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  • 締切済み

日本の学校教育を改革する

学校の教育をよりハイレベルなものにする為、私の意見を書かせていただきます。 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。 昨今、塾頼りの日本の教育や日本の学力低下が問題になっております。 そこで私の提言なのですが、 (1)本当に教えるのが上手い能力ある人の授業を全てネット配信にするかフルDVD化して、全ての公立学校の授業をそれに切り替える 勿論、教える力のある色んな先生が授業を担当してレベル別・講師別に生徒が選べるようにする (2)例え学校を休んでも家でも授業が受けれるからイジメを受けても休みたい時に休む事が可能 そうすると転校なんて本当に形だけになってしまうからイジメも根本的に解決出来る 無論、それだけでは人間教育に疑問が残る為、郊外学習・アメリカで導入されている学生の企業への研修制度も取り入れる (3)授業する人は塾講師に限らず、大学教授やノーベル賞受賞者はたまた外人であっても日本語吹き替えで対応し、もっと学びたいという意欲ある学生の為により質の高いハイレベルな先取り学習・発展的内容の学習を提供出来る (4)教育データバンクを創設し、録画された指導力ある講師達の授業を研究し、年毎に授業改善および効率の良い勉強の仕方を突き詰め、それに乗っ取った教科書作り参考書作りを行う (5)既存の公立学校の教員達は補習や質問受付や生徒指導がまだマトモにできる職員のみを残し、その他の指導力不足教員は遠慮なく切り捨てられる (6)これにより日本の教育は他国に先駆けて先進的なものになり、世界の模範とされ人類の発展に寄与出来る このプランにより日本の教育は飛躍的に上昇すると思います。 このプランが良ければ、政府に提言として提案することも可能かと思います。 皆さんの御意見をお聞かせ下さい。

みんなの回答

回答No.14

こどもの”学び”に関して、取り違いがあるように思います。 学びというのは、知識収集ではないので、ハイレベルであったり洗練された情報を一方的に与えても意味がありません。基本的に他者とのコミュニケーションを媒介にして自分というものをいかにして形作っていくか、ということになります。そういう意味では映像教育は非どころかアンチ・コミュニケーションですし、質問者さんの文脈にある”優秀な教師”というのも教師とこどもの間に成立する”学びの場”にほとんど留意されてないという点で、期待される学びの姿からは程遠いでしょう。 学校教育で果たすべき”学び”と、学習塾や習い事で「購入」する教育サービスとははっきり区別しなければなりません。今では”知識”と”考える力”を混同する人はいないでしょう。”学び”とは考える力を他者との関わりのなかで切磋琢磨することなのです。”学び”がコミュニケーションであり、”場”でなされるのなら、本来”能力のある教師”などという存在は不要なはずです。”勘違いの甚だしい教師”が多々いるという現実はありますが。。。。 ですから、在宅..では”学び”が成立しない、と思うのです。 こどもにも”年休”取得を許したり、そういった点では今より幅があっていいとは思いますが、自宅で独り篭る、、というのはこれからの時代に要請される”学び”とは対極にあると思います。 もうひとつ、よく取りざたされる基礎学力..というやっかいな言葉です。これは四則計算、漢字の読み書きのことでしょうか? そんなドリル学習的なものを想定しているなら、わざわざ学校で時間を割くほどのことはありません。なぜ同じ年のこどもたちが机を並べて”学びあう”のか、社会に出ていくこどもたちに何を”学んで”欲しいのか、そこのところの本当の意義をよく考えてもらいたいものです。 参考文献を挙げます。。 『教師たちの挑戦―授業を創る学びが変わる』佐藤学著

  • usokoku
  • ベストアンサー率29% (744/2559)
回答No.13

11番です。 有名人による教育がまったく役に立たなかった例。 NHKのTVドラマの裏方的主人公として出場している某氏が「学校でどうのこうの」というドキュメンタリー放送があり、着ました。 しかし、どうやっても、子供がうまくならない。 その分野を専門とする教師(大学で専攻したかの教員免許をもつ)が教えて20分、子供たちがうまくなりました。 企業教育では、労働安全衛生法関係がぞんざいです。学校でいくら教えても、教えた内容を否定する教育が行われ、その結果、多くの子供たちが労災にはならない職業秒で倒れて行きました。 寝たきりの病人になるための教育しか行わなかったのです。 なお、某市町村、小学校社会科教材として、某工場の写真が掲載されています。この写真ないに3箇所労働安全衛生法違反個所がありました。

