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いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

子ども時代を考える

(校内コミュニケーションシステムの保護者向け書き込みを転載)

軽井沢風越学園で行っている終日授業参観ワークショップ「うろうろ風越」では「子ども時代に大切な経験ってなんだろう」という問いについて、参加者の皆さんともやもや考えることがあります。
この問い、簡単そうでなかなか難しい問い。たくさん思い浮かぶからです。大人であるぼくたちは「これは大切だ」と思うことを、子育てや教育を通して子どもに伝えようとするけれど、どうしても大人からの視線になりやすい。子どもを操作対象に見てしまいやすい。過剰になりやすい。

ぼくらもかつては子どもだったわけですが、その時の感覚って忘れてしまいがちなんですよね。
ぼくらはかつて、どんな子どもだったんだろう。
自分のことを思い出してみると、それはそれは遊び呆けた子ども時代でした。

禁止されていたゲームセンターにこっそり友だちと行き、 なけなしの50円でずっとやりたかった「ムーンクレスタ」というゲームをやったんだけど、1分であっけなく終わってしまって、途方に暮 れたこと。家に帰って「ナオキどこにいってたの?」と聞かれ、半端なくドキッとしたこと。

同級生のたまきちゃんの笑顔が好きだったこと。
ともおみくんたちと市営住宅の物置でこっそり犬を飼って、 家から牛乳をこっそりもち出し たこと。見つかって保健所に連れて行かれた時は本気で泣いた。
ビー玉でごっそり友だちから勝ち取って、この世の春を感じたこと。 家で言うと「返しなさい」と言われるから黙っていたこと。
川に釣りに行ったこと。半日やったけど 1 匹も釣れずに二度とやるかとおもったこと。
「動くロボットをつくりたい!」とけいごくんとガラクタをもち寄ってチャレンジしたものの、 もちろん動かなかったので、飽きて野球をすることにしたこと。

大人の目の届かないところで、思いっきり自分らしい時間を過ごしてきました。マイプロな毎日。
そんなオトナの意図とは離れた何ててことない日常のできごとが、いまのぼくを間違いなくかたちつくっているなと思います。

子ども時代に大切な経験って、本人が選んだことの中にあるんじゃないか。
大人が手渡すもの、とは限らないんじゃないか。

ほおっておいても子は育つ。
それは「ほったらかしにしておく」ということではなく、 半分は見ていて気にしていたり、 少なくとも「気にかけている」んだけれど、もう半分は、子どもたちの試行錯誤に任せている、 みたいな感じ。
そういう、 「まあ、結局のところ、思ったようにはならないんだし、オトナの知らないところでいろいろ学んでるんだよな」 「どう育つかなんて事前にわからず、本人がいろんな経験の中から育ちたいように育つんだよな」
みたいなしなやかさはもっていたいな、と思います。

うろうろ風越、たくさんの方に参加していただきたいなあと思っています。
日常の忙しさや、子育ての悩みや心配をいったんわきにおいて、じっくり考え深めるいい機会です。「たくさん対話させられるんでしょ」「何やら小難しいんでしょ」と二の足を踏んでいる、という話もみみにするのですが、じっくりゆったりまざって過ごす豊かな時間(なはず)です。
ぜひ気楽にきてみてくださいね。

「自分が子どもだったら、風越でどう過ごすだろう?」と子どもに戻って校舎を歩くだけでもなかなか楽しい経験だと思いますよ。f:id:iwasen:20241224215251j:image

 

学級をすてきにする10のこと(前編)&未完

ずいぶん前に書いて(何年か前),下書きに入れっぱなしだったやつ。まだ未完だし、この時から思考はもう少し整理されているけれど、まずはあげてから少しずつ修正しよう(少し修正した)。

 

 

「学級」はゆくゆくはなくなっていくとよい、と考えているけれど、現実的にはしばらくなくならなそうなので、ではその場をどう考えていくかは一方で大切。というわけで、学級をステキにする10のこと(独断と偏見)。

 

 

前提 

学級づくり=学びのコミュニティ(あるいはラボ)づくり=学校づくり=25年後の社会のプロトタイプ

  

①安心安全の関係づくり

先ずは知り合う段階。様々な場面で多様なメンバーと学んだり、暮らしたり、プロジェクトを共にすることを通して、「どの人ともそれなりにうまくやれそうだ」「私とあなたって本当に違うのね」の感覚をつかむ。

流動性を生むための関係のつなぎ直しの場

どうしても「いい関係をつくる」こと自体に視線を向けがちだけれど、楽しいことや、やりがいのあること、没頭するプロジェクト等の「本物の場」を通して、結果としていい関係ができた、というのがいいなあと思う。ことがらを通したゆるやかな関係性を編む。ゆるやかな関係性の中で、でも一人でいるのが好きだなあももちろんあり。

 

 

