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2016年2月17日水曜日

大学教育への公的補助が正当になる条件

社会学者の千田有紀氏の『大学というブラックビジネス 人生のスタートから借金漬けになる学生たち』というブログのエントリーが、事実誤認を含めて問題がある事が大学教員などから批判されている。日本学生支援機構の金利水準が実際とかけ離れている、担保の有無など金利を定める要素を理解していない、民間金融機関のローンに比べると日本学生支援機構の貸与奨学金は金利や条件が圧倒的に良いなどがそれで、千田氏も【追記】と【さらなる追記】で勘違いがあったことを認めている*1。この顛末を観察していて、千田氏への批判者を含めて、大学教育への公的援助が正当化される理由を明示的に整理していないのが気になった。公的補助の正当化の論拠が曖昧なのは、政策論としては問題であろう。

1. 教育内容自体は理由にならない

大学教育に意味があるか否かだけでは、大学教育への公的援助は正当化されない。それが職能を向上させるのであれば、後々賃金として反映されるので、(後述する問題が無ければ)公的補助は必要ないからだ。役立つ事にはお金をかける意義があると単純に考えてしまいがちで、労働問題が専門の濱口氏も「もしその教育内容によって学校で身につけた職業能力が職業人となってから役に立つからのであるならば、その費用は公共的な性格を持ちますから、公的にまかなうことが説明しやすくなります」と主張しているが、問題は教育内容が職能を向上させるかでは無い。本人が将来を見越して費用対効果の高い教育投資をすることができ無いのか、教育を受けた本人以外が便益を得る外部性があるかが問題になる*2

2. 借入制約とリスクの解消

学費が工面できない場合、職能の向上で収入面でメリットがある教育であっても、知的で豊かな一生を送るために価値のある教育であっても、将来を見越して教育投資が出来ない。高等教育の学費は高く、信用力に問題がある貧困家計は借入制約によって公的補助なしでの学費工面が困難に陥る。他にも教育を受けると高収入になる確率は高まるが絶対ではないと言うリスク自体が、リスク回避的な人間に教育投資を躊躇させる効果も考えられる。個々の家計の問題だと思う人もいるかも知れないが、政府が直面する金融制約はほとんどないし、また大数の法則で個人よりもリスクが取れるので、ほとんど財政負担を増やさずに社会的厚生を改善する事ができるので、公的補助を与える理由になる。

3. 外部経済の内部化

教育を受けた本人以外が便益を得る外部性がある場合は、公的補助なしでは教育投資が過少になる。教育には色々な外部効果が考えられる。貧困を緩和することによって犯罪発生率を低めるかも知れない。貧困層でも進学可能である事は、社会の階層化を防いで政治的安定性を高める効果も持つであろう。波及効果も考えられる。工学を学んだ人が増えれば、安全管理などで適切な技術が受け入れられやすくなって、事故が減っていくかも知れない。栄養学を学んだ人が増えれば、飲食店などへの要求が厳しくなって、何も意識していなくても適切な食事を取って労働能力を向上させる人が増えるかも知れない。法律を学んだ人が増えれば、そうでない人々にも法的な妥結点が伝わるようになり、雇用関係などで無駄な諍いは少なくなるかも知れない。ある種のフリーライダーとして幸福を増進させる人々が出るわけだ。

4. 日本において議論すべきこと

日本学生支援機構の貸与奨学金は、借入制約を解消する機能を持っているし、それだけではなく金利自体も無担保融資としては圧倒的に低い利率となっており、つまり、グラント・レートが設定されている。また、将来の不確実性の軽減については、2012年度から卒業後に一定収入を得られるようになるまで返済が延期される所得連動返還型奨学金制度が導入されている。

借入制約については問題解決されていると言って良いであろう。リスクを十分軽減できているか、外部性への配慮が十分であるかが議論になる。話題の社会学者はリスクについて言及していたのだが、それが政府が解消すべき問題であることまで議論できれば、もっと有意義な反響があったかも知れない。欧米では所得比例型の返済プランなどが議論されているそうだ。

外部性ももっと強調すべきかも知れない。米国の研究から賃金面での外部効果はほとんど無いと言われているが*3、治安や健康など所得に反映されない幸福度まで考えるともっと教育投資は大きくて良いと言う議論もある*4。日本での傾向が分かれば話がすっきりするので調査研究をして欲しい所だが、まずは議論を俎上に載せても良いであろう。

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*1他の私大の大学教員から、保護者のミスで学費振込みが遅れただけで退学になる事は考えづらいと言う指摘があったが、それは千田氏に伝わらなかったのか訂正されていない。

*2所得再分配政策として公的補助を位置づける事もできるが、規範に公平を置かないといけないだけ強い仮定が入ること、他の再分配政策に対する優位性を説明する必要があることから割愛した。

*3Acemoglu and Angrist (1999)を参照。ただし、(小学校に)就学前教育の効果と異なり、高等教育の意義について決定的な見解は無いように思える。

*4"How to balance public and private contributions to higher education?"という記事にこのような論点が整理されている。

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