  • 2951-002
  • ベストアンサー率18% (5/27)
回答No.12

NO.6です。 >学校は集団生活で協調性をつけて規律や道徳や礼儀を学ぶ場であるからこそ、学習指導は質の高い教員に任せて・・・ 集団生活での道徳(教育?)が一つのポイントになっていますので・・・ 道徳は先生(大人)が個人的に先に学び実践するもので、決して生徒(他人)に教育したり、強要したり出来るものでないと思います。強要した瞬間に生徒から大反発が起きることでしょう。 日本に文部科学省推奨団体(宗教団体ではありません。)の道徳科学(ニューモラル)の教えを規範とした学校で、瑞浪高校(岐阜:全寮制)、麗澤大学(千葉)・・があります。私もこの団体に縁があり、10年ほど青年部で活動をしました。 瑞浪高校の先生方はそれは真剣に日々道徳科学を学び実践しておられました。・・が・・それでも多くの生徒に反発がありました。 親がニューモラルを習い→子供を瑞浪高校へ→卒業後殆どの人が反発心からニューモラルから一時離れます。(道徳心を養うには時間も必要です。)→成人(結婚)後ニューモラルを再び学び始めます。 結論として現状の先生方が短い集団生活において道徳(教育?)など出来ません。 質問者さんのプランは、この道徳科学(ニューモラル)がよい学問として(創始者:広池博士は実践学問としていました。)、質の高い教員のDVDを、先生も生徒も個人的に学び→集団生活の中で実践してみる。そんな可能性も広がるプランと思います。 確かに道徳(教育?)が必要でしょう。・・・「だからこのプランはいまいち」は、違うと思います。

  • usokoku
  • ベストアンサー率29% (744/2559)
回答No.11

まず運用面でうまくいかないでしよう 1.「良い教師」というと、教え方が下手です。暴力で生徒を押し黙らせるタイプの教師が勤務評定では高いのです。つまり、行政に「良い教師」を選択させると、学習心理に無知な、教え方の下手な教師ばかり集まることになります。 2.企業教育は、ろくでもないです。以前アルバイト詐欺の質問が結構ありました。教えるべき内容を教えてないです。 3.本人がいくら優れていても、学習心理を熟知し、その通り行動が取れる人でないと、学習効果があがりません。有名人なんで、娯楽程度や動機付けて井戸に考えないと、学習が成立しないのです。 4-5.最初に書いたように、行政にこの選定をまかせると、ろくでもない人間しか残らないので、使い物にならない教師しかのこりません。 6.最低最悪の教育システムができる弟子酔う。 「行政の関与をなくする」という条件が必要です。

  • Ko-Miu
  • ベストアンサー率30% (37/121)
回答No.10

僕は、今年中学を卒業するものですが、これだけいい教育が施されるのであれば、もう少し後に生まれてくればよかったな~、そう思います。 また、自分にあった学習方法を開拓してくれる先生も近くにいればいいなと思う最近、この教育方法は現役中学生として、非常にいいものだと思います。 また、風邪を引いたときに授業が受けられないのはアンラッキーというか、不幸に近いので、(2)は特にいいなと思いました。