そういう意味では、後述する教室リフォームプロジェクトはスタートにおすすめ。

できれば、学校、学年のスタートに野外キャンプをするとステキね。ホームとしてのケアしあえる関係性。異年齢もステキね。

 

 

②「つくり手」になる経験。子どもこそがつくり手。

 例えば学級(学校)リフォームプロジェクト。

クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム

クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム

 

自分(たち)の場を自分(たち)でつくっていく。場へのオーナーシップ(当事者性)。学びのコントローラーを自分で操作する典型的な体験。

居心地の良さ、成長できそうな場は自分たちで創っていけるんだ、という経験の積み重ねができるといいなあ。

 

やってあげる」から「自分でやってみる」へ。

iwasen.hatenablog.com

「やらされる」から「やってみたい!」に。おもしろがろう。

iwasen.hatenablog.com

 

③サークル

 小さな民主主義。そのコミュニティはここを基点に動く。コミュニティへのチェックインと共に、共有したいこと、提案したいこと、解決したいことを対話する民主主義の場。(子どもの参画を本気で求めるなら、どこまで試行錯誤や失敗を許容できるか。子どもは大人の本気をよく見ているなあと思います)

iwasen.hatenablog.com

 

 

いや、そんな難しいことではなく、毎朝「きのうどうだった?今日どんな感じ?」を自然に共有できること。そんな時間が日常的に大切にされていることでいい。

 

朝のチェックイン

iwasen.hatenablog.com

 

この時間に読み聞かせを続けるのもステキ。

物語の共有は、ステキな共通体験。絵本には力があるので、ぼくらの下手な話より(失礼)ずっと子どもに届きます。

ボクが4月によく読み聞かせする絵本。その1iwasen.hatenablog.com

iwasen.hatenablog.com

  

④コミュニケーションの量をまずは増やす(会話)

 

教育心理学者の鹿毛さんは学級の「空気」について、

教室や学校が持つ「空気」は、それぞれに固有の文化や風土を背景として、その場に存在するメンバーの振る舞いを規定し彼らの状態レベルの動機づけに影響を及ぼすことになる。もちろん場に特有な文化や雰囲気は固定的なものではない。それらは、場とメンバーによる現在進行形の相互作用を通してダイナミックに創出されていく。 (鹿毛 2013)

と述べています。ではそのためにどうすれば?

日常的なコミュニケーションと相互に関わりあう心地よい体験の積み重ねによって相互理解が深まるとともに信頼感が互いに構築されることによって、自分の存在が受け入れられているという感覚が促され、その場が当人にとっての「居場所」となる。     (鹿毛 2013)

 ここで大切なのは、日常的なコミュニケーションと相互に関わりあう心地よい体験の積み重ね」です。先生が説教したから、語ったから、信頼感が育まれるわけではなく、そこにいるメンバー同士が、心地よいコミュニケーションの積み重ねをすることが重要です。とはいってもこれは残念ながら自然発生はしません。

教室を眺めていると、実は子どもたちはごく少数の相手としかコミュニケーションをとっていないことがわかります。授業中はもし一斉授業ならほとんどコミュニケーション場面はありません。休み時間は仲のよい数人と。給食のときにグループの人とちょこっとしゃべるだけで、あとは基本的に仲のよい子とコミュニケーションをとっているに過ぎないのです。うちの娘に聴いても、ほとんど2人の友だちの名前しか出てきません。ずーっとその子といるみたい。これってかなり広く普通のことです。

その場が居心地がよくなるには、そこにいるメンバーのできるだけ多くの人と心地よいコミュニケーションをとる機会が必要になります。あまり話したことのない相手とコミュニケーションをとる、子ども自身にこれを任せるのは最初は難しい。リスクがあるからです。大人でもそうですよね。大学院の授業ですら、皆さん最初は「コミュニケーションをとったことのある安全な相手」と固まって座っていました。だからこそ「より多くの人と心地よいコミュニケーションをとる機会のデザイン」が重要になります。ぼくはそのことを「教室のコミュニケーションを混ぜる」と表現していますが、関係のつなぎ直しが必要なのです。

iwasen.hatenablog.com

その方法の1つとして、「信頼ベースの学級ファシリテーション」を提案しています。メソッドですから、必ずしもこれじゃなくてもできることです。状況と目的に応じてメソッドは選べばいい。とはいえぼくは、信頼ベースの学級ファシリテーションや、詳しい解説は省きますがプロジェクトアドベンチャーは優れたメソッドの1つだと考えています。ぼくの中では「学級ファシリテーション」はどちらかというと言葉を介した関係づくり、プロジェクトアドベンチャーはどちらかというと身体を介した関係づくりと整理しています。

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

 

 (おかげさまで10刷となりました)

 

コミュニケーションの網の目ってすごく大事だと思うわけです。

「人間関係は、疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる」
「人間関係は、ゆるやかな紐帯」

こんな場づくりを目指したい。

iwasen.hatenablog.com

 

