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日本とイギリスについて
先日はじめてイギリスに行く機会がありました。歩行者信号が全く守られないのに驚きました。赤のときに渡れると判断して渡ってしまうので青のとき、誰もいなくなっています。そこだけ見たら赤と青の意味が逆ではないかと思えるぐらいです。社会のきまり(信号規則の遵守)と、これをやってはいけない(道徳的規範?)がイコールではないように思います。日本は、社会の規則と道徳的な規則が一致していると見ているから、例えば賞味期限切れを承知で販売したらそれだけで社会から抹殺されかねないほどのパニッシュを受けるわけですね。賞味期限がどのような意味で設定されているかについては全く検討しないということにもなりますね(専門家という上位の判断の尊重か)。 日本:きまりにうるさくて窒息しそう。上意下達。しかし画一的で安全。 英国:法律が必ずしも個人の規範・道徳の上にはない。個人の発案を尊重。判断が個人に委ねられ危険になる場合もある。 イギリスだったら賞味期限切れのものだって売っているだろうなという感じがうすうすしています。BSE問題だってそのような背景的な土壌があるのではないかと思います。(←単なる想像です) どちらが良いということは言いませんが、どちらの国でもそのやり方にフィットしない人がいるとしたらきついだろうなと思います。 どんなものでしょうか。単に両方の違いを見るというよりも、人間が社会の中で生きるという普遍的な部分で考えているところなのですが。 ドイツはまた面白い(電車に犬(介護犬でなくても?)、自転車OK.かつ改札という考え方がない)のですが、また別途。
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- hukuponlog
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noname#118935
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- nrb
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お礼
回答有難うございました。私は若干違う考え方をしています。 ご指摘の ”社会の規則と道徳的な規則が一致しないから、決める必要がある それが法律なんです”というところですが、”その一致しない”ということの内容が日本と外国では違うように思います。 日本は、道徳的な規則が(極めて?)希薄であり、社会の規則が強く個人を縛っている(自分のモラルより世間体重視みたいなことです)。 一方、英国などは、個人の道徳的な規則がしっかりしているため、その外側にある社会的な規則の遵守が緩やかである。外でのおしっこ・ゴミ捨て、信号遵守というのは道徳の問題ではなく、社会の規則の問題と思っています。道徳はもっと個人のコアの部分にあって社会の有り様からも独立しているはずだと思っています。道徳と社会の規範との関係が日本と外国(今回はイギリスを例に取りましたが)違うと思っています。