  • tryouts
  • ベストアンサー率31% (126/404)
回答No.9

日本の教育で今一番欠けているのは、学力以上に道徳的側面ではないでしょうか。 戦後教育の失敗により、社会全体がおかしい方向に進んでおり、下らない理由での自殺が増えたり、学級崩壊なども起こっていると考えています。 >(1) 学ぶ習慣が出来上がっていれば可能ですが、この習慣がついていない小中学生では、より出来なくなる生徒が増えると思います。 通信教育の学習教材同様にコツコツできる生徒には向いてますが、大多数には適合しないものと思われます。 >(2) 人間性と精神的胆力を養うためにも、イジメ程度で休むことを認めると今以上に酷い社会になっていくものと思われます。 会藩の什や薩藩の郷中をモデルに地域単位で同学年5から10名程度を1グループとし、さらに他の学年と組合し上の学年のものは下の学年のものを引っ張り導き、実践的な道徳教育を行うことこそ重要かと。 グループ内では協力し合うことを学び、対グループでは競争心を育てることも可能となります。 >(3) これに関しては今から10数年程度前から国主導で行われています。 高校時代にT工大にて数学を受けていましたが、内容的には面白いものの、大学教授は教え方のプロではないため、わかりやすさという面ではマイナスでしたね。 但し、高校生であれば学び方は十分に身についているので、教え方がわるくてもカバー可能なのであまり問題ないかもしれません。 学力の差が応じるのは当然なので、これも昔の藩校をモデルに進級試験に通らなければ同じ学年を繰り返し、上の学年の進級テストに通れば飛び級を認める形態の方が妥当かと。 6・3・3を義務教育化してしまい、通算12年の教育だけを保障するものの、12年かけて現在の小学校過程しか終わらない人もいれば、12年で現在の大学程度まで終わるようにしてしまうのもありではないでしょうか。 出来る生徒はより新しいことを、出来ない生徒はわかる範囲をゆっくりであっても完全な理解を目指すことが可能になります。 (4) 優秀な授業の録画を元に、授業方法を学ぶ方法は塾や予備校で採用されていますね。 この方法は公立学校でも取り入れる必要があると思います。 また同様に、教師の授業を定期的に録画し、教員本人や同僚でお互い確認しあうことも大切です。 また録画ビデをを元に定期的に授業の質を教育委員会等で把握することも可能となり、一定以上の授業が保障されるようになります。 (5) プラス人間性と思想も判別を行う際には重要です。 特に小中などのにおいては、誤った思想教育を行ってしまうと、生涯にわたって影響を受けてしまう可能性が高くなります。 このためにも現在日教組の組合員等は指導の良し悪しを別として、切り捨てることが日本のためになるかと。 (1)、(2)を政策として実行した場合、高校以上と限定せずに小学校からこれを行ってしまうと、教育水準は大幅に低下にし、今以上に精神的に脆い人間が増えると思われます。 教育においては学力だけでなく人間教育、つまり道徳が両輪になります。 戦後教育では道徳教育を廃し、形ばかりの平等主義などを導入したことにより、現在の退廃的な社会が出来上がってしまっています。 見習うべきは、江戸時代後期の日本ではないでしょうか。 極めて高い道徳心を持ち、学力水準では武士層は当然のこと、識字率でも断トツの世界1位でした。 識字率に関しては、日本全体の平均が当時のパリ市やロンドン市の富裕層の子弟と同水準であり、極めて優秀であったといえます。 この中でも優れた教育手法といわれていたのが、会藩や薩藩の什と郷中です。 世界最高水準を目指すのであれば、日本が世界最高水準であった時代の教育手法を見直してみることが大切だと思われます。

  • simby
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.8

はじめまして、私にも意見を述べさせてください。 質問者様のプランで、賛同できない部分は人との関わりが薄くなってしまう点です。教師不適格者は問題外としても教師も含む、反りの合わない人間とどう向き合うか?といった学習以外のことを学ぶ場でもあると思うからです。 ただし、ゆとり教育が原因か?と言われてますが、昨今叫ばれている親の収入による学習機会格差はあってはならないと思います。今まで自分はたとえ貧しくて塾にいけなくても本人の努力でカバー出来る。努力しなかった者のいい訳だ。と切り捨てていました。 ただ、東大生の親のほとんどが年収1000万以上と言う現実や、プロスポーツ選手が幼少からコーチの指導を受けられる環境にいれた事、名門クラブチームに入っていたりと経済的な面は統計から見ても関係有りといわざる得ない現実を知りました。 そこで私が思うのは本当に教えるのが上手い能力ある人の授業をフルDVD化してDVDプレイヤーと共に全員に配布し、自宅での自主学習としてやる人はやってね。という事です。 これでやろうと思えばやれる機会は均等と言えるでしょうし、それでも誰かに尻を叩かれないとやれない人で親に経済力のある場合は塾に行かせたりすると思いますが、塾に行けない子も学習しようと思えば出来る環境は整うと思います。それでもしない人はそれこそ自己責任で切り捨てていいと思います。