⑤自己主導、「〜たい」がすべてのスタート。「人には力がある」が出発点
 自分の興味関心、ペース、学び方、手持ちの能力から、スタートする学び。

 学びのコントローラーを自分で操作する。自分のペースで自分の学び方で学べる自由進度の学び、関心からスタートする探究の学び、学校づくりへの参画(いわゆる係活動、会社活動を「本物の参画」へ。キーワードは本物)。没頭する遊び・学び(学びひたる・遊びひたる)。

以下の本に詳しいです。

 あくまで仮説ですが、関係づくりに注視しなくても、日々の探究が充実すれば、ことがらを通じた関係性が紡がれ、結果としてゆるやかな協同性が育まれるのではないか。 

 

以下未完。↓

 

⑥協同の良さの体験の積み重ね。

 ・協同しない自由の担保も含む

 ・援助希求しあえる関係

 

⑦たくさんの失敗を通した試行錯誤

 ・まずやってみる。  

 ・思考と行動のサイクルを短い単位でグルグル回す。

 

⑧量から質へ 対話をベースとしたコミュニケーション

 

⑨ 本物への参画。関係性の注視から、ことがらを通じて結果として関係性へ

安心・安全な場だけでは陳腐化する。

自身の成長や変化をことがらを通じて実感できること。

そのためにはやはり日々の学びにつきる。ぼくのとってリーディング・ワークショップ/ライティング・ワークショップ、プロジェクトはその核の1つでした。

そしてことがらを通じた関係性は、教室の境界があいまいになっていき、ゆるやかに外とつながっていくでしょう。ここが学級制の解消のポイント。

  

⑩あなたは何が大切だと思いますか?

 

サークルタイムを実践してみる。

軽井沢風越学園では毎朝45分間、つまり1コマつかってホームごとに朝の集いをします。

 わたしたちは学園の中で複数のコミュニティをつくり、そこで経験できることの価値を信じています。ラーニンググループ、興味関心でつながるマイプロジェクトの仲間の他にも、風越学園には異年齢構成(年少〜年長、1年〜4年、5年〜9年)の「ホーム」があります。異年齢で過ごすことを通して、自分の視線とは違う世界を見る、憧れる、ケアし合う、真似をすることを試してみながら、新しい世界をともにつくります。

 

安心してあそびや学びに没頭するには、自分の存在が大切にされていると感じられる場が必要です。ホームは「聴きあう」ことと「多様さを認めあう」ことを大切にします。わたしたちは学園の中で複数のコミュニティをつくり、そこで経験できることの価値を信じています。

わたしたちのカリキュラム | 学園のこと | 軽井沢風越学園

 

しかしホームをつくっていくのが意外と難しい。学級のように空間的にも時間的に統制を効かせる、というアプローチが難しいからです。

kazakoshi.ed.jp

 

その中でも難しいのが、「朝のサークルタイム」をつくること。

どのホームもチャレンジしていますがうまくいったりいかなかったり。

つくりかたに正解はないし、いろんな形があっていい。

でもその手前での小さな工夫で躓いていることもあり、ぼくのこれまでの経験で参考になりそうなことを言葉にしてみます。これは風越に限らず、公立校でそのような場づくりをするときにも少しは参考になるんじゃないかな。

 

1、サークルタイムの価値

さまざまな教室を参観させていただく中で、サークルになって話し合ったり、対話したりしている場面をよく見るようになりました。アドラー心理学に基づくクラス会議、イエナプランのサークル対話、てつがく対話など、サークルになるという場のつくり方が一定の認知を得てきたようです。朝の会や帰りの会をサークルで行っている、という話もちらほら聞こえてきますし、ぼく自身も公立の現場にいるころ、サークルという場をとても大切にしていましたし、今も、子ども大人に限らず実践の場を持つときには大切にしている場のひとつです。

 

ダン ロスステイン、ルース サンタナが本の中で、
「ミクロ民主主義」
という概念を提示していましたが、教室や学校で、小さな民主主義を実現していくことが未来につながっていくとぼくは考えています。言い換えれば、「教室の中に参画の仕組みと文化があるか」。その小さな出発点がサークルタイム(仮称)です。 

例えば 、そろそろ12月も近いしクリスマスパーティーをしたいなあと思った子がいたとします。
その時に、声を上げて実現へ向かう仕組みがあるか、つまりは「〜たい」ということが実現できる文化と仕組みがあるかということです
「先生、パーティーしようよー!」ではなく。

 

「最近自分のものがなくなって困ってるんだよー」「友達と揉めていてなかなか解決できなくて」という声も同様です。それらの声をコミュニティに言葉としておけるか、その小さな民主的な場をサークルタイムとしたいと思います。

決してただ丸くなって集まる場ではないということです。

 

 

