ので、売春婦の増減は不明である*4
- 外国人の街娼は増加傾向だが、隣国デンマークほどは増えていない。外国人街娼の一部は、依然として人身売買取引の被害者だと考えられている*5
- 心配されている性感染症対策への影響は不明だが、スウェーデン全体の性感染症発生数が1999年を境に増加した傾向はない*6
- サービス価格の低下は指摘されているが、具体的な数字はあがっていない
- スウェーデン全体に性犯罪の増加をもたらしたという計量分析がある*7
ことぐらいしか分からない。売春婦だけを罰する従来方式に対して、スウェーデン方式が優れているか劣っているかは、経験的には明確ではない*8。理屈どおりに現象が観察されないのは、おそらく理屈の前提が現実に合致していないところから来ている。現実の把握が難しい。
違法化するとセックスワーカーに対する啓蒙活動が難しくなるので性感染症の蔓延のリスクが増えるような議論を熱心に紹介している人がいるのだが、スウェーデンのような教育水準が高い国で売春婦や買春客が性感染症の予防の重要性や予防方法を知らない事もあまり無い*9。タイのエイズ予防では啓蒙活動は有効に機能したが、1990年代前半タイと2000年代のスウェーデンは異なる。また、啓蒙活動を実施するにしろ、従来方式よりスウェーデン方式の方が売春婦と接点を持つのが難しいという事は無いはずだ。売春ライセンスを発行するオランダ方式であれば、啓蒙活動をやりやすいであろうし、用心棒が粗暴な客への圧力にもなるであろうが。
つまり、導入国の人口動態や教育水準、他の政策に依存する上に、それまでが無規制なのか従来方式なのかオランダ方式なのか、店舗形態やポン引きを規制するのかどうかなどで、状況の変化の方向性や程度は異なる。
日本では、マッサージなどのサービスであって、対価をとって性行為はしていないという建前がまかり通っているので、日本にスウェーデン方式を導入しても意味が無い。どちらかと言うと、店舗型性風俗店の新設規制が困難になっていることの方が影響が大きそうだ。
*1買春は男性の女性に対する暴力と言うようなラディカル・フェミニズムが背景にあったとか言う指摘がある(修論で権威は微妙だが Eshete (2012) "The Relationship between Prostitution and Sex Trafficking: The Case of Sweden and Denmark")。
*2Lee, Samuel and Persson (2022) "Human Trafficking and Regulating Prostitution," American Economic Journal: Economic Policy, Vol.14(3), pp.87–127
*341 sex buyers arrested in Stockholm prostitution sting
*4*5Selected extracts of the Swedish government report SOU 2010:49: ―The Ban against the Purchase of Sexual Services. An evaluation 1999-2008
*6Sylvan (2011) "Changing Epidemiology of Sexually Transmitted Infections: Call for New Strategies Against the Increase in Chlamydia Infection in Sweden" The Open Infectious Diseases Journal, Vol.5(1), pp.120–126
*7Riccardo (2018) "Banning the purchase of prostitution increases rape: evidence from Sweden"
*8理屈の上では、供給曲線のシフトになる従来方式と、需要曲線のシフトになるスウェーデン方式では、政策効果の差異は小さくない。
*9ただし日本のセックスワーカーの中にも、性感染症に対する予防意識が低い人もいる(関連記事:セックスワーカーに避妊と感染症予防を心がけましょうとは言ってはいけません?)。
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