noname#76764
noname#76764
回答No.7

学校教育は、学力をつけることだけが目的ではないと思いますが。 特に(2)はかなり疑問です。 >イジメを受けても休みたい時に休む事が可能 苦労の無い温室的環境に子どもを置くことが本当に良いことでしょうか。 つらいから休む。これじゃ社会に出た時通用しません。 昔は耐え忍ぶことの大切さが教えられていたはずですが、今はそんなもの皆無ですね。 >イジメも根本的に解決出来る どのあたりが根本的なんでしょうか。子供に道徳を教えて、 善悪の意識を持たせて、健全に育てる事こそ根本的解決だと思います。 それでも人間である以上いじめは出るでしょうが、今のようなものでは無くなると思います。 学校は、集団生活で協調性をつけて、規律や道徳、礼儀も学ぶところです。 ちなみに、義務教育は基礎をシッカリ固めればそれでいいと思います。 それができてないから、もちろん問題ですけど、ノーベル賞だとか ハイレベル教育だとかは、高校大学で個々人がやればいいと思います。 義務教育は学力と同じくらい重要なその他諸々を学ぶところだと思います。

tamahome
質問者

お礼

学校は集団生活で協調性をつけて規律や道徳や礼儀を学ぶ場であるからこそ、学習指導は質の高い教員に任せて、既存の教員には生徒指導に集中していただければ良いと思います。 休むことに関しては体の調子が悪い生徒もおりますので、その生徒の為に家で受けれる選択肢もあるということです。 そもそも海外で学校へ行かずに自宅学習など普通のことであり、オーストラリアでは学校まで往復10時間以上掛かる辺境の地に住む子どもは自宅のネットで学習出来るシステムは当たり前のように行われています。 先進国アメリカでは州によって違いますが、学校へ行かず自宅で学習するというシステムも当たり前のように選択されています。 世界においては学校には無理やり詰め込まなくてはいけないもの、という風にはなってはいません。

  • 2951-002
  • ベストアンサー率18% (5/27)
回答No.6

質問者さんの回答者様へのお礼内容も含め。 科学的教育システム化のプラン要素として賛成です。 何処かの大きな学習塾で部分的には既にやっていそうですね。 <私の偏見> 教育者の「二十四の瞳・論」も個人的には大事でしょう。 が(そんなもん教育者側がとっくに壊しました。子供ひとりひとりなど見ていません。) 科学的教育システム化のアイデアは、もっと広く要素からでも積極的に思考すべきと思います。ここでの教育総括論的な話しはもともっと無理。 同時に学習塾的な教育システム=教育産業=生徒製品化=有名学校合格数でないことも望みます。 <もどして・・・> ちなみにDVD(次世代インターネット?)は大学合格用の科目だけでなく、例えば芸術(ピカソの作画風景、作品、話し)等々もほしいです。 学生時代、絵だけは得意で美術の先生に負けない個性豊かな絵を画いていました。・・・70点??? (笑)  

tamahome
質問者

お礼

賛成ありがとうございます。 公立で映像授業を取り入れますので生徒の商品化にはならないと思います。 なぜなら公立学校全てで同じ映像授業システムを取り入れますので、どこの校舎でも同じ授業を受けられます。 なので生徒は合格実績のみに釣られてわざわざ遠い学校に行かなくても、近くの校舎に足を運べば同じ授業が受けられるのです。 ですから学校別の合格実績の競い合いは意味がなくなります。 美術系を映像でですかぁ 美術、音楽、スポーツなどは直接教わった方が良いような気がしますけどね ですので、学習指導は別に行いますので学校は芸術やスポーツ、科学実験や工作技術や道徳を学びに行くとこみたいになるかもしれませんね そうなると学校は芸術系により力を入れるようになり、生徒が芸術的なことをより深く学べることにつながります。 まさに学校ルネサンスが実現できるのではと期待しておりますo(^-^)o

tamahome
質問者

補足

皆様、お礼が遅れて申し訳ございませんでした。 私の皆様への回答のお礼の内容から御意見がありましたら、宜しくお願い致します。 まだ御意見を募集いたします。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.5

基本的に学ぶとは遊ぶことなんですが。

tamahome
質問者

お礼

学ぶことは楽しい。 楽問ですよね。 生徒達にもそれが伝われば良いと思います。

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