例えばこんな感じです。

サークルタイムで、
「何か相談したいことある?」と今日のファシリテーター役の子が問いかけます。ある子が「12月が近いしクリスマスパーティーがしたいんだけど」と切り出しました。
「もう少し詳しく聞いていい?」
「うん、12月、みんなでクリスマスパーティーがしたいんだよね。卒業も近いし、今何人かで練習しているダンスも披露したいし」
「じゃあプロジェクトチームに入りたい人を募集して企画してもらおう。やりたい人−」
「はーい!」
「12人もいる!まーいいか。ではお願いします!」

ぐらいの軽やかさでまずはok。

やるかやらないかを話し合うなどコンセンサスを得ようとするより、やりたい人が言い出しっぺになり、必要な人に相談しながら企画して進めていく。この試行錯誤が大事だなとぼくは考えて実践していました。
そのうち、プロジェクトチームからサークルタイムで提案があるはずです。
プロジェクトチームの人は時間確保のために、担任と交渉したり、どんなことをしたいかアンケートをとったりとステークホルダーと必要な相談をしながら進めていく。必要な人に助言を求める。

何か問題が起きたとき、企画したいこと、やってみたいこと、改善したいこと等、「〜たい」という欲求が生まれたとき、すぐに提案して動き出すことができる、そんな仕組みや文化が教室の中にあるか。
まずやってみること(試行)が大事にされているか。それがサークルタイムの価値だと考えています。これは困りごとや悩みも同様です。
教師を介さずに動き出せる仕組みと文化、教師に許可を得るということなく動き出せる仕組みと文化、簡単に言えば、「自由を使ってみること(試行錯誤してみること)が大事にされているか」です。
言い換えると、生成的アイデアで組織が創られていく、自己組織化していく、ということでしょうか。 正解や目的、目標に向かっていくのではなく、弁証法的に意味を形成していくわけですね。


2、でも難しい!

とはいえ丸くなって話せばオールOKというわけではない。
サークルタイムはそう簡単にステキな場所になりません。沈黙が続いたり、がちゃがちゃしたり、なんだか重い時間になったり。丸くなることが目的化すると、その中での経験がマイナスにもなりかねません。

例えばこんなことはないでしょうか?


①プレッシャーがかかる
まず30人近くが丸くなって座ると、当然ですがサークルがでかい。正面の人ははるか先です。自分以外の29人の顔が見える。それは良さでもあるのですが、この中で発言するなんて実はプレッシャーがかかります。全員の反応が見えるわけですから。他者を意識しすぎた結果、言いたいことがいえないということが容易に起こります。

 

②参加度が下がりやすい
どうしても沈黙しやすくなるし、基本的に「1人が話し手で29人は聴き手」という状況になるので、「だまってきく」ことがメインになります。よっぽどそこで取り扱われているテーマに関心がないかぎり、ずっと聞きっぱなしになって参加度はグッと下がります。その内に隣とつつきあったり、意識がサークルの外にふわーっと飛び立っていったり。そうなるのは必然です。

 

③一斉講義と変わらない状況
というわけで、初期の頃は学習者同士のやりとりになりにくく、先生を介したコミュニケーションになりがちです。
先生→子どもA→先生→子どもB・・・というように。
なかなか対話が生まれず、焦って先生の発話が増える。先生がつながないとコミュニケーションにならない。これでは一斉講義と何ら変わらない状況です。そもそもなんでサークルなんだっけ?という問いが生まれてきます。

ここにいる大人の役割はなんだ?ということになります。


④声の大きさで決まる
進行を工夫しないと、聞き手が多数になりやすい構造なので、話し手にパワーがある場合、グッとそっちに引っ張られる可能性があります。
いつもあの子の意見で決まる。いつもあの子の反対で止まる、みたいになってしまうと残念。


⑤発表モードになってしまう
みんなの前で話す=ですます調での発表モードというのは、学校教育では身体化されていることが多いです。

「〜だと思います。その理由は〜」
のような話型表と言われるものが教室に貼られていることもあります。

○○さんに反対です。その訳は〜
○○さんにつけたします。〜

のような。

ぼくはこれを「発表モード」と読んでいましたが、話型の不自然さから対話を阻害しているのではないかと思います。
これは不思議なもので、小学校に限らず幼稚園や保育園でも起きがちです。

サークルタイムで必要なことは自由に話せるカフェのような雰囲気です。
数人でおしゃべりするような「おしゃべりモード」(仮)で自然に話せるようになるのがまず大切だなと思います(そしてこれが結構難しい)。

学校の中でもっとインフォーマルな「普通の話し方」を大事にしたい。子ども同士でいる時間のほとんどを学校で過ごします。そこでどのようなコミュニケーションが行われているのか、あるいはその機会がほとんどないのか、ぼくらはもっと真剣に考える必要があります。話し方は関係性と密接なつながりがある。そのことにもっと自覚的でありたいです。
石井英真さんが著書の中で、
「〜話し合い活動も書き言葉的な「発表」をメインに遂行されてきた、書き言葉優勢の教室のコミュニケーションに対し、即興性や相互に触発し合う偶発性を特徴とする話し言葉の意味を復権する」ことを「ことばの革命」と呼び、これからの授業で重要になると言っていますが、同意です。

もちろん話し方だけの問題ではありませんが、サークルを大切にするコミュニティは対話を大切にしようとするコミュニティのはず。子どもたちがサークルで「どのように話しているか」にもっと注意を払いたいです。それは大人と子どもの対等性にもつながる観点です。
話型が、対話や学び、関係の深まりを阻害していることは十分に考えられるわけです。

 

と、サークルタイムを例えば学級のようなコミュニティの真ん中におこうとすると、そう簡単にはうまくいかない問題にぶつかります。他にも合意形成に時間がかかりすぎて決まらない、そもそも話し合いたいというテーマではない(学級会とかでありがち)など様々な難しさがあり、そう簡単にはステキな感じにはならないのです。

ぼくも5年近く実践して、たくさん失敗して、子どもと相談してようやくわかってきたことです。


3、サークルタイム具体的にどうやる?

導入で必要なこと
「サークルタイムを実践したい!」と思ったときに最初に大切なことってなんでしょう。それは、「この場は楽しい」という経験を積み重ねていくことだとぼくは考えています(ぼくはけっこう構成的に場を作る派です。もっともっと自然につくれる人もいるはず)。例えばまずは「きくことの楽しさ」を実感する。
毎日読み聞かせをたっぷりすること。その中で対話を促すこと(「対話型読み聞かせ」で調べてみて下さい)。
ペアで対話する経験、いろんな組み合わせでコミュニケーションを取る経験、小グループで対話する経験を積み重ねること(以下の本を参照)。
オープン・クエスチョンのように「やりかた」として練習していく道もありますし、マーキーの本に書かれているように、非構成的に経験していく道もあります。そのあたりは好みと価値観とやりやすさで。
ともあれ「きくことの価値」を実感できると感じが変わってきます。これは大人でも難しいのですが・・・・・

深い学びを促進する ファシリテーションを学校に!

深い学びを促進する ファシリテーションを学校に!

  • 作者:青木 将幸
  • 発売日: 2018/07/10
  • メディア: 単行本
 


サークルタイムはそれだけで完結するわけではありません。
授業の中で例えばブッククラブをするとか、てつがく対話をするとか、協同学習がベースになっているとか、そんな日々の経験とも地続きです。サークルタイムだけで、素晴らしく対話的になる、ということは残念ながらありません。地続きの経験の総体、つまりはどんな価値観で日々の学びが営まれているか、なのです。


サークルタイムの例
進行のプログラムはいろいろ考えられます。
サンプル数1で恐縮ですが、ぼくはこんなプログラムで実践していました。
最初はファシリテーター役はぼくが行っていました。場が安定してきたら子どもに譲渡していきます(並行して、子どもたちとはファシリテーターのお稽古を授業の中で行い、一人一人がファシリテーターを目指します)

 

①サークルになる。
「毎日隣の人を変えて座ろうね」と提案していました。その理由は以下に。

ちゃんとまとめたいんだけど。

iwasen.hatenablog.com

 

②チェックイン
ファシリテーターはこう切り出します。
「おはようー。向こう三軒両隣と健康観察してしてください」

子どもたち、両隣とその先の何人かと「おはよー元気?」「ちょっと寝不足なんだよねー」「なにやってたの?」みたいにやりとりして体調を知り合います。
「みんなで共有しておいた方がいいことがあったら教えてー」
「○○が風邪気味で頭痛いんだってー。熱はないらしい」「じゃあみんなで気をくばっておこうねー」とやりとりします。
ぼくが勤めていた学校には「朝必ず健康観察を行うこと」というルールがありました。それをチェックインがわりにコミュニケーションのきっかけにしていました。
その後は、

「昨日どんな1日だった?近くの人とどうぞー」

と気楽なおしゃべりでチェックイン。時には「みんなに共有したい話ある?」と共有しても楽しいです。

例えばこんな感じ。
そこで月曜朝は決まって「おはよー!」とあいさつをした後、
「土日どんな風に過ごしていた?」
というテーマで、2,3人で対話する。
まずは少人数でたっぷりチェックイン。全員の前で話すのはプレッシャーもかかる。数人ならたくさんの人が話せる。
いろいろあった人もなかった人も、ワイワイと楽しそう。
「野球大会だったんだけどさあ・・負けちゃった−」
「雨降ってたからずっと家にいたよー」
「父の日の準備始めた?」
漏れ聞こえてくる声をききながら、元気かな−、つかれてないかなーと子どもたちひとり一人の様子を見る。

3分くらい話した後、数人の人が全体にシェアする。
「だれかみんなに話してくれる?」
「じゃあ、おれが」と、Kくん。
「土曜は朝は10時頃起きて、お母さんに怒られながらパンを食べたんだよね」
 起きるのおっそー!
子どもたちからつぶやきがもれる。
(日頃から「幸せなら態度で示そうよ」なんて呟いてる。坂本九。ウナウナと頷いたり、小さな声で反応したりすると話し手は「ああ聞いてくれているんだなあうれしいなあ」って伝わるよ、と。)
「昼ご飯は食べなくて−、で。部屋の片付けしろって母さんに怒られたから、いやいややって〜」 あはは
「夜ご飯食べて、1日終わった−。」 
わはははは!なんにもしてないじゃん!
さまざなつぶやきがもれる。
「日曜はなにしたっけなー、午前中部屋の片付けして」どんだけ汚いんだ!
「午後は部屋の片付けしてるっていいながらゲームして、夜ご飯食べて終わった−。
雨降っちゃうと野球がないから急にやることなくなるんだよねえ〜 」
ああ、わかるー。
外のスポーツをやっている子達から共感の声。

つまりは、たわいもないこんなことを、みんなで笑ったり、うなずいたりしながら、クラスの波長をゆっくり合わせていくチェッックインの時間です。

 

③ホワイトボードの議題

教室にはサークルタイム用のホワイトボードを常設していました。3等分して自由に書き込めるようにしてあります。
それはこんな構成です。

・いいねありがとう
・連絡・報告
・相談したい、提案したい、いいクラスにしたい

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「いいねありがとう」。
子どもたちは、思い立った時にどんどん書き込んでおきます。ここに書かれていることの共有で1日のサークルがスタートするのです。
「いいねありがとうからいくねー。『○○が昨日チームつくるときに、一緒にやろうよと声かけてくれた』と田中っち。田中っち詳しく教えてー」

「昨日さー〜」
と、グッドニュースの共有からスタート。これは健康観察や昨日どうだった?のおしゃべりで代替してもいいかもしれません。ぼくはわりとこの時間が好きで毎日やっていました。たくさん書かれているときはさーっと読み上げるだけでもok。時間にしたら2、3分です。この時間もチェックインの要素が強いですね。書いていて、今ならこの時間取らないなーとも思ったり。

 

「連絡報告」。
特に話し合うわけではなく、お知らせしたいことを書いておきます。
例えば、「○○は明日締め切りです」とか「出し物の準備進んでますか?いよいよ来週クリスマスパーティーです」などなど。


「相談したい、提案したい、いいクラスにしたい」。
ここがメインです。
ここにはさまざまな「〜たい」が書かれます。
「クリスマスパーティーをしたい」
「ハムスター買いたい」
「ちょっと隣のクラスの○○と揉めていて・・」
「プロジェクトの時間もう2時間延長してほしい」
「掃除で困ってる」
などなど。これをひとつずつ扱っていきます。

 

基本的な流れは、

 

1、そのお題について書いた人に詳しくきく。

2、プロジェクトチームで動けそうなことはその場で募って決定。

3、みんなで相談した方が良いことは以下の手順で。
・詳しく状況を知るために質問する(発散)
・それはホワイトボードに書いていって可視化する。
・質問が終わって状況がわかったら、一番困っていること、解決したいことを決める(収束)
・解決策をブレスト(2、3人の小グループで出し合う)
・全体で共有
・相談を出した人が解決策を上位3つを選ぶ(活用)。
・1位のものから1週間試してみる。うまくいったらそれでok。いかなかったら2位の解決策を試す。
・結果を後のサークルで報告。

 

 

大きくはこんな感じです。

ここメインで、一番詳しく書かなくちゃいけないんだけど、またいつかの機会に。

課題解決、お困りごと解決のミーティングのファシリテーションですね。


ぼくはホワイトボード・ミーチングを実践していたので、<発散ー収束ー活用>の進行の枠組みは基本的にその流れをもとにやっていました。

経験すればするほどいい感じになる。リアルな課題であればあるほど次に生きる。そんな時間です。

子どもたち自身もホワイトボード・ミーティングのファシリレータートレーニングをしていたので、やがてこんな「相談したい」があらわれます。
「登校班(近所で異年齢で登校する制度)で揉め事が起きているのでファシリテーター募集」。
みんなで話し合うのではなく、ファシリテーターを募集してその人に入ってもらい、小さな単位で問題解決するようになっていくわけです。

つまりやがては日常の中にとけてゆくことになります。

 

進める上でのポイントは、時間を決めておくということ。
例えば朝のサークルタイムが20分だとすると、チェックインと「いいねありがとう」で4分、連絡報告1分、③相談したい、提案したい、いいクラスにしたい15分のように。③をやっているうちに時間が来てしまいますが、時間が来たら「では続きはまた明日ー」とサクッと中断。無理なく続けられるのが大事だし、時間感覚も大事。

どうしても長くなりそうなテーマ、コミュニティにとって重要なテーマは別途時間をとってたっぷりやるといいですね。

(ちなみに軽井沢風越学園では毎日45分とります。結構いろいろできそう。)


さて、サークルタイムがが意味ある時間になるかどうかは、そのコミュニティの成熟度と入れ子ですし、なによりかかわる大人の本気が試されます。本当に「子どもといっしょにつくる」に腹を決められているか。子どもの参画を本当に望んでいるか。サークルタイムをコミュニティの真ん中に据えようとしているか。

子どもはよく見てますよ(ああ苦い思い出がたくさん・・・)。

 

さらには先生がファシリテーターであるかどうか。

とくに「相談したい、提案したい、いいクラスにしたい」では、ファシリテーションが大事大事。冗長にすすめると、かなりざんねんなことになる・・・・

まずが大人がファシリテーターのモデルとなって姿で示す。それをモデルに、徐々にて渡していく。この足場かけのプロセスが大事です。

ずっと大人が握るのも、子どもに丸投げも残念。そしてさらに大事なのが,大人だけがファシリテーターを目指すのではなく、一人一人がファシリテーターになれるよう学びの機会をデザインするということ。ここにかかっています。一人ひとりが場をつくる当事者になっていくことを目指すのです。これは特定のできそうなあの子ではなく、全員,です。

 

サークルの感じはこの本から伝わるかな。 

みんなのきょうしつ

みんなのきょうしつ

 

 

とここまで書いて力尽きました。
サークルタイムを運営する上で大切なこと、をまとめたいのですが、またの機会に。少なくともこの2つは共有しておきたいです。


言いたくないことは言わなくていい。

iwasen.hatenablog.com


共同修正

iwasen.hatenablog.com

 

と、ここまでは、あくまでかたち。

もっともっと、子どもと共につくることもできるし、非構成的につくれると思う。

型には功罪があるし、ぼくはつい構成的にアプローチしちゃう悪い癖がある。

いずれにせよ、子どもを中心において、子どもがこの時間からなにを経験しているのかを振り返りつつ、いっしょに修正し続けるのがいい。

 

 

帰りはサークルタイムをしていたり、振り返りジャーナルを書いたりしていました。

帰りのサークルのことはちらっとけんじが書いてくれていた。

https://iwasen.hatenablog.com/entry/2015/10/20/191606

 

 

そして何より大事なことは、一人ひとりの人と信頼関係をつくること。

せんせいにとっては「学級というまとまり」にみえるかもしれないけれど、子どもからはやはり「先生」は気になる人。

それぞれが、この場をつくっている大人に大切にされている、信頼されている、自分のことが好きだ、と思っているかどうか。

 

そのためには、サークルの場以前に勝負が決まっているんですよね。

朝始まる前の時間のおしゃべり、休み時間のおしゃべり、全員と毎日フラットな関係でコミュニケーションを積み重ねているか。シンプルにいい関係をつくれているか。

これに尽きると思います。

これなくして「サークルでなんとかしよう」は、基本的に筋が悪いわけです。

 

ではでは。

問いを捻り出す 問いが生まれる

プロジェクト学習を実践する上で、いきなり

「さあ、では一人ひとり問いをつくりましょう」

というアプローチがあまりに多い。それで見つかれば苦労しない。

誰でもすぐに卒論や修論が書ける。

問いはそう簡単に決められるものではないので、思い入れのない、形式的な問いを置いてしまいがちだ。

「なぜ原油の価格は上がり続けているのだろうか」

とか捻り出しても自分の関心とつながっていないと、意味のない(言い過ぎか)調べ学習に終始することになる。

 

問いは学んでいくプロセスで自然に生まれてくるもの。

一人ひとりに自然に問いが生まれてくるようなテーマや学習材との出会いのデザインが重要だ。

これを「アンカーイベント」という。

 

アンカーイベント

関心を始動させ、動機づけを促進するための出来事や事象、経験。アンカーイベントは、学習者が関心を持ち、深く課題に取り組むきっかけとなるものである。

 

実世界の問題や状況を反映:実際の生活や職場で遭遇するような問題や状況をベースにする。これにより学習者はその問題を解決するための知識やスキルを獲得する動機づけが生まれやすい。

 

複雑さ:単純な答えが存在しない複雑な問題を提示。学習者を深く考えさせ、多角的に問題を解決するための方法を模索しやすくなる。

 

関連性:学習者の興味や経験に関連する内容であることが望ましい。これにより、学習者は自らの経験や知識を活かしながら学習に取り組むことができる。

 

 

良質な共通経験(=アンカーイベント)をいかにデザインし、そこから一人ひとりに問いが生まれる道筋を設計し実践する。

 

たとえば、昨年度風越学園の34年生で行われていたテーマプロジェクト、

光を使って、わたしの暮らしを『__』。

光を材にしたプロジェクトだ。

 

だからといって「光で不思議だと思うことを発表しましょう」とか、

「光でウェビングを描きましょう」とかからは入らない。そりゃそうだ。

 

では、アンカーイベントとして、たくさんのアンカーイベントを用意した。

例えば理科で、
① ろ う そ く に 火 を 灯 す 、 炎 の 観 察
② 回 路 づ く り ( 豆 電 球 を つ け る 、 プ ロ ペ ラ を 回 す )
③ 虫 眼 鏡 で 光 を 集 め る
④ 反 射 を 使 っ て 光 を 集 め る(鏡でショコラを溶かしてみる)
⑤ プ ラ ネ タ リ ウ ム ( 月 と 星 )

図工で、

① 光 と か げ で 遊 ぶ 、 も の づ く り
② 太 陽 光 と 影 ( 木 も れ 日 キ ャ ッ チ )

ライブラリー
・ ブ ッ ク ス タ ン ド  → 本 を 通 し て 、 光 を 知 る ・ 考 え る 。

など。

これだけ徹底したアンカーイベントを経験し、光への関心を広げ深めていく。

(詳しくは以下の本を読んでみてください。その経験が一人ひとりの探究にどうつながっていくかわかると思います)

https://www.valuebooks.jp/bp/VS0058752973

 

そのたっぷりとしたい経験の中で、関心が滲み出てくる。

一人ひとりに問いが生まれてくる、「〜したい」が訪れる。

それは決して捻り出すものではないはず。サイクル通りのぐるぐる回るものでもない。

生まれた問いや「〜したい」は自分ごとだ。そこから探究ははじまる。

 

例えばこんな学びが生まれていく。

kazakoshi.ed.jp

 

なるほど、と頭でわかっても、そのようなプロジェクトを設計したり実践したりするのはなかなか大変だ。

 

今回、風越では、子どもの『やりたい!知りたい!』が生まれ続けるテーマプロジェクトの設計と伴走について学べる機会「実践ラボ」を行います。
関心がある方はぜひ。

kazakoshi.ed.jp

 

ちなみにプロジェクト学習の設計の勘所としては、「教科の内容を豊かに内包するには?」(そもそも学ぶ意味や価値があるものが教科の中にある。それを生かした方がプロジェクト学習はより豊かになる。逆を言えばそれが薄いと活動主義になりやすい。)もそのひとつで、今回の実践ラボではそこにも迫れそう。

というわけでブログ復活してみました。

不足なものといまここ。

公立であれ、私立であれ、オルタナティブであれ、いろいろな「しがらみ」や、制度や、予算や、人間関係や、程度問題はありますが、どこでも必ず「不足なもの」が存在します。

ぼくが勤務した公立小学校にも、「不足なもの」も多数存在しましたが、逆に制度やシステムに守られているとも多々ありました。(もちろん問題は山積みですが、それでもなお。)
「今ここ」でやれることは確実にあるし、ぼくらが思っている以上に公立での実践は自由度が高いはずです。

今ここでやれることは、どこに行ってもやれるし、今ここでやれないことは、どこに行ってもやれない、ぐらいに思っていていいと思います。
もちろんそれは、ぼくができているということではなく、そう思って試行錯誤を重ねている最中ということです。

 

制度をいじることはそう簡単にはできない。でもその中でしなやかに可能性を広げることはできます。時々くじけそうになりますが、それはどこにいてもそうです。


どこか、が問題ではなく、まずは「今ここ」で何をどうやるか、なんのためにやるか、です。

念のため、制度や仕組みの変革の可能性を探るのはそれはそれで重要であることは間違いありません。

 

原っぱであそぶ

秋晴れの気持ちの良い日。空気は少しピンと冷たさで張り詰めはじめています。

昼休み、オフィス前の芝生でお弁当を食べていると、目の前で2年生たちが野球を始めます。
毎日毎日、本当に飽きもせず原っぱで野球。それこそ最初の頃は揉め事も多かったのですが、たくさんのトラブルとその解決を経て、実にいい感じに遊んでいます(そしてめちゃくちゃ上手くなっていてびっくり)。

楽しそうに続いていく試合、結構速い球を投げ合っているのに、カキーンカキーンとよく打ちます。

途中から「いれてー!」と6年生の二人がやってきました。さらに7年生の1人が「俺も入れて」と合流。7年生には、2年生が
「もう一人連れてきてーください!」。
(おお、なぜか思わず敬語になるときあるんだな 笑)

結局7年生は「俺審判やるよ」。

まるで昭和の原っぱのように人が集まってきて、自然に混ざって遊んでいる。こういうことが起きるのは75分とたっぷりある昼休みのおかげでもあります。

ぼくが子どもの頃(もう40年も前だ・・・)に毎日のようにあった光景が広がっていて、ちょっとグッときました。

これまで「子どもの遊び」は学校の担う主な領域ではありませんでした。
でも世の中の変化で、学校がまっすぐ向き合わなくてはいけない大切なことなんじゃないか、と考えています。f:id:iwasen:20241208083450j:image